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110.0話 ひとりでおかいもの・ぜんぺん

 


 ―――8月5日(土)



「お姉ちゃん――?」


「なにー?」


 寝る前に必ず連れて行かれるソレを済ませた後だった。


 さぁ! いざ布団へ!


 そんな頃になって突然、憂が言い出した次の言葉。それが大騒動の始まりだった。


「ボク――あした――かいもの――」


 愛は『分かってる。一緒に行こうね』と言う台詞を飲み込んだ。憂に続きの言葉がありそうだったからだ。


「――いって――くる(・・)――ね?」


「……え?」


「じゃあ――おやすみなさい――」


「う、うん。おやすみ……」


(行ってくるって……マジで?)


 愛は思い悩んだ。緊急の家族会議を開いたほどに。30分ほど後、緊急の表示はタップし、アプリを持つ者全員が参加しているグループ、『秘密を知り得た者たち』へとコメントを送信した。ここへの第一報は緊急の表示をタップし、消さないとアラームが発せられる仕様だ。緊急で使う場合を想定した機能なのである。


 この『緊急』はある意味で厄介だ。電源を切っていない限り……例えマナーモードにしていても、アラームを強制的に発する。喧しい音にしていないのは、遥なりの配慮なのかも知れない。



 もう1点、説明しておこう。



 憂のお金の事。


 憂は現在、お小遣いを貰っていない。誰かが絶えず付いており、学園内では学生証でツケに出来る。基本的に持っている必要が無いのだ。


 その状態で買い物に行ってくる……と言った。


 実は憂の勉強机の本人にとっての秘密の引き出し。まぁ、秘密でも何でも無いのだが、その中に()の頃の貯金通帳が入っているのだ。優の頃に少しずつ貯めたお金が今も預金されているのである。


 その大切なお金を出そうとしている。憂にとって、明日、買いに行きたい物とは、よほど大事な物だと謂うことを如実に表している。



 だからこそ、姉は妹の想いを重く受け止め、こうメッセージを送信した。


 愛【急に……で、ごめんなさい。突然、憂が買い物に行きたいと言い残し、入眠しました。一緒に……ではなく、自分で……です。私は行かせてあげたい。協力して頂ける方はいらっしゃいますか?】


 協力者は有り体に言えば、全員だった。翌日の日曜、用事がある者も居ただろう。部活や仕事の者も居ただろう。それでも全員が協力を申し出た。


 憂もいつか自立する必要がある。永遠に守り続ける訳には行かない。


【憂ちゃんにとって、大事な一歩ですね。協力は惜しみません。絶対に成功させましょう!】拓真の母


 このコメントが強くグループの人々の心に響いた。拓真の母は自身の意見をストレートに表現出来る人物なのだろう。


 そして、チャット内での緊急会議が始まった。


 最年少の美優は眠るよう言われたのか、すぐに名前を見なくなった。更に23時を迎える頃になり、学生組はチャットからのログアウトするよう、大人たちに諌められ、落ちていった。


 それからしばらくし、康平と梢枝の2人が復帰したのは言うまでも無いが伝えておこう。彼らの直接的な護衛任務から得た憂の1人歩きの危険性等の情報は、この会議にとって必要不可欠な物であったからだ。もちろん、翌日もそっと見守る事だろう。





 ―――8月6日(日)



 議論……いや、作戦会議は静かに、それでも熱く進行した。


【いっその事、モールを貸し切ってはどうだ?】肇


 この人ならやりかねない。やったとしてもそれでは何の意味も成さない。


【肇さま? 私しか言えない以上、はっきりと私が責任を持ってお伝え致します。少々、黙っていて頂けますか?】秘書


 酷いコメントだったが、この遥さんも真剣に慎重に……。それこそ石橋を叩いて渡るかのように、作戦を組み立てている最中の総帥の……諸問題の全てを丸投げするようなコメントに苛立ったものと推測する。


 その後、少しの間、2人共のコメントを見掛けなくなった。隣室の総帥を訪れ、フォローしていたのだろう。


 ……憂が買いたい物は聞かれなかった。きっと、色々な気遣いから誰も聞けなかったのだろう。






 そして、朝。


 いつも通りとなった和の朝食を摂り終えると、憂は自ら歯磨きを始めた。

 いきなり家族にとっては困った行動だった。こんなに早く動き始めるとは思ってもいなかった……事は無かったが、阻止しなければならない。


 なんせ、作戦会議が終わったのは日付が変わり、1時間以上経過した頃だった。まだ人員の確保、配置など遥たちが全力で動いている段階のはずなのだ。


 だからこそ、歯磨き中の憂に剛が声を掛けた。剛の任務は、出発までの時間を引き伸ばす……この一点に集約されている。


「憂? 勉強、見て……やろうか?」


「うぅ――? いああ――おっと――」


 おそらく『今はちょっと』だろう。だが、それを聞き取ってしまってはピンチに陥る。


「お! そっか! やる気か! 支度……しとくな!」


 よって、色好い返事を聞き、喜々としてリビングに戻る兄の図を作った。


「――おいいひゃん!? うぅ――」


 どこか不満そうに歯磨きに戻る憂なのであった。




「お兄ちゃん――ボク――か「おー! 憂! さぁ、始めるぞ!」


「かいもの――」


 ……めげなかった。頑張って、自らの意思を伝えた……が、この日は違った。通常ならば憂の希望は十中八九どころか、9.5くらいは希望が通る。憂もそれを理解しているのか、剛に背中を見せた。


