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130.0話 体育祭で頑張った

 


 ―――9月17日(日)



 快晴である。日差しこそ強いものの、ようやく体感温度は下がってきており、多少は過ごし易くなってきている。


 そんな中、蓼学に於けるビッグイベントの1つ。体育祭が始まった。


 ……なにせ、莫大な人数を誇る蓼学である。たかだか体育祭と侮ってはならない。陸上部、野球部、サッカー部などの屋外運動部が一斉に練習できる大グラウンドを持ってしても、その開催は厳しい。よって、初等部、中等部のグラウンドも借りての体育祭なのである。


 それは毎回、混乱を来たす。生徒たちは自分がエントリーしている種目が開催される場所にプログラムに合わせ、絶えず移動していく。そんなスタイルなのである。そうしなければ一種目も出場しない生徒が発生してしまう事になる。

 もちろん、現れない……、自分の種目を忘れる生徒が出現するが、その為に各クラス、各棟、補欠を多めに登録しているのである。


 学園側はいつも通り、対処しない。生徒会に丸投げ状態である。教職員もまた、この体育祭に関しては生徒会から指示を受け、各自で動いていくのである。

 生徒会の手腕の見せ所なのだ。



 学園が誇る美少女、憂も例外ではなく、忙しなく動き回っている。


 棟同士の対抗戦となる、この体育祭。憂はC棟の副応援団長に祭り上げられているのである。


 これはTV放送の以前に決まった事だ。放送後であったならば、おそらく祭り上げられることは無かったであろう。只今、団員10名ほどを引き連れ、黒の詰め襟……、俗に言う学ランを身に纏い、綱引きへの応援に向かっている最中である。

 ……団員の中には、何やら首から看板を下げている少年も居るようだ。


「あ! あの子だ!」

「あの子って、この学校のアイドルって子だよな!」

「やっぱそうだよな! マジで天使じゃん!」

「見に来て良かったわ!」

「学ランでかすぎじゃね?」

「学ランがでかいんじゃなくて、あの子が小さいんだろ」

「撮影しないでってよ。足、不自由そうだし、あの呟きってマジだったんだな……」

「あれは……ちと、恥ずいわ。よくやるわ……」

「この学校内で愛されてるんだろ。愛が無けりゃ出来ねーわ」


 オープンとなっている体育祭。保護者や近隣住民、他校の生徒など、続々と詰め掛けている。憂の存在は集客に一役買っているようである。

 他校の生徒に恥ずかしい……と言われた件は、団員の1人が持つ、プラカードの事である。


 外野の声をスルーし、千穂と梢枝に手を引かれ、普段は野球部が使用している区画に姿を見せた。

 憂を中心としたC棟応援団が姿を現すと会場がどっと沸いた。C棟の代表者だけに留まらない。他の棟も盛り上がるのは、見ようによるとマイナスなのかも知れない。


 これからC棟1年の代表者による、ガチンコ綱引きが行われるらしい。丁度良いタイミングだったようだ。


 因みに5組の代表は鋼の筋肉と揶揄される康平を筆頭に、拓真と圭佑が選出されている。いずれも5組を代表するビッグな連中である。ドでかい勇太さえも代表から漏れる。ある意味、恐ろしいクラスである。


 耳を(つんざく)く甲高いホイッスルの直後に「しーとう――! ふぁいとー!」と、憂が声を張り上げた。だが、よく通る可憐な声に奮起したのは、むしろ対戦相手だった。敵意剥き出しに開始早々、綱を全力で引っ張ったのだ。憂の声に一瞬だが、力の抜けた拓真と圭佑は大いに綱では無く、足を引っ張ったのだった。


 C棟の敗戦を見届けると、拓真と圭佑に責めるような視線を送っていたが、次のサッカー部が普段使いに使用する区画へと、2人に連れられ、団員を後ろに移動していったのだった。更にその後を慌てて追い掛けたのは、直接の身辺警護をこなす康平だ。元々、憂の身辺に詰めているのは彼の方だ。情報担当とも謂える梢枝は専門外である。



