151.0話 再構築
―――10月21日(土)
遥が持ち込んだノートパソコンが表示する時刻は8:55を示している。
「会員登録料が300円から1000円に上がったみたいです。汚い商売の方法にSNSのアカウントが小規模ながら炎上中っすよ」
例の編集社が特大スクープと銘打った呟きは、緩やかに拡散していった。伊藤は夜間、定期的に起床し、スマホで監視していたらしい。
「付けられたコメントも酷い物っすよ」
【どうせ嘘だろ? 調べりゃ調べるだけ出てくる胸糞情報。ここはクソマスゴミの亜種】
【今はまともな雑誌出してるみたいだけどね。昔、脅迫まがいの『取材』で生計立ててたゴミ共の記事。値上げしたこんなとこの記事、誰が読むんだ?w】
【300→1000。それだけに自信ある記事かも】
「炎上は頂けません。それだけ注目を浴びます」
梢枝はポーカーフェイスだ。一晩で覚悟は決まったのか判別は出来ない。
現在、立花一家、漆原一家、拓真の8名。病院関係者からは自宅に篭もる看護部長を除いた7名。それと総帥&秘書と彼らが遣わした護衛2名。実に総勢、19名が固唾を呑んで、ソファーを挟んだテーブル上、背中合わせの2台のPCの液晶画面を見詰めている。
憂もそわそわと落ち着きの無い様子だ。右手を千穂に、左手を愛に強く握られている。
8:59。梢枝の対面で遥が更新ボタンをクリックすると、【特大スクープはこちら】と表示された。ややフライング気味に更新されたらしい。
「更新来ました」
梢枝は即座に『こちら』をクリックする……と、混雑中です。と表示された。脆弱なサーバの影響もありそうだが、やはり注目を浴びてしまったらしい。即座にブラウザバックし、もう1度リンクを踏む。対面の遥に動きは無く、接続に成功した様子だ。
そして、梢枝の扱うPCも繋がった。
重いページは10秒ほどのラグの後、記事を。
更に数秒遅れて画像の表示を始めた。
当社はスクープを得た。
それも特大のスクープだ。
我々はこの記事を世に出す事を躊躇った。1人の少年が少女へと変貌を遂げたのだ。
何を言っている?
こう思った読者も数多い事は、当方も重々承知している。当社は以前、強引な取材と指摘を受け、政治、芸能等のゴシップから身を引いた。もう、世にスクープを輩出する事は無いだろうとさえ思っていた。
しかし、我々は、ある経緯で総帥と呼ばれる男を追い始めた。
そこで得たスクープだ。
まずはこちらの画像をご覧頂きたい。
梢枝が画面をスクロールさせていくと、そこには4番を背負ったユニフォーム姿で人差し指を突き立てた優の正面からの姿が掲載されていた。モザイクも何も成されていない。
「優……」
姉の嘆息が静寂の中で響いた。これで別件という、僅かな可能性が排除されてしまった。
画面は更にスクロールされる。
彼は故……、いや、立花 優さんだ。
皆様は1年半ほど前の事故を憶えておいでだろうか?
昨年の5月6日。1人の少年が歩道橋から転落し、その下を走行していた総帥と呼ばれる男の車列に跳ねられた痛ましい事故だ。全国的に報道された事故であり、記憶している読者も多いのではないだろうか?
この少年、立花 優さんはこの事故により、亡くなった事になっている。
続いての画像がこちらだ。
続いて表示されていた画像は、千穂らしきモザイクを掛けられた少女に、右手を引かれ歩く憂を横から撮影されたものだった。屋外だ。学園内ではない。どこからか望遠レンズで盗撮されたものだろう。周囲には数多くの影が見て取れる為、通学中と思われる。
この手を引かれ歩く少女。彼女は立花 憂さん。立花 優さんの変貌を遂げた姿である。
何を言っている?
気でも狂ったか?