「……しない……のか……」


「――え?」


 重く沈んだ声音だった。思わず振り向いた憂は兄の俯く様を目撃した。


「――する――よ?」


(憂……。悪い……)


 凹んだフリから若干、本当に凹んでしまった剛なのであった。



「憂? 買い物……モール……でしょ?」


 遥からの準備完了を示す【OK】を受信したのは、それから1時間ほど後の事だった。遅いように思えるかも知れないが、十分に早い。


【もうOKですか!?】梢枝


 この彼女のメッセージを見れば、話が早いだろう。

 この日、朝食は遅めに出来上がった。母・幸が寝坊した(・・)のである。食べ終わったのは9時頃だ。権力を振り回せば9時前から人員の確保に動けただろう。しかし、本日は生憎、日曜日である。急に連絡を受けた者は、憂に対し、悪い印象を持つかも知れない。その為、9時から人員調達に動いた。9時からならば電話により起こしてしまっても問題ないだろうとの判断だ。


 そして9時から僅か1時間で人員の確保どころか配置まで完了させたのは、遥の人望と裁量に他ならない。



 憂が傾げていた小首を戻して言った。


「――そう――だよ?」


「私も……用事……ある……」


 今度は傾げなかった。早めに返答する。


「――そう?」


「だから……送って……あげるね」


「うん――ありがと――」



 ……どうやら全てが上手く行っているようだ。



 着替えは珍しく憂に任された。憂が選んだ服装は至ってシンプルなものだった。


 黒のタイトなジーンズに、白いカットソー。それに透けるほどに、ごく薄手の同じく白の長袖カーディガンを合わせた。


 日焼けについて日頃から、注意するよう姉に言われている。言いつけ通りに出来る良い子なのだ。


「うん。まぁ、合格……かな?」


(今日に関しては……ね)


 憂は一旦、カーディガンを脱ぐと、しきりに後ろ……自分のお尻を見ようと四苦八苦し始めた。体の柔らかい憂は自分のお尻の上部が見えているだろう。しかし、たぶんだが、憂の見たい部分はそこではない。もうちょっと下だ。ついでに、これもたぶんだが、姉の話なんか聞いちゃいない。

 姉は妹が選んだ予想通りの格好に、ほくそ笑んだ事は気付かなかったようだ。


「大丈夫よ」


「――え?」


「パンツの……線……でしょ?」


「うん――」


 恥ずかしそうに俯いた憂に姉は自信を持って答えた。


「その為の……パンツ……」


 何故か着替えの前に履き替えさせられたパンツ……。いや、ショーツ。それはヘムショーツ。ピッタリしたパンツ……ズボンだ。ややこしい。誰がパンツルックなどと言い出したのか!! ……失礼。


 ヘム仕様とは、裾……端の部分を折り返さず、そのまま生地の端としたものだ。縫い目がなく、下着のラインを浮き上がらせにくいのが特長だ。

 その為、ぴっちりとした夏用の薄手の柔らかジーンズでも、憂の下着のラインは出ていない。可愛い小ぶりのお尻そのままの形だ。

 ……それでいいのか? きっとカーディガンである程度隠れる為、善しとしているのだろう。


 愛がほくそ笑んだ理由は単純だ。予定通りに地味な格好を選んだ事を喜んでいるのだ。お釈迦さまの掌で踊らされるどこぞのお猿さんよろしく、妹は姉の手の平の上で踊らされている。


 その踊らされ続ける憂は、愛の言葉に納得したようだ。大人しく、黒のリストバンドと同色のチョーカーを付けられた。目立つ原因の1つだが、これはどうしようもない。首の傷痕は徐々に薄くなってきている……が、わざわざ見せる必要は無い。


 そうこうすると、憂の私服にしては、過去と照らし合わせ、実に地味なコーディネイトが完成したのだった。





 それから十数分後、憂は蓼園モールの屋上駐車場に降り立った。


 愛はこれから別の買い物があると憂に説明済みである。当然ながら嘘だ。彼女はこっそりと憂の後を追うつもりである。一家全員もだ。彼らは父の運転で地下駐車場に降り立っているはずである。


 もちろん、いつものメンバーもこのモールのどこかに居るはずだ。それどころか、梢枝と康平の会社の者も総帥秘書が手配した多くの者も、目を光らせているだろう。


 我らが総帥殿は自宅待機を命じられている。いや、失礼。自宅で吉報を待つよう、指示……ではない、依頼されている。



「――行って――くる――ね?」


「うん。気を付けて……ね?」



 こうして憂となって初めての「ひとりでのおかいもの」は、幕を開けたのである。



 憂は当然、モールの塔屋……。エレベーターホールへと向かった。転入当初よりも足取りはしっかりとしているが、それでも軽く右足を引きずって歩いている。


『筋力は付いています。後は脳の司令さえ巧く伝達出来るようになれば、歩行に関しては問題無くなる事でしょう』


 これは主治医である島井の見解だ。退院、転入からほぼ4ヶ月。憂として動き回った結果、ついに筋肉量は通常の140cmほどの少女たちに、いくらか劣る程度まで追いついたらしい。


