128.0話 TV放送後の学園生活
―――9月11日(月)
姉は悩んだ。憂を送るべきか否か。チャットで『知る』全員に問い掛けたほどだ。そこでの議論は、またしても紛糾した。定期的に訪れる恒例行事と化してきている。
その中でひと際、目立つ意見が同級生の1人から飛び出した。
【反応を窺うには丁度ええ思います。あの文面により、盗撮しはったとしても、拡散は出来ません。しようとしはったら炎上しますわぁ。取材も同じくです。ですので、ウチは通常通り、徒歩通学をおすすめします】梢枝
これに補足したのは護衛の片割れだった。
【ワイら以外にも身辺警護は付きまっせ。それも5人! 憂さんには指一本触れさせませんわ!】康平
こうして、いつも通りの徒歩通学となったのである。
玄関で座り、ローファーに足を通した。苦もなくすっぽりと小さな足が納まる。オーダーメイドのローファーだ。
座って履くのは、まだ夏前の頃、バランスを崩し壁に頭をぶつけた事があるからである。以降、自宅では座って履いている。相当、痛かったのであろう。
古い話だが、その一件もあり、拓真は憂のパンツをばっちり見てしまったのだ。
憂が左手を床に付き、「よいしょ――」と立ち上がりに成功した事を見届けると、愛が玄関を開け放った。一瞬、外の明るさに負け、眩しそうに目を細める。秋はまだまだ到来しないらしい。空一面の青空が待ってたと謂わんばかりに少女を出迎えた。
「憂! おはよ!」
「憂ちゃんだー! おっはよー!」
「「「おはよー!」」」
「憂先輩! おはようございます!」
「憂ー! 今日はオレも一緒だ!」
「――みんな! おはよ!」
この日、朝から憂の為に……と、集まったのは『知る』者全員だけに留まらなかった。委員長とその彼氏。副委員長に瀬里奈と陽向、その他、クラスメイト。更には、憂からすれば顔も知らない大勢の他クラスの生徒たち……。
多くの者が顔バレした憂を心配し、集結していたのだった。
こうなると完全に取材などシャットアウト状態だ。それどころか、興味本位でひと目見る事さえ叶わない状況が出来上がった。この学生たちに付いていくように康平の会社の者、遥の手の者も居るだろう。遥は立場上、そうせざるを得ない。
―――今、正に大名行列が完成したのだった。
「憂? あんたは……堂々と……してなさい……」
憂は小首を傾げてしまった。憂は相変わらず自分のペースだ。前日にはTV放映により、自身に起きた事を伝えたにも関わらず……である。
傾げた小首を戻すと同時に「――うん!」と笑顔を見せた。見知った顔が多数、見受けられた事が嬉しいのかも知れない。
「いってらっしゃい!」
愛がポンと背中を叩くと「――いってきます!」と元気に返し、大名行列の中心として、喜び勇み出発していったのだった。
「憂ちゃん、ゆっくりで! いいからね!」
歩みの速度の事だ。憂のペースに集団が合わせる形になると、それこそ牛歩の如く、遅くなってしまうのだが……。
「佳穂――。元気――」
「佳穂は……いつもだよ……」
相棒が疲れた調子で言う。憂の至近距離には、いつもの千穂佳穂千晶の3人と美優だ。変わり映えがしない。
「暗いよりいいじゃん?」
「そうですね! 佳穂先輩は凄いです!」
「美優ちゃん。遠慮しなくていいよ? 『うざい』言っても」
「なんだとー!」
「やっぱり――元気――」
「憂も……だよ?」
――――。
「から――げんき――」
因みに笑顔を見せている。嬉しそうにゆっくりと歩みを続けている。知らない人の目線には、ようやく耐性が付いてきた……のか? 良い傾向と言えるのだろう。きっと。
大名行列の目的地、蓼園学園に到着するには、2つの信号を渡らねばならない。1つは終盤にあった。
「憂ちゃん! 手を挙げてー!」
青信号になると同時にグループ内の騒がしい子が手を挙げた。周囲の大勢がざわめく。もちろん、言った子は我関せず、挙げたままだ。
「小学生かっ!!」
千晶のツッコミが聞こえているのかいないのか、憂は言われた通りに手を挙げ、信号を渡っていった。良い子……なのだろう。
「……恥ずかしい……いたっ!」
千穂の呟きを聞き咎め、佳穂がパシっとその頭を叩いた。叩かれた当人は、その部位を自分でナデナデしている。不満そう……でも無い。真面目な千穂にとって、先程の呟きは悪い事を言った……と、反省すべき点なのかも知れない。
