102.0話 解決までの3日間
『猫連続殺害犯の逮捕』は全国的に報道された。高校生による猟奇的な犯行はマスメディアの目を引いたのだ。
犯人は私立蓼園学園高等部の2年生。週に1度、学園に姿を見せるか見せないか……と云った不登校の生徒だった。
そして、問題となったのは例の手紙である。
この件に関して、チャットは紛糾した。
『今後を考え、警察に届け出るべきだ』と主張する一般良識派と、『憂の秘密の漏洩に繋がる可能性は排除するべきだ』と主張する憂至上主義派だ。
因みに、公平を期す為に敢えて、どちらとも悪い印象を与える言葉を選ばせて頂いた。
この議論に参加した人数は、憂を含めた『知る』者、総勢29名。最後まで沈黙を保った総帥と憂を除き、実に27名の意見が出た事になる。27名もの意見が飛び交えば、当然、意見は割れる。
例えば、一般良識派の拓真の母・由美子はこう主張した。
【もしも、彼が更生せず人を殺めた時、私たちは一生、後悔する事になるでしょう】拓真の母
鈴木看護部長も同調した。
【その通りです。私たちは後悔で済みますが、当事者の千穂さん、そして警察へ通報しない原因となった憂さんは重い十字架を背負う事になります】Ns.鈴木
意外な男たちも賛同した。
【彼女たちの言いたい事はよく解ります。私もその気持ちに近い】学園長
【そもそものその手紙を警察に届けたとして、彼が口を割るかな? 手紙の指紋は拓真くんの物しか出なかったんですよね? シラを切る可能性もある。脅迫状の件を自白したとしても、本命が憂ちゃんとは限らない。相当、低い確率で『本命が憂ちゃんだった』と自供したとしても、被害者側の戸籍にまで捜査の手が伸びるとは思えないんですけど】Dr.渡辺
理路整然と脳外科医は憂の秘密の漏洩の可能性の薄さを説いた。これには説得力があった。数で劣る一般良識派が一時、優勢になったほどだ。
これに真っ向から感情的に反論したのは、学生組の2人だった。
【どんなに可能性が低くても、それが反社会的な行為であっても、可能性がある以上は僕は証拠の提出に反対します】京之介
【あたしは絶対反対! 憂ちゃんの秘密は絶対!】佳穂
これを佳穂の相棒が後押しした。感情を全面に出す、ではなく、理知的な意見を以て。
【そうだね。佳穂と京之介くんの意見に賛成します。もし、脅迫状の被害者が千穂だって広がったら、憂ちゃんにも目がいっちゃいます。憂ちゃんは目立ちますから。憂ちゃんが記者みたいな人に目を付けられたら大変です】千晶
【すげえ納得。憂の事を嗅ぎ回られたら危険っす】圭佑
そして学生の2人が爆弾をほぼ同時に落とした。
【俺、はっきり宣言しときます。俺、もし誰かが憂の秘密をバラしたら絶対に許しません】圭佑
【この際だからはっきり言っておきますね。あたし、憂ちゃんの秘密に繋がる行動したら、その人は敵と見なします】佳穂
この力強い宣言に、一般良識派はトーンダウンせざるを得なかった。
【そんなつもりでは……】Dr.渡辺
【あなた方の覚悟、しっかりと受け止めました。もう何も語ることはありません】Ns.鈴木
【子どもたちは熱いわね。多少の毒は飲まないといけないのかしら】拓真の母
更に天から有り難い言葉が降りてきた。
【それでは彼は当面、私が責任を持って今後の動向に注視していく……。これでどうでしょうか?】秘書
【それならば安心です】学園長
これで意見は統一された。問題となっていたのは彼の再犯の可能性だ。その可能性を責任を持って排除すると総帥秘書が公にした。その意味合いは計り知れない。
そして、この絶対的な証拠である手紙は提出しない方向に定まった。つまりは憂の身辺警護の2人の動き……、元々の方針通りとなったのである。
因みに名前の出なかった者は、当事者の千穂と、大切な1人娘を危険に晒す事となった父を含めて、憂至上主義派であった。
その後……。
マスメディアは未成年者である彼の実名を公表する事は無かった……が、時代が悪い。ネットにより、本人の実名、住所、顔写真までもが流出したのである。
