153.0話 秘密が秘密で無くなる時
記事が世に出て、2時間が経過した。なんとも奇妙な静寂がVIPルームを包み込んでいる。それは嵐の前の静けさとも形容できた。
今までの情報流出に於いて、火消しに努めていた梢枝が、ついに封じ込めに動かない。あの画像が本物である事を梢枝は知っている。それは憂が姿を変えて生きている絶対の証拠だ。もはや、否定するだけ無駄と言う事らしい。
今現在、VIPルームに詰める人数は大きく減った。
先ず総帥とその秘書。彼らはここを去った。蓼園商会本社へ対応に赴くと言い残した。
遥と梢枝の両名だが、心内で互いに雌狐と罵り合った形跡は、まるで無い。『まだ早い』と全てを防ぎたかった梢枝と、裏で怪しげに暗躍し、それを梢枝に察知された遥だが、2人は協力体制を敷いた。
梢枝は、憂と学友たちを護る為に。
遥は、敬愛する男が崇拝する少女を護る為に。
想いは違えど、目的は同じだ。その同じ目的が犬猿のようであり、同類にも見える2人の手を取り合わせた。
その梢枝は、もう1人の護衛に1つの依頼を行なった。
『蓼学へ急行し、状況を把握する事。必要があれば仲間たちを護る事』だ。康平は相棒であり、従兄弟である和風の女性に何か言いたそうな顔をしていたが、何も語らず、何も聞かず、学園へと向けていった。
島井と専属から1名。島井は看護部長の執刀を買って出た。裕香は、その手術へと駆り出された。長く掛かる手術では無いはずだ……と、姿を消してから1時間半ほど経過している。慈愛の人の容態は芳しくないのかも知れない。
愛を除いた憂の家族も、千穂の父も拓真もここには居ない。少しの荷物は運び込んだが、全てが発露した以上、いつ迄この部屋に籠城するか判らない。その為に衣類など、補充している最中である。そろそろ戻ってくるはずだ。
遥と梢枝の見立てでは、昼のニュースが怪しいらしい。そこでさり気なく情報を流し、他社の様子を窺う局が出現するだろうと推測していた。
……悠長に構えているようにも見えるが、これは当然、理由付けされている。
某編集社は各方面からの信用を損ねている。マスコミ各社、例の画像は目にしているだろう。だが、未だに速報は流されていない。怪しい記事に載せられた真贋不明の画像に大手は踊らされるワケにも行かず、真実か見極めている最中だろう。何せ、時代が時代だ。不確かな情報を流し、未成年の人間……、それも見目麗しい少女を、意味無く公表する片棒を担がされる訳にはいかない。もしも誤報であれば、その瞬間、激しく叩かれる事になる上、情報が情報だけに訴訟問題とまで発展するかも知れない……と、手をこまねいているのだろう。
そして、今現在、ここに居る学生は憂本人と千穂、梢枝の3名。今はカーテンを全て引かれた、この絢爛豪華で広大な部屋から離れている拓真。彼を含めた4名が本日、欠席となった。康平は現在、情報収集中のはずだ。
メイド喫茶は本日が非営業日であり、それが救いか。だが、翌日用のお菓子作りを放棄した状態の為、非難からは逃れられないだろう……が、それどころではない。
定期的に誰かしらから送られてくるチャットによると、平穏は保たれているらしい。1000円に上げられた購読料と18歳未満閲覧禁止。無断転載は即訴訟と掲げてあるお陰かも知れない。
しかし、今は静かに水底を揺蕩う画像を目にした者も存在するのか、自分たちを狂人でも見るかのように、物陰から覗く者も存在すると言う。
報道が進めば、学園に居なかった千穂も拓真も『知っていました』と宣言したも同然だ。2人はそれでも受けて立つ構えを見せている。
……因みに、画像流出の一件は全体へのチャットを通し、『秘密を知り得た者たち』に周知された。それ以降、例の記事を実際に目にした者も存在するだろう。
学生3名と愛、そして専属から3名……。たった7名が唯一の安全圏とも云える、このVIPルームで過ごしている。
その内、2名がソファーに浅く座っていた。梢枝と愛の2名だ。
「今日が土曜日で良かったんだか悪かったんだか……」
愛は気丈に振る舞っている。『大人たち』への千穂の凛とした応対を目の当たりにし、反省したらしい。妹のように想っている少女は、あの総帥を相手にしても、一歩も引かなかった。万人が平伏す、その視線をあろう事か受け流してしまったのだ。
