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108.0話 想いを託して

 


 ―――7月31日(月)





 憂が京之介を呼び出した。





 ―――前日の高等部男子バスケットボール部の決勝戦。私立蓼園学園高等部と私立藤ヶ谷学園高等学校の試合。


 この大切な決勝に於いて、蓼学バスケ部は蹂躙された。30点差近い大差だった。

 藤校の若い監督の手の平で踊らされてしまった。

 

 蓼学は1つの賭けに出た。

 周りの選手たちとの連携も取れてきた勇太を先発として投入したのである。それを完全に読んでいた。そして、特に守備に於いて、仕事をさせて貰えなかった。ファールを辞さない対応で勇太の足を釘付けにしたのである。リバウンドに参加すら、なかなかさせて貰えなかった。蓼学の賭けは失敗に終わったのだ。


 蓼学も3年生、最後の試合となった7番の奮闘で意地は見せたものの、それだけに終わった。高等部から戦力が増加する蓼学と、そうでない藤校の成熟度合いには差があり過ぎたのだ。


 劣勢に陥った男バスに女バスの3年生たちが、声を枯らして声援を送り続けていたのが印象的な試合だった。


 男子バスケ部員3年生、最後の試合でついに男バスと女バスは完全に和解した……とも言えるのかも知れない。



 クラスメイトに話を戻そう。


 勇太は徹底マークされてしまったが故の結果だった。致し方ない。彼は相手選手を引き付ける事により、一定の役割を果たした……とも捉える事が出来る。


 圭佑も出場を果たした。果敢な特攻で一時的には、流れを変えた。スーパーサブ、シックスマンとして十分な働きを見せた。自身も3ゴールを上げてみせた。


 問題は京之介だった。京之介は出場時間ゼロ。試合の開始から終了までベンチを温めていただけで決勝戦が終わってしまったのである。



 彼は、彼が信奉している天才に問うた。


 京之介【憂? ぼくのなにがダメ? なぜ、ぼくは、しゅつじょう、できなかった?】


 憂の答えは簡潔だった。


【いいパスが入らないと何も出来ないところ】憂


『1-5知った者倶楽部』と名前の付いたグループ内。そこでのコメントは、周囲が驚くほどに切り込んだ発言だった。


【ちょ……憂?】勇太


【憂ちゃん!?】佳穂



 京之介も準決勝までフリーを作ろうと云う動きは、もちろん見せていた。しかし、彼も出場すれば相手選手が張り付いていた。憂の世代の名前は県内に……一部、全国に轟いていた……が、その話はいずれまた。


【あぁ……憂の、してき通りだ】拓真


 京之介【いいよ。はっきり言ってくれて、たすかる。それならぼくは、どうしたらいい? ぼくをいかすPG(ポイントガード)が、いないんだよ】


【明日、こうえんのコートに来()れる?】憂


『ら抜き言葉』を矯正中の憂はきちんと『ら』を加えてコメントした。言いつけを守る良い子である。


 京之介【こうえんの……?】


【あー。明日、案内するぞ? 早い時間の方がいいかもしんね。たまに他の奴らに取られるんだ】勇太


【俺も行っていいか?】圭佑


【私も行っていい!?】千穂




 斯くして1-5の『知る』子たち、全員集合と相成ったのである。愛も剛もその場に見えた。美優も居る。5on5がいい……と駆り出されたのだ。


 梢枝を京之介の役割……SG(シューティングガード)として、3Pシューターに加えた旧中等部バスケ部メンバー、残された世代を攻撃に、康平、剛、愛、美優……そして、現在は千穂がINしているディフェンス組に分かれている。



「もっと――パス――はやく――」


「つよく――。だすのも――おそい――」


「……わかってる」


「憂ちゃん、厳しい……」


「うん。意外な一面」


「みんな――うごきだし――おそい――」


「あぁ……」


「わかってんだよ! 体が追いつかねー!」


「懐かしいなぁ! この感じ!!」


「千穂――? もっと――梢枝に――よって――」


「は! はい!!」



 現在、憂をコーチに京之介のPG(ポイントガード)……。かつての優のポジションの特訓中である。


 これが憂の答えだった。


 パスを待っても入らない。それなら最初にボールを保持するPGへと転身すればいい。


 ……もちろん言うほど簡単な事では無い。



 京之介はパスを投げる(・・・)。それが拓真の手に収まる……が、すでに康平がディフェンスに付いていた。


「――拓真――おそい――」


「パスも――もっと――つよく――」


「てかげん――いらない――」


 暑いからだろう。ジャージを脱ぎ捨て、誕生日プレゼントで貰ったスポーツ用の可愛げなショートパンツ。それとセットの2分ほどの袖のシャツの少女は、ゴールボードの後ろで仲間たちを叱責する。あらん限りの想いを秘めて。


