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139.0話 自ら知り得た男

 


 ―――某カラオケ店内



 耳をつんざく大音量でテクノサウンドが流されている。マイクを握る者は居ない。そこには男が2人だけ。1人は三十路に突入したばかりと云った年齢か? 小太りで愛嬌のある顔立ちをしている。

 隣り合うもう1人は、40に近い歳だろう。眼鏡を掛け、髪はボサボサ。くたびれたポロシャツに一枚の薄い黒のジャンパーを羽織っている。下も薄汚れた薄いブルーのジーンズ……と、小汚い印象が伺えた。


「まさか、野郎2人でカラオケとは思わなかったですよ」


 耳打ちした小太りの男は憂の専属看護師の1人・伊藤 草太だ。意外にもファッションには気を使っているらしく、私服にも関わらず、高そうなブルーのドレスシャツに合わせ、小綺麗なグレーのジャケットを羽織っている。


 突然の電話だった。伊藤は、隣に座る男に呼び出されたのである。


「……歌わないんすか?」


 伊藤は気付いている。わざわざ、2人切りになれ、音を掻き消すカラオケを隣の男が選択した理由を。

 現にテーブルを挟み、向かい合うように座席が配置されているにも関わらず、男は隣に座った。曲も同じ曲を大量に入れたはいいが、一向にマイクに触れる気配は無い。


「少し、聞きたい事があって……ね……」


「聞きたい事っすか。オレにもありますよ」


 男は気勢を削がれた様子で曖昧に笑った。伊藤は脳内で設定を再確認している最中だろう。何度も何度も専属以外の同僚や、辞めていった者たちに話した設定だ。今更、失敗などしない自負があるのか、余裕が感じられる。


「高山さんは今、どうされてるんです?」


「……あれから一年以上か……。以前の職場に戻ったけど、長続きしなくてね。一ヶ月も持たず、辞めてそのまま……」


「……そっすか。あの……失礼なのは分かってますが、先立つものは……?」


「あそこで得た高収入はとっくに無くなり、貯金もそろそろ尽きそうだよ。いい加減なんとかしないと……とは、思ってる。でももう、看護の世界には戻る自信が無い……。裕香(山崎くん)(五十嵐)くん。女性も耐えていたと言うのに……」


(そりゃ……まぁ、気持ちは解るっすよ。オレだってあの高収入が無けりゃ、わざわざ選ばんかったっす)


「僕は彼を見捨ててしまった……」


 一年以上前の出来事を隣の男は悔い、顔を両手で覆ってしまった。


「五十嵐は葛城になったんすよ」


 高山と呼ばれた男は、かつての同僚の言葉にゆっくりと顔を上げた。1年と少し前、同時に蓼園総合に転職した恵の結婚に驚いたような顔を見せ……、そして何かを悟った顔に切り替わった。何の変哲も無い、ただ誠実をその目に宿す瞳だ。





 ―――『高山さんは真面目過ぎた』


 伊藤は辞めた高山を以前、こう称した。


 事故直後の姿を伊藤は知らない。その後に最上階に転属したからだ。だが、島井は過去にこう語った。残った看護師は僅か、4人となっていた。勤務ローテーションさえ覚束ない頃だったと記憶している。


『無理に命を繋ぎ止めた結果……です。今でもこの生命維持装置を取り外せと誰かが囁くんです。きっと自然の摂理を……(ことわり)を捻じ曲げた我々への罰……。この子には申し訳ない事をした。この子はその罰によって、今もこうして……』


 その時、伊藤は驚いた記憶がある。島井の決断力については裕香から、よく聞かされていた。救急救命室に君臨し、無理と判断した時には蘇生処置を施す事なく、容赦なく切り捨てたと言う。