「文化祭の真っ最中と言う意味では最悪だと思います……。よりによって、学園は一般開放中です。今は大人しくしている記者たちが紛れ込んでいるはずですえ……? 12時を待ちましょう。しばらく……、数日間は受け身で対応し、そこからカウンターを放ちます」
梢枝は強気だ。遥もまた強気だった。この事態を収束へと導く自信があるのだろう。愛は、そんな強気の梢枝に頼もしさを覚える……が、その裏では弱気が口を突く。
「……看護部長さん……」
梢枝は動画を編集する手を止めた。その柳眉は下がり、悲しみに包まれた……が、それは一瞬だった。すぐに表情を取り繕う。
「彼女がしたためはった直筆の遺書は、強力な武器になります。世論を味方に付けますえ? 彼女は十分に罪滅ぼしをなさいましたわぁ……」
そんな会話がされているソファーから少々離れた大きなベッドでは、憂と千穂が並んで座っている。憂には看護部長の自殺未遂は伝えられていない。
「憂は……動揺……しないんだね……」
よって、看護部長の件では無い。
憂は状況に不釣合いに小首を傾げた。理解に至ると、にこやかに言ってのけた。
「ゆめで――みてたから――わすれてた――けど――」
「……そうなんだ……」
千穂は、あの画像を目にした後も変わらない。憂に配慮し、涼やかな声で優しく話し掛けている。千穂のように振る舞える者が何人いるだろうか? 仲間内にさえ、憂との接触を拒む者が現れるかも知れない。それだけ衝撃的な画像だったと千穂さえも思ってしまう。
「……どうして……笑って……いられるの……?」
あの画像に一番、傷付いてもおかしくないのは憂のはずだと思う。だが、憂は穏やかに……。どこか晴れやかに微笑んでいるのだ。千穂にはそれが不思議で堪らない。
「ボクの――からだ――だったから――」
……自身の変貌の様を視認し、憂の中に淀んでいた負の感情が融けた。彼女は、ずっと恐れていたのだ。
「だれかの――からだ――とってなかった――」
憂は思い悩んだ。もしかしたら知らない誰か……。それこそ『篠本 憂』、本人の体を奪い取った可能性を危惧し、だからこそ『知りたい!』と姉に反発した。
「……うん。そうだね。優は……自分で……」
「――うん。あんしん――した――」
柔らかく微笑んだまま、右手のリストバンドを外した。動作に問題の無い左手での行動はスムーズだった。
「――よかった。こうかい――してたんだ――」
千穂は眉を顰めた。その傍に佇んでいる恵もまた、訝しげに傷痕を見やった。翳りを見せてはいないものの、自傷行為に走っても仕方ない……と、思わせるほどの不気味で気色の悪い変貌の過程を見てしまったのだ。
「――じぶんの――ちがったら――わるかった――って――」
「ダメだよ!?」
咄嗟に声を張り上げてしまい、憂の小さな体がビクリと跳ねた。憂は澄んだ瞳を……それこそ、現在の眼球を得て1年ほどであるが故に澄み渡った瞳を丸くし、その数秒後、「あはは――」と笑った。
「しないよ――?」
淀みない、唐突の宣言だった。憂は、はっきりと、―――『生きていく』―――と宣言したのだ。
「――みんな――優のこと――ないてくれた――って」
優の一回忌。数多く訪ねてくれた、かつての友人たちの事を言っているのかも知れない。
亡くなったと聞いた瞬間を想像したのかも知れない。
「もう――かくさない――から――」
祖父母たちの下に、すぐにでも駆け付けたいのかも知れない。
「いっぱい――あやまらない――と、ね?」
「うん。一緒に……謝って……あげるね……?」
千穂と憂。2人は笑顔を見せあったのだった。
それから数分後、伊藤の院内PHSに鈴木看護部長が一命を取り留めたとの情報が、島井からもらたされた。
更に10分後、立花家と千穂の父、拓真が帰還してしばらく、と云うタイミングだった。
梢枝のスマホが単調な電子音を発し、それを耳に当てると彼女は顔を顰めた。
「……生放送だそうです」
梢枝が苦々しく告知すると、伊藤がリモコンを操作し始めた。大きなベッドの足元側に降ろされたスクリーンにテレビ映像が映し出された……が、いずれの局もドラマなど、どう見ても違う物を映し出している。
ニュース速報のテロップも見られない。
「こちらですわぁ……」
梢枝は手元のPC、ブラウザ上部に直接、URLを入力していく。通話中、メモの1つも取っていない。彼女は記憶したのだ。
