145.0話 文化祭の開幕
―――10月18日(水)
臨戦態勢は、ほぼ整った。教室内の者は午前10時を、文化祭の開幕を待つばかりとなった。
C棟1年5組のメイド・女装メイド喫茶は噂が噂を呼び、開幕前から脚光を浴びている。営業日は開催期間5日間の内、4日間と気合が入っている。3日目だけは自由時間を確保した。5組の生徒たちも文化祭を見て廻りたいのである。もちろん、毎日がローテーション制だ。自由に動ける時間は確保してある……が、なんせ規模が半端ない。各棟の体育館では入れ替わり立ち代わりで文化部やクラス単位のステージ発表が行われ、大体育館では運動部も文化部に負けじと発表を行なうのである。
……大体育館は円形のホールだ。舞台袖が無く、演劇部などには向かない。
いきなりの脱線、申し訳ない。
全体の話よりも5組の話。5組の大半は現在、4組さんの教室内に居た。
……5組は厭らしい商売の形態を取った。利子の発案だった。来店時にクジを引いて貰い、自身の担当を自らの運に任せて頂く。運が悪ければ可愛らしい女生徒では無く、女装メイドが応対する事になる。鬼畜の所業……にも思えるが、オープンな営業をすれば、憂の多忙はここに極められし。そんな状況は想像に難くない。
5組は机も椅子も撤去され、6組さんに置かれている。6組さんは大グラウンドの片隅で露店を出店するらしい。
……6組の事は今は不要だ。
5組の教室にはレンタルと思しき、喫茶店で使えそうな丸テーブルと硬めの椅子が多数、用意された。テーブルには椅子が2つ。多対一の接客を回避する為だろう。硬めの椅子が使われている理由は、客の回転をよくする為に他ならない。千晶の提案だった。千晶は、そんな豆知識が豊富……では無く、偏っている。たまたま持ち合わせていた知識だろう。
各テーブルはパーテーションにより、仕切られている。これが目玉だ。運が良ければ、学園で人気の少女たちの接客を受ける事が可能となるのである。
飲料類などの準備には、隣の4組さんの教室をお借りしている。4組さんはステージ発表らしい。何を行なうかは知らない。
ケーキ等、サイドメニューには力が入っている。早朝から千穂を筆頭に調理の出来る者たちが焼きまくっている。今なお、焼きまくっている。もちろん、1年5組に与えられたスペースで……だが。
クッキー類は前日までに焼き上がっている。焼き立てとはいかないが、設備不足だ。已むを得まい。
5組がスポンサーから受けた支援はメイド服のみだ。メニューを決め、材料の発注から何から何まで、クラスで行なった。出し物の決定は遅かったが、決まってからは一丸となり、この日の為に用意してきたのである。決定が遅かったのは利子の舵取りに問題があったのだろう。
「あー! 緊張するねー!」
「佳穂に緊張って言葉ほど似合わないものは……いっぱいある」
「どう言う意味だー!?」
「分かるわー。例えば……なんだ? 出てこないっす。千晶先生! 何か無いっすか!?」
「勇太くん……。まだまだですね。例えば……えっーとぉ…………」
「いっぱいあるって千晶が言ったんだぞー!?」
……そんな3人の遣り取りに笑声が湧き上がった時、千穂たち、厨房隊が戻ってきた。彼女たちはこれから着替えねばならない。
メイド衣装着用の男衆が移動を始める。4組から5組への移動は暗幕の中だ。廊下の一角を仕切り、通用口としている。
「――――」
付いていった。一番、小さい子が。
「……違うだろ」
「あぅ――!」
後ろを付いてきた、ちっこくなった幼馴染に拓真がチョップをお見舞いした。若干、力が込められていたのか、試着段階では装着していなかった、どこか猫耳を彷彿とさせるヘッドドレスが刺さったのか不明だが、憂はしゃがみ込みつつ、「――いたい」と頭を抑えた。エプロンを結ぶ紐の長さといい、女子衣装のコンセプトは『猫』なのだろう。
拓真の声に足を止めていた数人の男子がさっと目を逸した。
きっと見えたのだ。白のストッキングに包まれたブルーの何かが。
「もぉー! 拓真くん! もうちょっと手加減ー!!」
「拓真くんじゃなかったら刺し殺されてるよー?」
「男子ぃ! 憂ちゃん見てないでさっさと退散! 千穂ちゃんたち、着替えられ……って、どこ……見てた?」
憂の周りに集まる女子たちと、そそくさ逃げ出す男子たち。
……緊張感が足りなさすぎて心配になってくる。
「みんなー! あと1分ほどで開始だよー! 折角、頑張って準備したんだからしっかりとね!」
……締めた利子もメイド服だ。慌てて着替えた。困った事に、同じ格好をすると馴染んでしまう。素材では梢枝の方が大人っぽいくらいだ。