 優の時には、それを捻じ曲げた。事故に関与した総帥の存在がそうさせたのだと推測している。




 心臓が……或いは、脳が動いていれば、それで良い……と。




 その時、島井はおそらく狂人へと変貌していた。延命。その為だけに、不必要な処置を施したに違いない。

 その行為の結果として、与えられた代償……。

 この実直な男は、溜め込んだ。溜め込んだが故に最後の落伍者となった。


 だからこそ、『真面目過ぎた』のだ―――





「……そうか。目出度(めでた)いな」


 口元を緩めたかと思うと、すぐに引き締めた。


「蓼園学園の特集……観たよ」


 内心では、来た! ……と、思ったはずだ。だが、伊藤の表情は変わらない。ポーカーフェイスを貫いている。


「あぁ……。オレも観ましたよ。プロパガンダ番組でしたね」


「最後の女の子……。立花 憂……らしいね」


「はい。()のVIPルームの主っすよ。総帥さんは今も憂さんの為にあの部屋を借り切ってます」


「あの子は……誰なのかな?」


「……はい? 言っている意味が分かりません」


 伊藤はいつものようにすっとぼける。優と憂の共通点を疑う者は院内でも多い。だが、確信(核心)に至る者は存在しない。優と憂の姿形には絶対的の差異があり、その核心への道を閉ざしてくれている。


「今、伊藤くんはあの部屋の主だと……」


「何か勘違いをしてるんじゃないっすかね? あの子の旧姓は篠本……、篠本 憂です。立花さんのご両親は、優くんの死をなかなか受け入れられなかった。そこで総帥はどこから見付けてきたのか、同い年、同じ日に産まれた篠本さんをVIPルームに運び入れた。『憂』と言う名前も本当かどうか……。それどころか年齢、誕生日さえ本当の物か判らないっす」


 伊藤は言葉を続けようとし、中止した。流れっぱなしの曲が終わったのだ。伊藤は液晶リモコンをポンポンとやや太い指で操作すると、再び同じ曲が流れ始めた。何度目かの同じ曲だ。


「運び入れられた時に憂さんは意識不明でした。もしかしたらその意識不明だって、意識不明にされた(・・・)のかも知れないっす。彼女は最上階勤務してたオレらにも謎だらけなんすよ。詳しい事を知っているのは総帥さんとその仲間……、もしかしたら院長辺りも知ってるかもっすけど」


 総帥の名前が出ると、真実味に拍車が掛かる。淀み1つ無い物言いに高山の意思が揺らぐ。


「……優くんは……本当に亡くなったのか?」


「えぇ……。間違いなく。この目で……」


 高山 信吾は伊藤の目を捉えて離さない。1曲終わるまで無言で男2人、見詰め合った。



 やがて疾走感のある電子音が途絶えると、伊藤はゆっくりと視線を外し、リモコンを手に取り、何度目かの液晶のタップを行なった。


 また、機器が指示に従い、スピーカが震え、テクノのメロディを奏で始めた……瞬間だった。


「そうか。生きてるのか……。良かった……。本当に……良かった……」


「……は?」


 今まで何を聞いていたのか!?

 伊藤はこう思ったに違いない。しかし、またも顔を覆ってしまった高山を横に置き、何1つ言えなかった。


 高山 信吾の言葉は真実を語っていたのだから。



 高山は眼鏡を外し、手の平で顔を拭うと会話を再開させた。


「五十嵐……いや、えっと……」


「……葛城っす」


「そう。葛城さんの結婚式。最後だけ覗かせて貰ったんだ。実は、その時には確信してたんだよ。あの子こそ立花 優くんの変貌した姿だ……ってね。命をあそこまで繋いだだけで奇跡だったんだ。最上階(あそこ)で奇跡を見た。自分はリタイアしたけど……、その後に、もう1度、奇跡が起きたとしても驚かない。一歩、離れて見る事が出来たからこそ、そう思えるんだけどね……」


「高山さん……」


 伊藤は言葉を探す。この危機を乗り切る方法を探す。魔法の言葉を探そうと足掻く。

 それを奇跡の直前で苦悩し、『専属』3名に必死に謝り、涙を見せた高山の姿が邪魔をする。苦悩し、辞めていき、今なお苦しむ高山が知り得た真実を肯定したい気持ちが鎌首を(もた)げる。


