155.0話 半数以下
―――10月24日(火)
「……拓真はんでも流石に緊張しまっか?」
運転席の康平が話し掛けてきた。赤い小さな車だ。いかつい外見に全く似合ってねぇ……。
「大丈夫ですわ。ワイと拓真がつるんでたら早々、絡まれまへんわ」
「あぁ……。分かってる」
俺と康平は『知っていた』者の先陣を切り、蓼学に向かっている。学園内の情報は美優から多少は聞いている。
憂と親しくしていた美優は、同級生から距離を取られているそうだ。それだけで済んでいるのは、憂の『過程』は俺と同様、もちろん知らず、性転換した事実……憂=優については沈黙を保っているからだ。それが知っていたと気付かれた時、悪意が美優に向く。
……それなのに美優は電話の向こうで言い切った。
『あたしは何があっても優お兄ちゃんの味方なんだ!』だってよ。でも、あいつは1人なんかじゃねぇ。傍の親衛隊長さんは元気に憂の親衛隊の存続を叫んでいるそうだ。
意外と心強ぇじゃねぇか。
「あの編集社、芸真ジャーナルは大炎上を始めてまっせ。昨日の看護部長はんの自殺未遂の発表と遺書の公開、そこから病院の自作自演疑惑が浮上したところに思わぬ援軍。内部告発者が出現しはった。あそこはもう、どうにもならんわ。追い風が吹いてまっせ」
「あぁ……。分かってる」
看護部長さんの自殺の理由は遺書に書かれていた。
9月7日の木曜日、突然スマホに着信があったらしい。その電話を受けると『可愛いお孫さんですねぇ。さぞかし溺愛されている事でしょう』と切り出された。木曜の午後は憂の定期検診日だ。
この定期検診を記者は勘違いしたんだろう。蓼園さんと逢っていると思い込んだ。
困惑する看護部長さんの耳に子どもたちの笑い声が届いた。そんな時に汚ぇ記者は『立花 憂さんの画像と引き換えで手を引きましょう』と脅した。
記者としては、総帥と憂の密会の現場……、肉体関係の現場を撮り、それと引き換えに……と言う脅しだったんだろう。
看護部長から見りゃ、憂の画像と言えばアレしか見当が付かなかった。そこで島井さんのPCからあの画像データをコピーし、地下駐車場の片隅で記者に渡した。可愛い孫を守る為に、だ。
渡す際に看護部長は記者に喰って掛かったそうだ。『この画像が公開されれば命をもって抗議し、貴方を糾弾します』と。
……とんだ矛盾だが、看護部長さんからすりゃ、お孫さんの命が掛かっている状況だった。そのせいで冷静な判断が出来なかったんだろうと思う。
こうして、病院の最終防衛ラインである変貌の過程を克明に記録した画像は、糞編集社の手に渡った。
……病院が一連の流れを遺書と共に公開すると、WEB上で『そのような事実関係は存在しません。事実を隠蔽したい蓼園総合病院の自作自演です』とヤツらはコメントを発した。
ネット上では病院の言い分こそが真実だ。
病院は隠し事ばかりだ。演りかねない。
大まかに分けりゃ、こんな2つの意見が拮抗した。
鈴木さんが姿を見せるべきかも……。そんな時に相手側から内部告発者が出現した。梢枝さんが言うには、ゴスロリな衣装で憂が現れた日に遭遇した記者らしい。俺はあんまり憶えてねぇ……。人を憶えるのは苦手だしな。
その人が自らの姿と名刺、運転免許証を会社内でSNSに晒し、看護部長の遺書は全て事実だと断定した。
それが発端だ。あいつらは激しく叩かれている。あの優しそうな鈴木さんは、文字通り命懸けで憂の画像流出を償ったって言えるのかもな。
「拓真はん……。ワイ、ちょいと寂しいわ……」
「あ? あぁ……悪い……」
病院の記者会見は事実を淡々と述べただけだ。俺らが聞かされた情報を包み隠さず、全て話した。
……いや、全てじゃないのかもな。
総帥さんの1週間という指示があった事。
病院は何をしてでもその期間、優の命を繋ごうと足掻いた事。
その結果、あの過程を経過し、優は憂に変わっちまった事。
なんだ? 纏めて見りゃ優が勝手に憂になった事は隠されてんじゃねぇか。
他には……。
あの『再構築』以後、普通の人より、多少、傷の治りが早いだけで至って正常な体である事。
おかしな感染症などは無く、病気じゃない事。
……後遺症の事も言ってねぇな。そっちは梢枝さんの動画で広めようって寸法か?