ピンポンパンポンと上がっていく音階。10時ジャスト。5組に静寂が訪れた。
『10時となりました。蓼園学園文化祭の開幕をここに宣言致します』
繰り返しの言葉も何もないシンプルな挨拶で幕を開けた。おそらく学生の声だ。放送部が迷子のお知らせやら、大体育館等、各体育館のスケジュールの進行状況に、オススメのお店情報など、一手に引き受ける運びとなっている。
放送部の宣言と共に、小さな花火でも打ち上げられ、東西南北の4つの門も解放された事だろう。だが、平日だ。最初の3日間のお客さまは同じ蓼学生たちがメインだ。
「じゃあ、ウチもオープンしちゃいましょー!」
利子の宣言を受け、健太が教室後方のスライドドアを開ける……と、多くの蓼学生が待ち受けていた。
……自分のクラスや部活の出し物はいいのか? きっと、最初の内に自由時間を設定した生徒たちなのだろう。
「ちょ! 予想外! すいませんっ! いったん、閉めます!」
「最初の受付は持ち場について! この様子だとサイドメニューも飲み物も切らしちゃうよ! 千穂さん、優子さんたちは作りに行って! 受付は厨房班のメンバーの不在札忘れないで! 最悪、既製品のお菓子の発注は視野に入れましょう! さ! 接客待機組は4組さんに移動するよ!」
利子の人が変わった。何をするべきか完璧に理解しているらしい。
「最初の受付ってリコちゃんもですよ?」
……前言撤回させて頂く事とする。
「はーい! それでは、このクジを引いて下さいねー! 引き直しは無しですよー! 不在の子を引いちゃったら、もう1回ですけどねっ!」
「……リコちゃん、似合いすぎじゃね?」
「ありがとー!」
10:05。仕切り直してオープンした。開門から3分ほど余裕があると見ていた事が失敗だ。1番手のC棟3年生男子の話によると、やはり最初に自由時間を貰い、開幕宣言も終わらぬ頃、猛ダッシュで駆けてきたらしい。他の並んだ生徒にはステージ発表のクラスの子も居るそうだ。
その男子生徒がクジの箱に手を突っ込む。緊張の瞬間だ。「南無三っ!」と気合注入し、クジを引く……と、鬼龍院 康平の名前があった。
「ノォォォォ!!」
「1番テーブル、康平くんです!」
少しの間を空け、スライドドアが開いた。
「……いらっしゃいませ。いきなり大当たりおめでとうございます」
……ドスを効かせた声で出迎えられた3年生は、ゴツいメイドに連れられていったのだった。
「……次の方、どうぞー」
最初の方に並んでいるのは、ほとんど男子生徒だ。メイド服の魅力にあらがえない者たちなのだろう。
「うおりゃー!」
「2番テーブル、佳穂さんお願いします!」
「よっしゃ! 中当たりだ!」
……大当たりでは無いのか? 何だか失礼な発言だが、この形態を取った以上、仕方ない事だろう。
利子たち受付のメンバーは、どこぞの部から借りたインカムが装着されている。梢枝の提案だった。いくらかのスピードアップに繋がっているはずだ。
……外ばかりでは無く、中を覗いてみよう。
「……ご注文を承けたまわります」
「あ。えっと……コーヒーと手作りケーキのセットで……」
「かしこまりました。オーダー入りますー。コーヒーケーキセット1つー」
棒読みだ。どこまでも棒読みだ。いや、愛想よく可愛げに言われても困るのは3年生も同じだろう。
中で接客中の者もインカム装備しているようだ。
4組で待機中の者が、今頃、ドリップを始めているだろう。
この注文された品が出来上がるまでが売りだ。その間、雑談タイムが待っている。通常のメイド喫茶のような、どこか恥ずかしいモーションなどは取り入れられていない。
「あの……康平……さんは、どこでそんなに鍛えたん……ですか?」
最初のお客は3年生だ。にも関わらず、敬語である。可哀想に、カチコチに緊張してしまっている。数分の無言の後、絞り出した質問がこれだった。
「空手や柔道、合気道とかしている内に自然に付いた筋肉ですわ」
「あっ……そうですか……」
「準備が整ったようですので、少々失礼致します」
……康平は両手を前に組み、丁寧に頭を下げると区切られた空間から抜けていった。
それから1分と掛からず、メイド服のいかつい野郎は銀色のトレーを片手に戻ってきた。「失礼します」とコーヒーとケーキをテーブルに移した。
「このままお話する事も可能ですが、いかが致しますか?」
「いえ! 結構です!!」
注文が届いてからは選択式となっているらしい。これらの方式は全て、5組の教室前などに掲示してある。