「全部……。教えてくれるかい? 教えてくれないのなら、病院を糾弾してしまうかも知れない。もう……お金も尽きそうだからね。あそこで行われた事を売ってもいい」


 誠実だった高山の目が笑っている。伊藤はその奥の感情を探る。



 ……また曲が途切れた瞬間だった。


「……冗談だよ。でも、知りたいんだ。頼む。見捨ててしまった自分だけど……、生存だけを知りたい。それを知れば、前を向けるんだ……」


 伊藤は理解した。先程の笑っていた双眸は、性格上、出来もしない脅迫をしてみた事による自嘲だった。

 小太りの彼はリモコンの液晶で違う操作をすると別のタイトルが表示された。アニメソングだった。


「生きてるっす。優くんは憂さんとなって」


 前奏の内に真実を告げると、魔法少女のPVをバックに表示される字幕を追い、熱唱し始めたのだった。











 同時刻、憂たちは……はしゃいでいた。


「わっ! 憂! 手加減! してよ!」と千穂の声が響いた。憂のノールックパスは千穂の指先を掠めていった。慣れない者はゆったりとしたボールでも捕りにくい。憂は困ったとばかりに頭をポリポリ掻き、微笑んだ。手加減していたのだろう。


 憂の家にほど近い場所に愛の車は乗り入れた。なかなか大きな平屋の建物だった。

 制服は着替えている。全員が運動し易い格好だ。憂は0分袖(ノースリーブ)の白いシャツ、ショートパンツ上下に黒いスパッツを合わせている。黄色いビブス付きだ。


 女子たち、千穂も佳穂も千晶も梢枝も愛も同じような格好をしている。


 男子は康平と拓真のみだ。女子隊同様、用意されていた(・・・・・)ハーフパンツとランニング風のシャツに身を包んでいる。


 土地や建物の名義こそ蓼園だが、これら全てが、かの男からの贈り物である。ちなみに一面のバスケコートは、地下に作られている。ドリブル音に気を使う必要も無い。無論、大声で騒いでも問題ない。


 一階には、食堂や更衣室、シャワールームに仮眠室まで完備されている。

 正に楽しくバスケをする為だけに作られた施設なのである。



 現在は4人ずつに分かれ、ミニゲームの最中だ。



 ―――この施設のガレージに車を停めると、憂はでっかいクエスチョンマークを浮かべた。憂だけでは無い。愛を除く全員だった。みんなが訳の分からぬまま、エレベーターに乗り込み、地下へと降りた。その時はまだ制服のままだった。


 エレベーターが開いた瞬間の憂の様子は、簡単に想像出来るだろう。敢えて特筆はしない。

 興奮冷めない憂に「バスケ……したい?」と聞いたのは姉だ。即座に返事した憂に笑うと、男女それぞれに作られた更衣室へと案内され、そこにあったユニフォームのような動き易い衣装にチェンジし、現在へと至っている―――



 憂は手渡しでボールを受けると、ボールを利き手では無い左手で器用に突き、ボールを前線へと運んでいく。ゾーンディフェンスに近づくと、身を屈め真っ直ぐにゴールに近づいていった。憂のドリブルは厄介だ。接触はなるべく避けたい上に、物凄く姿勢が低い……と言うか、元々低い。


 前方のディフェンス2人、梢枝と千晶が憂の進路を絶つべく、憂の低さに対応するため腰を屈めた瞬間だった。2人の間をひょいとボールが飛んでいった。誰も居ない所に……と、何人かが思った瞬間だった。


