152.0話 大人たちと子どもたち
「……どこから話しましょうか」
島井の眉間には、深い皺が刻まれている。これから話す事柄は、眼前の少年たちに糾弾されても已むを得ないものだ。
「時系列がいいんじゃないですかね? 分かり易いと思いますよ」と、渡辺がアドバイスすると「そう……。そうですね」と、口癖が漏れた。
普段、柔和なはずの中年男性は厳しい顔をしたまま、ソファーの周囲をウロウロと徘徊し始めた。島井は、いつもなかなか座らない。
「……先ず、私は院長から一報を受けました。『総帥が事故を起こした。クランケは既に瀕死。生きている事自体が不思議な状態だ』……と。そして指示を受けました。『1週間ほど生存させてくれ。方法は問わない』と」
「方法は問わな「たっくん! ごめん……。最後まで聞いて?」
ソファーの後ろ、即座に反応した拓真を愛が左手で制した。右手は未だ憂の左手と繋がれている。千穂も開きかけた口を噤んだ。康平は聞き入っているのみだ。梢枝の表情は変わらない。
「……続けさせて頂きますね。優くんを見た瞬間は動揺しました。無理だ……とね。しかし、総帥の悪い評判は十分に耳にしていました。どれだけの事が出来るか分からない。それでもやるしか無いと」
悪い評判を持つと名指しされた総帥は、少しバツが悪げに顔を顰めたが、それだけだった。島井の独白を静聴している。
「そんな中、院長先生の指名でフォローに入った僕が、島井先生に要らない事を耳打ちしたんだよ。『心臓さえ動いていれば何をしてもいい。そんな患者、なかなか手に入らない』ってね」
「……渡辺くん」
より一層、島井の眉間の皺が深くなった。院長の愛弟子であり、同じ医学を志した者としての自身の後輩を怒りでもなく、悲しみでもない、なんとも言えない視線で捉えていた。
憂は、もはや聞いている様子は無い。俯き、今にも崩れ落ちそうな千穂の左手を力の無い右手で、可能な限り強く握っている。右のサイドでは、父・誠人が千穂と憂を居た堪れない様子で見守っている。拓真は敵を見据えるように大人たちの言動を伺っている。
「……そうですね。何事も包み隠さず。全てを……」
島井は呟き、1つ大きく呼吸を入れると、眉間の皺が消え失せた。いつの間にか足は止まっている。
「私は、渡辺くんの言葉を切っ掛けに狂気に駆られました。幾度となく細動を繰り返し、止まりかける心臓に電気を流し、投薬しました。何度も何度も……です。止まらない出血に輸血を続け、埒が明かないと判断した私は有り得ない血管縫合を行ないました。末端……どころか、下半身が腐り落ちる事が解っていながら、その処置を……。1週間。1週間だけ心臓を動かし続ければそれで良い……と」
憂の家族4名の表情は、総じて複雑なものだった。幸でさえ、穏やかな表情を保てていない。その島井の非道な処置が行われなければ、優の生存は無く、今現在の憂は存在していない。だが、島井が行なった行為は人の倫理を超越している。
―――過去、彼が立花家に対し、同様の告白をしたからこそ、現在の信頼に繋がっている。彼は、その後、正真正銘、優に尽くした。半年以上、病院内に泊まり込み、看護も処置も率先して行なった。
ここから先は立花家も知らない。
結果、自身の家庭は完全に崩壊した。離婚調停でも非を全面的に認め、多額の慰謝料を支払った。
その慰謝料の代替を申し出た総帥に、いつもの柔和な表情でやんわりと断りを入れたのだった。
専属看護師。今でこそ4名に増員されたが、長く続いた3名体制。
伊藤 草太。山崎 裕香。葛木……、旧姓・五十嵐 恵。
この3名は指名され、専属の座を得た訳では無い。崩壊していく優に耐えられず、次々と看護師たちは脱落していった。退職や転属申し出が相次いだ。そんな中、最後まで優を看続けた……言い換えれば、生き残った3名が『専属』となったのである―――
「手術室に篭もる事、3日。辛うじて命だけは繋がれていました。その時にはいくらの薬剤を投与し、どれだけの血液が入れ替えられ、何度、電気ショックを繰り返したか分かりません。記憶に無く、記録にも残されていません。記録は何者かの指示の下、破棄されたものだと推測しています。いや、今は優くんの話が先ですね。私は優くんの胸部を開き、心臓を直接、握っていた事は鮮明に覚えています。今でも、その感触はこの手に残っていますので……」
