136.0話 恵をエスコート
―――9月24日(日)
生憎の空模様である。
スピーチでは『雨降って地固まる』と言う言葉が必ず挿入されるであろう。
披露宴会場は憂のバースデーパーティーに使われた会場だ。あの時とは異なり、薄闇の中、円形のテーブルが規律正しく整列している。
「――あれ?」
……見覚えがあると云った様子だ。記憶能力に難があるのは脳の状態に拠るものなので、大目に見てやって欲しい。
この日の衣装は3人揃って同色。全員が明るさを感じさせる黒のドレスを身に纏っている。よく見れば、憂と千穂のドレスは同じデザインだ。ワンピースのドレスを腰の位置でベルトのように、リボンが一周している。その結び目が憂は前、千穂が後ろなのはせめてもの個性の主張なのかも知れない。
派手さの無い、同一のデザインには理由がある。
本日の主役である憂の専属看護師の1人、五十嵐 恵はこの日、葛城 恵となった。
その主役に総帥は以前、プレゼントを申し出た。その時の恵の回答は憂の出席だった。すると、トントン拍子に話は進み、恵の希望通りの憂の衣装が完成したのだ。だが、千穂の出席が決まった時には、1週間も残されていなかった。よって、憂のドレスのデザインをそのままに急遽、仕立てられたのである。
もちろん愛の衣装も総帥から贈られた。彼女の衣装はJK2人のワンピースドレスとは異なり、胸元が開いた大人のドレスだ。
「憂ちゃん見っけ! 可愛い!!」
自分たちの席に到着する前に背後から声を掛けられ、振り向く事も出来ず固まった。未だに時折、目にする事がある。いい加減、慣れて頂きたい。
「あ。ごめん。愛さんも千穂さんもこんにちは! 席、こっちですよー」
明るい声の主は専属としての主役の同僚、山崎 裕香だった。三十路前の裕香は年下……愛と同い年の恵の結婚に焦っているらしい。普段は身だしなみに無頓着だが、この日ばかりは流石に小綺麗に整えられている。有り体に言えば、綺麗なお姉さんと化していた。
クエスチョンマークを飛ばしながら、裕香にゆっくりと手を引かれていた憂の頭上の記号が、エクスクラメーションマークに切り替わった。感嘆符とも言う。
「ゆうか――さん――」
仕事の時にはしていない……と言うか、滅多にしない化粧で化けているせいで誰か判っていなかったらしい。それなのに手を引かれて付いていった事に危険を感じてしまう。
「そんな……前みたいに……呼び捨てで」
……などと言っている間にテーブルに到着したようだ。そこには伊藤 草太の姿があった。
「こんにちは」
「こんにちはー」
挨拶されて顔を上げた。彼はスマホを高速で操っていた。ソシャゲでもしていたのだろう。
「あ。愛さん、千穂さん。憂さんもどうも」
「こんにちは――」
おそらく憂への配慮であろう。たった5人の席だった……と思ったが、ふいに披露宴会場が明るくなると全貌が明らかになった。
20ほどの円卓が並んでいた。そこには4~6の椅子が設置されている。今はまだ疎らだが、最終的にゲストは100名ほどになるだろう。そこそこ大きめな披露宴と云った処か。
憂たちのテーブルは出入り口から遠目の中ほどにあった。通例通りならば、ここより後ろは親族、前方は上司等が座るはずだ。現に最前列の席には院長の川谷、主治医の島井、鈴木看護部長の姿も見られた。
その島井が憂たちに気付き、手を振ると愛と千穂は会釈を。憂は小さく手を振った。
「わぁ……あの子、可愛い……」
「あの子って、一時期最上階に入った……」
「そうだね。元気になったんだ」
どうやら、まだ数少ないゲストたちに見付かってしまったようだ。どこに行っても、大人しく座っていても目立つ憂なのである。