「周り見ろー? 初等部どころか中等部の子まで手を挙げたぞー?」
大名行列に参加している子たちである。憂は囲まれており、おいそれとその類稀な可愛らしさを拝むことは出来ない状態だ。それは今までと違う形を成している。先週まで、集団が憂たちの後ろにぴったりと付いてきていただけだった。
集団の中にも『憂を守る』と云う意識に目覚めた者が大勢、存在するのだろう。
「ホントだ……。良い事。広げるべき……なの?」
千晶は誰に言うでもなく、呟いたのだった。
そして、信号を渡ると拓真が上級生に絡まれた場所である。東門はすでに見えている。あの門をくぐれば安全圏へと突入する事が出来るのである。
何しろ、親衛隊が手薬煉引いて待ち構えているのだ。
親衛隊と対を成す存在。『学園内の騒動を未然に防止する部』だが、憂への告白解禁状態を前にするも、部長の説得により若干の縮小に留まった。梢枝の考案した台詞で繋ぎ留めたのである。
『君は今まで憂さんの何を見ていた? 彼女が今、特定の誰かと付き合うと思っているのか? 気持ちを告げられれば振らねばならない! 振る憂さんの気持ちを考えろ! 優しい憂さんを傷付けたいのか!?』
告白しても無理だよー。それどころか憂にとって迷惑だよー。
これを若干、小難しく言い換えたものであり、この効果は絶大だった。そして報われない愛を貫く部へと戻っていったのだった。梢枝にとっても、部の縮小は見逃せなかったのだろう。
「「「おはようございます!!」」」
親衛隊が無数のメイドと少数の執事と化し、憂を出迎えた。どこの令嬢か?
……こうして、無事に通学を果たし、TV放送後の初歩きを終えた。それは形こそ幾つかの差異はあれど、表面上、変わりない通学風景なのであった。
「梢枝さん? どうなの?」
教室に入るや否や、千晶が問い掛けた。入室して判明した事だが、実にクラスメイトの3分の2がこの日、憂の通学に同行していた事が判明した。
これもまた無償の愛情表現と呼べるのかも知れない。
「一応の火消しには成功しましたえ?」
迷いなく梢枝が返す。この辺りの情報提示ならば問題ない。憂が平穏を望んでいるのは紛れもない事実であり、それをクラスメイトたちは理解している。
「さすがだよねー!」
佳穂が褒め称えた。梢枝は、夜間だったとは言えども、日本中に一気に拡散された画像をたった一日で、ごっそりと排除してみせたのだ。情報社会の申し子とも謂えるだろう。
「健太さんも頑張ったんだぞ!?」
「はいはい。さすがだね。偉いえらい」
「うわ! 超テキトー! 健太さんを崇めるべきじゃねーの!?」
このカップルも全面的な協力を惜しまなかった。付き合うようになった2人は切っ掛けとなった憂に感謝しているのである。憂は何もしていない。健太に手縫いの誕生日プレゼントを渡しただけである……が、幸せならばそれで善し。憂が頑張った補正値は物凄く高いのだ。
「しかし、根本的な解決にはならないだろう?」
「どゆこと?」
凌平の発言は物事の本質を理解しているものだ。佳穂は……まぁ、頑張って頂きたい。
「流れ出した画像のほとんどは消えただろうが、1度見た憂さんの姿は早々、忘れられまい。更に言わせて貰えば、消えたのは表面に出ていたのものだけ……なのだろう?」
「「「………………」」」
何人かが見てはイケナイ物を見たような顔をし、何人もが首を傾げた。
「凌平はん……。えらい詳しいでんな……」
康平が代弁してくれた。有り難い。元キザ男さんは、いつの間にかネット世界を理解してしまているらしい。過去の彼からは想像も付かない。
「ふむ。僕も君たちと行動を共にするようになり、必要な事を学習している。当然だ」
……情報社会の申し子が増える日は、そう遠くないのかも知れない。
「大したものですわぁ……。期待してますえ?」
その時、渦中の人間はほっぺたを膨らませていた。千穂にTVの件でからかわれ、唇を尖らせたところ、千穂にその唇を押し戻されたのである。時折、見掛ける光景だ。
「ぶっ!」と溜め込まれた空気が押し出された。
今日は続きがあった。千晶が膨らんだほっぺを両サイドから、両手で戻した。
「「「あはははは!!」」」
笑い合う3人を愛おしむように目を細めると、梢枝は教室前方窓際に目を向けた。
1人の男が体をホワイトボードに戻した。肩が震えている。
梢枝はその男に近づいていった。何を思ったか憂も付いていった。