「……かしこまりました。最長15分間のご利用となっておりますので、ご了承下さいませ……。お帰りの際はテーブル上のボタンを押して下さい。お見送りさせて頂きます……」
説明を終えると、また手を腹の前で組み、行儀良く頭を垂れた。女装メイドに当たるときつい。
「あははは!!」
隣からは笑い声が聞こえた。2番手の男子生徒は、佳穂と楽しく語らっているのだろう。
「……失礼致します」
康平が立ち去ると、3年生は深く項垂れた。
(憂ちゃんだ……。憂ちゃんに当たるまで何度も通い詰めてやる……!!)
……何やら覚悟を決めるとケーキとコーヒーを流し込んだ。
(う、美味い!! 味わいたいけど時は金なりっ!!)
女装メイドに当たった場合、客の回転が良くなる。こう言ったのは、誰かの護衛さんであり、その通りに進んでいくのであった。
4組内、控室兼、飲料の作り場で……ポーンと電子音が響いた。
「1番テーブル、お帰りだよー!」
「はいよー」
「くっそ早ぇな……」
「オレらの時もだろうよ……」
「俺らまで凹みそうな営業の仕方だよな……」
筋骨逞しいクラシックメイドを見送り、溜息を吐く、190超、180超、180弱のでかい3人衆なのだった。
「……ありがとうございました」
「こっ! こちらこそ!」
1番手の少年は青い顔で5組から出てきた。すぐにもっと青くなった。行列が自分の入店時より半端なく伸びていたのだ。
彼は駆けた。再び入店する為に最後尾に並ぶと『現在、1時間待ちです。ごめんなさい!』と書かれたプラカードを掲げる健太と説明に奔走する女装メイドたちの姿があった。
1人辺り、何分で見積もっているかまるで分からない。
「ぃやったぁぁぁぁ!!」
「あんたのクジ運、サイッコー!!」
最後尾からなかなかの距離の開いた5組の教室前で、女生徒の絶叫が木霊した。13番手で並んでいた生徒だ。テーブルの数は12。自分が早く出た事によって、入店する事になる2巡目の最初……。それは初の女性客だった。
(もしかしたら憂ちゃんのクジが入って無いって可能性は潰れた……!)
……当たり前だ。憂の札が入っていなければ詐欺行為となる。
しかし、2度目の待ちとなった彼は、希望に胸を膨らませたのだった。
行列の最前線に目を戻そう。
手を取り合い、喜び合う2人は2年生の先輩だった。有希は「憂ちゃんの場合のみ、もう1回引いて頂きます」と箱を見せ付けた。
これも貼り出された説明書きに記載されている事だ。表向きの理由は『恥ずかしがり屋さんだから』となっているが、蓼学生ならば本当の理由を知っているだろう。
今も蓼学生に混ざるように、お前、仕事はどうした? と、言いたくなるようなスーツを羽織ったおじ様や、誰かの保護者かも知れない上品そうな女性など、外部からやってきた『お客さま』も散見される。
ぶっちゃけると、憂がどういう少女か知らない人への接客に問題がある。
この提案をしたのは康平だった。この提案には裏がある。それを理解しながらも満場一致で多数決により可決された。要するに、みんなが個別の空間で、憂とお客さんを2人きりやお客さんのほうが多い状況を心配したのである。襲われたら声も上げられないかも知れない。お触りされたら硬直してしまうかも知れない。そんなクラスメイト全員の不安を、憂の場合のみ2人で接客する事によって排除したのだ。
……過保護な気がしないでもない。憂もメニュー表を指差して貰えれば、オーダーを入れられるだろう。障がいの事も告知していれば、次第に相手が理解してくれるはずだ。
「あんた引きなよ。あんたのクジ運に賭けてみるから」
「おっけぃ! 任せておいて!」
クジの箱に左手を突っ込みかき回す。サウスポーと云う訳でも無さそうだ。何かの験担ぎなのだろう。
「そりゃ! ……えっと。千穂ちゃんきたぁぁぁぁ!!」
「うっそ!? マジで!? ……ホントだ。これから『神の左』って呼ばせて貰うよ……」
「あの……。お喜びのところ申し訳ありませんが、千穂ちゃんが不在かもです。確認取ってみますね……」
有希は先輩2人の背を向け「千穂ちゃん、戻ってない?」と語り始めた。
……独り言に見え、少し気持ち悪い。あれだ。大きな独り言を呟きながら道行く人が、実は通話中でした……と、同じ状況だ。
「えー? あ。ホントだ。写真に不在の札が掛かってる。接客中の人もダメなんだねー」
「……不在や接客中の人の札は抜いたほうがいいんじゃない?」
「ご提案ありがとうございます! 早速、検討させて頂きますね!」
利子の応対だ。お客さまのご指摘を受け入れ、再考する。このメイド喫茶には、その度量があるらしい。
……と、言うか何故、誰もその問題点に気が付かなかった?