「おー! 来た! 遅いぞー! 補欠の参加かと思ったぞ!」


 既にメンバー全員が到着していた。これから競技開始らしい。なので、いくらか余裕のある時間だ。付いて来ていた応援団は、そのまま応援に回ったようだ。


「あれ、大丈夫かな?」


 千晶、ふいと観客席を指差す……と、そこには多数並んだビデオカメラ。


「……多少は問題ありませんわぁ……」


 梢枝の目が若干、泳いだ事を見逃す千晶ではない。彼女は即座に理解した。会社の手の者がどこかで憂の姿を撮っているんだろうな……と。

 正解である。彼女が体育祭などと云う、そんな美味しい行事で撮らないはずがない。何台ものカメラが絶えず、小さな憂を捉え続けているのである。


「それじゃ、憂? 頑張ろうね」


 千穂が10人の端っこに移動していった。「憂ちゃん、頑張ろうね」と3人での練習時、ご一緒していた6組最小の女の子も千穂の反対のサイドに移動していった。

 佳穂と千晶は離れていった。彼女たちは後半で走るグループのメンバーだからだ。


「――うん」


 ……返事をしたが、彼女たちは移動済である。もはや聞いていないだろう。



 憂の両隣には、梢枝と6組の高身長の少女が控えた。1組2組合同の第一波がホイッスルと共に出撃していった。特進クラスの少女たちは「1! 2! 1! 2!」と進んでいき……、つんのめった。何度も躓き、時々転び、折り返しのコーンをぐるりと回り、何とかゴールへと駆けていった。スタートラインの少し横。ゴールに備えられた柔らかいマットに飛び込んだ。日頃、勉強詰めの少女たちの見せた弾ける笑顔が何とも印象的であった。


 ……と、話を戻そう。


 3組4組が出発すると、両サイドの高身長な2人が憂の足と自らの足を紐で繋いだ。他の組とは、まるで違う陣形である。他の組は中心に小さい子を置き、横に広がるにつれて高身長の少女が……。そんな陣形である。体育教師が授業中、そうするように指導した為だ。

 それに対し、憂を含むグループは極端に小さな憂の両サイドに高身長の子を配置し、外側に向けて身長が低くなっていっている。


『いっその事、抱えちゃう?』


 練習時に6組の子が何気なく言った言葉は実現してしまったのである。


 そうこうしている間に2番手が戻ってきたようだ。相当に練習を積んでいたらしく、特進クラスの無い、O棟、T棟の少女たちを差し置き、見事に1位でゴールした。ゴールすると即座に紐を解き、「やったー!」「運動で1番なんか初めてー!!」と喜びを爆発させていた。勉強時間を削り、練習を重ねたと思しき、特進の少女たちに観客席から万雷の拍手が贈られたのだった。この時、得られたものは人生に於いて、大きなものとなるのかも知れない。

 因みにこれは一応、予選である。1組~16組が順番に出発していく。それを2周。15,16組の後、1,2組の第2班が控えている。案外、規模の大きな種目なのだ。

 この予選はタイムを計測されており、上位たったの5組だけが決勝戦を行うのだ。


 補足しておこう。転室の煽りを受け、欠落したクラスもある。女子の人数20名を揃えられないクラスは2回、出場する事もある。更に、工業系T棟は女子が少なく、商業系O棟は女子が多い為、途中からはO棟2チームとA~C棟の5チームで戦う事になる……が、本当に関係ない話だ。


 ……ようやく、もたもたしていたB棟が戻ってきたようだ。見れば、膝を擦りむいている子がいる。わざわざ芝生のあるサッカー部の練習区域で行われているが、多少の怪我は仕方ないのかもしれない。


 そしていよいよ憂たちの出番である。


「位置について!」に合わせ、梢枝と6組の女子が軽々と憂の躰を持ち上げる。「よーい!」と叫ばれ、憂は両腕を両サイドの女子に回し、しがみついた。


 周囲の子たちは右足なり、左足なりを引いて備える。真剣な眼差しが真正面を見据える。一点を見据える少女たちは誰もが美しい。容姿による差異などない。只一人、足が地についていないのがなんとも滑稽なだけである。


 ピィィィィィィ!!!