そんな言葉が聞こえてきそうだが、事実なのだ。
彼女の出生は謎に包まれていた。出自不明だが、施設の子。そんな薄幸の少女という事になっている。
彼女の背後には絶えず、『総帥』と呼ばれる男の存在が見え隠れしていた。何でも、この憂さんにご執心らしい。彼女はご覧の通り、類を見ないほど愛らしい容姿であり、そこに犯罪の匂いを感じた。だからこそ、我々は、この少女と総帥と呼ばれる男を追った。
その経過で得た画像は、我々の想像を遥かに上回るものだった。
少年が少女になっていたのだ。
これから、それを証明して見せよう。
次のページには衝撃的な画像が並んでいる。閲覧注意だ。
しかし、立花 憂さん=立花 優くんの構図を証明する為には、絶対に必要な画像である。
次ページを閲覧するしないは読者の判断に委ねたい。当社は次ページの画像に於いて、あなた自身が精神的にダメージを受けたとしても、一切の責任を放棄する。そう明言させて頂いておく事とする。
18歳未満は閲覧禁止。あくまで自己責任で閲覧の事。
↓
【変貌の経過はこちら】
このリンクを前に梢枝は逡巡した。背後には、愛と千穂に手を取られた憂が佇んでいる。
「憂……? おいで……?」
愛が憂の手を引いた瞬間だった。
「ボクも――しりたい――」
……全てを把握しているようだ。優の画像と憂の画像。2枚の画像と、前日からの雰囲気で察しているらしい。
「――しりたい!」
2度目は叫びだった。叫びと共に、左手を振り払った。姉は呆然と振り払われた右手を凝視した。そんな時だった。
「……全部……世間に……」
島井の独語が梢枝サイド……。学生、家族組に届いた。
向かいでは病院関係者及び、総帥とその秘書が苦々しげな顔を揃って見せている。青ざめている者も存在している。
「――ボクは! ――しったら! ――ダメ――!?」
甲高く、綺麗な声が響き渡る。
憂は本気で姉に食い下がっている。全力で姉に反発している。感情を発露させている。
「……島井先生?」
愛は、信頼度の最も高いであろう柔和な医師に問い掛けた。誰に聞くべきか……、などとは考える余力も無いように見えた。
「……ご家族にお任せ致します。それで宜しいですね?」
島井の言葉は総帥と院長……、目上の2人に向けられたものだ。
2人の年配の男性は、瞬間、躊躇った後、しっかりと頷いた。
愛は続いて、両親を見やった。これまで、愛は憂に関する全権を担う形だった。だが、今回ばかりは自身の判断で決められる事ではない。そう思ったのだろう。
「憂1人知らないのは可哀想よね」
「あぁ……。知らなければ進めない。一緒に見よう」
迅も幸も、いつの間にか覚悟は決まっていたらしい。憂の背後で、その小さな肩にそれぞれ、片手を置いた。続いて目を向けられた兄も、しっかりと頷いた。
千穂の右手は父によって握られた。愛娘は1度、父を見上げると覚悟を決めたとばかりに頷いた。
「千穂ちゃん……。たっくん……。康平くん……。今まで隠しててごめんね。次の画像は出来れば最後まで見せたくなかった……。友だちが離れていっちゃうかもって……。でも……。今なら大丈夫って信じてる。さ、憂? 見よっか」
愛は振り払われた右手を、もう1度差し出し、憂はその手を取った。
「……梢枝さん。お願いします」
こくりと千穂の喉が鳴った。拓真は鋭い目を更に細めている。康平は相棒の背中を睨みつけている。
カチリと【変貌の経過はこちら】がクリックされた。
……そのページは重かった。ゆっくりと画像が開かれると、【5/10】と日付の表示のある画像が表示された。
―――事故4日後の優の画像だった。
画像の優は裸だった。至る所に包帯が巻かれている。人工呼吸器で半ば隠れた顔は案外綺麗だった。
しかしながら、包帯に覆われた頭部は左の頭蓋が大きく拉げている様が見て取れた。
体の至る所は腫れ上がり、内出血に依るものか変色している。左腕、左足に至っては、不自然な箇所で折れ曲がっている。そんな体のそこら中に様々な計器から伸びるコードと管が装着されていた。
陰部こそ修正が掛けられているものの、その辺りからも赤黒い管が伸び、下半身は全体的に黒ずんでいる。つま先に向かえば向かうだけ黒い。
「ぅ……」
千穂が余りの画像に、小さな声を発した。拓真は、じっと微動だにせず、食い入っている。康平は目を見開き、その画像に目を奪われている。
梢枝は画面をスクロールさせた。
―――事故14日後の画像が載っていた。
撮影の為か、包帯は全て取り払われている。
黒ずんでいた下半身は壊死したのか、足先から腐り落ちていっているようにも見える。両手も手先から徐々に黒ずんでいっているようだ。
全員、言葉もない。家族は、この画像を過去に見せられている。それでも目を覆いたくなる画像だった。
―――次の画像は事故30日後の画像だった。
下半身……膝から下の肉は随分、崩れ去り、骨がはっきりと視認出来た。大腿、鼠径部周辺も崩れ落ちていっている。そこから見える白い骨には、骨折している箇所も見られる。上半身もまた、崩壊していっている。スプラッタ映画そのものと云える画像だった。
頭部も破壊された部位から黒色部分が拡がりを見せ、綺麗だった顔面にまで侵食している。
―――45日目。
下半身は、得体の知れぬ、粘度の高い液体のような赤く薄い膜に覆われ、骨が透けて見えている。上半身の崩壊も進行を続けている。それは顔面にまで及んでいる。男子の割に女の子のような優しい顔立ちも剥がれ落ち、筋肉が露出を始めている。
「――きもちわる――」
