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132.0話 千穂の事:断固拒否

 


「それで、いきなり立ち上がったと思ったら……」


 おばちゃまの行動力は、憂の護衛の行動速度を上回った。千穂の意識レベルを把握するとストラップやデコレーションでごちゃごちゃしたスマホを取り出し、保健医に連絡を入れた。男性保健医の到着もまた迅速だった。


 走ってきた保健医に、佳穂と千晶は状況を説明していったのである。


「……ん。貧血だね……」


 下瞼を下げ、その色を確認した保健医は断言した。緊急事態にピンと張り詰めていた空気が弛緩した。ひと安心……と、云った処だろう。

 個性派揃いの5組の中でも千穂は、その在り方で一目置かれる存在となっている。


 …………??


 クラスメイトが授業中に倒れれば、当たり前……か? よく判らない。


「事務室に連絡し、救急車の手配を」と千穂の様子を診つつ、おばちゃまに指示を飛ばした。


 ―――ざわり。


 その言葉に否が応でも、薄れた緊張感が密度を高める。そんな中、歩み出たのは和風の印象を隠さない梢枝だ。


「必要ありません。すぐに参ります」

「榊さん……?」


 保健医は数枚のハンドタオルを枕に眠る千穂から、視線をシフトした。


「君がそう言うのなら任せます。あの時の先生ですか?」


 いつの間にやら面識があるようだ。足裏に針が刺さったその後、梢枝が接触を図ったのだろう。現に無痛であった件は今も有耶無耶のままとなっている。


「はい。その通りです。佳穂さん、千晶さん……そして、皆さん。憂さんの事、くれぐれもよろしゅうお願いしますえ?」


「ちょいとすんません」

「あ……あぁ……」


 康平が保健医と入れ替わった。千穂の弛緩しきった体に触れようとし、顔を上げた。


「憂さん?」


 千穂を挟んだ逆隣でペタンと力無く座り込み、ただただ千穂の姿を見詰め、ポロポロと涙を零していた憂も顔を上げ、康平と視線を混じ合わせた。


「だいじょうぶや。まかしとき?」


「――うん。おねがい――します――」


「この子……。憂ちゃんも転倒したんだね?」


「……はい」


「ちょっと失礼……」


 保健医が憂の頭部への触診を開始する横で、康平に軽々と横抱きに抱え上げられた千穂は、憂の身辺警護2人と共に、家庭科室から姿を消したのであった。







「………………??」


「そのままでええです……」


 千穂は車中で目覚めた。

 千穂は貧血を起こした状態で急に立ち上がり、起立性の脳虚血状態に陥った。一過性の物で心配は要らない……が、その原因が問題だ。

 どこで仕入れた物か不明だが、康平は運転するまま、梢枝にそう説明し終わっている。


 梢枝は目を醒ました千穂を驚かせないよう、微笑みに努め、優しく声を掛けた。飛び起きれば一過性の脳虚血発作を再発させかねない。


「ん……」


 千穂は梢枝に頭を撫でられ、心地よさそうに声を漏らした。目を醒ました時の姿勢のまま、3つ年上の女性の柔らかな大腿に頭部を委ねている。


「……はじめて……ですか?」


 女性(・・)の膝枕の事だ。千穂は、しばらく答えることなく、梢枝の優しい手に身を任せた。

 膝枕する年長者は咎める事も無く、微笑みを湛えたまま、ふわりとした髪の感触を楽しんでいる。



「……はい。たぶん……」


 梢枝の白いプリーツスカートの感触を楽しむように、そっと頬を押し付けた。


「よし。着いたよ」


 康平の到着の知らせを聞いてしばらく。ゆっくりと停車される感覚の後、車のドアが開いた。開いた憂の専属看護師・恵と、千穂の目線がばっちりとぶつかった。


「あ。意識戻ったんですね!」


「ホントに? じゃあ、こっちから!」


 今度は裕香の声が聞こえた。次の瞬間、千穂の足元側のドアが開かれた。

 梢枝が千穂のスカートの裾を軽く引っ張り、パンツをガードしなければ、ばっちり見られていたのかも知れない。


「伊藤さん! ストレッチャー要らない! 車椅子取ってきて下さい!」


