103.0話 終業式
―――7月22日(土)
この日、終業式がしめやかに執り行われた。
高等部全体、大体育館に大集合である。大体育館は午後、中等部バスケットボール部男女決勝戦が控えている。上手い事、午前中に空いていた訳では無い。全て学園の計算の上だ。
前日の蓼学生逮捕を受け、多くのTVカメラが見守る中、やはり事件への明確なコメントを残さなかった。
『これより夏休みに入ります。夏休みの間、1度だけでいい。本日、終わりを告げる一学期を振り返ってみて頂きたいと願います。人として恥ずべき事が無かったか? 深く自身で考えてみて下さい。答えが出なければ、学園を訪れて下さい。教職員も同級生も先輩も後輩も。相談に乗ってくれるでしょう。私を訪ねて下されば、私も真摯に向き合いましょう。生徒各自が己を見つめ直す大切な機会を得た事を……。喜びとも思える私をご容赦下さい』
学園長挨拶をそう言って締め括っただけだった。
先程、マスメディアの取材について述べた。これについても触れておかなければならないだろう。
マスコミ各社の大半は学園を批難した。ワイドショーにも長い時間を取られた訳では無いが、たしかに取り上げられた。
この日の通学時間帯には、カメラやマイクが数多く見られた。行き交う生徒を見付けてはマイクを向けていた。もちろん、足元にカメラを向けている、あの取材方式だ。
憂も千穂も取材を免れた。TVや雑誌の動向を予測し、愛の車で送られたのである。憂は目立つ。憂に目を付けられ、その美少女ぶりに別件で取材など受ければ、大事に成り兼ねない。きちんとした、今回の事件による取材であったとしても、可能性は限りなく低い―――リポーターや記者の言葉を聞き取り、理解できるとは思えない―――が、千穂に起きた危機について口を滑らせる危険性もあった。それを踏まえての愛の送りだった。
終業式を終えると、各々教室に戻った。尚、大体育館へは現地集合である。集まるだけで時間が掛かるからだ。
教室に戻ると、先ずは恒例の夏休みの諸注意。学園は盆休みを除き、基本的に開放してある事も改めて告げられた。半分は自習だが、各教室を使い、1学期の復習授業も行なうと言う。その為、置き教科書はNG。事前に周知されてはいたが、重そうな荷物を抱える者が存在したのは想像の通りである。
憂のグループはその辺り、しっかりとしていた。しっかり者が半数居るためだろう。一応、列記しておくが、しっかり者とは梢枝と千晶を筆頭に千穂、拓真もだ。康平はどこか抜けている部分がある。勇太と佳穂は論外だ。憂は……まぁ、頑張れ。
後列した4人も4人の勧めで最後の授業が終わった教科から持ち帰り、一学期最終日の今日には、随分と荷物がすっきりとしている。持つべきものは世話焼きの友人……と、云った処か。
……さて。夏休みの注意点の長い話が終わると、先日の期末テストが返却された。返却され、利子が退室すると大騒ぎとなった。とてつもなく賑やかな子が存在したのだ。
……いつも通りの佳穂である。
佳穂は前回の中間テストで平均点が30点台前半だった。それから2ヶ月。期末テストに於いて平均点は倍増。60点台半ばまで伸ばしたのである。本人の「これでも頑張ってるんだー」と何度も聞いた言葉は本当だったと実証して見せたのである。本気の拍手を贈りたい……が、喧しい。
1-5の平均点は期末テストの内容そのものが違う特進クラスを除き、堂々の1位を記録した。因みに1教科でも予備テストを受けた者は平均点に含まれていない。同レベルの問題が出されていたはずだが、当然の措置だろう。
そして、それはクラス全体の足を引っ張る憂の点数を含まない事になる……が、ここで否を唱えておこう。
憂の点数を含めて平均点を算出しても、首位を守る結果だったのである。
デイビッドの言葉と憂の精一杯、授業に取り組もうと奮闘する姿勢がクラスメイトたちに波及したものと推測する。
現に佳穂は「憂ちゃんのお陰だよー!」と公言を憚らなかった。
他のグループメンバーもほとんどの者が成績を向上させていた。
憂の付き添いで授業に参加出来ない事が多かった千穂も平均点を伸ばした。利子が大いに感心していた事を知るのは三者面談の時である……が、それは未来の話だ。今はこれだけに留めておきたい。
千穂の成績向上の決め手は、梢枝から受けた勉強法のレクチャーだろう。千晶の平均90点弱と云う結果がそれを示している。
