154.0話 あの祭壇は今……
―――10月22日(日)
情報発信型SNSでの反応は顕著だった。捨て垢による画像の流出は時間を追うごとに続き、今や簡単に閲覧できる状況となった。
【気色悪ぃ……。ゾンビそのものじゃねぇか】
【男の子が女の子になったってだけでも衝撃なのに、アレは引くよね】
【当分、肉喰いたくないっす】
【マジでグロ画像。僕は直視出来ませんでした】
【よく今まで騙してたもんだよな】
【ぐちゃぐちゃからの再生が神の奇蹟って、あの会長さん、頭いかれてるわ】
【あたしの夢に出てきた。悪夢だよー。最悪……】
【どんだけ可愛くてもアレ見たらお断りだわww】
【蓼学のアイドルの失墜にメシウマすぎる。他人の不幸は最高ぉぉ!】
【マジで人体実験の被害者なんじゃね?】
思ったことを呟くSNSでは、チラリと検索しただけでヘイトの山にぶち当たる。
匿名の某巨大掲示板は、もっと酷い有様だと言う。小グループを介したSNSも、歯止めが無く、匿名掲示板と似たようなものかも知れない。
裏サイトも荒れていた。土曜日に姿を見せなかった憂を筆頭に、千穂も拓真も梢枝も康平も叩かれていた。学園中を欺いていた……と。
佳穂や千晶と云った、他のグループメンバーには疑惑の目が向いている。
それでも一定数の勢力は憂たちの支持に全力を注いでいるようだ。
そんな状況を打破する為の活動は開始された。
日曜にも関わらず、私立蓼園学園は記者会見を行なった。文化祭を中止し、全休となった学園だが、月曜日には文化祭の後片付けの後、授業が再開される。立ち止まっている暇など無いのである。
記者会見の席に付いたのは、執事のような堂々とした振る舞いの学園長、しきりに額の汗を拭うソワソワと落ち着きのない教頭、どこか普段よりも青白い担任教師の3名だった。もちろん、広報なども出席しているが除外させて頂く。
自制を訴え続けた1つのテレビ局のお陰か不明だが、学園生への行き過ぎた取材は下火となった。しかし、立花 優が立花 憂と名乗り、学友たちに何1つ知らせず、素知らぬ顔で通学していたと批判的な報道が大勢を占め始めた。無論、実名での報道は控えられているが、特定したければ、それは可能だ。そんな時代なのである。
記者会見の生中継が開始された冒頭。西水流学園長は、そんな批判的な報道に対して、全面的に異を唱えた。担任である利子も「あの子は普通に暮らしたいだけなんです。どうかそっとしてあげて下さい」と、涙ながらに訴えた。
そんな教育者たちに、ある記者は「学園は知っていたか?」と問い掛けた。学園長の答えは否。学園としては知らず、個人的には全てを知っていたと包み隠さず述べた。その上で、凄惨な画像には心底驚いたとも感想を述べた。教頭は学園長を責めるように横目で見つつ、「何1つ知らなかった」と真実を告げた。学園長と教頭。2人の付き合いは、学園創立当初からなのである。
利子は性転換し、別人として憂が通っていた事を認知していたと認めた。
彼女も担任教師として、矢面に立つ決意を見せ付けた瞬間だった。
「それでは西水流学園長と担任の白鳥先生は、事の詳細を知っておられながら隠蔽工作に手を貸したという事で宜しいですか?」
続いての質問は、随分と厳しい物言いだった。学園長は内心、ほくそ笑んだ事だろう。それこそ欲しかった質問だった。それが初期の質問で飛び出したのである。
「今、貴方がたは何をなさっておられますか? 不幸な事故により、長い意識不明に陥り、目覚めた時には姿形が大きく変わり、後遺症さえ抱えていた。そんな子どもがその事実を隠して通学し、誰が糾弾できましょう? 戸籍を偽造し、隠した事には非があるかも知れない。ですが、私にはその理由はよく解ります。真実が明らかになった瞬間、貴方がたマスメディアはどういった行動を取られましたか? 今現在、彼女を……、だた1人の少女となった少年を相手に何をなさっておられますか? その胸に手を当て、自身に問い掛けてみると宜しいでしょう」
学園長の言葉は、質問をぶつけ、学園を責めようとしていた記者だけに語られたものではないだろう。全児童、全生徒、その保護者たちや学園関係者……、蓼園市に住所を置く者。果ては日本中、世界中に向け放たれた強烈な一撃だった。
記者団の歯切れは最初の質問で手痛い反撃を喰らい、トーンダウン。この記者会見は学園側……、いや、西水流学園長のペースに終始したのだった。