「……うい」


 伊藤は後輩の指示により、無表情を決め込み、小太りの体でストレッチャーを押しつつ、院内に駆け込んで行ったのだった。


「千穂さん? ゆっくり起きてみよっか?」


「はい……」


 裕香の手を借り、梢枝が背中を支え、ゆっくりと体を起こす……と、裕香がにっこりと笑みを見せた。


「えらいね。じゃあ、今度はこっち向いて?」


 車から足を出した。横になっていた関係か、ふくらはぎ辺りから先が出てきただけだ。千穂はずりずりとお尻を動かし、両足を降ろした。

 すると図ったようなタイミングで、伊藤が車椅子を押し、戻ってきた。


「じゃあ、立つよ?」


 千穂は裕香に、二の腕を支えられ静かに立ち上がる。車中からは梢枝の手が千穂の背中に添えられていた。顔色は悪いが、しっかりと立ち上がった。立ち上がり、数歩進むと、背後から車椅子が差し込まれた。


「座ろ?」


「……はい」


 ゆっくりと座ると、いつの間にか回り込んだ恵が声を掛けた。


「車椅子は初めてですか?」


 恵が話し掛ける間に裕香によって、フットレストに足を乗せられた。3人は有能な看護師たちなのである。


「いえ……。前にも……」


 千穂はこの病院では無いが、数日間、入院した。例の体重激減の時である。


『千穂! いい加減にしなさいっ!! あんたがそんなで優くんが喜ぶと思ってんのっ!?』


 かつての千晶の言葉を思い出し、笑みを見せた。千晶のこの叱責を切っ掛けに、彼女は優の事故のショックから立ち直っていったのである。


「……あるんですか。押しますよー」



 3名の憂の専属看護師はそれぞれ、2人に会釈すると千穂を病院内に導いていった。彼女らの背中を見送ると運転席から康平が問い掛けた。彼の分からない、想像の領域の話だ。


「倒れるほどの事なんか?」


「……学校の長い集会でパタリと倒れる子、おらへんかった? その大半が女の子やわ。貧血に繋がる事はそこそこあります……」


「大変なんやなぁ……」


「……康平さん、語尾……」


「お前もだぞ。最近、ごちゃ混ぜになっとるわ」


「いけませんねぇ……」


「まぁ、ええやろ? 俺、車返してくるわ」


「よう、お礼言うといて下さい」


「わかってる」


 2人は学園長の車を借り、千穂をここに運び入れたのだ。救急車と言う物は案外、時間が掛かる事を2人は知っている。即座に診察して貰える算段があるのならば、こうやって送り届けるほうがスムーズに行く場合もあるのである。



 康平の運転する学園長の意外と安そうなセダンを見送ると、梢枝はその場で待機を始めた。待ち人だ。千穂の父と、愛の2人に連絡済なのだ。


 ……学園長は車を足程度に思っているタイプなのだろう。着飾らない性格をしているらしい。


 そんな事を思っていると、後ろから声を掛けられた。


「お久しぶりです」


「……島井先生。驚きますえ?」


「その制服は分かりやすくていいですね。すぐ貴女に気付きました」


「……似合(にお)うてますかぁ?」


「お似合いですよ。憂さんだけでなく、貴女も千穂さんも学園で注目されているのでしょう?」


「ウチはオマケでええですわぁ……。ところで先生?」


「はい?」


「消去しましたえ?」


「はい。総帥はあれからすぐに見に来られました」


「流出は?」


「有り得ません。私の部屋に入られる者は限られています」


「そうですかぁ……。安心しました。あれだけが気掛かりだったんですえ?」


「……総帥には早々逆らえません。見に行くから消すな……。そう言われれば……」


「……そうですねぇ。気苦労お察し致します」


「あはは。しがない使われ医師は辛いですよ……。……っと、いらっしゃいましたね」


 白の大きなワンボックスカーは駐車場に置いてきたのだろう。愛は走ってきた。その愛を笑顔で迎える島井を見やり、梢枝はそっと嗤った。

 梢枝は遥にせっついた。彼女との2人きりの対談時、脅迫めいた物言いで島井のPCの片隅に仕舞われている物の危険性を説いた。それから数日の内に管理する島井本人から、削除が伝えられた。


