109.0話 取材の日
―――8月4日(金)
―――この日、憂は欠席した……と、言うよりも実は夏休み中である。そんなに毎日、顔を見せる必要は無い。憂たちの出席率が高すぎるのである。
先日のきょうちゃん特訓や更に前のプール……。そう云ったイベント以外、午前中に限り……となるが、皆勤している憂は、やはり生粋の人好きなのであろう。
この日の欠席の理由は、TV局の取材の受け入れの為だった。
良くも悪くも憂は目立つ。しかし目立ちすぎは問題だ。TVなどに目を付けられる訳には行かない。
TVはバラエティ番組らしい。学園長は猫事件に端を発する悪評を払拭する為、この日、番組の作成に許可を出したのである。悪い意味での注目もまた注目だ。世間の目を逸しておきたい。
実は昨年まで、私立蓼園学園は多くの取材を受け入れていた。なんせ、日本一の生徒数を誇る上に独特なシステムだ。取材の申し入れは多い。
今年度に入り、TVの一切を受け入れて居なかったのは、一重に憂の為だった。何度も言うが、憂は目立ちすぎるのである。
『生徒たちのプライバシーには十分に配慮してください。NGを出した生徒の放映はお断りしております』
これが学園長が取材の申し入れに対し、突き付けた条件である。至極真っ当な条件であり、当然の事だ……と了承を得て、この日、取材班を受け入れたのである―――
「さぁ、見えてたよ! あれが私立蓼園学園……かな!?」
イケメンタレントは魅力的な笑顔で校舎の1つを指差した。
「……あんまり大きくないねぇ……」
そう言ってイケメンを顔を顰めてみせた。蓼学広報の女性は、そんなタレントに目を奪われている。もちろん、取材班は自由に動き回れる訳ではない。それは学園内に混乱をもたらす。彼は某人気事務所に所属するアイドルグループの1人だ。
「何を言ってますか! あれは校舎の1つですよ! 蓼園学園……。あ! これからは蓼学って呼ばせて頂きますね!」
女性リポーターはいたずらっ子のような笑顔でカメラ目線を送ってみせる。この辺りは茶番だ。イケメンさんも当然、その情報を持ち合わせている。
「この蓼学の敷地は広大です! 初等部、中等部の校舎と大きい体育館。高等部に至っては、5つの校舎と体育館、付随する棟なんかもあるんですよ!」
「マジで!? マジでけぇじゃん……」
イケメンは驚いた顔を作ってみせた。自然な表情だ。プロである。因みに広い蓼学。取材班は2組に分かれているらしい。
「……って言うか、本日8月4日だよー! 夏休み中でーす! ……生徒は部活中の生徒くらいかな? それだとちょっと困るんですけど。番組的に」
「そう仰ると思い、調査済みですよ! 自由と自立を掲げる、この巨大な学園! 夏休み期間中も教室を開放、科目によっては1学期の復習授業も行なっているそうなんですよ!」
「……それに出るの? 夏休み中に? オレなら出ないわ」
「それがですね! そこが蓼学の凄いところなんですよ! 夏休み中の平均出席率は4割超え! 今年度は実に6割を超えているそうですよ! 自由を投げ捨て、自立を生徒自ら選ぶ! この学園ならではと言えませんか!?」
……番組のスポンサーに『蓼園』の名前は入っていないが、今回に限って言えばグループから多額の寄付があったものと思われる。
蓼園グループ各社にとっても、蓼学の悪評はマイナスだ。自由と自立の理念がサイコパスを産んだとされる批難をそっくりそのままひっくり返してしまおうと云う魂胆が、チラリと顔を覗かせている。
……が、蓼学の理念によって、今日のこの光景があるのは、間違いない。何しろ夏休みでも数千名が出席を果たしている。多少の諸刃の剣的な部分は目を瞑って頂こうとしているのだろう。なので、何1つ、嘘は付いていない。学園側に姑息さを感じるが、そういうもの……かも知れない。
彼らは東門から進み行った。反対側、西門から別グループが潜入取材を開始している事だろう。
「……これは?」