その梢枝は全教科79点狙いに失敗した。やはり相当、難易度は高かったらしい。それでも、康平との2度目の賭けにも勝利し、康平は夏休み期間中の伊達眼鏡着用を義務付けられたのである。
拓真もまた平均点を僅かながら上げていた。日々の努力かも知れない。
下がってしまったのは2人。憂と勇太だった。
勇太は自宅でほとんど勉強をしない。いや、出来ない。6人兄弟の1番上の勇太は、勉強のし辛い環境なのだ。明るくドでかい長男坊は、弟と妹たちから大人気で、勉強を始めようとしてもすぐに纏わり付かれてしまうのである。
それにバスケ部復帰が輪を掛けた。要するに……、全く勉強をしていなかったのである。
彼は佳穂の躍進にショックを受けていたものの、自身の点数については楽観視していた……が、佳穂に「今度、一緒に勉強しよっか?」と言われ、喜んでいた。変な気を起こさないよう祈りたい。
そんな7名の様子をニコニコと見ていた憂は突然、リュックをガサゴソ漁り、凌平の下を訪れた。訪れたと言っても席はご近所さんである。千穂が椅子を引いて避けただけですぐに到着した。
「これ――凌平に――」
そう言って、グレーの巾着袋を手渡した。いきなり渡された凌平はポカーン。しばらく固まった。
「憂さん。嬉しい……。嬉しいが……どうして?」
どうしてと問い掛けられ、今度は憂が固まった。憂の突発な行動が見られた後のよくある光景である。あっちが固まり、こっちが固まる。不思議な光景だが見慣れている者は多い。
……長く固まる憂に千晶がフォローを入れた。
「たぶん、その巾着はね。憂ちゃんにとって仲間への贈り物なんだよ」
それを千穂によって囁かれ、理解した憂はそれでも戸惑っていた。
「そう――かも――?」
「でも――よく――わからない――」
そう小首を傾げた。凌平は涙を溜めた。単純に憂から見た自身の立場の向上が嬉しかったのだろう。
憂は何かを誤魔化すように話題を切り替えた。
「凌平――どうだった――?」
机の上の答案用紙を、細く綺麗な指が差す。彼は早速とばかりに問題用紙と解答用紙を照らし合わせていた。
「……人に教える物では無いと思うのだがな……」
呟いた後に平均点を伝えた。
「平均……94点……」
「うわ……すっごい……」と佳穂。
「さすがだね!」と千穂。
「やりますねぇ……」と梢枝。
「……俺も真面目にすっか」と拓真。
「やるなぁ! 頭脳派は違うってか!」と勇太。
「ええ点取ってますなぁ!」と康平。
またも固まってしまったのは憂である。そして凌平は聞いてしまった。グループのレギュラーメンバーが一切、触れなかったその事を。
「憂さんは……?」
憂は奥歯を噛み締め、必死に耐えた。
可能な限りの力を持って耐えたが、堪えきれなかった。
ツイと……その瞳から一筋の光の雫が流れ落ちた。憂は咄嗟に顔を背け、グイとワインレッドのリストバンドでそれを拭った……が、凌平は見てしまった。
―――突然だが、時間を止めて説明しよう。
憂への誕生日プレゼントの第一位はリストバンドだった。2位はチョーカー。それはもう色とりどり、様々なリストバンドだ。その数200超。日替わりで使っていったとしても、かなりの日数を要する。
その為、憂のリストバンドとチョーカーは毎日、注目を集めている。チョーカーは難易度が高いらしく、余り見掛けないが、リストバンドは蓼園学園生の間で大流行している。お隣の大学敷地内、幼稚舎の子までしているほどなのだ。
そして、憂と同じカラーだった者は大歓喜だ。幸運を呼ぶと都市伝説が生まれているのである。
これは、おそらく同じ蓼学に通う者たちの優しさから産まれた大流行だ。憂の手首……リストバンドの下に隠された物の存在は公然の秘密となっている。
木を隠すには森に。
その公然の秘密を他校の生徒や一般人から隠蔽してあげよう……と。
そんな気持ちも隠されているのだ―――
「その……済まなかった……」
「ごめんね。憂って……ホントに頑張ってたんだ。聞き返すのも礼儀みたいなものだし、凌平くんは悪くないよ?」
「うん……」
「……そだね」
明るかった空気は一転。暗く沈んでしまったのだった。
だが、重たい空気は佳穂でも千穂でも無く、早めに再起動した憂によって振り払われた。
「なつやすみ――くる――?」
……学園に……は略したのだろう。余り短縮して欲しくないものだ。
「あぁ……もちろん。勉学を……疎かに……するつもりは……無い」
勉学やら疎かやら、難しい物言いはやめてあげて頂きたい。現に千穂はゆっくりと途切れ途切れだった凌平の言葉を噛み砕いて囁いている。