「着いたわ。どうする? 緊張解けへんのなら、もうちょい後にするか?」
「……お前。車運転……? バレたらバレんじゃねぇか?」
「……相変わらず言葉が足りまへんなぁ……。それなら大丈夫でっせ。バレんに越した事はないんやけど、ワイらの年齢は名簿上、正式な年齢に変更されてるさかい」
……呆れちまった。突付かれてまずいところは既に修正済みってワケか。
「ほいでどうしまっか? もう1時間目、始もうてるさかい、人目もそないに有らへん。覚悟を決めまっせ!」
……覚悟?
「何の覚悟だ……?」
「へ……?」
その顔で呆けるな。
「緊張……してはるんやないん?」
「緊張……? してねぇよ。俺がそんな風に見えるか?」
「いや……その……、珍しく緊張してはるわーって……」
「そうか?」
「あー! もうええわ! とっとと行きまっせ!」
教室までは誰にも遭わなかった。遅刻したヤツと遭遇しそうなもんだけどな。状況が状況だけに……ってか?
上靴は無かった。来客用スリッパだ。利子ちゃんが俺ら5人分の上靴や教科書は回収してくれているらしい。助かるよな。残してたら無事じゃねぇよ。
……これから回収すんの、ひと手間だけどな。
「すぅ……はぁ……」
康平が教室前で1つ深呼吸を……。
お前が緊張してんじゃねぇか!
「いや……ははは……」
俺の視線に気付くと、愛想笑いで誤魔化しやがった。頼りになるのかならねぇのか分かり辛ぇ……。
「……どけ」
邪魔な康平を退かし、教室のドアを横に開く。
……なんだこりゃ?
まず驚いたのは教室の暗さだ。雰囲気じゃねぇ。カーテンが引かれてんだ。
……もう1つは「拓真くん! 康平くん!」
佳穂ちゃんの声だ。笑顔で俺らを迎えてくれた。
でもよ……。
「ヤケに少ないでんな……。昨日の全校集会の影響でっか?」
「お話は休憩時間に……ね? 今は授業中ですよ」
数学の先生の小言。そりゃそうだ。
教室の窓際2列目。いつもの俺の席に付く。
……少ねぇ。もしかして、この空席の全員が転室しちまったってのか?
昨日の全校集会で学園長は、期間限定で待機期間無しの転室を認めると表明したらしい。
この時のスピーチは凌平が録音し、チャットに抜粋した文章を上げた。
【君たちの中には隠していた、騙されていたと、今なお思う生徒も多数存在するでしょう。あの画像の捉え方次第では彼女に対し、嫌悪感すら抱いているかも知れません。ですが、私は彼女に一切の非は無いと判断し、全面的に支持します。戸籍の変更は大人たちが勝手にした事です。確かに彼女も隠しました。しかし、それは本人にとって苦渋の決断だったのです。それはいずれ理解できる事でしょう。
……皆さんの不満も解ります。そこで学園は覚悟を決めました。大混乱を承知の上です。本日、この全校集会が終わると同時に待機期間を要さず、転室を認めましょう。ただし、C棟から出るは自由。逆にC棟に入りたい者には理由を求めます。立花 憂さんに危害を加える可能性があると少しでも思うのならば、即座に転室し、彼女と距離を取ることを勧めます。
私は、この一連の流れで停学者、退学者を出したくありません。
特定の生徒への肩入れと思われるかも知れませんが、学園としてこれを否定しておきます。これまでも……、これからもイジメの類には、いつものように一貫して断固とした措置を取らせて頂くのみです。以上。】
その凌平は隣の康平の前にしっかりと座っている。その左斜め前には佳穂。
……その隣に居るはずの千晶はどうした? 圭祐と京之介も居ねぇ。健太の席も委員長の席も空席だ。
それより……勇太は……? あいつ……出てったのか……?
ひーふーみー……。
……憂と千穂ちゃん、梢枝さんを除いて空席は22……。この場にゃ、たったの15人……。
こんなだったのかよ……。憂と過ごした半年間は、よ……。
授業が終わった。何も頭に入らねぇな……。
「おかえりー!」
「お前すげぇな」
「ほんまやわ……。ワイも凹んでまっせ……」
「覚悟の無い者は去れば良い。それだけの事だ。違うか?」
凌平……?