「これは建築中のD棟ですね! 来年度、このD棟を拓くと、また新たに500名の1年生を受け入れる事が可能になります! そして、その2年後にはついに高等部1万名を数える事になります!」
「い! いちまんー!!??」
「ようやくピンときたみたいですね。この学園の大きさが」
「はい。反省してます」
ヤケに人数を強調してみせた。これも『大勢居れば良からぬ事をしでかす生徒が1人くらい居ても仕方ないよね』と刷り込ませる為なのだろう。
もちろん、編集でカットされるかも知れないが。
ある程度、取材班の雰囲気が解ったところで、1-5に目を向けてみたいと思う。
1-5は現在、時間割で言うと1時間目の最中だ。
途中で抜けても問題は無い。もちろん自習中である。
女子サッカー部、期待の星。結衣は集中出来ていない。しきりに教室後方の窓際。空席だらけの一角に顔を向けている。
ショートヘアに小ぶりの顔。よく見れば愛くるしい顔立ちは、日に焼けて小麦色である。それはパッと見で元気を主張している。
「結衣?」
私立蓼園学園に高等部から入学後、最初の友だちであり、サッカー部の仲間である、さくらが心配そうに声を掛けた。
「んー?」
なんとも気のない返事に、さくらは苦笑いを浮かべた。
「憂ちゃんが居ないと落ち着かないよね」
「さくらも? 居たら居たで落ち着かないし、居なくても落ち着かない。これは……もしかして……恋?」
「あはは! 佳穂ちゃんみたいな事言ってる!」
彼女たち女子サッカー部。本日の部活は午後かららしい。1時間目から姿を見せたのは、どこか憂たちを見ていたい気持ちがあるからだ。他のクラスメイトたちも同様である。
「見てるだけで幸せ。今日は見られないから不幸。絶望。もうダメ。勉強なんかやってられない」
……どうやら面白い子のようだ。
「……そう言わないの。憂ちゃん昨日も頑張って勉強してたよ? さ、教えたげるから」
「うん。仕方ないから教わってあげる」
スポーツ特待生。この夏、女子サッカー部を全国大会に導いた新星は勉強が苦手のようだ。そんなサッカー少女も期末テストでは平均点を大きく伸ばした。デイビッドと憂が与えたやる気は今も1年5組に健在なのである。
「ん? あれ何だ?」
「健太? なに?」
「何人か通ってった」
「自由参加だからね。今、自習しにきたんじゃない?」
「いや! それはおかしい! ウチの向こうは特進しかない! 特進は遅刻しない!」
「……あのねぇ。毎日毎日出席する訳じゃないでしょ……。特進だって色んな事情があるだろうし……」
「そうだよー」
もちろん、正副委員長さん2人と健太の会話である。
そんな3人の会話が耳に入ったのか、結衣は立ち上がった。立ち上がると教室前方のドアに向けて歩き始めた。好奇心が鎌首を擡げてしまったらしい。
結衣はソッとドアをスライドさせると、頭を隙間に突っ込んだ。
……すぐに頭を引っ込ませ、ドアを閉めてしまった。結衣が振り返ると沢山のクラスメイトの注目を集めており、たじろぐ様子を見せた。顔が引きつっている。
見られるのは当たり前だ。目立つ行動をしたのだから。
「結衣? どうだった?」
「……テレビ。3組入っていった。撮影だと思う。最悪。逃げたい。隠れたい」
「なんでよ?」
「マジで!? 健太さんの取材か!?」
「お前、ベンチに入ってるだけじゃねーか!」
「俺には輝かしい未来がある!」
「どっからその自信がくるんだよ!?」
「特待生でもねーだろ!」
「特待生って言えばウチでは結衣ちゃんだけだよね?」
「言わないでっ!」
「なんでよ!?」
……相変わらず騒々しいクラスだ。その喧騒のお陰かノックされた事に誰しもが気付かなかった。
「失礼しまーす!」
「お邪魔します!」
イケメンタレントと女性リポーターが大きなカメラを2台、レフ板を持ったスタッフなどを伴い、1-5に突入してきた。
「ぅなぁぁぁぁ!!」
飛んで逃げた。文字通り飛んで逃げた。結衣が。彼女は教室内。取材班の対角線。つまり、勇太の席付近まで逃げていった。何がしたい?
