150.0話 タイムリミット
ついに150話ですね。
総合評価pt5000やらブクマ2000件やら突破しています。
ありがとうございます(*´ω`*)
【時間的な猶予は残されました。リミットは明日9:00です。立花家、及び必要ある者は籠城の準備を。】秘書
……そんな第ニ報が発せられた直後だった。
「梢枝さん……。『みんな知っていた事にしたかった』って、本当ですか?」
白く大きなワンボックスカーに揺られ、千穂が重い沈黙を破った。緊張からか、発覚への恐怖か、バランスの取れた美形が強張っている。
「……本当です。憂さん1人に敵意が向けば抑えきれません。ウチらで、もちろん護りますが、それでも傷付けられる機会は間違いなく増えます……」
「……だから、その敵意を分散させようとした?」
助手席に座る拓真が行く先……。VIPルームのある、蓼園総合病院への道を見据えたまま問い正す。無表情を決め込んでいるのか、その感情は伺えない。
「分散どころか、纏めて引き受けて頂くつもりでした。憂さんは本当に不思議な存在なんですえ? 憂さんに直接的な悪意をぶつければ、以前の瀬里奈さんと陽向さんのように総攻撃を受けますよって」
「じゃあ、なんで圭佑には、知らなかった事にしろと?」
凌平も気付いてはいただろう。だが、時間の余力が不明な状況の為、聞かなかったのだろう。拓真の指摘は、梢枝の大きな矛盾を突いたものだ。
「……気が変わったんです」
「梢枝さん。あんた、全員を守りたいんだろ? 佳穂、千晶が『知らなかった』事になって、それからだ。あんたの言う事が変わったのは。中途半端な人数が敵意を引き受ければ、守りにくいからな。今度は逆に『知っていた』人間を減らして守り易くした訳だ」
「……梢枝さん。ありがとう……」
千穂のお礼も場違いな気もするが、そこは天然故だろう。梢枝は、車窓に頭を預け、黒いフィルム越しに流れる風景を眺めると、「知りませんわぁ……」と呟いた。
また静かになった車内。最後の信号に引っ掛かった時、愛が問うた。
「梢枝さんは、憂の立場は変わらないと見ているんですか?」
たった2人の護衛の片割れは『総攻撃を受けますよって』と語った。そこから推測したのだろう。
「今回の発露が性転換だけに収まれば、ですけどねぇ。5%ほどの方が持っておられた悪い感情の割合が数倍になる程度ですわぁ。その程度なら総帥の庇護を押し出せば、なんとかなるはずです……」
「……そう、ですか」
信号が青に変わり、大きな車は憂と康平が居るであろう病院に到着した。正面を迂回し、地下駐車場を目指す。
「梢枝さん……。あんた矛盾してんだ」と、頭を掻きつつ言った。拓真が思うには、更なる矛盾があるらしい。
「え?」
疑問符を零したのは千穂だ。愛でも梢枝でもない。
「性転換がバレても問題ない。バレるとまずい。どうなってんだ?」
大きな白い車は左折し、地下駐車場に入っていく。車内は、その中の4名の心内を表すように、たちまち薄暗くなった。
「ウチは凌平さんのように、次の疑問に辿り着く人の出現が怖いんですわぁ。拓真さんも気付いてますえ? どう云う経緯で性別が変わったのか……? そこに問題点が存在します」
「……そうね。今回の件が落ち着いてきたら必ず話すよ……」
愛の駐車は丁寧だ。その性格を示すかの如く、1度、切り返すと真っ直ぐと停車した。
職員用エレベータに乗り込み、コマンドを入力すると、それは最上階への直通便と化す。
ポーン。1つの電子音が響いたかと思うと、直方体の箱は4人を運び上げた最上階への扉を開いた。
「お待ちしておりました。遅かったですね。心配しましたよ」
エレベータの扉の前で待ち構えていた伊藤は、すぐに背を向けた。高山も以前、見た時と変わった様子はない。誠実さを顔一面に張り付け、1つ会釈をすると伊藤の後を追い、幅広い廊下を歩き始めた。