右手を開き、見詰める主治医の口元に笑みが浮かんだ。自嘲だ。その右手を握りしめると、独白を再開させた。
「3日目のその日、院長がフォローに入っておられました。そこまでは記憶しています。他の医師には見せなかったのでしょうね。川谷先生と渡辺くんは交代で私のフォローを買って出てくれていました。そこから先は憶えていません。私は3日目のその日、意識を手放してしまったのです……」
数秒間の沈黙の後、島井は「何も包み隠さず……」と院長・川谷を見据えた。睨みつけたと言い換えても問題ない、鋭い視線だった。
「4日目。例の画像の1枚目です。この日、目覚めた私は院長直々、『立花さんの容態は一先ず落ち着いた。今はVIPルームに居る』と伝えられました。川谷院長……。私が倒れたあと、一体、優くんに何をしました……?」
「……その質問は何度目か? 特別な事は何もしていない。頭蓋を開き、破壊された部位を除去しただけに過ぎない。私が何かしたとでも……?」
川谷と島井が対峙する。島井が睨み、川谷が受けて立つ。
「……確かに引退前には持て囃された。だが、私も単なる1人の人間だ。ヒト1人創り変えるような神の領域には踏み込んでいない」
「僕もその執刀を見てましたよ。直接、心臓をマッサージしながらですけど。本当に特殊な事……。例えば、脳幹に薬剤を直接投与なんて真似はされていません。あと4日も生きていて貰わなければ、総帥閣下に課せられたノルマが達成出来ないんですから、そんなリスクは侵せませんよ」
「渡辺くんの言う通りだ。全ては総帥殿の指示に沿った行動……ですよ?」
渡辺の援護を受け、矛先を総帥に向ける。島井は再び入った眉間の皺をそのままに、発端となった指示を出した男を見やった。
「7日間。そうだな。今でこそ、よく分からん指示を出したと反省している。あの時は儂も狼狽し、混乱していた。1週間。精々、神や仏に祈る様を見せて、世間の批判を反らす事ばかり考えていた。皆も憶えているだろう? 真摯に祈る儂の滑稽な姿を」
……事故後の報道だった。総帥はカメラの前で一心不乱に祈ってみせた。事故で意識不明の優の無事を祈り続ける姿は、度々、ニュースで流されていた。
「……命を繋ぎ止めてからの優さんは画像の通りです。徐々に体が崩壊していった2ヶ月間を崩壊期。その後の1ヶ月を維持期。後半の3ヶ月間弱を再生期と呼び、一連の過程を『再構築』と名付けました。何も特別な事は行なっていません。経管により、栄養を送り込み、私は観察していただけに過ぎません。優くんは自身の力で憂さんへと変貌を遂げたのです。……川谷先生が特別な処置を行なっていない限りは……ですが」
「……まだ疑うのかね? 私から言わせて貰えば、君だって基準値を遥かに超えた薬剤の投与に「いい加減にして下さい!!」
高い声が院長の言葉を遮った。
「みんな、自分の為に動いて、その結果が今の憂なんですか!? 憂の事、おもちゃにして、今は責任を擦り付け合って! もう病院も総帥さんも信じられません!!」
顔を真っ赤に染め、千穂がキレた。愛も拓真も誰も止められなかった。それだけ、島井たちが混じ合わせていた遣り取りは醜く、汚らしかった……と、言う事だろう。
「愛さん! 憂のお父さんもお母さんも! お兄さんも憂も! ……みんな行きましょう……? ……皆さん、憂の命を救って下さってありがとうございました」
「千穂くん!!」
総帥の言葉に怒気が孕む。千穂はおそらく、これから憂に何が降りかかるか解っていない。多くの権力者が平伏すその怒気を……少女は、少しだけ身を縮ませただけで受け流した。彼女の怒りは既に収まっているようだった。彼女は自身の感情をコントロールする術を、いつの間にか得てしまっているのかも知れない。
梢枝は美麗に描かれた柳眉を顰めた。千穂の動向は予定外だ。もしも、千穂の意見が通れば、ここから先の予定の大半が成立しなくなる。