百戦錬磨の撮影スタッフたちも目を瞬かせ、ピタリと動きを止めた。
対する5組の子たちは無言だ。テレビよりも結衣の豹変ぶりに目が向いている。
「あ、あれ? 皆さん、テレビ……ですよー?」
「3組さんに行ったら、静かに自習しておられまして……。賑やかな楽しいクラスって事で1年5組さんにお邪魔したのですが……」
「……お邪魔しましたー」
「……失礼しまーす」
……そのまま立ち去っていったのだった。
テレビカメラが消えると結衣は席に戻った。遭難し保護された直後のような疲れた顔をしている。
「……タノだった……。ファンなのに……。大好きなのに……。結衣のせいで……」
イケメンタレントの通称は『タノ』らしい。さくらが悲しげに教えてくれた。ありがたい。
「すっげぇ……マジで撮影してた……」
「あ。そっか。健太は初めてなんだね。去年までぼちぼち来てたんだよ?」
「そうなのかー! 俺、サッカー強いって理由で蓼学来たからなー! 知らんかった!」
「……何度も放送されてるよ? ニュースでもバラエティーでも……」
……。
健太さんたちの会話は置いておく事とする。問題は結衣だ。
「結衣ちゃん……どうしたの……?」
眉尻を下げ、結衣に先程の奇行について、疑問を投げかけたのは陽向だ。2人は完全にクラスメイトたちから許されたようだ。今回は心配顔だが、よく笑みを見せるようになった。
……のだが、憂とそのグループには、なかなか話し掛けられないでいる。自分を許せない部分があるのだろう。
「どうしたもこうしたもテレビは嫌いだっ!!」
「だからなんでよ!?」
「ちょっと……喧嘩は……」
結衣とさくらの間で、止めに入ったのは瀬里奈だ。背中の中央付近まで伸びていた金に近かった茶髪は、肩に少し掛かる程度になった。色もダークブラウンとなった。かつての印象とまるで違う。それに合わせるように柔らかい表情を見せるようになった。
……これが彼女の本来の姿なのであろう。
「さくらが怒るから言うけど! 自慢じゃないからね! 先に言っとく!」
宣言すると周囲を見回した。続けて口を開く。
「あ……。みんなで聞く必要。無いよ?」
「そりゃ無理ってもんだ!」
クラスを代表していつもの健太が言い切った。彼の言い分は正しい。ここまで言われてスルー出来るメンタルの持ち主はいない。凌平さえ、手を止め、成り行きを見守っている。
「でもぉ……」
不服のようだ。片手を額に当て、天を見上げた。天井だが。
「……どんな事でも受け入れてくれるよ。この5組なら……」
陽向が小さく小さく笑った。自嘲も混ざっていたかも知れない。
「陽向がそう言うなら……。私ね。小学生の頃からサッカー上手って言われてきた。地元で有名ってヤツ? それで取材が来た。ローカルだけど」
「凄いじゃん。なんで逃げんの?」
まだ話の途中なのに、さくらが横槍を入れた。それを聞くと一度だけ、小さく首を横に振った。
「それが放送された。すぐだった。たぶんローカルだから? それで。その放送。右上の字幕? 説明文? よくわかんないけどあるでしょ? ちょっとした文章。そこに『小さな体に期待を集める天才サッカー少女』って書いてあった。それが問題。その放送の次の日、学校に行ったらみーんな『天才』って呼ぶんだ。『よー! 観たぞー! 天才!』ってからかわれた。それからずっと。中学卒業するまで大勢から『天才』って呼ばれた。馬鹿にして言ってた。サッカー辞めようって思った事もあった。だから、地元を飛び出して蓼学に来たんだ。だから、私はテレビとか取材とか大嫌い。注目なんか集めるもんじゃない」
