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131.0話 千穂の事:異変

 


 ―――9月20日(水)



 敬老の日……祝日と、体育祭の振替休日を挟んだこの日、憂の通学に異常事態が発生した。いつも手を引き、ほんの少しだけ前を歩いているはずの少女の姿が無かったのである。


 愛は、千穂の居ない理由を聞いていた。ついに始まったのだと、千穂自身からチャットで教えられた。今日は憂の家を経由せず、直接通学するとコメントしていた。


 ……思ったより軽い……と。



 大名行列の規模は、流石に初日よりは縮小した。縮小したものの、TV以前に比べると大きい。そして、集団は付いてきていない。周囲を取り囲むように進行している……が、初日に全く見えなかった憂の姿は集団の隙間からチラチラと拝むことが出来る。


 千穂が不在の本日、手を引いて歩いたのは佳穂と千晶の幼馴染コンビだった。彼女たちの徒歩通学は今なお、継続されている。千晶がリバウンドを恐れているのだ。そして、わざわざ憂の為に……と、30分以上の通学時間延長を厭わず、こうして一緒に通学しているのである。


 他の『知る』メンバーは初日以降、まちまちだった。大勢集まる時もあれば、この日のように少ない時もあった。朝練やら勉強やら、彼らにもしなければならない自らの事があるのだ。


 両手を引かれ、歩く憂は何を考えているのか分からない。無表情に、ただ歩いているだけだ。これには理由がある。佳穂も千晶も少し早足で先を急いでいる。憂としては、何かを考える余裕が無いのだろう。



 ……進んでいくに連れて、憂の呼吸が乱れてきた。2人の早足は憂にとっては駆け足。そんな状態で進んでいけば、当然かも知れない。


「……少し、ペース落としてやれ……」


「え?」

「……あ」


 拓真が仏頂面で指摘すると、2人は今気付いたとばかりに、速度を落とした。


「――はぁ――はぁ――」


「……ごめん」

「そうだね。気が急いてた……。美優ちゃん……よろしく」


 2人は憂の家に迎えに来た時から、どこかおかしかった。千晶はともかく、元気印の佳穂までが静かに佇んでいたのである。


 佳穂も千晶も暗いまま、美優に憂の手を委ねた。肩を上下する憂。そんな状態にさせたコンビに浴びせられる集団通学の面々の視線は厳しいものだった。しかし、そんな事にも気付かない。俯き加減で憂の後ろをトボトボと付いて歩いた。


「お前ら……どうした? 千穂ちゃんに何が?」


 美優のお陰でゆったりペースに戻ると、少しの時間で憂の乱れた呼吸は戻った。相変わらず、体力は無いが回復は早い。


「ごめん。本人に聞いて。わたしの口からは言えない」


「……うん。『学園は休めない』って……。だからもう到着してるはず……」


「……わかった」


 千穂から電話で聞いた言葉か、チャットでのコメントかは不明だが、『休まない』では無く『休めない』だったらしい。それは憂のお世話役としての使命か、憂に対しての別の物なのだろうとすぐに理解した。それが出来ない拓真ではない。


 拓真はそれ以上、何も言えず、何とも暗い雰囲気の通学となったのだった。


 その間、憂は全く口を開かなかった。美優に引かれる右手を寂しそうに眺め続けていた。






 いつもの時間より、早い時間に到着した。その影響か、この日の親衛隊は人数が少なかった。


 憂一行への挨拶の後、「あれ? 千穂先輩は?」と気軽に美優に声を掛けたのは、竹ぼうきを抱えた隊長の七海であった。東門からC棟の清掃が彼女の日課となったのである。変な子だが、良い子なのは間違いない。


「……たぶん、具合悪いんだと思う」


「そうなんだ……」


 ……親衛隊長も隊長率いる親衛隊も、どこかしんみりとしてしまったのだった。仲睦まじく歩く2人の存在の大きさを物語っている……のか?