 ボールは、女子2人がディフェンスに付いた瞬間、突如ダッシュし始めていた拓真の手に収まり、足を止め、そのままクルリと一回転しバンクショットを決めた。


「ないっしゅ――たくま――!」


「ナイスパスだ。憂」


 2人はハイタッチを交わす……とは、言っても身長差の為、憂だけがハイタッチ状態だ。

 笑い合う2人に面白くないのはグッパーにより、別チームとなってしまった康平と梢枝だ。


 康平は素早くボールを回収し、エンドラインからボールを投げた。


「あ――」

「……あぁ」


 油断していた2人は諦めモードだ。遊び感覚なので仕方が無い。

 既に梢枝は走り出している。彼女の手に収まり、華麗なレイアップシュートを決めるだろう……と、拓真が予感した瞬間だった。弧を描き、落下してきたボールは受け手が女子の梢枝の為か、手加減されていた。


 そのボールを健康的な褐色の手が弾き、ルーズボールは白く2番目に小さい手に収まった。佳穂と千穂だ。

 千穂はそのままボールを突き、ハーフラインを跨いでいく。きょうちゃんへの特訓開始以降、随分と様になってきているドリブルだ。千晶もまた成長を見せている。


 それは憂も同様だ。優時代に蓄積された経験を活かし、早く引き出す事が可能となってきている。千穂へのノールックパスも拓真へのアシストも……。そのようなシーンは幾度となく見られるようになっている。脳の劇的な改善があったのか、それとも日頃の生活リハビリの効果かは結論が出ない。だが、ある時期を境に動きに変化が見られた為、前者だと愛は予想している。あくまで『バスケに関して』……なのが不思議なところだ。


 憂はトテトテとフリースローライン辺りまで戻り、愛のディフェンスを背負うと千穂からパスを受けた。両手で大切そうに受け止めた。

 ……と思えば、次の瞬間、フリーの千穂にリターンパスである。


「千穂――シュート!」


 戻ってきた梢枝のブロックは間に合わない。3Pラインやや中ほど、45度から放たれた両手のシュートは真っ直ぐにゴールを目掛けて飛んでいった。


 ガン! ……っと、リングに弾かれたボールは競り合った康平を物ともせず、拓真の手に収まる。ヒュウ……と、風を切る鋭いパスがバシッと、ゴール90度、3Pライン外に陣取っていた佳穂の手に納まった。


 ふぅ……と、小さく口笛を吹くように息を吐くと、千穂と同じ、ボースハンドシュートでゴールを狙った。

 ボールは狙い違わず、リングに掠る事無く、ゴールに吸い込まれた。今の1本を見ただけでは、バスケ部顔負けの精度だった。佳穂の笑顔が弾け、味方に波及する。




「皆さん、巧くなりはったわぁ……」


 結局、ミニゲームは拓真を擁する憂、千穂、佳穂の黄チームの完勝だった。週に1,2度のきょうちゃん特訓だが、その中身は非常に濃い。佳穂も千晶も……、千穂でさえ、いつの間にか急成長を遂げていたのである。



 ピピピピピ! ゴール下に座り込み、休憩を開始した頃合いを見計らったように電子音が鳴り響いた。置かれたベンチの下に置いてあるスマホだ。全員のスマホが一斉に鳴り響いている。おそらく更衣室に置いたままの憂のタブレットも警報音を発しているだろう。


 それは例の名無しアプリの緊急メッセージ音だ。


 護衛2人は我先にと駆け出す。憂を置いて行かない為か、拓真と千穂、千晶は動かず、残りの者はスマホに駆け寄った。



【1人、バレました。高山 信吾さん。専属の1歩手前まで来ていた人です。対策を講じる必要ありの案件です】Ns.伊藤



 空気が凍てついた。声に出すのは憚られたのか、佳穂が千穂たちの下に走り、その緊急で発せられたメッセージを見せた。


 その名前は学生たちはもちろん、愛さえも聞き憶えの無い名前だった。



 ……この日、剛の内定が早々に降りたにも関わらず、それどころでは無くなってしまったのである。

 因みに就職先は蓼園グループの中核を成す企業の1つであった。本社からも声が掛かっていたらしいが、そちらは辞退してしまったらしい。




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