この日のチャットは実に静かなものだった。コメントを一切、発しない者は多かった。仲間だった者たちは、仲間である必要が無くなった。憂の秘密の共有が繋いでいた縁は、その役目を終えたのかも知れない。
……象徴的な出来事が学園の記者会見終了後に起きた。
「梢枝……。お前……、全部知っていたな……?」
憂の護衛のいかつい方が、ついに従兄妹であり、相棒である黒髪ロングの少女に問い掛けた。
「……ええ。知ってました」
指定席となったソファーの真ん中でPCを操る手を止め、彼へと首を巡らせた。
「いつからや? なんで俺に話さんかった?」
「随分と前の事ですわぁ……。今の康平さんになら話せてますねぇ……」
「……どう言う意味だ?」
声が一段、下がった。憂たちの手前、抑えていた怒りが鎌首をもたげてきたのだろう。
「あの過程をウチが知った時に話していたら、康平さんは身を引いておられたかも知れません」
ギリ……と、奥歯を噛み締める音が響いた。両の拳は握り締められている。康平は憂の護衛としてのプライドを傷付けられた。
梢枝の言い方は悪かった。悪かったが、彼女にとっては至って普通の事だったのだろう。康平への信頼度の高さがそうさせてしまったのかも知れない。
「それで……いつだ……?」
「……5月14日です。憂さんが歩道橋のあの場所を訪れはった日ですわぁ」
「そんなっ……前から……。お前は俺に隠して……」
康平の言葉は徐々に小さくなり、広いVIPルームに溶けていった。
「そうです……。世の中には知らないほうが良かったなんて事はありふれてます……」
梢枝と康平。憂の直接的護衛として双璧を成す2人の間に、確かに確執が生じた瞬間だったのかも知れない。
夕方となり、看護部長が他フロアの個室内で意識を取り戻したと、情報が入った。
それから1時間ほど後、病院は翌日、記者会見の席を設けると発表した。看護部長から自らしたためた『遺書』の公表の了承を得た病院サイドは、予定を翻し、逆襲を早めたのである。
それとほぼ同時刻。動画投稿サイトに1つの動画が投稿された。
―――その動画は憂の学園生活を纏めた、ほぼ無音声の1時間を超える動画だった。よく憂と一緒に映っていたのは、千穂、拓真、康平の3名だった。
他のメンバーの中に連絡の付かない、沈黙を保つ者が存在する為だ。この動画は注目を集める事になるだろう。その動画に許可なく……、相手の立ち位置に配慮なく載せてしまう事に、良心の呵責とここまで一緒に戦った戦友とも云える元仲間たちへの想いが込められているのかも知れない。
今、梢枝は動画データの山を築き、第2段の作成中である。梢枝は、おそらく許可を出してくれるだろう佳穂、千晶との半年間を纏めている。
ノリの良い、小気味良い2人の遣り取りと、そこだけは無音声にする予定の告白で見せた佳穂の涙は、彼女らへの支持を取り戻してくれると確信している。
第2段よりも第1段だ。その動画は、バスケ少年・優の過去の映像を混じえ、今の憂の……、それでもバスケにしがみつこうとする人間らしさを全面に推し出したものだった。
冒頭のシーンは、憂ではなく優だった。
小さな大会の決勝戦で見せた勇姿とも謂える映像だった。小柄ながらも卓越した技術を持ち、自由自在にモザイクが掛かっていたり掛かっていなかったりする少年たちを操り、時に強く当たられ削られながらも、鋭いパスを供給し続け、チームを優勝へと導いた。
最後のシュートを自ら決め、ただ1人、自陣に戻った優の元に4人の仲間が駆け寄り、喜びを爆発させた。更に、控えのメンバーも集まり、しっちゃかめっちゃかとなり、最初のシーンは終了した。
次のシーンが憂の初登場だった。
人数の少ない球技大会への練習日初日。冒頭のシーンに於いて、優と息ぴったりで暴れまわった拓真が、小さく、障がいさえ抱えた憂に、きつい剣幕で詰め寄った。フリースローの着地で、バランスを崩した憂の腕を取り、転倒の危機から救い出した直後……。
『お前馬鹿か!! 怪我すんだろ!!』
無音声の為、口の動きだけだった。
憂はトボトボとコートから抜け座り込むと、膝を抱え顔を埋めた。
そんな憂に躊躇いつつ、千穂が歩み寄り、同じように座ると、言葉を交わし合う。
やがて、顔を上げると尚も千穂は語り掛ける。すると憂の表情が一変した。
そこから2on2に突入した。
得点は上げられない……と、思った時だった。憂が体を張り、康平のフリーを作り出すと、そのチャンスを康平が活かした。