 東門を越え、10mほど進んだ辺りで、憂の速度が上がった。走った。バランスを崩し、転倒しかけてもC棟正面玄関へと急いだ。これは彼女にとっての疾走だ。


 憂が走り出すと、ほぼ同時に拓真が。瞬刻遅れて康平が駆け寄り、フォローを始めた。流石である。


 それにしても憂には驚かされる。千穂は教室に居る。そう判断し、駆け出したのだろう。

 いつも右手を引く、千穂の姿が見えない。佳穂と千晶の様子がおかしく、急ぎ足……。この辺りの情報を頼りに、目星を付けたのだろう。愛の為せる(わざ)なのかも知れない。






 憂の見立通り、千穂の姿は教室内にあった。


「ち――」


 憂は名を呼ぼうとし、すぐにやめた。千穂は自分の机に突っ伏し、眠っていたのである。


「理由、聞けねぇな……」


「……言わないよ?」


 拓真も千晶も小声だった。起こしたくなかったのだろう。

 憂はゆっくり、ひょこひょこ歩み寄ると、愛用の黒いリュックを降ろし、ゴソゴソと漁り始めた。


「――ない」


 絶望の表情に変わった。

 千穂の肩に掛ける物でも探したのかも知れない。






 ピピピピピピ!!


 それから数分。突っ伏す千穂に隠れて見えなかった辺りから、大きめの電子音が響いた。


「ん……」


 机に両手を付き、ゆっくりと体を起こすと「……あれ? 憂? 早いね」、そう言って明るい笑顔を見せた。


「どうした?」


 相変わらず言葉少ない拓真の問い掛けだが、この場面ではそれだけで充分だった。


「……えっと。始まっちゃって……」


 言い淀みながらも言い切った。通常ならば、同級生の男子に聞かせる話ではない。この場に居る、男子2名。拓真と康平への信頼度の高さの証……なのか? それとも天然故か?

 ぶっちゃけられると男子諸君は何も言えなくなった。康平がほんのりと顔を染め、非難がましい目線を拓真に贈ったのみだった。その拓真も動揺が顔に表れている。


 言った千穂の顔色が普通になった。本来ならば、朱に染まっていたのかも知れない。先程までは、どこか青白かったのだ。


「千穂……大丈夫?」


「あたしらに任せて早退してもいいんだぞ?」


「……ん。大丈夫。痛み止め効いてるから」


「――千穂?」


「……そんな顔……しないの。病気じゃ……ないから……」


 今にも泣き出しそうなちっこいのを、そう優しく諭したのだった。






「千穂さん。具合悪かったら保健室に……ね?」


 朝礼の終了後の利子の言葉である。教卓から見て異状に気付いたのだ。利子は生徒1人1人に目を配る事が出来る、良い教師なのである。


「はい。分かってます」


 親身になってくれる担任教師は、予想外のしっかりとした声音に安心したのか、5組の教室を離れていった。


 利子の背中を見届けると、千穂はスマホを触った。すぐにバツの悪そうな顔に変化し、すぐに仕舞いこんだ。


 千穂の動きとは正反対に、秘密を知るメンバーのほとんどが、ほぼ同時にスマホを取り出した。学園内では、みんなマナーモードにしている。時折、し忘れた生徒が恥ずかしい目に遭っているが、そんな事はどうでもいい。


「……なに?」


 スマホを仕舞ったばかりの千穂は、どちらにともなく親友2人に聞いた。仕舞った直後で取り出すのが億劫なのだろう。前回の時のように、どこか不機嫌と言うことも無いようだ。落ち着いた雰囲気を纏っている。