恵の専属以外の同僚であろう女性たちは、旧姓・篠本だった憂の事を言っている。とある家庭に貰われ『立花』となった憂。この設定は院内でも生きており、その憂は検査やリバビリの為、度々最上階以外にも姿を見せていたのである。ひと目見た時のインパクトが強く、脳裏に焼き付いているのだろう。
ゲストが揃い、披露宴開始までの間、動物園の小動物よろしく、鑑賞された憂なのであった。
『それでは新郎新婦の入場です!』
暗転。スポットライトに照らされ、純白のウェディングドレスを身に纏った恵と、スラリと背の高い男が姿を現すと、惜しみない拍手が温かいシャワーのように浴びせられた。
「わぁ……。恵さん、キレイ……」
恍惚として呟いた千穂の胸元には、白く輝く無数の球体が並んでいる。16歳の誕生日に父と亡き母から贈られたネックレスだ。左手の中指と耳元にもパールがその存在を主張している。リングは薬指に嵌めようとしたが、サイズが合わなかった。母は160cmほどあったらしい。身長差によるサイズの違いか、体重差によるものかは判らない。
「――うん。きれい――」
「だねー」
「恵……いいなぁ……」
「千穂も――だけど――」
「「「………………」」」
愛も裕香も……言われた千穂も口を噤んでしまった。伊藤のみが肩を震わせ、笑いを堪えていた。拍手の手を止めていないのは彼なりの後輩に対する想いなのだろう。
「恵! 綺麗だよー!」
「お前! こんな可愛い人捕まえやがって!!」
「恵ー! 次はあたしの番だからね!」
当初、親族席を抜ける時には、温かい眼差しと優しい言葉だったが、中ほどの友人たちのテーブルの間を通る時には、友人たちなりの祝福の言葉が投げ掛けられた。そんな中、ゆっくりゆっくり歩みを進める恵は正に、本日の主役なのであった。
続いて、主役たちをVTRに載せた紹介が行われた。
新郎は営業の仕事をしているようだ。ここに居ないであろう、同僚たちや上司たちの声が多数、収録されていた。社内でなかなか人気者らしい。
次の新婦の紹介VTRは多くの涙を誘った。本日は勤務中であろう、同僚の看護師たちの祝辞の後のシーンだった。続々と子どもたちが映し出された。
『五十嵐さん! ……じゃなくなるんでしたね。恵さん! ご結婚、おめでとうございます!』と語った中学生くらいの男子。
『お姉ちゃん、おめでとうございます』と弾ける笑顔を見せた、車椅子の少女。
『えっとね……。その……おめでと』と、はにかんだ8歳くらいのベッドに寝たまま、鼻に管の入った女の子には『恵お姉さんは好き?』と質問があった。
少女は恥ずかしそうに『うん。やさしいからすき』と布団で顔を覆ってしまったのだった。
恵は憂の専属だ。それは今も変わりない。だが、憂が退院した現在では、小児科フロアのヘルプに入っているらしかった。
子どもたちのお祝いの言葉にいきなり涙を見せてしまった恵なのだった。
きっと退院の見込みの無い子の姿もあったのだろう。そんな子どもたちにとって、この収録は一世一代の晴れ舞台だったのかも知れない。
その後、『はじめてのきょうどうさぎょう』として、生ケーキへの入刀、院長・川谷の祝辞、新郎側の上司の乾杯の音頭……と、問題なく進行し、いよいよ食事と共に歓談の時間となった。
少し離れた新郎新婦の席では、友人たちが2人を囲む。新郎も新婦も苦笑いしながら注がれたビールをちょびちょびと飲んでいく。友人たちにいじられているのだろう。
両家の親族たちも活動開始だ。両家の両親と思しき2組の男女が先頭へと向かっていった。
憂の席からは誰も立たなかった。
愛が『いいの?』と目線で裕香に訴えかけると「今日は憂ちゃんの近くから余り離れないように……って、花嫁さまからのご指示なんですよー」と笑ってみせた。伊藤も同様らしい。
