99.0話 思い出した人物
―――7月15日(土)
この日、中等部男女バスケットボール部の地区大会、準々決勝が行われた。
高等部の地区大会も開始。1-5が誇る勇太たちバスケ部トリオは、控えながらベンチ入りメンバーに選出されている。彼らのポテンシャルは、やはり高等部の顧問から見ても高いのだろう。
勇太に関しては頭一つ抜けている印象があるが、入部時期が遅かった為、連携の面でまだ難を抱えている。
この日、憂は観戦しなかった。もとい、出来なかった。
「あぅぅ――ボク――ばか――」
月曜日。関係者に多分に迷惑を掛けた男子制服失神事件の余波で、初日を欠席と相成った憂は、残念ながらの一日分、三教科の予備テストである。
「憂さん。辛いのは……ワイもや……」
土曜日に解熱。月曜に病院受診し、晴れて火曜より学園復帰した康平もまた、予備テストなのである。しかも、同じ月曜日に欠席した康平は同じ教室でテストを受けている。奇しくもC棟1-5。作為的なモノかも知れないが、真相は闇の中だ。
ここで私立蓼園学園高等部の年間スケジュールを紹介しておきたい。
―――蓼学高等部は未だ、3学期制を敷いている。初等部中等部は2学期制に移行しているにも関わらず……だ。理由は教職員にとって『あって無いような夏休み』のせいである。転室の影響もある。数多い行事も影響している。
夏休みは、盆休み、土日祝日を除き、全ての日が自由通学日なのである。
授業の進行は無い。1学期の復習の時間だ。2学期制を敷くと期末テストが夏休み後となり、生徒たちは自身の状況を把握し難い。その為に3学期制のままなのである。
その自由通学日に工業系、商業系へ転室した者は追い付く為に出席する。特進クラスの者はライバルに差を開かれないよう出席する。成績の悪かった者は苦手科目を克服する為に出席する。
自由通学と云えども、常に4割を超える出席率を誇っているのである。
春休みこそ全休となっているが、冬休みも年末年始、12月30日~1月4日を除けば夏休み同様、自由通学日となっている―――
火曜日。前日、心配を掛けた事をクラスメイトたちに謝った後、憂は『康平――! ――おかえり!』と満開の花を咲かせた。頼りになる男が戻ってきた為か、友情か、はたまた別の何かか不明だが、それはもう、大層喜んだ。彼の復帰まで代役を過不足無く演じた凌平が若干凹んでしまうほどに。
憂の対人恐怖症は収まる気配を見せていない。特に男子生徒に過敏に反応……?
……言葉に困る。言い換えよう。男子生徒からの挨拶を未だに返せていない。
つまり……反応しないと云う反応を過敏に見せているのである。何かとややこしくて申し訳ない。
凹んだ凌平は『これで僕の世話焼きは終わりだ。また何かあれば伝えてくれたまえ』と自身の席に戻った。
憂にとっては男性への恐怖心も無く、普通に話せる相手である事を凌平は気付いていない様子だった。それは凌平に対する憂の認識が、多数のモブではなく、友人、仲間の類であると云う証明に他ならない。
現に憂は、すぐに凌平に話し掛けた。凌平は唖然としたが、憂への配慮を忘れること無く話したのだった。
ここに憂と愉快な仲間たちへの京之介や圭佑と同じ位置付け。準レギュラーメンバーへと昇格を果たしたのだった。当然、彼は『知らない』ままだが、それは別の話だ。
テスト予備日の為、他の生徒が全休の中、憂と康平。その他、ぽつりぽつりと散見された程度の寂しい教室での期末テストは修了した。
この予備日のテストを受ける必要はあるか……と、問われれば『ある』と返答出来る。
如何に出席せずとも卒業はさせてくれる蓼学だが、就職への道は縁故を除くと、もちろん成績が優先される為だ。テストを受けねば、内申への影響も計り知れない。
「ほな、帰りまっか」
「――うん」
教室を出ると、憂も康平も驚いた。
いきなり「お疲れさま!」と労を労われた。
千穂、佳穂、千晶、梢枝、拓真。見慣れた面々の顔。顔。顔。
朝こそ姉に送られた憂だったが、憂と康平の為と修了時刻に合わせ、わざわざ雁首を揃えたのだ。中庭には例の部長の姿も見られたが、ほとんどの者は気付いていない。彼らは休日返上を厭わない。どこまでも本気なのだ。
「――みん、な――」
憂は言葉を詰まらせた。それを全員が待つ。
「うれしい――ありがと――」
そんな憂の傍ら、康平も涙ぐんでいたのだった。
彼らは昼食も待っていてくれたらしい。大グラウンドの側面、大きな木の木陰の芝生に座り込み、パンを齧っている。梢枝が大量に購入した奢りである。もちろん飲料付きだ。貰うものは貰うがケチと云う訳では無いのが彼女の特徴だろう。
「バスケ――どうなった――?」
やはりバスケ脳である。しばらくぼんやりと餡パンを齧った後のひと言がこれである。
「中等部女子……順当勝ち……ですえ?」