「……千穂。愛さん、怒らせてるよ……」


 千晶がスマホの画面を、いつもより少し毛艶の悪い子に向けた。



【こらー! 千穂! 返事しなさい!】愛



 個別でのメッセージをスルーした妹分に、苛立ったのだろうか? 愛と5組の知る者で構成されたグループにコメントを飛ばしたらしい。



【辛かったら迎えに行くから! いい!? 誰かに伝える事!!】愛



 読んでいる最中にコメントが増えた。そのコメントを目にすると「お父さんの馬鹿……」と、独りごちた。


 千穂は愛に伝えていなかった。本当は一昨日、起床した時から、具合が思わしくない事を。

 心配を掛けたくなかった為に【始まりました! 思ったより軽いです!】と今朝になり、個別のメッセージを送った。


 ……今は心配している姿が手に取るように解る。愛が自分を本当の妹のように想っている事を千穂は承知している。実際、聞かされてもいる。



 ―――千穂は、月経3日目のこの日、父の車で送られた。通学路を歩いていく自信が無く、自らお願いしたのだ。父が家を出る時間は千穂より早い。だから無人の教室で眠っていたのである。因みにアラームが鳴った時刻は、いつもの教室到着時刻の5分ほど前だった。起きて出迎えるつもりだったが、いつもより憂たちが早く到着……。目論見通りにいかなかったのだ。


 千穂の父としては欠席させ、1人で家に置いておくよりは、友だちの居る学園のほうが安心できたのだろう。


 父は、それに飽き足らず、相当に具合が悪そうだと、愛にメッセージを飛ばし、緊急時の迎えをお願いしたのである。千穂の独り言は、愛への隠し事を思い切りバラしてしまった父への抗議だ―――




 それから2時間目の終了まで、顔色は悪いものの案外、元気に過ごしているように見えた。


『おとといは最悪だったよ。筋肉痛も酷くて……』と、体育祭翌日の苦労を語れるほど、余力があるように見えていたのだ。『ボク――つぎのひ――へいきだった――』と筋肉痛、即、回復の事実を聞き、悔しそうにする様子まで見せていた。


 ただ小休憩の度に巾着をぶら下げ、どこかに3人で出掛けていったのである。



「憂さん、ご一緒……しますえ?」


 飼い主が出掛ける寸前のよく懐いた飼い犬のように、物凄く寂しそうな顔をしている憂に梢枝が言った。

 憂のお世話だ。1時間目か、2時間目の修了時にはトイレ。これは日課となっている。かつて、野外活動の為に千穂不在となった。その時にも梢枝は千穂に予め伝えられていた口頭やら、旅先からのメール指示の通りに、1時間目の終了後に憂をトイレに連れていった。


 今日のこの日は、千穂の代役に回るつもりなのだろう。

 憂は、よく躾けられたペットのように従順だ。普段よりも更に緩慢な動作で立ち上がると、ようやく頷いた。


「憂さん? エプロンも……です」


 ……水曜日の3,4時間目は家庭科(おばちゃま)授業。今回は調理実習の予定である。


「――うん――」




「梢枝――?」


 教室を出ると、いつもの特進クラス側にあるトイレの方向とは逆方向に誘導された。


「家庭科室……近くで……」


 こうして、千穂の入ったトイレとは違うトイレへと案内される憂なのであった。おそらく憂は千穂の不調の原因を解っていない。違うトイレに連れていったのは、梢枝による千穂に対する配慮なのだろう。




「かわいいみんなー!! エプロンは持ってきたぁー!?」


 ……久々の登場である。

 カラフルだ。おばちゃまはいつも目が痛くなりそうな、原色たっぷりなカラフル衣装を身に纏っている。


「今日は前に話してた通り、中華料理に挑戦よー! 一生懸命作ってねー!!」


「可愛いから?」


「そう! 頑張る子は可愛いからー!!」



 そんなこんなで料理実習が始まった。千穂が食材を厳選し、調理実習に於ける、いつもの4人班……。千穂、憂、佳穂、千晶で始めようとした時だった。


「……あら? 可愛い貴女? 今日はお休みしててね」


「えっ?」


 いきなり通りすがりに、小声で言われて驚いたのは千穂だった。痛み止めが効いているらしく、普通に過ごせているつもりだった。誤魔化す為に佳穂と千晶を先に行かせ、化粧で顔色を取り繕ったつもりだった。