 甲高い音と同時に各班、一斉にスタートした。これまでで、一番の歓声が上がった。憂が出場しているからに他ならない。


 5組は中央の子たちの疾走に合わせるように、引っ張られるように駆けていく。上空から見れば渡り鳥のように広がっている事だろう。


「「いちっ、に! いちっ、に!」」


 両サイドの小柄な2人が息を合わせ、号令を飛ばし続ける。グングンと他クラスを引き離すと、迫ってきた観客たちが祝福するかのような惜しみない柏手(かしわで)を捧げていた。

 順調にコーンを中心に折り返す……と、そこでトラブルが発生した。勢いがありすぎた。遠心力に振られ、外周を走っていた6組の女子が吹き飛ばされてしまったのだ。千穂よりも小柄な6組のその子が外周に回ったのは、その子が小さいながらも見事な運動神経を見せていたからである。そんな少女が吹き飛ばされた。5組6組の見せた勢いは推して知るべし。


 吹き飛ばされた小柄な少女は、めげなかった。先程のB棟の子のように、肘を擦り剥きながらも立ち上がり、自ら「せーのっ!!」と再始動を果たしたのだった。

 しかし、一度乱れるとなかなか上手くいかないのが、この足を繋ぎ合う○人○脚。


「「せーのっ!!」」


 何度かの失敗を挟み、進み始める。


 ……何かがおかしい。よくよく見れば、憂の部分が変形している。10人の中で彼女のみが両足を前後に同時(・・)に出しているのだ。抱え上げられ、下半身を脱力させたままの人間が混ざったからこその珍事である。


「あははは――!」


 楽しそうで何よりです。


 以降はスムーズだった。中心の1人である憂とその両サイドから、ゴールのマットにダイブしていった。同時に出場した5チーム中2位。タイムも平凡。一度でも詰まったグループに決勝進出の可能性は無い。折角、説明した条件は無意味となった訳だ。申し訳ない。


 笑顔でゴールのマットに突撃した憂だったが、肩で息をしている。しがみ付くだけでしっかりと体力を使ってしまったらしい。

 ……ここで小さな事件が起きた。


「りん? だいじょうぶ……?」


 紐が解かれると、そんな言葉が耳に入ってきた。隊列の右側からの声だった。中央付近から左側の女子たちが一斉に右側を向いた。少し怖い。


「痛い。けど、仕方ないよね。ごめん。転んじゃった」


「石でも落ちてたのかな……?」


「そうかも?」


 ピィィとホイッスルが聴こえ、走った10名……。いや、1人は走っていないが、10名はマットから退き、会話から怪我をしたと推測される少女の下に集っていった。


「どうしたのー?」


 教師の1人が円の中心に割って入ると、右肘付近からの出血に眉を顰めた。未だに出血しているらしい。


「救護班をー!!」と先生が怒鳴るように声を上げた……タイミングだった。円の中で少女の血と芝に汚れた右肘が食べられた。もっと小さい少女に。千穂も梢枝も突飛な行動を止められなかった。


「わっ! ……びっくりした。憂ちゃん、ありがと。大丈夫だよ」


 手負いの獣は傷を舐める。憂の行動はソレに限りなく近い。咥えられた少女は振り解く事も出来ず、困った顔で憂を見下ろす。彼女にとっては、数少ない見下ろせられる同級生だろう。


「ほら。憂ちゃん、汚いから……」などと言っている間に、救護班が応急処置セットを抱えて、到着した。それを見たのか、憂がようやく口を離した。救護班員がその傷口を診る。