ゴールした瞬間、憂の笑顔が弾けた。映像はスライドし、拓真の悔しくも晴れやかな表情を映し出した。
映像は直後、切り替わった。
教室内、沢山の手が挙がると、憂は指名されたらしく、大きく口を開いた。ホワイトボードにのバスケのメンバーに【憂ちゃん】と書き込まれ、その文字を大写しにズームした。
そして、球技大会の変則ルールが活字にて紹介された。
続いて球技大会期間中。ダイジェストのような映像だった。
出来る範疇で奮闘する憂の姿が映し出される。
男子生徒に激突され、吹き飛ばされた憂はモザイク処理されたチームメイトに助けられ、事無きを得た。
憂は立ち上がり、屈託の無い笑顔を見せた。
会場が変わると、憂の姿は無かった。客席から撮られたと思しき映像は、梢枝の姿をも写していた。
千穂は歯を食いしばり、膝を擦り剥きながらも立ち上がった。空中戦では拓真とモザイクの掛かった長身の男子生徒が空中戦を悉く制し、圧倒的な力で2年生を粉砕した。
退場していく彼らへの歓声は音声が付けられていた。それは大歓声だった。
次の試合、憂のチームメイトたちは大苦戦していた。バスケ通の中でも知る人ぞ知る、日本代表ユースで活躍するちゃこが対戦相手の中に居るのである。彼女は、モザイク無く映し出されていた。
後半開始幾ばくか。千穂が体を張り、ファールを誘った直後だった。映像は車椅子でパジャマ姿の憂にズームされた。
それ以降、憂は無音声ながら声を張り上げ、味方を鼓舞し続けているように見えた。
最後の瞬間、ボールを受けた梢枝にちゃこが体当たりし、ファールで試合を終わらせた。そこで再び音声ありに切り替わった。激しいブーイングの中、両チームは整列する。
そこに千穂が車椅子を押し、憂も加わった。
ちゃこと握手と交わし、2つ,3つ言葉を交えると、パジャマ姿の脆く儚い美少女は晴れ晴れとした笑みで笑ってみせた。
ブーイングが歓声へと移ろい、敗者として、憂たちは退場していき、映像は暗転した。
……終わりと思われた映像は1分ほどの無映像の後、歩道橋を映し出した。右足を引きずり、自身の為に自然に出来上がった祭壇に近づく憂の姿を遠目から捉えていた。
やがて、祭壇に到着すると少しだけ俯いた。1分……2分と……静かに時を刻んだ。千穂が心配そうに憂を覗き込むと愛と島井が駆け寄った。
憂の口元に千穂のハンカチが当てられ、そっと離されると映像はズームされ、赤い血を捉えた。島井が状態を確認すると、憂は歩道橋の柵に近付いていった。
憂は1度振り返ると、愛に向け何らかの言葉を発し、歩みを再開させた。
……バスケットボールを手にする。
憂は肩を震わせ、涙を流した。梢枝と康平の会社の者か、遥の手の者が撮った映像は、その様子を静かに、克明に記録していた。
バスケットボールから手を離すと、グイッと涙を拭った。千穂の手を取り歩き始め、彼女たちはモール内に姿を消した。
その後、映像は祭壇の真正面へと移動した。モール内の移動も撮影者の足元を映し、一切、カットされていなかった。
カメラは色褪せたバスケットボールを捉える。
男の手がバスケットボールをクルリと半回転させると、そこに太字のサインペンで書かれた文字を示した。
【PG・立花 優】
【 】
【SF・渓 圭佑】
【PF・本居 拓真】
【 】
【決める! 全国大会!】
30秒ほど、その文字を写し続けたあと、画面が暗転。
【今現在】と、黒い画面に白い文字が踊った。
……祭壇は荒らされていた。供えられた花は全て千切られ見るも無残だ。天国の優の為に……と、置かれたお菓子やペットボトルは踏み付けられ、一塊のゴミと化している。
あの色褪せたバスケットボールは潰れていた。男の手が、潰れたボールをひっくり返すと、風雨に晒され、ほとんど消えた名前を目掛け、ナイフが振り下ろされたらしく、傷跡が見て取れた。
男は1人では無かったらしい。
数名の男女が現れると周囲を清掃し始め、次第に祭壇は姿を完全に消した。
そして、動画はそこで終了した―――
冗長にも思える動画だったが、梢枝も遥も効果を確信している。長すぎてラストシーンを見ない可能性は排除した。情報社会であり、最後まで見るべきとの意見が飛び出すはずだ。
全ては見た人任せだ。どう捉え、どう考えるか。憂の朽ちていく画像を閲覧し、憂の人間性……いや、人としての存在を疑い、渡辺の挙げた『不気味の谷現象』により嫌悪感を抱いた者。その全てに憂は紛れもなく喜怒哀楽を備えた人間であると主張するメッセージをこの動画に籠めたのだ。