そう言われ、首を巡らせると和洋折衷なメニューに舌鼓を打ち、だらしなく頬を緩める憂と椅子ごと動かし、甲斐甲斐しくお世話する千穂の姿があった。その千穂は、ここまで席を立っていない。どうやら出血は一段落ついたようだ。本人も道中、『たいぶ楽になったんですよ』と困ったように笑みを見せていたのである。
「まぁ……なんて可愛らしいお2人……」
「本当です。驚きました」
先にテーブルを訪ねてきたのは、新郎の両親だった。お酌回りは大変な仕事だ。
「恵さんのご友人……?」
不思議に感じるのは無理もない。明らかに中高生だ。1人は小学生にさえ見える。千穂に世話を焼かれている現在は、本当に小学生と思われているかも知れない。
「はい。2人とも入院時に恵さんのお世話になっておりまして、仲良くさせて頂いております」
「お世話になりました……」
嘘は付いていない。愛はこの台詞を用意していたようだ。流石である。
「まぁ……。入院を……」
2人は2人に悲哀の眼差しを向けた後、「恵さんは慕われているんですね」と取り繕った。新郎の父、見事である。どうやら恵の株の上昇にもひと役買ったようだ。
宴は続き、いよいよ憂と千穂の出番となった。
お色直しの為の新婦の退場をエスコートするのだ。恵たっての希望である。元々は憂と愛の予定だったが、千穂の出席が決まると変更されたのである。
「お願いします」と、スタッフの1人が千穂に声を掛けると、会場内前方へ誘導されるままに付いていく。
憂の歩みは遅い。歩みを進める中、司会が2人の紹介を始めた。千穂が右手を引いて歩き、憂は右足を軽く引きずり歩く姿は、2人を知らないゲストたちに感動やら色々なものを与えたようだ。恵の紹介時のVTRも相まって、演出効果抜群である。
2人は誘導された恵の傍で頭を垂れる。いや、千穂が頭を下げ、見よう見まねで追従したのだ。
『こちらの2人の少女は蓼園総合病院で恵さんと出会い、退院された今なお、交流を続けております。恵さん自身、彼女たちへの思い入れが強く、新婦本人の希望により、エスコート役を快く引き受けて頂きました。彼女たちはご覧の通りの美しさです……が、目立つ事を嫌うとの事です。どうか、彼女たちの姿をSNSに……なんて言う事は無いようによろしくお願いします。あっ、今撮ってご自身でご鑑賞される分には問題無いそうですので、お写真は大丈夫ですよ!』
笑いを誘う許可が出ると多くのフラッシュが焚かれた。TVで放送するとすれば【強い光の点滅にご注意下さい】とテロップが表示されていた事だろう。この披露宴に於いて、ケーキ入刀の次にフラッシュが集中した瞬間は、その直後に訪れた。
千穂が恥ずかしそうに憂に何やら耳打ちすると、憂が儚げな笑みを見せ、2人笑いあった。その時こそ、無数の光に照らされた瞬刻だった。
笑顔の少女2人が笑顔の花嫁の手を引き、退場していく姿は絵になった。手拍子の中、黒のドレスの美少女2人と白のウェディングドレスの恵。それはおとぎ話の世界からくり抜いたようなワンシーンだった。
この時、小さな頃に憧れたお姫さまになれた。そう思わせるだけの無邪気な笑顔を新婦は見せていたのだった。
大きな扉の前で3人は振り返った。恵と千穂が深くお辞儀するのを見て、憂も従った。扉がスタッフにより開け放たれ、退場する際には、その背中に惜しむことのない拍手が捧げられた。
「憂さん! 千穂ちゃん! ありがとう! ほんっとにありがとっ!!」
厚い扉が閉められると、すぐに恵は2人を抱き寄せた。興奮状態であり、配慮も何もない物言いだったが、千穂はともかく憂も大人しく抱っこされた。
……白だからだろうか?