 拓真と京之介は初等部で。勇太と圭佑は中等部で。ヒヨッコだった頃に受けた優からの叱責だ。



 その容赦の無い言葉に応え、勇太に向けて全力のパスをぶん投げる。ボールは勇太の指先を掠め、フェンスをガシャン! ……と響かせた。


「勇太――まじめに――」


「憂! お前の時よりきょうちゃんのが力あるんだぞ!? パスが速いんだぞ!?」


 思わずまくし立てた勇太の言葉を千晶が囁く。残念ながらその役目は佳穂には向いていない。佳穂本人も理解しているのか、恨めしそうに千晶と憂を見詰めている。



「だから――だよ――」



「ボクより――優より――」



「――できる――はず――」



「……おっしゃ。休憩だ」



 拓真の休憩宣言に深く息を付く者が続出した。憂の気持ちが痛いほど伝わったのだろう。どこかしんみりとしてしまったのだった。




「……ジュース買うてきますわ。皆さん、何がええでっか?」


「覚えられますか? ひーふーみー……。13人ですえ?」


「……無理やわ。梢枝も頼む」


「そないな事やろうと思いました……」


「あたしも行きます!」


「ボクも――いく――」


「憂が行くなら私も……」



 ……結局、ぞろぞろと連れ立っていったのだった。


 その数、7名。


 梢枝と美優、愛と憂。そして3人娘だ。


 残ったのは男子全員。きっと話がしたいはずだろうと、女子それぞれが気を使った結果だ。



「……憂? ちょっと……厳しく……ない?」


 自販機に辿り付くのは遅くなった。千穂のこの言葉に、1番、体の小さい子が足を止めてしまったからだ。

 憂は千穂のこの言葉を吟味し終えると、不満げに唇を突き出した。


「あたしも……。なんか……優先輩の……イメージと……」


「バカだからね。この子は。本気でバスケの事、考えるとバカになるんだ」


 千穂も美優も知らない。優のスパルタによって、他の4人が伸びていった事を。他の同級生が弾かれていった事を。


 姉は鮮明に記憶していた。


『……付いてきてくれる人が少なくて困ってるんだ。今日、1人辞めちゃったよ……』


 そう言って膝を抱えた小学生だった優の姿を。その時の愛は、優を優しく諭した。


『合わせてあげるって事も必要なんじゃない?』


 それから優は大人しくなった。本気のパスは拓真と京之介だけへと封印された。


 そして、中等部に上がった直後、再びそれは顔を覗かせた。それに応える事が出来たのは勇太と圭佑の2人だった。『加減したパス出してんじゃねーよ!』と息巻き、優の本気を引き出した。これはもちろん、部活中では無い。1年生の有志が毎日、居残りで行なった自主練習での出来事だった。2人は自ら望み、優の本気のパスに順応していったのだ。


 それが彼ら5人と、他の控えのメンバーたちとの差に繋がってしまったのである。


 千穂がバスケ部の練習に顔を見せ始めたのは、中学1年生の終わりの頃だった。故に、当時の勇太と圭佑への容赦の無いダメ出しを知らない。優の初めて見る姿だったのだ。



「きょうちゃんが――」


 しばらくすると憂は俯き、話し始めた。


「このまま――おわる――なんて――」


 そして、顔を上げ、2人を交互に見やった。真っ直ぐな瞳だった。


「――ぜったいに――いや――だから――」


「憂……」


「先輩……」


 憂は京之介へのパスを供給できない事を悔やみ、京之介に本気を以て、()の全てを捧げるつもりなのだろう。

 それを女性6名は理解したのだった。




 程無くすると、坂の途中に鎮座する自動販売機を発見した。この大きめの公園は小山に作られている為、そのような場所にあるのだろう。


「はい。憂……。これ」


「愛さん……」


「――いいの!?」


 憂が手渡されたのは百円玉が2枚。

 実は、これが1年以上ぶりにまともにお金を扱った瞬間なのである。


 どこか暗かった空気は、今日の空に輝く太陽のような笑顔を見せた憂によって霧散した。


「憂? ……何にするの?」


「えっと――」


 キョロキョロとじっくり見回すとスポーツ飲料のペットボトルを指差した。部活後、よく飲んでいた記憶がそうさせたのかも知れない。


「「「………………」」」


 全員が無言になった。先程の笑顔について語り合っていた佳穂と千晶も「………………」と閉口している。


 そのペットボトルは大きめの自動販売機の1番上に展示されている。坂の途中に設置されている為か、片方の足が長い。


 ……つまり、自販機の背が高いのだ。


「……押して……あげよっか?」


 千穂が全員の気持ちを代弁した。


『それは届かないだろう』


 ……きっと、これだ。


「じぶんで――」


 久々に渡されたお金の魔力だろうか? あろう事か憂はその折角の申し出を断った。届かなかった時に凹むのは目に見えている。


 憂は左手の100円玉を不器用な右手で1枚、もう1枚と自販機に投入した。2枚とも右手に持ち、連続で投入など出来ないだろう。良い判断と言える。落としてしまったら大変だ。なんせ坂の途中だ。運次第だが、最悪なら坂の下まで転がって行きかねない。