学園へは批難の声が集中した。入学金さえ納めれば無差別に生徒を受け入れ、学費を収め続ければ卒業まで保障するその放任主義とも受け取れる体制が、サイコパスを産み出した……と。
学園としては一切のコメントを発表しなかった。静かにこの生徒に退学処分を下したのみだ。
TVカメラを引き連れ、追い回すリポーターに西水流 靖一 学園長はひと言だけコメントを発した。それは個人の意見だ。
『私は学園の理念を信じております。休むも自由。出席するも自由です。全生徒、全児童が自ら考え、自ら行動する事をこれからも望みます』
憂の転入を決定したその日から、一切の取材を拒否し続けていた私立蓼園学園であったが、思わぬ形で注目を浴びる事になってしまったのだった。
事件解決までの3日間に触れる必要もありそうだ。
―――7月19日(水)
例のメッセージを受け取った翌日も千穂と憂は出席した。前日に急遽、早退した千穂は、案の定クラスメイトたちに心配された。
『私、余り体が強くないから……』
言い訳は簡単だった。千穂は一時期だが、中等部時代に本当に体調を崩した事がある。その事を佳穂と千晶を中心に、前日より5時間目の遅刻と共に言い訳にしていたのである。
康平と梢枝は木曜の早退率が高い。早退自体、よくある事で特に何も言われなかった。
学園へは康平と梢枝も同乗し、車で姉に送られた。ご近所さんの拓真もだ。
朝練のある美優だが、彼女はグループに所属している訳ではない。遥の手の内の者が1人、密かに通学を見守っていただけだった。
その日から授業が始まる度に康平は何処かへと消えていった。
梢枝は憂&千穂の送迎にこそ現れたものの、学園自体はボイコットしていた。何らかの調査をしていたのであろう。
そして何事も無く放課後を迎えると、愛の迎えにて立花家へと帰宅したのであった。
憂は消えた梢枝と消える康平に寂しそうな様子を時折、見せていたが、不満は口にしなかった。
当事者の千穂は平静を保っていた。隣に寄り添い、癒しを与える憂の存在と憂の身辺警護である2人の本気。そして、今や自らも得た総帥の後ろ盾が安心感を与えていたのだろう。しかし、C棟を一歩出ると不安そうに周囲を見回す姿を見せていたのだが、それは致し方の無い事なのかも知れない。
この日の……不穏な手紙を受け取った翌日の夜は前日とは一転。笑顔が溢れた。
千穂の2日目のお泊りに、憂のテンションが跳ね上がっていたのである。現金なものだ。千穂の現状を忘れていなかったはずだと祈りたい。
夕食は千穂がお礼だと言わんばかりに腕を奮った。
愛は微笑みを浮かべ、エプロン姿の千穂を観賞し、幸は感心した様子で見守り、この日、有給を取得した千穂の父は誇らしげに娘の手助けをしていたのだった。
『もう! お父さん、邪魔だから座ってて!』と言う娘の温かい言葉にもめげなかった。彼も男手1つで千穂を育ててきた。千穂や愛、まして幸ほどでは無いがひと通りの調理をこなせる。千穂の照れ隠しだと理解しているのである。
嬉しそうに夕飯を食す憂に、愛は『いつもと……どっちが……美味しい?』と意地悪な質問をぶつけた。すると『――え? えっと――うぅ――』と期待通りの反応を見せ、周囲に笑顔を与えていたのだった。
―――7月20日(木)
この日は朝からドタバタした。千穂の着替えが問題だった。主に下着だ。昨日、一昨日と愛が購入した下着と愛のパジャマと私服を借り、急場を凌いでいた―――愛は千穂のサイズを克明に記憶していた―――が、長期戦となる可能性があり、自宅に一時帰宅する必要があったのだ。
前日に有給休暇を取得した千穂の父だったが、愛娘にタンスの開放を断固拒否されたのである。
その為、異常とも取れる過保護な体制を持って、一時帰宅したのだ。
学園に到着すると梢枝と康平は、授業をサボタージュしなかった。
『すでに絞り込みは終わりましたわぁ。99パーセント以上、リストの中の人物にアレはおります。後は張り込みに任せて尻尾を掴むだけですえ?』
余裕綽々、大胆不敵に嘲笑って見せ、グループに安心感を与えたのであった。
そして、憂の自宅で事件は起こった。
―――それは
総帥の来訪―――