特に返事を求める事無く独白した結衣は、教室左手後方……。本日は空席だらけの方角を表情無く向いていたのだった。
「――あはは!!」
憂たちは公園のバスケコートで遊んでいた。
「憂! もっと! た・か・く!」
もちろん京之介の特訓の合間だ。
現在、憂と勇太の2人でゴールの周囲を占拠している。今日は現役バスケ部員3人は朝からの練習をサボった。『秘密の特訓中です』との言い訳だ。あながち間違ってはいない。
「――いくよ?」
「よっしゃ! こい!」
勇太は助走を付け、ゴール下へと駆け込む。
憂は、狙い澄まし、タイミングを合わせ、ボールを両手でポイっとゴールの上へと放り投げた。
「――あ」
それとほぼ同時に、勇太は思い切りゴールに向けて踏み切った。
アリウープの練習だ。
空中、ゴールを越える高さのパスをキャッチし、そのままダンクシュートに持ち込む大技である。
『あ』……と、誰かの声が聞こえた通り、ボールは勇太の手に収まらなかった。それどころか、ボールはゴールに吸い込まれていった。
…………。
「憂! ナイッシュ!!」
「お前な……」
小休止中の圭佑が一瞬の静寂の中、憂に向けて言うと『あははは!!』と笑声が渦巻いた。
憂も釣られて元気な笑顔を見せるが、勇太だけはちょっと怒った顔をしている。
実は京之介と勇太が小休止を利用し、始めた練習だった。それを邪魔したのが憂だ。
どうしても勇太の『はじめてのありうーぷ』を自分のパスで決めて欲しかったらしい。そんな憂に京之介は快くハイタッチし、交代したのだった。
「憂ちゃん?」
ひと声掛けると、ボールを回収した千晶がバウンドパスで憂に繋いだ。もう一本! ……と言うことらしい。
千晶と千穂がしきりにボールを拾っている。俗に言う球拾いだ。佳穂は何だか、本気でバスケに取り組もうとする様子を見せている。小休憩の度に経験者やら現役やら捕まえ、どんどん質問を投げかけている。
「それで……最後な」
拓真が言うと多くの者が立ち上がった。美優の姿は無い。全国大会が来週に控えている。ハイレベルのこの集いで得られる物は多いが、レギュラーでもあり、おいそれと休みまくる訳には行かないのだ。
そんな美優は憂に宣言した。憂が応援に行きたがっていた為だ。憂は忘れているかも知れないが、遠出への不安を愛は抱いていた。
プールの時の様子は千穂たちからしっかりと聞かされている。
美優の宣言の内容はこうだ。
『目標は全国制覇です! 決勝戦だけ応援しに来て下さい!』
自信満々、大胆不敵な宣言には兄・拓真が驚いたほどだった。
「うあー!! 惜しい!!」
最後の一本は勇太の手には収まったものの、ダンクシュートはリングに弾かれてしまった。アリウープの難易度は極めて高い。試合でなかなか見られないのは、その出し手と受け手の呼吸がなかなか合わないからである。
「もう――いっぽん――」
……これは優の頃からの悪い癖である。これを言い始めたら長い。あと一本が止めない限り、延々と続いてしまうのだ。
勇太は苦笑するとポンポンと軽く頭を撫でた。
「また……後で……な?」
……噛み付こうとしたのは言うまでも無いだろう。
その1時間後、「――のど――かわいた――」とベンチに腰掛けた。残り少ないスポーツ飲料入りのペットボトルを覗き込み、ちゃぷちゃぷと揺らすと蓋を開け、グーッと口に運んでいった。
「んぐ――ぶっ――」
……少量をリバースした。
あるあるだ。
目測を誤ったのだろう。口腔内に収まる量だと思ったらしい。
たしかに優の頃なら、全部を口に入れられたかも知れない。
「あんたは何やってんのよ……」
涙目で咽る憂の背中を、呆れ顔で擦る愛なのであった。
……何とも平和な一日であった。