142.0話 雄牛の突撃
―――10月8日(日)
少女2人を多数の双眸が追い掛けている。
1人はごく小さな少女だ。ひと目見ただけで柔らかさを感じさせる細い髪を、後ろで1つ結びにしている。
もう1人は、まずまずの高身長だ。動く度に耳に掛かる程度の髪が揺れている。
勇太に京之介、圭佑、康平と剛。
女子には千晶、梢枝、美優に愛。
8人は憂と佳穂の対決の様子を見守っている。
左足を軸にクルリを一回転すると、バランスを崩した。崩れたバランスを整えると、一度は抜かれた佳穂が再び正面に張り付く。
「惜しいね。右足の踏ん張りが効いてたら確実にゴールだったよ」
「……なんか、優の頃の動きに近づいてきてね?」
「元々、経験値たけーからなー」
今回は発言の順番に京之介、圭佑、勇太の3人も地下バスケコートに参上している。
もっとも、彼らは休憩中。今は憂と佳穂の1on1。コートの反対側では拓真と凌平が汗を流している。いや、凌平ばかりが滝のような汗を流している。
凌平は経験値が低かった。ハイレベルの彼らに少しでも追い付こうと、拓真を捕まえ、練習中だ。彼は憂への2度目の告白の機会を伺っている。バスケに於けるレベルアップは、憂に好印象を与えるとでも感じたのか、ヤケに本気になっているのだ。
しかし、ゴールは全く産まれていない。拓真は、勇太と共に守備の要だった。そう易々とシュートさえ許さない。
「次に何すればいいか……で、考え込む事が無くなったって感じなのかな?」
千晶の問いにバスケ経験者や現役たちは、それぞれ頷いた。球技大会の時、ピタリと硬直していた姿は今はもう、ほとんど見られていない。
左45°のゴール下。憂は姿勢を極端に低くし、右足を進め突破を図る……ように見せかけ、ピタリと止まった。思わず体を反応させてしまった佳穂が「うっそー!?」と、たたらを踏んだ時には、シュート体勢を構築させていた。
「上手い!」
京之介の声と同時に左手から放たれたボールは、1度、ボードに当たり、そのままゴールに吸い込まれていった。バンクショットと呼ばれる、ゴール後ろのボードを利用したショットである。
「スピードは無いんだけどなぁ……」と、勇太が呟くと「右が弱くてもあれだけ出来るんだなー。やっぱすげーよ」と圭佑は手放しで褒めた。
右側の踏ん張りの効きにくい憂は、自由な左手、左足を駆使し、こうやって得点に繋げている。繋げられるようになった。
攻守交代。佳穂はボールを突き、憂との接近を図る。
フリースローラインよりインサイドで守る憂との距離が、1mを切った頃だっただろうか、佳穂はいきなりシュート体勢に。憂が慌ててブロックの為に跳ぶ……が、如何せん高さが無い。ほぼフリーの状態で撃った佳穂のシュートは、見事に得点を積み重ねた。佳穂のシュート成功率も著しく向上しているのだ。
「――ずるい!」
……ずるくは無い。佳穂は身長差とジャンプ力の差を活かしただけに過ぎない。
憂はジャンプの時、左足を中心に踏み切り、左足から着地し、手を付くほどに大きく腰を落とす形となった。試行錯誤の結果、それが一番安定していると言う結論に至ったらしい。
「……守備に関しては致命的だね」
「ちっさいからなぁ……」
「昔、勇太と1on1してた時もあーやって身長差を見せ付けられて、『ずるい』言ってただろー」
「あはは! あったあった!!」
「変わってねーな!」
「ほら! 姫君がお怒りで戻ってきたよ!」
「……憂ちゃんは、もっと前で……守らないと……ね?」
何故だか佳穂が憂にアドバイスしていた。女子である佳穂に高さの差を見せ付けられた憂は涙目である。
尚、佳穂のアドバイスにより、彼女の足は止まってしまった。首を傾げている。その傾げた首はすぐに戻った。
「――うん。そうする――」
小学生の頃、優のバスケの才能の開花は早かった。それは、アドバイスを聞き、それを力に変える素直さを持ち合わせていた面があったからだろう。
「よっしゃ! きょうちゃん! いくぞ!」と圭佑が声を張り上げた。勇太も追従する。康平と梢枝も動いた。この集いの大目的はきょうちゃんの特訓なのである。憂の『バスケ!』はオマケのようなものだ。
彼らがコートに入ると憂の瞳がキラキラ輝く。戦友たちの成長が嬉しくて仕方が無いのだろう。
―――京之介のPGとしての猛特訓の成果を見せられた顧問は、その容赦無いぶん投げるようなパスに驚き、喜んだ。過去、いずれは自分の元を訪れていたであろう、今は亡き少年の姿を彷彿とさせたようだった。