 梢枝は島井に対し嗤ったワケではない。総帥秘書に勝利し、嗤ったのである。


(これで大丈夫……。脳再生の情報なんて漏れても構わない。脳再生に関しては性転換と同じやわ。医学の進歩の為に……と、研究に憂さん本人が手を貸せば問題あらへん。多少(・・)大混乱・・・で済む事……)


「島井先生! 梢枝さん! 千穂ちゃんは!?」


「『専属』たちによって血液採取等、簡単な検査を受けておられるところです」


(愛さん。妹さんはもう大丈夫ですえ? 貴女がたご家族の恐れる、最悪の未来は永遠に摘み取られました……)


 梢枝は安心感が強すぎたのか、そっと目元を拭ったのだった。


(でも油断は大きな敵です。気を引き締めますえ……? 出来るだけ性転換の事実の発露も遅らせないと……)


「話し合いのセッティングは完了しています。貴女と千穂さんのお父さんの力が必要です。これを機に千穂さんに精査を……」


「はい。もっと強く検査を勧めるべきでした。絶対に説得してみせます」


「よろしくお願いします。お父さんもいらっしゃいましたね」


「すみません! 遅くなりました! 上司にキレちゃいましたよ……。『早退!? 仕事はどうするつもりだ!?』なんて言うから……」


 ブラックな企業ではないはずだ。嫌な上司に運悪く当たってしまっているのだろう。たった1人の家族。たった1人の娘が、病院に緊急搬送……。早退を許さないほうがどうにかしている。


「それで千穂は!?」


「そうですね。行きましょうか」


「ウチは学園に戻ります」


「梢枝さん、本当にありがとう……」


 しっかりと頭を下げる誠人に梢枝は笑顔を見せた。


「最近は憂さんと千穂さん……。2人で1人だと思い、任務をこなしております。千穂さんも護衛対象(ターゲット)みたいなものです。お気になさらず……」


 梢枝は3人に小さく頭を下げると、待機しているタクシーに向かって行った。

 千穂の存在の有無は、憂のメンタルに多大な影響をもたらす。確かに憂を守る為には、千穂も守る必要がありそうだ。






「嫌……」


「千穂ちゃん……」


「千穂……」


 予想通りの展開となってしまっているようだ。千穂は頑なに精密検査を拒否している。ここまで来ると、単に恥ずかしいだけとは思えなくなってしまう。


「検査って、他にどんな事するんですか……? 今日、血を採ったり、尿の提出したりしたんですよ?」


 ほっそりとした腕に繋がる点滴のルートが痛々しい。その管を辿ると生理食塩水の文字が見えた。


「……エコー検査とかですよ」


「島井先生? 『とか』って他に何をするんですか?」


「それは……」


 未だに青い顔をしているが、それでも千穂は強いようだ。自身の事となると、なかなかの頑固者なのである。


「とりあえず、本日はこちらに入院して頂き、明日には検査。これで宜しいですね?」


 白く簡素なこの部屋には、島井に千穂、その父と愛に専属の女性・裕香。そして、もう1人の女性が居た。憂の足の裏に針が突き立ったあの日、佳穂の島井への相談から端を発した千穂の生理不順問題。これを解決すべく、島井はこの女医に話を持ちかけていた。年齢は40手前と云った処か。眼鏡を掛けた生真面目さを全面に押し出す女医さんである。千穂たちが受けた紹介によると蔵迫(くらさこ)先生。若くして婦人科を取り纏めているらしい。


「……ちょっと待って下さい」


 千穂が抗議の声を上げる。蔵迫先生の言葉は、患者である千穂の意思をまるで無視する物だったからだ。


「待ちません。いい加減にしなさい。お父様も……失礼。お姉様……ですか? お2人がどれだけ心配しているか考えなさい」


 千穂は、その言葉に何も言い返せなかった。

 そのまま千穂に、後ろから気遣わしく目線を送る裕香に指示を出す。


「私は、こちらのお2人と話があります。千穂さんを病室に案内してください。千穂さん? 無理矢理でも検査させて頂きますのでそのつもりで」



 ……千穂は反論する余地さえ与えられず、この無機質な部屋から追い出されたのだった。



「蔵迫くん……」


 千穂の姿が消えると島井は咎めるような口調で女医の名を呼んだ。


「……ごめんなさい。でも、あーでも言わないと今回もまた拒否。まだ、高校一年生でしたね。痛いほど気持ちは解ります。でも、今の内にしっかりと検査を受けておかないとそれこそ……」