「ホント――!? ―ーべんきょう――おしえ――て?」
語尾上げと共に首を傾げた。彼の心は一瞬で再び落とされた。
「僕で……良ければ……」
この時、夏休みが明けたら特進に転室届を……と考えていた凌平は、その紙切れを脳内でクシャリと丸めて、ゴミ箱へと破棄、デリートしてしまったのだった。憂が悪い効果をもたらした数少ない例と云えるのかも知れない。
それはともかく、憂の仲間には凌平よりも頭が切れる梢枝が居るのだが、憂は梢枝がそこまで出来る人だとは気付いていないのかも知れない。千晶を筆頭に教えられていた事は記憶していただろう。それよりも元特進補正が勝っていたのか? ……よくわからないが、きっとその辺りだろう。
更に女子へのお願いよりも男子にお願いのほうが憂にとっては、し易かった事は間違いない。彼女は今でも男の子気分なのだ。
「ありがと――! 凌平!!」
花満開の笑顔に凌平を始め、多くの者が男女を問わず頬を染めたのは余談である。
あっさりと気を取り直し……それどころかルンルン気分となった憂は、自身の席に戻るとまたリュックを開き、3枚の巾着を取り出した。
勇太に前回より更に大きい巾着を。
京之介に空色の巾着を。
圭佑に薄い赤の巾着を。
……それぞれにプレゼントした。赤の巾着は何かを連想させたが仕方がない。既に縫い終わっていたのだ。千穂は宿泊していた憂の自室でそれを見掛けると、一瞬、眉を顰めた後、『上手に……なったね……』と笑顔を見せたのであった。
……あの時の赤は濃い赤だった。同じ赤でも全く違う物なのだ。問題ない。きっと。
その巾着を片手に圭佑は問い掛けた。
「なんで……赤……?」
「いめーじ――?」
「いや……だから……なんで……?」
「だから――いめーじ――」
憂はムスッとした。圭佑は困った。非常に困った。周囲の面々は圭佑の様子を面白がった。彼もどちらかと言えば、弄られ系のキャラクターだ。
「いや……あのさ……」
「――――――??」
これには梢枝が笑いながら2人の不毛な遣り取りを取り持った。
「圭佑さんの……赤は……何故です?」
ここに至って、ようやく理解らしい。
「――うし」
「……うし? うしって……もぉぉ?」
「うん――。その――うし――」
「牛……」
「そう――。とっしん――するから――」
バスケのプレイスタイルの事を言っているのだろう。彼のプレイスタイルはドリブル突破を何度でも繰り返すスタイルだ。しかも繰り返すほどに興奮していく。たしかに牛だ。闘牛の牛だ。見事なカラーイメージだと云えよう。
「そ、そうか……ありがとう……」
彼は複雑な顔でお礼を述べたのだった。
京之介は聞かなかった。グループのレギュラー陣も絶対に聞かないと各自、心に固く誓ったのである。
それから学食で早めの昼食を済ませると、憂は大グラウンドの傍の木陰で眠った。午後の決勝戦に備えて……である。バスケ部の3人はグループから離れた。
またも蓼園学園外での試合である。いや、それは通常、当たり前の事だ。蓼学にとってのホームで開催する蓼園市の風土が異常なのである。
そして、最初に行われた試合、女子決勝。
またもや圧勝だった。県内敵無しの看板通りである。
美優は兄と、憧れの……いつしか恋心さえ抱く存在となった憂が叶えられなかった、全国への切符を手にしたのであった。
更に男子決勝・永遠の壁である藤中戦。
超満員に膨れ上がった観客と、優勝を果たした女バスの勢いを借り、憂の後輩たちは躍動した。
一進一退の攻防を繰り広げ、前半戦をリードで折り返した。
そのハーフタイム中、佳穂は憂に問い掛けた。
「いけるよね!? 憂ちゃんも……そうでしょ?」
「きびしい――。ベストメンバーで――つづけてる――」
その通りだった。層の厚い藤中は前半戦からメンバーチェンジを繰り返していた。それに対し、蓼学はレギュラーの出突っ張りだった。
憂の世代のそれと同じだった。それでも1度は壁を破ったのは、日々の練習の賜物と、優のパス。それに順応した4人の力がほとんど全てだった。
憂の1つ下の彼らは、敬愛する先輩たちの背中を追いかけるが如く、猛練習に明け暮れていた。
しかし、大きな武器が無かった。
後半戦は劣勢に終始した。終わってみれば二桁得点差で敗れ去ったのである。
「勝った!! また勝ったぞ!! 2度と負けんぞぉ!!」
静まり返る大体育館には、藤校中等部監督の絶叫が木霊したのであった。