ある意味で一大事だ。彼は逐一、遥からの報告を受け、確実に犯人に近づいている事を知りながらも『千穂くんも憂くんも心配でならん! 儂は行くぞ! 止めても無駄だ! 1人でも行く!』と押し通し、遥に頭を抱えさせると云う快挙を成し遂げたのである。
立花家と漆原親子は、お陰で大混乱を来たした。千穂父は初対面だ。それはもう萎縮するほど緊張してしまった。父がそんな状態に陥ると、千穂もまた借りてきた猫と化した。
何とも迷惑極まりない総帥だが、この男。普段は相当な切れ者。出来る男である事は忘れないで頂きたい。憂が絡むとダメなだけだ。どこぞのグループのどこかの訛りを隠さない誰かの、以前の姿と同じなだけだ。
夕食は大騒動だった。狂乱と謂っても差し支えない。
総帥は『安全確保の前祝いだ!』と大きな鯛を筆頭に、ハマチやアワビ、ウニなど盛大に差し入れた。
それらを全て、見事に捌いてみせた幸は愛と千穂、そして梢枝や遥に尊敬の眼差しを向けられたのだった。梢枝も康平も急に呼び出されてしまったのである。
拓真の本居家にも声が掛かったが、美優の決勝が近いと上手いこと逃げられてしまった。総帥は『そうか! それならば仕方がない!』と簡単に赦した。流石に強く出られれば断り切れなかったであろう。
そして、刺し身が並ぶと当然のように酒である。宴会が始まると、立花家の面々も勧められるがままに酒を煽った。総帥直々の酌だ。断れようはずも無い。憂を始め、学生たちにも勧めていたが、『未成年にふざけた事を仰らないで下さい』と、懐刀に酷い言い様で止められていた。
憂は、活きの良い新鮮な刺し身に舌鼓を打った。それはもう、美味しそうに食した。生魚大好きっ子なのである。しかし、ウニには手を付けなかった。苦手をついに発見! ……と千穂と憂直属の身辺警護は笑顔を見せていた。
立花家の憂と幸を除く3名も漆原の父も、早々に酔っ払った。
立花家は基本、酒を嗜まない。千穂の父も同様だ。鍛えられていない。酔わない憂の母が謎なだけである。
……その幸は憂にとって、衝撃のひと言を発した。
「憂? 千穂ちゃんと……お風呂……入りなさい」
もう1度言う。この母は酔っていない。大切な1人娘の父親の前で穏やかに言ってのけた。
「あぁ……もうこんな時間……。そうだね。千穂? 頂いてきなさい」
彼は酔っている。憂が優であった事を判断出来ていなかったのかもしれない。
「そうらね……。憂……。わらしは……無理……。千穂ちゃん……。……任せた」
「あの! 1日くらい入らなくても!」
そう言って、千穂は抵抗した。憂が羞恥に染まる事は分かりきっている。
「じゃあねー……これから『お姉様』って呼ぶのなら……ゆるしたげう……」
「なんでそうなるんですかっ!」
「ふへへ……。千穂ちゃんがお姉様って……ふへ……」
千穂はこの日、酔っぱらいには話が通じない事を学習したのであった。
「千穂――ごめん――ごめん――」
憂は千穂に脱衣所に連れて来られると、背中を向けて謝り続けた。この日はもちろん水着など用意していなかった。お互い全裸である。憂の物はあるはずだが、憂の洗体が出来なければ本末転倒だ。
「仕方……ないよ。ちゃちゃっと……入っちゃお?」
――――――――。
「――うん。ごめん――」
憂は仕方ない事を理解しても尚も謝り続けた。
「わっ――!」
そんな憂の手を引き、やや強引に浴室に連れ込んだ。それで正しい。憂は、自ら動く気配を一向に見せない為、延々とその白く丸く可愛い桃のような部分を見せ続ける事になるのである。
千穂は以前の愛に倣った。その後、入浴方法についてレクチャーされた事もあった。
先ずは憂の頭を洗った。姉よりも優しく丁寧だった。それは心地よかったらしく、緊張したままながらも、どこかうっとりとしていたのだった……が、憂は俯いており、千穂が知る由もなかった。
憂の頭を洗い終えると、泡立てたタオルを憂に渡し、シャワーを憂の足元に出しっぱなしにし、千穂は自身の頭を洗い始めた。そうすれば、体を洗い終えた憂は自身で立ち、シャワーを手に取って、自分の体を流した後、シャワーを手渡してくれるらしい。
(あれ? ちょっと立て付け悪い?)