一方の4名は無言だ。
疑いたくは無い。疑いたくは無いものの、病院関係者への疑惑の眼差しを向けてしまう。そんな表情を見せてしまったのは高校生2名だ。梢枝はポーカーフェイスを貫いている。愛は暗く沈む表情を隠し切れていない。
千穂と拓真の疑心暗鬼は当然なのかも知れない。学園ではバレていないはずだ。前日の過呼吸以降、正面切って聞いてくる者は居ないものの、遠目からヒソヒソと憂の行動を窺う生徒の姿は目撃している。
2人は梢枝から聞いている。噂の火消しには成功したものの、かつて無いほど怪しまれている……と。だからこそ、憂の傍から千穂は離れなかった。拓真も康平も廊下での応対を買って出た。憂の不用意な言動は無かった。なので、学園発の情報流出では無いはずだ。だとしたら漏れた場所は、病院か総帥一派だ。
伊藤がNSのインターフォンを押すと、返事も無く、分厚いスライドドアが微かな音を立て、開いた。
そこで出迎えたのは、裕香と新婚ほやほやの恵だった。専属看護師揃い踏みだ。2人は慇懃な態度の男性看護師2人とは違い、悲しげだった。
「愛さん……。この日が来ちゃいました……」と、恵が言うと「大丈夫だよ……。きっと戻せるからね。穏やかな生活に……」と学生たちに向け、裕香は優しさを見せた。
専属看護師は、全員が男女の制服の差異も無い白いナース服だ。動きやすい上下……。いつからの傾向だろうか? ズボンタイプである。
裕香と恵のそんな姿を見た千穂の表情が、いくらか柔らかくなった。信頼度は直接、接した女性2名と、ほとんど接触の無い男性2名では雲泥の差だ。高山に至っては、チャットでの挨拶を見、返信した程度である。顔を合わせた事すら無かった。
「さぁ……、中へ……」
裕香はNSに不釣り合いなVIPルームへの重厚で豪華な扉を押し開くと、学園からの到着組4名を誘った。専属看護師4名も続いて入室する。
「遅かったですね。心配しておりました」
ソファーから立ち上がった状態で伊藤と同じ言葉を持って、挨拶したのは総帥秘書だった。テーブルにはノートPCが2台並んでいる。情報収集の真っ最中だったのかも知れない。
愛を筆頭に4名はそれぞれ小さく頭を下げ、それに応じた。
「先ずは憂さまのところへ」
……この部屋は広大だ。元々はゴシップに塗れてしまった政治家を中心とした、有名人の使用を前提に設計されている。籠城戦には打ってつけであり、広く豪華な部屋は陰鬱な気持ちを軽減する為の造りだ。
憂は大きなベッドに寝ているのか、周囲に学園外に於ける主役たちが揃い踏みしていた。
愛たちは秘書の言葉の通り、ベッドに向かっていった。
株式会社蓼園商会前会長、総帥・蓼園 肇。
蓼園総合病院院長・川谷 光康。
憂の主治医であり、家庭を崩壊させるほど、文字通り憂に全身全霊を捧げた、島井 裕司。
天才脳外科医として勇名を馳せた院長の愛弟子、脳外科医・渡辺 智貴。
大物を含んだ大人たち。その中心で憂はベッド上、ぼんやりと天井を眺めていた。
憂をここに届けたはずの康平の姿は無かった。何処かに出掛けているらしい。
「眠るよう促しているんですけどね。憂さんは何が起きているのか察しているのかも知れません」
挨拶を会釈程度で済ませた島井が口を開くと、憂は寝転んだまま首を巡らせた。
「――みんな――!」
3人のクラスメイトを目にすると笑顔が弾けた。よいしょ、と左手を突き、体を起こすと、もぞもぞとベッドから移動を始めた。
「……難しい話になるんですけどねぇ」と呟いたのは渡辺だった。いつもの軽薄に思える笑みが貼り付いてる。
「あたしたちが、お話してます。始めて下さい。あたしだって、どこから漏れたのか知りたいです……」