拓真は成り行きをじっと見守っている。彼の姿は、さながら傍観者のようにも思えた。
総帥の怒声の次に口を開いたのは、憂のキーパーソンだった。
「千穂ちゃんは……。千穂は、信じられなくなっちゃった? ……無理も無いかな……」
愛は、先程まで醜態を晒していた『大人たち』を見回した。総帥も、院長も、主治医も……。思わずその視線から逃れた。醜い争いを子どもたちの前でやらかした自覚があるのだろう。
「でも、あの時、憂に言ってくれたんだよね? 『大丈夫だよ。私たちみんなで守るから』って……。その『みんな』の中に大人たちは入っていなかったのかな……? 正直、私は家族と友だちだけで憂を守り切れると思えないんだ……」
愛の強気の表情は、見る影も無い。前日からの心因的疲労により、憔悴している。それでも、千穂に優しく微笑み掛けた。
「でも、憂の事を誰よりも見てくれた千穂が大人たちを見限るって言うのなら、私もそうするよ……? 私にとって、千穂も大切な妹だから……」
愛は父を見る。母を見る。弟を見る。それぞれがあっさりと、周囲が驚くほどあっけらかんと頷いた……ように見えた。本心は違うのかも知れない。しかし、愛に頷いた理由は、一重に今まで接してきた千穂の人柄と、優が愛した……。憂が今も愛する彼女だからと言う事に他ならないだろう。
千穂は、その言葉を前に、黙りこくってしまった。彼女は過去に飛んでいるのかも知れない。
パジャマパーティー翌日のあの日、あの時、何故、『私たち』と自分は言ったのか? 必死に思い出す。あの時の気持ちを……。
今、憂の未来は千穂の手に握られているのかも知れない。
「……『大人たち』の力が無いと、憂を守れない理由を教えて下さい」
数分の熟考の末、千穂はそう口を開いた。
その言葉を聞き遂げた瞬間に、梢枝と遥が動いた。方針は定まったとばかりに連絡を取り始める。2人ともスマホを片耳に当て、手元のノートPCを操作していく。
「僕の話なら、ある程度信じて聞いて貰えるかな?」
千穂への説明を買って出たのは、脳外科医の渡辺だった。彼は時折、不用意にも思える発言を混じえるものの、一貫して『一枚岩に』と主張してきたはずだ。
「……はい。お願いします」
未だに猜疑心の塊のような表情だったが、千穂は確かに頷いた。それを見て、薄ら笑いではない、にこりとした笑みを見せると語り始めた。
「あの画像が世に出た意味を考えると解りやすいよ。僕たちには……もちろん、千穂ちゃんにも拓真くんにも、『憂ちゃん』の変貌の過程っていう……、なんて言ったらいいのかな? 知り合いフィルターみたいなものが掛かっているんだ。でも、憂ちゃんの事をほとんど知らない……、ましては全く知らない人が見たら、どう思うかな?」
「「………………」」
「……そうだね。答えにくい意地悪な質問だったね。でも、ここははっきりとさせておくよ? 『気持ち悪い』って思うんだ。人によっては、嫌悪感や敵愾心を剥き出しにするほどにね。そこから生まれる敵意は性転換の事実が明るみになった時の比じゃないんだ……。憂ちゃんはこんなにも可愛いのに、そう思えなくなっちゃうんだよ。『不気味の谷現象』って知ってるかい?」
「いえ……」と、発言を愛に制止されて以降、ようやく喋ったのは拓真だった。表情は若干、和らいでいるように見えた。それを感じ取ったのか、脳外科医もまた満足そうに、即席の講師としての話を「僕の意見じゃないからね。僕は憂ちゃん大好きだから。これは先に言っておくよ?」と、1つ前置きを入れた後に続けた。
「人はね。リアルすぎる人形や人型のロボットを見た時に、激しい嫌悪感を抱くんだよ。『人間に近づきすぎやがって! ニセモノの癖に!』って、感情が芽生えちゃうんだ。悲しいかな、科学的にも証明されてるよ」
「そんなっ! 憂は「待って!! 聞いて……?」
「だからこそ、憂ちゃんは人間だって証明するんだ。どうやら僕たち病院の関係者と総帥さんの最終防衛ラインが元々違ったみたいなんだよ。僕たちは最悪、脳再生までは知られてもいいと動いてきた。だから、君たち3人……。康平くんはいなかったね。ここで初めて会ったあの時、このままじゃ憂ちゃんの再構築が隠せない、いずれどこかで辿り着いちゃうって判断した僕は、咄嗟にそこまではバラしたんだ。『再構築』の過程はエグいからねぇ」