「樹さん? 感謝しておりますえ? 見事にあそこの混乱を収めてくれました……」
「こんなヤツに感謝する必要ない」
「明日香さんも協力してくれましたよねぇ? ほんまに助かります……」
梢枝が頭を下げ、謝意を示すと同じように憂もペコリと頭を下げた。
「憂ちゃん……」と明日香が立ち上がった。「俺の出来ること、これくらいしかないから……」と樹くんが言っている間に、裏サイト接続者コンビの片割れは窓際、憂の下に近づいていく。
「ひぃぁぁぁぁ――!」
「好き!」
唐突に行われた熱烈なハグに大混乱を来たす憂、及び教室内なのであった。
以降、事件は起きなかった。明日香の告白は冗談で済まされたのである。本当に冗談だったかは定かではない。
各授業に入る前、担当教師たちは、いずれも放送された憂の後ろ姿について触れた。裏事情を知っている利子さえも触れた。『やっぱり庇護欲掻き立てられちゃう後ろ姿でしたね! でも私たちだけで充分です! みんなで守ってあげちゃいましょう!』と、クラス内の結束を促したのである。
「……起立。……礼「ありがとうございました!」…………着席……」
「それじゃ、みんな気を付けてあげてね。また明日!」
何やら言い残し、化学の教師は教室を立ち去っていった。おそらく憂の事だろう。教師の大半は憂の背後の存在に戦々恐々としつつも、後遺症を持ちながら頑張る儚い少女を暖かく見守っているのである。
「んーっ――!」
その少女は立ち上がったまま、小さな体を精一杯に伸ばした。『着席』は様式美だ。放課後に突入した6時間目の終了時にきちんと座る者はほとんど存在していない。
憂は、この6時間目は最後まで起きていた。そんな午後は少しずつ増えていっている。進歩……と言えるのかも知れない。それは脳の限られた容量を脳自体が、上手く扱えるように最適化していってる……のだろうか? ぶっちゃけ、よく判らない。脳外科医は『有り得ない話じゃないけどねー』と結論付ける事が出来なかった。
「ぴんぽーん!」
佳穂が両手を挙げた影響で見えた臍を触った。突っ付いた。
「んんっ!!」
可哀想に……。憂は伸びの最中、折角、伸ばした躰を縮みこませてしまった。
「いたっ! いたっ!!」
佳穂が強く、そのショートカットの頭を叩かれ、弾みで髪が乱れた。パシッ、バシッと良い音だった。
「せっかく憶えた式が消えたらどーすんだー!?」
「伸びの邪魔されたらむかつくよね」
「そうだよ。憂が怒らないと思って」
千晶に千穂が追従するが、佳穂は不満そうだった。不満そうだが、伸びの邪魔をされた不愉快度は半端ない。
憂は佳穂を手招きした。普通にしては机を挟んでいる以上、届かない。
「どぞ」
佳穂は指示された通り、憂の机の上の空中に頭を垂れた。ぺちりとその頭を……、叩いた……とまではいかない。何だろう? 表現できない。
「憂ちゃん、優しいんだから……。もっと激しくていいのに。なんなら肘を落としてもいいのに」
千晶の言葉をスルーし、佳穂が顔を上げると……何ともだらしない顔をしていた。幸せ100%のむかつく……いや、良い表情だった。
憂としては女の子の頭を強くぶつなど出来なかったのだろう。唇こそ出てはいないが、少々、不満げである。何度も言うが伸びの邪魔はしてはならないのだ。
「良い……おヘソで……ございました……」
「憂? 気を付け……ようね?」
「――うん」
千穂が見回すと何人もの男女が顔を逸した。縦穴の可愛い臍チラに心躍った者たちだろう。
千穂は思う。
(なんでセーラー服の裾ってこんな短いんだろうね……?)
因みに千穂はTシャツ着用でヘソチラ予防している。多くの女生徒がしている。憂は、どちらかと言えば異端なのだ。
……TV放送を終え、最初の学園。
それは実に平和そのものなのであった。
だが、SNSによる大拡散と言う事態は学園中の誰もが知っていた。憂への注目の度合いは、過去最高となってしまった。目立つ事は秘密の保持に大きなマイナスだ。目立てば目立つほど、危険度は高まる。憂に対し、負の感情を持つ者を刺激する。プラス感情の者も踏み込んでくる。一層の注意が必要となった状況だ。
……そして、水面下で事態は進行している。
TVでの憂の後ろ姿と、その後の画像の一時的な大拡散は某編集社に焦りをもたらしている。
総帥のスクープを得るのは自分たちだ! ……と言わんばかりに、この蓼園市に追加の人員の配備を行なったのである。