この場に居た全員がソファーの真ん中に座る梢枝の周囲に集まってきた。
梢枝のPCは、動画投稿サイトの生放送を表示していた。その放送では、目下、文化祭の真っ最中、放送主が生徒や保護者、それに飽き足らず、初等部の児童にまでコメントを求めていた。何の事だか分からない様子を見せると、反対の手にあるプリントアウトされた何かを見せた。
加工されているかは不明だが、画像を見せて回っているようだ。
ある保護者はその見せ付けられた物に嫌悪感を隠さなかった。中等部の女子はソレを見て吐き気を催し、一緒に廻っていたと思しき男子生徒は、生放送の主を怒鳴り付け、逃げていった。
その生放送の奥では、記者と思わしき人物がスマホを見せ、生徒たちの反応を伺う様子が見て取れた。
そして、12時となるとテレビ局各社が報道を開始した。一社が報道を開始し、各局が次第に追従していった形だ。
準備するにはマスコミ各社にとっても、十分な時間だったようだ。おそらく、沈黙の間、病院への問い合わせと画像を否定しない態度、憂と優の共通点の検証、憂の本日の欠席……など、状況証拠を積み重ねていたのであろう。
私立蓼園学園は、たちまち渦中の学園と注目を集めた。流石に、大手マスコミは画像の子が未成年であるが故に氏名等の公表はせず、当初、現場からのリポートは控えめだった。
……が、時間を追うごとに学園の混乱の様子を伝え始めた。新聞や雑誌の記者たちがなりふり構わない取材を始め、テレビのリポーターも学園生にマイクを向け始めた、それからは、1つの局を除き、取材合戦が展開された。どんどんとエスカレートしていく取材が成され、憂の画像は未だ、情報を得ていなかった生徒、児童たちに口コミにより、急速に拡がっていった。
報道陣は増加の一途を辿る。それと同時に野次馬たちが蓼学を蝕んでいく。
VIPルームでは各自のスマホが鳴り響き、ある者は放置し、ある者は心配そうに通話を始めた。
大混乱、ここに極めし―――
―――私立蓼園学園は午後零時半。文化祭の中止を宣言。生徒、児童に速やかな帰宅を命じた。
文化祭は前後半の2つに分けられる。一応、オープンにはされているものの、平日の為、一般客が少なく生徒が中心となり、巡る前半。そして、一般客を前にし、3日間で培った成果を見せつける後半……。その大切な後半部分を失ってしまったのだった。
そして、学園は取材合戦となり、加熱しすぎた報道陣を広報を通じ、痛烈に批難した。憂については、後日、記者会見の席を設けるとし、生徒、児童への取材の禁止と速やかな退散を依頼した。
報道の自由、表現の自由を盾に、取材を続けるマスコミも一定数存在したが、大手マスコミは一斉に報道の熱を下げた。やり過ぎた自覚がそうさせたのか、何処からか圧力があったのかは定かではない。
その中で蓼園商会を大手スポンサーに持つテレビ局だけは、今回の取材の在り方に疑問を呈し続けたのだった。
蓼園総合病院は、この日、何1つ語らなかった。電話による問い掛けに『必要があれば、後日、質問にお答え致します』と応対し続けている。
テレビでは『沈黙を守る渦中の病院』として、静止画による外観が流されたのみだ。
立花家は……。投石により、数枚の窓ガラスが破られたらしい。
憂をゾンビとでも思った嫌悪感からの犯行か、騙し続けた代償かは不明だ。現在は警察官やら、どこからか派遣された警備員が配備されているらしい。
だんまりを決め込む憂の周囲だったが、ただ1人だけ、追い掛ける記者に悠然と応えた。
蓼園商会本社から出社した蓼園 肇は、マイクを向けるリポーターの質問を無視すると、いつもの調子で高らかに、事もなく、英雄譚を紡ぐ吟遊詩人のように朗々と語った。
「お前も見たか!? 儂は小児愛好者などでは無いわ! あれこそ儂があの子に心酔した理由だ! あの子は神に愛された! 神の子なのだ! 神が愛した天使なのだ! 儂はこの目で見届けた! あの転身を! お前らはどう思う!? 変わった今の姿をどう捉える!? 正に奇蹟だ! あの子はどこまでも儂に」
……カットさせて頂く事とする。
こんな調子で語り続けた総帥の言葉こそが、関係者から聞かれた唯一の言葉だった。その為、この総帥の姿は、数多く報道された。
憂に向けられた世間の嫌悪感を覆す為、彼はピエロを演じているのかも知れない。