 ……小銭の投入を終えると、憂は背伸びをし、精一杯にその短い手を伸ばす。


 誰かが唾を呑み込んだ。変な緊張感が周囲を包み込む。たかがジュースを買うために……だ。


「うぅ――もう――ちょっと――」


 憂は、つま先立ちに切り替えた。ハイカットのバッシュで無ければ転倒していただろう。現に憂の傍には全員が寄り添っている。全員が倒れてしまいそうな憂に手を伸ばしている。


 ……すこぶる変な光景だ。


 憂は自販機に縋り付く。あと1cm。両足をプルプルと小刻みに震わせ、懸命に体を伸ばす。


 あとちょっと……あと少し……と、自販機に体を寄せていった。




 ピッ




 がららら……







 ……ガコン



 チャリンチャリン




『……………………』




 躰のどこかが自販機のボタンに触れたのだろう。その自販機は無情にも望みと違う清涼飲料水と釣り銭を吐き出した。




『……………………』



 何とも云えない静寂が7人に寄り添う。


 ……憂は未だにつま先立ちのまま、プルプルさせている。



 立ち直りの早いはずの梢枝も千晶も反応できない。


 千穂も愛も優しい声の1つも掛けられない。




 やがて、憂はつま先立ちを止めた。自販機との距離、10cmほど。踵を精一杯に上げ、降ろした分の距離感のみ。至近距離のまま佇んでいる。


 少女は俯かない。ただじっと真正面の自販機を見ている。


 自販機さんが『ちょっと! 近いよ!?』と文句を言いそうな距離だ。


「……憂先輩……」


 ようやく声を掛けたのは美優だった。声が僅かに震えていた。もちろん、笑いを堪えている訳ではない。


「――な、なに――?」


 憂は、その気遣いだらけの声音に、恐る恐るゆっくりと振り向いた。



 ……しっかりと涙目である。


 そのまま笑顔を作ってみせた。そして涙が零れる。



 ……それは……まぁ、どんなに頑張っても誤魔化せないだろう。



「――ごめん――なさい――」


 どうやら千穂の申し出は憶えていたようだ。なんともまぁ、哀愁を漂わせていたのだった。


 千晶が出てきたジュースを取り上げる。それは炭酸飲料だった。全世界に普及している赤い缶だった。


「わたし、これにしようと思ってた」


「あたしは! あたしはー!!」


 佳穂は葛藤している。この休憩後にもバスケが待っている。千穂よりも自分が参加するべきだと云うことも理解している。現に5on5が開始された時、参加していたのは千穂ではなく佳穂だった。彼女の方が向いているのは間違いない。

 しかし、炭酸のソレを飲んだ後に全力で動き回る自信が無いのだ。


 更に言えば、千晶の言動は彼女の優しい嘘だ。何故なら千晶はこの夏、絶対に体型を維持すると心に決めているからである。


 斯くして、憂は無事に望みのスポーツ飲料を手に入れる事に無事、成功した。


 千晶が憂の押してしまったジュースを貰い受けなくとも、誰かが助けを出していたのだろうが……と前提を付け忘れた。申し訳ない。なんだかんだ言っても、姉さえ憂に甘いのである。



 彼女らがコートに戻った時には、男子6名は……いや、1人は男性か。大学4年生が混じっている。

 彼らは全力で3on3を行なっていた。


 男子組も結論を出したようだ。


 京之介をPGに据え、躍動していた。今、彼らに必要なのは、繰り返しの練習だけなのである。



 そんな彼らの姿を見付けると、憂は大いに喜んだ。


 ペットボトルを開け……られず、梢枝に開けて貰うとグビグビと三分の一ほど飲み、彼らに駆け寄った……ところで拓真が再び休憩を宣言した。


 彼らは喉が乾いている。仕方が無い。空気を読めない憂の方が悪い。


 それでも憂に付き合った康平と梢枝の使命感や、佳穂の友(愛?)情、美優の……何だろう? それらは特筆に値する。


 千穂と千晶は付き合わなかった。何度も言うが、彼女たちは運動が苦手なのである。




 彼らは入れ替わり、立ち代わり、交代々々、実に午前中丸々、バスケ漬けとなった。まぁ、やる気になった()が絡むと大抵はこうなる。長い付き合いのバスケ仲間たちは解っていたようである。


 (こた)えたのは千穂、千晶、佳穂と愛辺りだ。彼女らも容赦なく駆り出された。千晶は元々、参加する気が無かった。炭酸を飲んだ後で気の毒だった。


 ……そう追記しておこう。


 そして、こうやって時々……と、きょうちゃんの特訓を誓い合ったメンバーたちなのだった。



 ついでにもう1つ。


 あの休憩の後、憂もバスケに参加したがった。最初の頃に言い過ぎた反省もあったのかも知れない。叱責の回数もごっそりと減少した。


 ……憂がINすると周囲は和み、厳しい練習風景はほんわかモードに切り替わってしまったのだった。憂はそれを知ってか知らずか、ニコニコと笑顔を振りまいていたのだった。

 それは良い息抜きタイムだった事だろう。




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