「ちょっと待ちや? まずは確認や……」
康平……。助かる。出て行ったヤツらに線引きするんは簡単だ。けど、線引きするべきじゃねぇ。消極的に出てったヤツらも居るはずだ。
……そうだな……。まずは当たり障りのないところからだ。
「委員長と健太は?」
「……2人はね。出て行っちゃった……」
「優子ちゃん……」
俺と康平の周りに集まり始めた。全員が。
「……正確には違うかな? 有希が出て行って、健太くんが連れ戻すって追い掛けて行ったんだよ……。有希は……優くんのことが好きだったんだ……。だから余計に複雑なんだと思う……」
「健太が、いいんちょ不在を打開してくれるって!」
「あぁ! あいつ良い奴だから信じてろ!」
健太とトリオを組んでたサッカー部の翼と大樹っつったか?
「転室し、5組に入ってきた者は僕以外全滅だ」
……余り絡みの無かった連中は仕方ない……か。消えた大半が憂や俺たちとの接点がクラスメイトって以外、無かったヤツらだ。
むしろ残ってるヤツを数える方が早い。
男は俺と康平、凌平、サッカー部の2人と……樹だったか? 俺らをよく見てるヤツだ。たったの6人。
女は佳穂と優子、さくらと結衣。瀬里奈と陽向。あと、明日香って呼ばれてる子だ。それと……、正副委員長コンビと良く一緒に居る2人か。名前、憶えてねぇな……。
「残ってるのはグループのほぼ全体で残ってる感じだな……」
「そうみたいやな……。まぁ、しゃーないて」
俺の感想に返事したのは康平だ。他のヤツらの大半がキョロキョロと寂しい教室を見回している。
「……千晶ちゃんは、どしたんや?」
康平が問い掛けた瞬間、佳穂ちゃんの顔が怒りに染まった。
「あいつは裏切ったんだ! あいつ、何も言わずに出て行った! チャットもメールも電話も全部無視してる! 一緒に……! 絶対に……。憂ちゃんを……まもっ……」
……また泣いた……。意外と涙脆いよな……。それにしても何があった? あの千晶ちゃんが憂から距離を置く……。理由があるはずだ。
「……佳穂ちゃん、悪かった。要らん事聞いてしもうた。ほいじゃあ、バスケ部3人衆は……?」
「……質問には僕が全て答えよう。それが一番マシだろう。僕が事実を淡々と述べる。いいな?」
「頼んます」
凌平の言葉に康平が頷いた。んで、俺に視線が集中する。
……なんでだ?
「そないに何でって顔されると焦るわ。あんさんもこの5組の中心の1人やろ? 自覚しなはれや」
憂が中央に位置する。んで、俺らがその周りにってか?
……勝手に立ち位置が上がってんだな。
「……わかったよ。凌平。頼む」
「うむ。まずは康平くんの質問に答えよう。圭佑くんは転室などしていない。昨日の放課後、部活動の際、チームメイトに暴行を働き、停学処分となったそうだ」
……圭佑……あいつ……。悪い癖が出ちまったか。
「その相方である京之介くんとは、今朝、直接話した。『彼らも元は優のチームメイトだった。1人ずつ、話して回る。だから、僕たち3人以外のバスケ部員が集結しているA棟、1-7に転室した』という事だ」
…………京之介……。あいつらしいな……。
「拓真くんが一番、気になっているだろう勇太くんについては僕も知らない。どこのクラスに転室していったかも、今はまだ把握出来ていない。すまんな」
「あぁ……。あいつを探して直接聞いてみるさ」
「ふむ……。悲観してないようで何よりだ。他の連中は2,3人がセットで他の棟に転室していった」
「あぁ……。分かってる。誰も白い目で見られたくねぇわ。ちと、薄情だとは思うけどな。んな事に怒る気もさらさらねぇ……」
「そうだな。悲観する理由など、どこにも無い。今、ここだけで15人も残った。健太くんのように前向きの者も居る。千穂さんも梢枝さんも、もちろん味方だろう?」
定員の半分割れ……。少ねぇって最初は思ったけどな。案外、多く残ったのかも知んねぇ……。
目的は憂の平穏を取り戻す事だ。
……出来るはずだ。その為にもまずは勇太だ。
あいつのこった。距離を開けた理由は想像付くけどな。
「もちろんや。……ところで何でカーテン閉めとるん?」
「視線がうざいから」
……佳穂ちゃん。いつ復活したんだ?
ん?
……なるほどな。覗き窓から誰か覗いてやがった。目ぇ合ったら、すぐに引っ込んじまったけどよ。
「……堂々としましょうや」と康平が口火を切る。
「そうだな。コソコソすればあらぬ疑惑が生まれるだろう」と凌平が同意する。
「じゃあ、開けちゃおっか!」
佳穂ちゃんが同意する前にカーテンが開かれた。サッカー部の結衣。どっか不思議な雰囲気なんだよな……。
これが不思議系ってんだろうか?