憂の言葉に応えるかのように、姉と彼女が強く強く手を握った。その千穂も拓真も……。康平さえ、血の気が引き、青い顔を見せている。それでも、目は逸していない。どんな姿形であれ、画像の人物は優なのだ。
―――62日目。
全身が破壊され、赤く薄い皮膜のような粘液のようなものが全身を包み込んでしまった。優は人のような何かと化した。その被膜の内部へ、幾本かのカテーテルが伸びている状態となった。
胴体部分では被膜ごしに臓器がその姿を写し出している。
顔も薄膜内部で崩壊している。瞼は消え失せ、眼球さえも溶けてしまっているように見えた。
―――93日目。
状態に余り変わりない。変わりはないが、皮膜全体、縮んでいるように見えた。眼球部分は空洞と化さず、黒目まで見える。
―――121日目。
赤く薄い皮膜様の何か。その内部では、骨格が小さく再形成されているように見えた。臓器も姿形を変えているように見える。
―――154日目。
皮膚が造られた。完成した部位から役割を果たしたと言わんばかりに、粘膜のような皮膜のようなものが消えてなくなっている。瞼も完全に形成された。
―――185日目。
優の体は憂の体へと変貌を遂げた。骨に皮が張ったような形であり、飢餓に苦しむ子どものようにガリガリだが、確かに人の形を成していた。
―――200日目
いくらかふっくらとしてきている。その姿は憂であると断定できる状態となっていた。その姿は、要所にモザイクを掛けられているものの、その手足や肩幅のシルエットから、女性体と判別出来る画像だった。瞳は閉じられ、痩せているものの、それでも愛らしい寝顔だった。
……連続画像は、そこまでだった。
その後の記事では、蓼園総合病院は、この少年に起きた衝撃の事実を隠蔽していると糾弾していた。
真実かはともかく、事故により意識不明を良い事に、人体実験に踏み切ったとまで言及していた。
最後に被害者のプライバシーよりも、真実の暴露を優先した考えを明らかにした。
第二の被害者を出さぬ為に……と、入手した画像の一部を世に出すことを決意したと綴られていた。
……全てを見終えた時、千穂は涙を流していた。
拓真は微動だにしない。ただただ、見終えたはずのノートパソコンをじっと見詰めていた。
康平は……梢枝の背中を凝視している。呪い殺してしまいそうなほどの瞳だ。
梢枝もブラウザを閉じた後、ピクリとも動かなかった。
向かいの『大人たち』は、無言で立花一家を注視していた。
ここから先、立花家がどう動くか……。再確認したいのだ。
どれだけ総帥が憂を想っても、立花家が庇護を断ればそれまでだ。
どれだけ病院が憂の保護を願っても、立花家が望まねば、そこで終了だ。
―――ピリリリ。
―――~~~~♪ ~~~♪
一斉に大人たちのスマホが、院内PHSが鳴動を始めた。
「はい。川谷です」
「……もう始まりましたか。現時点で申し上げる事はありません。そのように」
「一ノ瀬です」
「はい。その件については近日中に記者会見を開くと」
「ええ。はい。大丈夫です」
大人たちだけでは無い。
「鬼龍院です」
「はい。確認しました。私も驚いています。ですが、する事は何1つ変わりません。任務を継続します」
それぞれが動く。ある者は指示を出し、ある者は報告している。
それが落ち着くまで10分ほど要した。いや、僅か10分ほどで済ませてしまった。対応は、院長も総帥秘書も脳内でシュミレートしていたようだ。
最初の電話を切った直後、川谷も遥も自身で電話を数ヶ所に入れた。主要な箇所に連絡を入れ、そこで問い合わせや取材への対応方法を通知したのだろう。
彼らは、揃って『後日応対』とした。
それらが落ち着いた時、渡辺が口を開いた。いつも張り付いている軽薄そうな笑みが消えていた。真剣な表情だった。
「島井先生? 学生たちの眼差しが半端ない事になってますよ。そろそろ説明をしないと。昨日みたいにバラバラじゃなくって、本当に一枚岩になれるよう、何事も包み隠さず。真摯に全てを伝えましょう? 院長先生も総帥閣下も……」
「……そうですね。全てをお話しましょう。宜しいですね……?」
島井は先ず、総帥・蓼園 肇に確認を入れた。
「うむ」
何の変哲も無いはずだが、妙に存在感のある男は、深く頷いた。
「任せる。この一件には、君が一番深く関わった」
院長・川谷もまた頷いた。
憂は……。
憂は何故だか、安心したと謂わんばかりの、穏やかな表情を湛えていたのだった。
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あとがきです。
『半脳少女』も話が進みましたので、過去編を告知させて頂きます。
明後日、5/24。『半脳少女』をシリーズ化し、別連載として投稿させて頂きます。
優が事故で意識不明……。
そこから、学園復帰を目指す原因となった一言。
あらすじ内の『――ボク――ふつうに――くらしたい――』
この台詞直後までの話になると思います。
こちらは不定期更新の上、読まなくとも本編に影響の無い仕様となる予定です。その為、別作品としました。
……この151.0話投稿までには、書き終えている予定だったのです……が、生憎、右手の薬指が『バネ指』とやらになりまして、残念ながら書き終わっていません。それが不定期投稿となる原因です。ご容赦下さいませ m(_ _)m
そのバネ指は落ち着き、現在、痛み1つありません。
引き続き、半脳少女本編は3日以内更新と致しますので、ご安心下さいませ……?
いえいえ! 是非、完結までお付き合い下さいませ!
お目汚し、失礼致しました。