「それこそ……?」


「あくまで可能性の1つとして捉えて下さいね」


 千穂への厳しい物言いとは一転。穏やかに微笑むと話を続ける。


「先程の看護師の話では、相当に出血が多いと……。前回から期間も空いていたようですね。それらの情報から私は子宮の何らかの異常を疑っています。あの……、千穂さんのお母様は?」


「亡くなっています……。千穂を出産した後に……」


「……失礼ですが、原因は? 遺伝と云う可能性もありますので……」


「はい。千穂の母・初美は子宮に問題を抱えており、ハイリスク出産でした……」


「詳しくお聞かせ下さい。千穂さんは、まだ10代。これから安定していく場合もよくありますが、出来るだけ可能性を摘んでおいてあげたいのです。ごく稀にですが、10代前半での子宮筋腫の発症など、前例もあります……」









 千穂が車椅子のまま案内された病室は、最上階の一室だった。この蓼園総合病院の最上階の病室は一室しかない。


 憂が一年間を過ごしたVIPルームのみである。


「ここって……」


「これから話す内容は、愛さんたちに内緒だよ」


 裕香は車椅子を押しつつ、いたずらっぽく語りかける。先行し、キングサイズのベッドを整えていた恵も口の前に人差し指を立ててみせた。落ち込んでいる千穂を慰めたい気持ちがあったのかも知れない。


「このお部屋って、今も貸し切り状態なんだよ。憂ちゃんが居なくなった今も、このお部屋は憂ちゃんの為だけに総帥さんが借りたままなんだー」


「私たち『専属』の3人もね。今でも憂さんの専属なんですよ。憂さんに何かあったら、それが最優先。例えば、他の患者さんの清拭してる最中でも……。憂さんに緊急事態が起きたら、ぜーんぶ放り出してでも、憂さんの為に動けるんです」


 口調が若干、砕けてきた恵は誇らしげな表情だった。控えめな胸を張ってみせた。それは彼女たちにとって、紛れもない誇りなのだろう。


 恵は千穂の手を取り、大切な物を扱うように立たせると、ベッドに誘導し、ゆっくりと座らせた。恵に見えた千穂への感情は『尊敬』である。


 彼女たちも何度か……だが、千穂を見てきた。千穂の憂への対応が看護師から見た時、尊敬に値するものなのだろう。


 次に口を開いたのは裕香だった。交互に話す事に何らかの意味があるのか、単に流れなのか不明だ。


「伊藤さんが居なくなったのは、千穂ちゃんが女の子だから遠慮しただけだよ? 一報を受けた時、ホントに心配してたんだよー。『知って』る人って、みーんなどこかで繋がっちゃってるんだよ。憂ちゃんが繋げちゃったんだね」


「あ! そうだ!」


「……恵? びっくりさせるのは感心しないよ?」


「すいません……。あの……。千穂さん?」


「はい?」


「次の日曜日、私の結婚式なんです! もし良ければ、来て下さいませんか? 憂ちゃんも愛さんも裕香さんも伊藤さんも来てくれるんですよ!」


「え……? えっと……」


「……こんな直前にゲストの増加なんて出来るの?」


「出来ます! 私の我侭は通っちゃうんです! 総帥様々です!」


「それじゃあ、プッシュ手伝う。憂ちゃん、可愛いカッコだと思うよー? それこそ主役を食っちゃうくらいに!」


「……憂さんになら喰われてもいいもん」


「行きたい……です……」


「そっか! それじゃあ、早くよくならないとね!」


「はい!」


「千穂さん、ありがと。しんどいのに話ごめんね。さ、横になろっか?」


 人見知りはするものの、一度心を開くと砕けた調子になるのが、この結婚間近の恵と云う女性である。どうやら完全に心を開いてしまったようだ。


「あの……落ち着かなくて……」


「……わかる。ベッドでかすぎるし、異常に広いしね……」


「点滴、まだあるから端っこで休んでてね」



 ……横になり数分後……、千穂は規則正しい寝息を立て始めたのであった。




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