それは嗅覚が回復した時の話だ。島井から梢枝については聞かされていた。放っておけば真相へと辿り着いてしまう。その為、この脳外科医は真実の1つをバラす事でその矛先を逸そうと考えたのである。その時の渡辺の機転を梢枝の深謀は上回ってしまったのだが、その話は今は必要がない。
「総帥は違ったみたいだね。梢枝ちゃんが撮り貯めていた動画や画像。それが証明しているよ。総帥殿には最初から最終防衛ラインなんて無かった。元々、全てが明るみになる事を想定して動いていたんだ。だからこそ……、全部が洩れちゃった今だからこそ、彼女が撮り貯めた人間ドラマが役に立つんだ。対策は取れている。どうかな? さっき、情けないところを見せちゃった僕たち『大人』だけど、頼ってくれないかな?」
「……それだけじゃないでしょうに。『一枚岩』になりましょうや……」
ついに康平も口を開いた。彼は物事の本質をしっかりと捉えられている。
「……敵わないなぁ……。ここから先は本当に血生臭い話だんだけどねぇ。もう言っちゃいますよ? 僕は本当に、全部を知って貰うべきだと思ってますので……」
渡辺が視線を向けた先では「……頼みます」と島井が同意した。総帥も院長も黙ったままだが反対はしていない。それを了承を捉えた渡辺は更に語り続ける。
「憂ちゃんの体の再構築……。若い優くんだから何とも言えないけど、たしかに若返っちゃったんだよね。僕たちはあの粘膜のようなモノの中で、胎児のような状態になっていたんだと推測しているんだ。経鼻栄養をへその緒代わりにしてね。それとプラスで脳の再生。再生速度は遅いけどね。これが意味するところ……解るかな?」
「……人類の夢っすか」
「そうだね。拓真くん。良い表現だよ! そう! 人類の夢! 下らないけど、本気で追い求める人は今でも確かに存在するんだよ。だからこれからね。憂ちゃんは狙われる事になる。研究者や権力者……、果ては人を傷付けて喜ぶような人たちに、ね……。だから、総帥殿の権力は憂ちゃんを守る盾として、絶対に必要なんだ」
「……理解しました」
拓真が納得の意を示すと、この場の権力者の視線は、僅か16歳の少女に集中した。その命運を握った少女もまた、「……わかりました。さっきはごめんなさい」と、深く頭を下げたのであった。
その渡辺を中心をした話し合いの一方で、こんな事態が勃発していた。
「それでは、看護部長さんは家に1人切りと言う事ですか!?」
ノートPCを操る遥の手が止まった。珍しく焦りを見せている。そんな遥には、専属と梢枝の目が向いた。
「いけません! 彼女を1人にしては! 窓を破ってでも彼女を保護して下さい!」
「構いません! その後の対応は私が指揮を執ります! 急いで!!」
遥はスマホによる通話を終えると、そっと目を閉じた。それは冷静さと取り戻す儀式だ。10秒ほど瞑目すると、ふぅ……と、1つ深呼吸を入れ、瞳を露わにした。
それからしばらく。
遥の下に齎された情報に、一同騒然となった。
遥の手の者は、鈴木の自宅の窓を破り侵入。その浴室で右手首にナイフを突き立てた看護部長を発見。保護した。
発見当初は意識があったものの、この蓼園総合病院に担ぎ込まれた時には、既に意識を喪失していた。
意識を失うまでの間、『憂さん、ごめんなさい……』と、うわ言を繰り返していたらしい。
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あとがきあります。
前話のあとがきで触れた通り、5/24『半脳少女過去編 ~優が憂と名を変え、学園復学を目指すまで~』の投稿を開始しました。
手首の傷の件、憂ちゃんは○が好きと言う裏設定……など、本編では触れていない事柄にも触れる予定となっておりますので、宜しければブクマして読んでみて下さい m(_ _)m
10万字程度……になる予定です。でも、文字数が知らない内に増えていく作者ですので、どうなる事やら……です。。