顧問は、おそらく優と比較し、断言した。まだまだ状況判断が甘く、パスを読まれてしまう……と。優の真骨頂は今の京之介が出す、激しく鋭いパスでは無かった。変幻自在ながらも、正確なコントロール……。更には決断力、類稀な読みや予測……。彼は、まだまだ優には追い付けない。
だが、顧問は京之介に前向きな発言を与えた。
『君には大きな武器があります』
それは、優の持ち合わせていなかった3Pシューターとしての能力。周囲を活かす能力に関して言えば、京之介は自身が目標とする優に永遠に及ばないかも知れない。そこで、京之介の形を創れと諭したのだった―――
ゲーム形式、総勢10名での練習が始まった。
青のビブスは強そうだ。京之介を中心に拓真、勇太、圭佑の強烈布陣に混ざったのは美優。
相対する黄のビブスは、康平、梢枝、剛、愛、千晶。
若干、見劣る顔触れだが、已むを得まい。京之介のパスを受けられるものが味方に居なければ、彼と彼の仲間の特訓にはならない。必要なのは反復の練習なのだ。
ゾーンで守る黄チームを嘲笑うかのように、京之介の高く鋭いパスが最前線で守る千晶の頭を越え、勇太の頭上に伸ばした両手に納まる。いきなりゴール下、ローポストに。即座に剛と康平が自由にさせまいと体を寄せた。
「外――ちゅうい――!」
憂が声を上げた瞬間に、今度は勇太が外にボールを投げ下ろした。斜め角度45°、3Pラインの外側で、既にシュート体勢を整えていた美優の両の手の平に納まると、間髪入れず、両手から綺麗な弧を描き、ゴールリングの奥側で物音を立て、3点を刻んだ。
優から勇太、そして京之介へ……。優の世代の得点源の1つだったプレイだ。それを京之介から勇太、そして美優へ……。あっさりと実践してみせた。
「美優ちゃん、いいわ。男バス入らねー?」
「えっ!? いえ! そんな!」
「黄色――ちょっと――きて――」
圭佑の指摘は本気かも知れない。今さっきのゴールシーンでは、勇太からのパスだったが、美優も京之介の出す激しいパスに何とか対応出来始めている。
―――ところが、男子バスケ部内では、なかなかパスが通らない。ぶん投げるパスを弾いてしまう事が多分に見られている。かつて、優のパスに対応出来ない味方が多かった状況と同様だ。あの現象が再び見られるようになってしまっているのだ。
それでも、奇想天外な優のパスとは違い、どこか素直な京之介のパスは、随分とマシだ。1年内でゲームを行う時にチームを形成する、球技大会で5組と戦った藤中出身のでかい奴など、ハイレベルな選手はきっちりとボールを収めてくれている。
その藤校中等部出身の彼は、過去、敵意むき出しにしていた勇太と、今はツインタワーを形成する良き仲間となった。彼は勇太に優について話し掛け、そこから打ち解けていったのである。
『あいつが居て、俺らは蓼学に負けて……、今じゃ俺も蓼学で打倒・藤校を目指して……。不思議なもんだよ』
……縁とは廻り、繋がっていくものなのかも知れない―――
「――いい?」
「はいな! 目にもの……見せて! やりまっせ!」
「少し……賭けな気ぃ……しますけどねぇ……」
作戦を授けられた黄チームは再度、守備に付く。攻撃は青チームばかりだ。
京之介がセンターサークルからボールを運ぶ。3Pラインへと近づいていく……と、今回は最前線で守っていた梢枝が京之介との距離を一気に詰め、ボールを奪おうと激しいディフェンスを始めた。
「うわっ! わっ!」と京之介は慌てて両手でボールを保持してしまった。何とかピボットターン―――片足を接地したまま、もう片足でターンを行う。これならばダブルドリブルは取られない―――で、凌ぐと青のビブスの動きが慌ただしくなった。同時に、黄色が一斉に動いた。パスコースを潰しに掛かり、京之介にもう1人、康平が付いた。
「あっ!」
梢枝がボールを弾き、康平が奪取に成功した。
……ものの見事に憂の術中である。憂に観戦をしていた佳穂と凌平を含めた全員の視線が集中した。
「――やっぱり――」
憂は両手を広げ、首を横に振り、やれやれポーズを取っていたのだった。
彼はまだまだ優の領域には、ほど遠い……。
「――佳穂――! もっと――つめて!」
「――千晶――! ボール――せめて――!」