「え? ホントに!? 千穂ちゃん、ちょーど帰ってきたの!?」
「やったぁー! ラッキー!!」
「……こりゃ初日で運を使い果たしたパターンかもね」
スライドドアが開かれると、2人のメイドさんが出迎えた。2人とも小柄だ。1人は小柄を通り越し、全体的にちんまりとしている。
「いらっしゃいませ!」
「――いらっしゃいませ」
「ご案内致します! こちらへどうぞ!」
「――ごあんない――? どうぞ――!」
大騒ぎしていた先輩女子2名は、ヤケに大人しくなってしまった。言われるがままに千穂と憂の後を付いていく。
「こちらのテーブルになります」
「――なります」
……ちっちゃいメイドさんは完全に客引きパンダらしい。千穂の真似をしているだけだ。
「こちらがメニュー表となっておりますので、お決まりになりましたら、お伝え下さい」
「――うぅ――」
お客さまが動かない。じっと憂と千穂を交互に鑑賞している。
「あの……。お客さま?」
「――おきゃくさま?」
「あっ! ごめん! 見惚れてたっ!」
「……2人とも可愛すぎだよー。しっかり者のお姉ちゃんと、お姉ちゃんに頼ってばっかりの妹みたい」
そう言うとメニュー表に視線を落とした。何故か慌てている。早く注文せねば、心象を悪くするとでも感じたのかも知れない。
「あはは……。ありがとうございます」
「――ありがとう――ございます――?」
……聞き取れなかったようで何よりだ。憂は妹キャラだが、妹と思われる事を嫌悪している。
「オススメあります?」
「ケーキもクッキーも手作りですよ! 自信作です!」
「――ケーキ?」
「それじゃ、紅茶とケーキのセットで」
「あたしはカフェオレとクッキーをお願い」
「かしこまりました! オーダー入りますー! 紅茶ケーキセットとカフェオレクッキー!」
……康平たちには申し訳ないが、やはりメイドさんは女性に限る。男子が男物の衣装で接客をしていれば、何も問題ないはずなのだが……。そこがこの5組の喫茶店の面白いところか。
「憂ちゃん? 蓼学……どう?」
「――たのしい――」
恥ずかしそうに少しだけ顔を伏せ、はにかみ微笑む憂の姿に先輩たちは、慈しむように見詰めていたのだった。
……結局、会話は弾まなかった。時間目一杯の15分を掛けて、同じ時間を共有しただけだ。話したい事、聞きたい事は沢山あっただろう。
しかし、当人を目の前にし、した事と言えば、憂にケーキとクッキーを与えたくらいだった。
受付では、憂と千穂の『接客中』の札を見て、他の子が目当ての人が優先してクジを引き、入店していく事態が発生していた事を知ったのは、この接客が終わった後の話だった。
……その後も5組は多忙を極めた。そして、13時過ぎを以て、オーダーストップ。異常なお客さまの数に、手作りお菓子は底を突き、急遽仕入れた既製品を特価で放出し、急場を凌いだものの、まさかの飲料切れを引き起こしてしまったのである。
飲み物が無ければ、喫茶店の体裁を保てないのだ……。