だが、この時、愛と千穂の遣り取りに致命的なミスがあった。いや、普通に考えていれば千穂ならば配慮出来ただろう。やはり彼女もいきなりの憂との入浴に多少、動揺していたようだ。
千穂は2つ、上下にあるシャワーフックの上に引っ掛けてしまっていたのだった。普段、立花家はそこを使用していない。立て付けが悪くなっている事に気付いていなかった。その為、シャワーヘッドはヤケに下を向いてしまっていた。
「うぅ――千穂ぉ――」
目を瞑り、頭を洗っていた最愛の彼女に情けない声を掛けた。
「どうし痛っ!」
ふいに目を開き、シャンプーが目に入ってしまった。
「千穂――! まってて――! うぶぅ――」
目を開けない千穂は憂の声に益々、慌てふためきながら浴槽を探す。その間にも「――ぅ――ぶは――」とのっぴきならない声が音響効果のある浴室に響く。
千穂は何とか手探りで浴槽を見付け、その湯で目を素早く洗い流し、憂に目を向けた。まだ痛む目で見たものは……。
「千穂――まってて――うぐぅ――」
そう言いながら、プルプルと震える両足で一生懸命に背伸びをし、シャワーを顔面に浴びつつも、その短い手を必死にシャワーヘッドに伸ばす憂の後ろ姿だった。その手は……残念ながら届いていなかったのである。
2人は大ピンチを脱し、千穂が改めて洗体を終えると仲良く同じ湯を共有した。
……とは言っても背中合わせで隅と隅である。
「……………………」
「――――――――」
…………………………。
そのまま時間だけが経過する。
千穂は愛との交信を可能な限り、記憶するようにしている。ほとんど全て、憂の為……だ。その姉からもたらされる情報は、憂への助けと成り得る。
この時もまた、姉の過去のメッセージを頼りにしていた。1ヶ月半以上前の古い話だ。
憂は痛覚の回復と共に、温度の感知も可能となっている。最近はゆっくりと入っていられるんだよー。そんなコメントだった。
この古い通信を頼りに、ゆっくりとお湯に浸かっている。
ふいに千穂が憂の背中に凭れ掛かった。
憂の躰がビクリと跳ねる。可哀想に、そのまま緊張に凝り固まった。
千穂は後ろ手に憂の手を握る。すると次第に憂の躰の緊張が抜けていき、お互いが互いの体重を支え合った。
「千穂――ごめん――ね」
「……どうして?」
「ボクが――まもりた――かった――」
「こう……かんがえ……られないかな?」
「――こう?」
「憂が……いるから……私は……」
「――千穂は――?」
「こんなに……大勢に……守られて……」
「――え?」
「これって……憂が……まもって……くれてる」
「ちがう――」
「違わない」
「憂が……みんなを……動かして……るんだよ?」
「――――」
「憂……ありがとう……」
「でも――「でもは……無し」
「――うん」
千穂は珍しく憂の言葉を遮り、自分の意見を押し通した。
そして……この日……。憂の添い寝。姉ガードは千穂ガードに変更されたのであった。憂はどうにも酔っぱらいの匂いが嫌いらしい。
「――お姉ちゃん――くさい――!」
はっきりと言われた愛は酔いの大半が吹き飛んだという……。
ついでに言えば、憂は隣にある千穂の姿に、カチカチに緊張してしまっていたが、睡魔に勝てないのは憂ならではの事である。
更に翌朝となり、犯人確保の情報が飛び交った。これが憂と周囲の3日間のまとめである。