京之介のメニューが追加された。ボールキープ力の向上も課題となった。優は巧みなボールキープでパスの供給係としての能力を発揮していたのである。
「きょうちゃん――ボール――とめないで――」
ボールを突き続ける。これをやめるとディフェンスの餌食となる。京之介はPGの難しさに顔を顰めたのだった。
……だが、目は死んでいない。ギラギラとその闘争心を燃え滾らせていたのだった。
「憂……? ちょっと……いいか……?」
「――――?」
返事を待たず、圭佑はエレベータに向かっていった。
「うぅ――えれべーた――」
「ご一緒……ええですか?」
やはりエレベータと云う、密室空間で男子と一緒と云う状況がダメだったようだ。京之介のデートの後、試した。康平も拓真もダメだった。
それが女子と一緒だと大丈夫だった。
……何と複雑な心の奥底か。
圭佑、憂。更には梢枝でエレベータに乗り込んだ。そこで「撮ってもええですか?」と圭佑に囁いた。「何でもお見通しかよ。あんたは……」と呟いた後、「撮ってどうすんの?」と問い掛けた。
「……これがいざという時の武器になるんですえ?」と返答があった。「佳穂さんも撮らせてくれましたわぁ……」と追加すると嫌な顔をしながらも了承した。
1階の食堂。
ここが舞台となった。梢枝は無言でビデオカメラを回している。最近は減った。減ったが、1日に少なくとも30分は憂を追い、カメラは回されている。
「撮られながら、はいどうぞってされるときっついわ」とカメラ目線で圭佑は笑った。
「――なに――?」
何となく身構えた様子を見せる憂に、視線を合わせた。ゴクリと圭佑の喉が鳴る。
梢枝は何も言わない。じっとファインダーを覗き込んでいる。
「憂……は、さ……」
「――うん」
「男だった……って……」
「うん――」
柳眉が下がった。嫌いな話題なのだろう。
「知ってる……奴となら……」
憂は言葉を咀嚼し、飲み込む。待つ事が苦手な圭佑も今回ばかりは待った。
「――うん――」
「付き合える……?」
「――え?」
「俺……なんか……どう?」
「――え?」
言った言葉は理解しているはずだ。圭佑はそう思う。聞き取れなかった『え?』では無い、戸惑いの『え?』だと判断する。
「俺と……付き合おう?」
圭佑は呪いを振り払った。他の奴らに何を言われても構わない。憂を1人の女子と見て、結論を出した。
「――え? ――えぇ――? うぅ――」
憂の表情が次々に移ろい変わる。困惑が主体だ。歓喜、それに近い表情は、彼にとって残念ながら見られない。
「お試し……でさ……」
圭佑の明らかなトーンダウンに梢枝は思わず、クスリと笑った。圭佑が抗議の目を向けるが、梢枝はファインダー越しに圭佑と憂と捉えたままだった。
憂は、なかなか答えを出せなかった。そんな憂に圭佑は『お願い』をしなかった。お願いさえしていれば、或いは色良い返事が得られたかも知れない。だが、圭佑はそれを善しとしなかった。
「すこし――かんがえ――させて――?」
この言葉がこぼれ落ちた時、圭佑は小さな小さな溜息を吐いた。彼も当然、憂の千穂への想いを知っている。それでも彼は玉砕覚悟で動いた。
そして……憂に罵倒される可能性が一番の懸念材料だった。『変態!』と突き放されれば再起不能にまで陥るかもしれなかった。
……以前の……。千穂の事情を思い出す前の憂であれば、間違いなくそう言っていただろう。そう考えるとある意味、助かったのかも知れない。
「憂さん……? これを……」
梢枝はメモを手渡した。今回、圭佑に告白され、返事を保留した。忘れないよう、しっかりと考えるよう、メモに残したのだろう。
「んぅ――?」
昼食を済ませ、仮眠室での昼寝から目覚めると、いきなり千穂と目が合った。生徒会長とのデートは終わったらしい。
「憂! おはよ!」
……生徒会長に想いをぶち撒けた千穂は、佳穂に『あたしより元気だー!』と言わしめるほど、元気だった。
彼女に必要だったのは相談出来る相手では無かった。相談相手ならば愛に梢枝、親友2人と数多い。
本当に必要だったのは、適度な距離のある聞き役に徹してくれる人物だったのだろう。
その点、文乃は正に適任だった。
ごちゃごちゃに縺れていた千穂の考えを、千穂自身に語らせる事により、1本の糸のように真っ直ぐに矯正してくれたのかも知れない。
「千穂――! おはよ――!」
千穂の明るい挨拶に憂は釣られた。釣られ、見事な笑顔を咲かせたのだった。