裕香だ。大物たちの間をすり抜け、憂の傍に近寄ると、「うぅむ……」と、一番の大物は躊躇いつつ、憂から距離を取った。
それからこの場の全員がベッド周辺に集った。何名がベッドサイドに座り、裕香と恵はナースシューズを脱ぎ、ベッドに上がった。本当に憂の相手をしながら話を聞くつもりらしい。
残りの者は立ち話でもする気だったのだろう。しかし、気を利かせた伊藤がNSから簡素だが機能的なオフィスチェアを三脚ほど、高山がコネクティングルームからニ脚ほど丸椅子などを用意すると、思い思いに腰掛けた。
「……裕香のさっきの話から聞かせて貰ってもいいですか?」
口火を切ったのは、オフィスチェアに深く身を預けた伊藤だった。この面子を前に臆した様子は見せていない。そんな伊藤の問いは『どこから漏れたか』だ。
「……とは言っても、ここに居ないといけないのに居ない人物が怪しすぎます。学生さんたちが高山さんを疑うのも仕方ないとは思いますけど」
周囲を見渡しつつ、独り言のように言葉を続けると、病院関係者の中に動揺が走った。まさか、病院側の人間である伊藤から、そんな言葉が聞かれるとは思ってもいなかった人たちだろう。
「看護部長さん……」
千穂は今、気付いた風で呟いた。その呟きに応えるように院長は「……彼女はどこに?」と、誰にともなく、問い掛けた。
その問いに再び伊藤が口を開く。
「内線もスマホも繋がりません。犯人が看護部長だとしたら、もう院内に居ないのかも知れませんね」
「……伊藤くん。口を慎んで下さい。問題はこれからどうするかです。和を乱す言動は控えるべきです」
島井の叱責が飛んだ。この医師は、どこか専属たちに弱い。それでも上司批判は捨て置けないらしい。しかも内容が悪い。だが、伊藤は悪びれない。「じゃあ、僕は探してきますよ」と立ち上がり、NSへと移動を始めた。「……私も行きます」と恵も同調し、ナースシューズを履き、そそくさと伊藤を追いかけていった。
「「「………………」」」
裕香を皮切りにした、いきなりの疑心暗鬼の連鎖に、すっかりと空気は冷え込んでしまった。
「……一体、何処が情報を得たんですか?」
重く纏わりつくような空気の中、梢枝が言葉を紡ぐ。すると、遥が膝の上のノートPCをくるりと回した。
新たに到着した4名がそれぞれ液晶画面を凝視すると、そこにはWEBサイトが表示されていた。
【緊急告知!】
【特大スクープ!】
デカデカと表示された文字を前に、最後に入室した4名は眉を顰めた。遥は、この液晶画面に直接触れ、スクロールして見せた。
【神の所業か、悪魔の仕業か? 人ひとりが姿を変えた? 性別さえ変わった? 大病院で何が行われたのか? 背後で暗躍する人物とは? 芸真ジャーナル社は詳細情報を入手した。明日、午前9:00、重大発表】
「WEB上での記事……?」
愛にとっては予想外だったらしい。梢枝の表情は一切、変わらない。
誰が……、等と言う固有名詞も何も書かれていない告知だが、その内容には身に覚えが有りすぎる。誰しもが、憂の記事だと確信した様子だ。
「ええ。そうです。発見当初は、時間の告知もありませんでした。更新前のスクリーンショットも拝見なさいますか?」
「要りません。その芸真ジャーナル社について、お聞かせ下さい」と、梢枝は問い掛けた。
「小さな雑誌編集社です。以前は芸能人や有名人のゴシップを探り、それなりに規模を拡大させていたようですが、行き過ぎた取材や真偽を問わない情報の提示により爪弾きにされ、今は細々と総合情報誌など発刊しているようです」
「……飛ばし記事の可能性は?」
「十分に有り得ます。しかし、裏を取れていない記事だとしても、その悪影響は計り知れません」
「……そうですねぇ。厄介な……」