「次はカクテルドレスだよ! 楽しみにしてくれると嬉しいな!」
そう言って、控室に消えていく後ろ姿を見送りつつ、「ドレス……楽しみに……って」と、通訳する千穂なのであった。
それからすぐ。スタッフに会場への再入場を促されている最中、愛が千穂の荷物を持ち、会場から出てきた。
「お疲れ様! お手洗い……2人とも」
……相変わらず、よく気の回る姉なのだった。
3人揃って披露宴会場に戻ると、様相は一転していた。
席になかなか戻れない。多くの親族に笑いかけられた。中には『親戚の子じゃなくて君たちをエスコートに選んだのは恵のファインプレーだったよー』なんて意見も飛び出した。気持ちは解る。
親族席を突破し、席に戻ると新郎新婦の友人たちに囲まれた。
「可愛かったよー! 私の時にもお願いしたいくらい!」
「だよねー! 憂ちゃん、元気になって良かったー! 私が一度だけ憂ちゃん見た時、車椅子だったよー」
「憂ちゃんは院内でも話題になったけど、千穂ちゃんは?」
「こら! そんな事、聞かないの!」
「伊藤くんも裕香も羨ましい! あの子の流れで……専属かぁ……」
「馬鹿! ……立花さんだよ。憂ちゃんのご家族も……」
最後の台詞は不用意な発言をした者への耳打ちだ。新婦側はこんなところだ。
……優もまた、ある意味、院内で一時期話題を掻っ攫ったのだが、これはまた別の機会に。
新郎サイドは当然ながら男性中心だ。
「憂ちゃんって、TVで後ろ姿映ったよね?」
「あー! それ!! SNSで一瞬、トレンド入りしたよな!!」
「そう! その後の火消しまで知ってるわ! お前ら、今日の画像上げんなよ!?」
「やらねーよ! 目立ちたくないんだろ? 安心していいからね。俺たち、監視し合うからさー」
「この子、目立ちたくないんです……」
「本当にお願いします……」
愛と千穂が立ち上がり、お願いの為、頭を下げると男性陣は慌てて、頭を上げさせた。この分なら再拡散の危険は低そうである。
「皆さん。新郎さん寂しそうですよ」
伊藤が急に言った。視線が会場前方に集中し「あ。やべ」「忘れてた……」など、散っていった。見事なタイミングである。伊藤はそんな新郎の友人たちに付いていき、声を掛けた。憂の背後の存在をチラつかせ、拡散行為に釘を刺しに行ったのである。当初からの予定通りの動きだ。
裕香は新婦サイドに釘を刺す。こちら側にとっては、憂の背後の人物の存在は暗黙の了解だ。簡単だろう。
そして、丁度良く始まった祝電披露の最初の祝電で会場内のゲストたちのド肝は抜かれた。
『めでたい日だ。2人の幸せが永久に褪せることなく続く事を願っている。株式会社蓼園商会前会長・蓼園 肇さま』
その名を聞き、伊藤の刺した釘が奥深くまで刺さった事だろう。
そして平和が訪れた。それを見て、病院関係上層部が3人に話し掛け談笑に興じた。
そんな中、「総帥は面白い男です。彼に任せれば全てが上手く行くはずですよ」と愛に語ったのは、珍しく自身の意見を述べた川谷だった。かつて天才脳外科医として名を馳せた名医中の名医。
院長のその言葉に一瞬、眉間に皺を寄せたのは主治医なのだった。
「看護部長ぉー? どうしましたー?」
慈愛の人、ナイチンゲールを敬愛し、彼女の教えを頑なに守る鈴木にそう言って話し掛けたのは、裕香だった。
鈴木看護部長の慈しみの表情が崩れていたのだ。憂を違う表情で見詰めていたのである。
彼女は「え? どうもしませんよ?」と、すぐに慈愛の瞳を取り戻した。
それから先は恙無く進行した。気合の入った余興を楽しむエメラルドグリーンのカクテルドレス姿の恵はウェディングドレス姿と遜色無く輝いていた。
ドレスに負けること無く、幸せを一面に纏っていた。両親への手紙の朗読では散々、言葉に詰まり、夫の助けを借りた。
両親への花束贈呈では渡す相手を間違え、笑いを誘った。
両家の父親からの謝辞では、両家ともに格好を付け、そのスピーチの紙を懐に仕舞い、どちらの父も言葉を忘れるハプニングがあった。
新郎からの謝辞では、メモを1度たりとも取り出す事無く、営業仕込みの軽快トークで見事なまでに締めた。
晴れやかに退場した後には、やり切った2人のお見送り。千穂も憂も「ありがとう」と言う言葉を添えた。優は憂となっての初めての結婚式。親戚の非常に少ない千穂もまた、初の体験だった。千穂は何度も涙ぐみ、憂もまた感化されていたのだった。
「終わったねー。お腹すかない? ちゃっちゃと着替えて何か食べて行こ?」
結婚式の直後、無性に腹が減っている現象に遭遇した事は無いだろうか? 特に今回の3人の場合、余り食べる暇が無かった。
だからこその愛の提案に千穂が同意しようとした時だった。
「そう仰られると思い、このホテル内で予約を済ませております。肇にお付き合い頂けますか?」
……秘書に伴われ、いつぞやの『肉屋』に向かう黒ドレス3人組なのであった。
―――その背中を場所に似つかわしくない小汚い男が、遠くから眼鏡を光らせ、見送っていた。