「血は止まってるね。消毒してガーゼ保護を……」


 ……自身の出血、キャンプ時の美優の出血に続いて、3度目である。「え? 止まった……?」と誰かの独り言が聞こえた。


「唾液の止血効果も馬鹿に出来ませんねぇ……」


 早速、梢枝が取り繕う為に動き始める。内心では冷や汗を掻いている事だろう。千穂に至っては何も言えず、心配そうに梢枝に縋るような視線を送るのみだ。


「唾液の中には、血中の止血作用物質、血小板に含まれる血液凝固因子、トロンボプラスチンによく似た物質が含まれているんですわぁ……」


「……えっと……つまり……?」


 なんじゃそりゃ? ……を、顔全体で表現していた面々の中で、問い掛ける事が出来たのは怪我をした当人だった。渾名か本名か不明だが『りん』と呼ばれた少女だ。


「舐める。この行為には抗菌作用もあり、何も無い時には応急処置として効果あり……ですえ?」


「へぇ……。憂ちゃん、あらためて……ありがとね!」


「――ううん。ごめんね――」


 謝った。推測だが、女子の肌に口を寄せた行為に対しての物だろう。時々忘れかけるが、彼女の中身は健全なヘタレ男子なのである。



 ―――補足説明を入れておきたい。


 梢枝の語った事は全て本当の事である。唾液には抗菌作用、止血作用がある。傷を負った獣がその傷を舐める行為は、その効果を獣たちが知っているからだろう。


 だが、せめて水で洗浄してからのほうが無難である。更に消毒液と清潔な布があるのならば、そちらで消毒し直接圧迫により、止血したほうが感染症のリスクを下げられる事だろう―――


 こうして梢枝の機転により、憂による即座の止血について、事無きを得たのであった。論点のすり替えは彼女の得意分野なのだ。




 この日の午前中。憂は、とにかく忙しかった。エントリーしている種目に個人競技は1つも無く、10人11脚と例の人間バトンリレーだけであるにも関わらず……だ。

 大概が応援のせいであったが、憂は文句を言わない。役割を貰った以上は頑張る子なのである。


 そんな目立つ状況であるにも関わらず、電話を切った梢枝は、ほくそ笑んでいる。撮る者は居れども拡散する者は、ほとんど居ない。それは情報収集に注力する総帥秘書からの定期連絡が証明している。

 炎上した経緯を知らなかったのか、僅かに上げられた画像には、すぐにコメントが付き、削除されているとの事だ。

 梢枝は未だに秘書を操っているらしい。


 憂は、ほとんど休む間が無かった。本日の梢枝の仕事は、もっぱら憂のスケジュール管理なのである。

 そのいずれもが的確だ。マネージャーや秘書と云った仕事に向いているのかも知れない。


「ごちそうさま――。ちょっと――ねる――」


 グラウンドの一角で漆原家、本居家と合同でお弁当を食すと、すぐに寝た。新記録かも知れない。よっぽど疲れていたのだろう。

 因みに現在、何故かチアリーダーの衣装となっている。何度も言うが、与えられた役割を果すべく一生懸命なのである。


 千穂はそっと、ブランケットを掛けた。お尻辺りにである。短いチアのスカートで眠れば、その下のアンダースコートがばっちりと見えてしまうからだろう。


「この子がチアねぇ……。よく着たもんだわ」


「憂は出来る事を見付けたら全力なんです」


「……知ってる。出来る事じゃなくて、したい事をすればいいんだけどね」


 愛は、そう答えると、どこか寂しそうに妹を眺めていたのだった。





 午後は、ダイジェスト版でお送りさせて頂く。


 午後イチには応援合戦が行われた。憂は、チアの衣装そのままでボンボン両手に立っていただけである。


 人間バトンリレーは男子5名、女子5名の出場とプログラムの変更が成されていた。体育教師は憂の『やりたい』に本気を見出したのか、生徒会に嘆願書を提出し、リレーの人数を半数に縮小させたのであった。


 その人間バトンリレー。チアの衣装のまま、バトンとなり各選手に背負われた。しっかりと背中にしがみついていた。チラチラと観衆にアンスコを見せ付けていた事など露知らず。花咲くような笑顔を振りまいていた。


 結果は、ぶっちぎりの1位だった。当たり前だ。蓼学高等部で一番軽い。ハンデが物凄く大きいのだ。



 そして、結果発表……。


 憂たちC棟はぶっちぎりの最下位だった。憂が頑張って移動すればするほど、応援すればするほど、他の棟の奮起を招いた……のかも知れない。


 優勝は男子生徒の多いT棟だった。それを証明している……のかも知れない。


 そして、憂はこの日の夜、筋肉痛に苦しんだ。一生懸命やった結果だろう。




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