『それでも走ると云う動作には危険が伴います。よって、これ以上の筋力の増加は難しいかも知れません』と言う注釈付きであった。


 因みに身長は一切、伸びていない。体重も伸び悩んでいる。筋肉量の増加に合わせるように脂肪が減少しているのだ。未だにローレル指数でもBMIでも理想数値から離れた、痩せ過ぎ寄りの『痩せ気味』の範疇である。


 それでも以前に比べ、想像も付かない程の健康的な姿と謂える。


 愛は憂の後ろ姿を目を細めて見送ったのだった。


「愛さん? おはようございます」


「びっくりした。千穂ちゃんか。見付からないようにね」


 その愛の言葉に千穂は曖昧な笑顔を見せた。愛はおそらく気付いていない。大抵の場合、千穂を呼び捨てに出来ていない事を。何となく難しいのだろう。


「それはもちろん!」


 彼女の父も居た。2人きりの漆原親子は愛と合流したのだった。




 早速、予想外の事態が発生した。


 憂はエレベーターホールを素通りし、階段を降り始めた。


 誰も追い掛けられない。先回りも出来ない。階段はこのモールでは、通常使われない。エレベーターを使わなくともエスカレーターがある。付いていくにもすれ違うにも、憂に違和感を与えるかも知れない。気付かれてはならない。憂には1人でミッションを達成したと思わせる必要があるのだ。自立への第一歩なのだ。


 多くの密かに見守る者たちに緊張が走った。もしも階段から落ちれば大事(おおごと)だ。


 そんな周囲の心配を他所に、(ターゲット)は平然と2階に降り立った。


 遥によって狩り出された者たちの安堵は想像付かないほどだろう。なんせ総帥秘書の依頼だ。対象者が怪我でもした日には目も当てられない惨状が待っているかもしれない。



 モール内の人影は(まば)らだった。まだ11時にもなっていない。これが昼前になると一気に買い物客とお昼ご飯を求める者でごった返す。それでも普段より多いのは、憂が顔も名前も知らない護衛が多数、憂をさりげなく見守っているからだ。


 彼ら、彼女らは憂の迅速な行動を心より望んでいる事だろう。


「憂さん……? どうした? 1人……なのか……?」


 2度目の想定外発生。


 何故かそこに凌平が居た。


「――凌平!」


 美少女の笑顔が弾けた。凌平及び、それを見慣れていない者たちの時間が止まった。彼女の天然の魅了スキルにやられてしまったらしい。




「……誰?」


「クラスメイトです。康平くんが休んでいた時にお世話になりました」


 憂が降りてきた階段の踊場では、愛と千穂がヒソヒソと言葉を交えている。愛はサングラス着用。千穂はハンチングキャップとマスクを着用している。どうやら多少の変装をしているようだ。


「彼が凌平くんか。聞いてた通りのイケメンくんだね」


 それくらいで誤魔化せるのか……? ……と、疑問に思うが憂はかつてサングラスを掛けただけの康平を認識出来なかった。髪を切った凌平が判らなかった。憂に目撃されたとしても、もしかしたらバレないかもしれない。


「くすっ……。今度、凌平くんのエピソード聞いて下さいね」


「エピソード? 何かあったのかな? 楽しみにしてるね」




 そんな凌平と憂の遣り取りはすぐに終わった。


 憂の死角から京之介と佳穂千晶が凌平に姿を見せ、大きくバッテンマークを示してみせたのだ。

 178cm以上の連中は姿を見せなかった。身長順に勇太拓真圭佑の3人はでかくて目立つ。


 空気を読む事が苦手な凌平だが、1人で歩く憂を見付けた時から違和感を感じていたのだろう。すぐに理解し、「気を付け……たまえ……」と一時的に離脱し、京之介たちと合流したのだった。


「後遺症を負い、初めて1人での買い物……なのか……」


「そーなんだよー。凌平くん、変にいい人になっちゃったから、付き添っちゃうかと思って……。でも、それじゃ意味が無くなるから……。ごめんね!」


「うむ。その……僕も見守らせて貰って構わないか? 不安で堪らん……」


「みんな一緒。わたしもそう。千穂も佳穂も男子たちもそう。ご家族も総帥さんもそう。やっぱり愛されてるよね。憂ちゃんは」


 千晶の言葉は、このおかしな状況を如実に示していたのだった。



「……そうだな」


 口元を綻ばせ、柔和に語った凌平の表情は初めて見せるものだった。


「「………………」」


 この場の女子2名は思わず、その横顔に見入ってしまった。


 その女子2名も男子たちも軽く変装している。全て憂の為に……と用意していたのだ。




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