「でも……」


 班員3名の顔触れを窺う。

 千穂としては、残りの3名に任せるには不安なのだろう。千晶が調理は可能とは言っても手伝いとして優秀……くらいのレベルだ。主導するにはとても……。しかも中華料理など作れるとは思えなかったはずだ。


「重いのね。保健室には?」


「……いいえ。それは……」


「年頃の女の子だからね。いいわ。座ってなさい」


 ……そう、いつになく静かな物言いをすると、大きく丸い重そうな体を思いも依らぬ速度で動かし始めた。

 このおばちゃまは鬼神か何かか? 正に迅雷。正に疾風。憂たちの班の食材は一部を残し、班員が驚き、呆然とその動きを追っている内に、下ごしらえ済の状態へと姿を変えていった。


「残りの材料は3人でよろしくねー!! 3時間目が終わるまでにこっちと同じ状態よー!!」


 そう言って、自身が下ごしらえした食材たちを指差す。


「はーい! 可愛いみんなー!! 他に困っている班があったら教えてねー!!」


 ドタバタと千穂班の下を離れていく派手な後ろ姿を、あんぐりと呆けた顔で見送る。


「……すっごい」


 千穂の呟きにみんなが反応した。


「……うん」


「おばちゃまって何者なんだー!?」


「お母さん――負けてる――」


 ……おばちゃまの起こした奇跡のような出来事に、当分の間、唖然としてしまったのだった。




 それから、しばらく……。


「憂ちゃん。この椎茸……石づき……取って?」


「いしづき――?」


「うん。この……軸の……部分」


「――わかった」


 残された3人は、おばちゃまがわざわざ残してくれた食材を切り分け始めた。もちろん、千晶の指示、指導によって。


 千晶は、憂と佳穂の包丁に気を取られていた。隣の班では、梢枝も包丁を握る手に力が入りすぎている。

 男子たちは、いくらか距離が空いていた。おばちゃまは、後ろから男子の手を取り、包丁の握り方を修正していた。


 ……誰も気付く余裕が無かった。千穂が青い顔で下腹部を抑え、じっと耐え忍んでいる事に。


「千晶ー? これどうすんの?」と、佳穂がピーマンを掲げてみせた。


「ちょっと……待ってて?」


 そして、返事を聞かないまま、憂の傍を離れてしまった。


「んぅ――?」


 千晶はピーマンを真っ二つに切り、その中身を取り出し始めた。その様子を少しの間、眺めていたが、ふと視線を降ろした。そして「――まぁ、いいや――」と、椎茸を左手で抑え、不器用な右手で包丁を握った。


「……憂?」


 集中しているようだ。千穂も声が弱々しかった。

 憂は、左手の椎茸の根本に包丁を当てた。


「危ない!」


 千穂は張り上げた声と共に、咄嗟に立ち上がった。


 憂は、その声に弾かれたように振り返った。振り返った憂が見たものは、自身に向けて倒れ掛かる千穂の姿だった。


「千穂――!」


 そこから先は反射行動だ。憂は包丁を放り出し、千穂を支えようと小さな躰を投げ出した。椎茸はひと足先にと床を跳ねる。


「わぁ――!」


 包丁がステンレスの流しに収まり、嫌な金属音を立てた。その次の瞬間、ドタッ! ……と大きな音が響いた。


「なになに!? どうしたの!?」


「千穂! 憂ちゃん!」

「憂ちゃん! 千穂!」


 呼ぶ順番こそ違ったものの、佳穂と千晶が転倒した2人に駆け寄る。隣の班からは梢枝も動き出した。




 ……親友2人が目にしたのは、千穂が憂に覆い被さり、2人床に転がる姿だった。




「ぅ――千穂――!」


「「千穂!?」」


「待って!」


 梢枝の制止を聞かぬまま、2人は覆い被さり、動かない千穂を憂の上から動かした。

 仰向けにされた千穂に意識は無かった。佳穂の腕の中、力無く首を後傾させていたのだった。




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