「大手マスメディアも、この情報を得ているはずです。それでも動きが見られないと言う事は、この特大スクープの確実性を探っているものかと。小さな編集社の飛ばし記事に踊らされる訳にはいきませんので」
「ウチらも待つしかない……」
「歯痒い。干渉すれば逆効果だ。儂は指を咥えていられん性分なんだがな」
しばらく続いた梢枝と遥の会話に加わった総帥は、苦い顔をしている。そんな総帥に院長が突っかかった。
「……総帥殿は……、本当に秘密の隠匿に積極的だったのですか?」
院長はインテリ風の男だ。中背の痩せ型。ひょろりとした体型に細面でどこか爬虫類を彷彿とさせる。頭部も年相応に若干、薄くなっているようだが、鋭い目付きが年齢以上に若く見せた。
「どう言う意味だ?」
年齢的には院長の川谷は総帥を超えている。だが、総帥は一切の敬語を使っていない。力関係がそうさせているのだろう。
「例のテレビ。私は、あの時の事を忘れておりません。それだけではありませんよ。島井くんの部屋に仕舞ってあったもの。1ヶ月ほど前にようやく消せた……と、聞かされました。何故、貴方はアレを残させていたのですか?」
「あの部屋のセキュリティを突破できるのは島井くんはもちろん、君と看護部長くらいか? 遥くん? 儂らは入室出来ん」
「はい。その通りです。私も気になり、警備会社に問い合わせました。島井医師の部屋への入室記録を調べさせております」
「……時に川谷くん。君は入室していないか?」
「どういう意味ですか!? 私を疑っているのですか!? 第一、当院の警備は蓼園グループ傘下! 貴方になら、どうにでも出来ましょう!?」
「何を怒る? 聞いてみただけだろう?」
得も知れぬ雰囲気を纏った男はニヤリと唇を歪め、トカゲのような男は押し黙った。
ツートップとも云える2人の口論に誰も口を挟めず、また奇妙な静寂がVIPルームを支配する。
「憂ちゃん? 眠いのなら……」
「――ううん――ボクの――ことだから――」
静かになると、キングサイズのベッド上の2人の会話が届いた。裕香は本当に憂の相手をしているらしい。
「――バレた――の?」
やはり、察してしまったらしい。言葉の切れ端を集め、ここの人物たちの雰囲気や顔触れで、そう判断したのだろう。
「……たぶんね。少しの間、ここで……」
言い淀んだ裕香の代わりに返答した人物は姉の愛だった。他の家族3名も迅の終業を待ち、合流した上でこのVIPルームへと避難してくる手筈となったらしい。遥は緊急メッセージの後、更新されたHPを確認し、時間の余力ありと判断。第二報を発したのだった。
「――わかった」
憂も聞きたい事は山ほどあるはずだ。だが、受け身の少女は問いを控えた。じっと、話してくれるまで待つつもりなのかもしれない。
その後、伊藤と恵は院内放送までをも使い、看護部長の行方も探したが発見には至らなかった。帰宅しているかも知れないと秘書に伝え、彼女の指示の下、手の者に捜索を委ねた。
遥は警備会社からの資料を受け取りに最上階を離れた。
19時を過ぎると、立花の3名、迅、幸、剛が合流した。更には千穂の父・誠人もVIPルームに到着した。娘と娘の愛する子を心配しての事だ。
本居家は静観の姿勢を取った。拓真1人、VIPルームに宿泊が決まった。
遥と梢枝は、康平が掻き集めてきた画像と動画の編集作業を開始した。
何はともあれ、翌朝9時を待つ。どこまで情報が流出したかによって対応は変わってくるのである。
総帥とその秘書。病院関係者もこの日ばかりは泊まり込むらしい。
そんな中、1つの情報がもたらされた。
鈴木看護部長は帰宅しているらしい。しかし、何も出来る事は無い。例え、彼女が情報の流出源だったとし、彼女を問い詰めたところで、何1つ状況は好転しない。
遥もまた、部下に詳細を話す訳には行かず、そのまま張り込みを命じたのだった。