憂は、しばらく間を開けた後、「よかった――」と笑顔を見せた。そして小首を傾げる。
「しあい――わすれた――」
言葉が足りないが、おそらく組み合わせやら試合時間の事だろう。中等部の準々決勝は、当たり前な事を言うが、試合数が計8試合しか無い。その為、大体育館のみで行われている。例によってホームゲームなのである。
高等部は男女ともにシード。本日は明日の緒戦……2回戦に向け、B棟体育館で最終調整中だろう。高等部と中等部。男子と女子との差異は、そこかしこに見られる。
憂を待っていた面子は中等部女子の試合の応援に行っていたらしい。午前中に女子の4試合を。午後には男子の4試合が開催される予定だ。
美優たち、中等部女子バスケットボール部は準々決勝にも関わらず、ダブルスコアで快勝。準決勝進出を決めた。県内に敵は無い。
「美優ちゃん……すごかった……よ?」
「うぅ――みた――かった」
憂はしょんぼりと肩を落とす……が、元を正せば単なる自業自得である。
「午後……どうする?」
それでも千穂は慰めるように問い掛ける。彼女たちは皆、憂に優しい。果てしなく優しい。甘やかし過ぎなほどだ。
「――いく!」
即断する憂を優しく眼差しで見詰める6人は、その理由を理解している。憂にとって、憶えていようと憶えてなかろうと1つ下、可愛い後輩たちの晴れ姿なのである。
試合開始は14時。パンを食べ終わったのは13時前。バスケ部各部の話は食事中に済んでしまった為に期末テストの話へと突入した。佳穂がその方向に誘導したのだ。
憂への配慮をした語りが続いていたが、長くなる為、端折らせて頂く。脳内で変換して頂きたい。また、ほとんどの表情も仕草もカットさせて頂く事とする。
「あたし、今までに無い自信があるよー! 憂ちゃんは?」
「わかったって……」
昨日から幾度となく聞かされている千晶はうんざりした様子だ。
「そう言う千晶は?」
「ばっちり。梢枝さんがコツを教えてくれたのが効いたみたい」
「あたしは教わってないぞー!?」
「段階がありますわぁ……。もう少し伸びたら佳穂さんにも、お教えしますえ?」
「私も教えて貰った! 全体的に前回より手応えあったって感じ?」
「ちほちほも自信ありかぁ! みんないい感じ?」
「ちほちほって何!? やめて欲しいんだけど……」
「かほかほのテンション高くてうざい」
「なんだとー!? ちあきちあ……言いづらいわっ!」
「知るかっ!」
「梢枝さんは? やっぱり遊んだのかな?」
「今回はクラス全体の平均点が上がりそうやから、上方修正して全教科79点狙いですわぁ……。三角内の点数次第の面があって厳しいです。康平さんに負けてしまうかも知れません……」
「ワイ、21点をマイナスさせるの難しゅうて、自信ないわ。3点問題が7問とかなかなか無いし」
「康平くんも何気に頭いいよね」
「文部両刀はワイの家の教えや」
「……どんな家ですか」
「そこは聞いたらあかん部分やで?」
「……聞かない事にします」
「あたしも」
「それが賢明や」
「憂さん? どうされました?」
「あ――ごめん――」
「憂? テストどうだった?」
「もう1人静かな人がいる件」
「あ?」
「拓真はん……。その『あ?』はやめとき?」
「ぜんぜん――だめ――」
「前もそんな事言ってたよね?」
「俺はいつも通りだ」
「ほうほう。拓真はんも自信ありかいな」
「こんかい――べんきょう――へった――」
「あー。たしかに憂ちゃん、よくチャット入ってたねー」
「仕方ありませんわぁ……。チャットだと意思疎通がスムーズになるさかい……」
「憂……。控えようね。私も控えるから」
「せやな。決め事しとくかいな?」
「21時以降、グループチャット禁止な」
「拓真くん……。それは酷すぎ」
「――わかった」
「えー!? ……わかりました。憂ちゃん居ないと寂しいよー!」
「わたしも寂しいかも」
「何も完全に禁止する訳じゃねぇ。そこは理解な」
「――うん」
「それより勇太だ。あいつテストやばいらしい」
「「「え!?」」」
「勇太に――勝てるかも――」
「憂? 嬉しそうにしたらダメだよ?」
「バスケで成績ダウンですかぁ……。京之介さんは成績ええみたいやから言い訳にできまへんねぇ……」
「ごめんなさい――」
「勇太はん、チャットにもよく混ざってはったしなぁ……」
「男子も勉強会すればー? 憂ちゃん混ぜて」
最後の佳穂の意見は男女双方、全力で否定したのだった。女の子1人を野獣に変貌するかも知れない男子勢の中に放り込む訳には行かない。
佳穂の提案に一瞬、顔を輝かせた憂だったが、即座に唇を突き出す羽目になってしまったのである。
「憂ちゃん。ところでパンツ見えてるよ? サービス中?」
「――え!?」
「千穂もさっき足を組み替える時に見えてた」
「ちょ……! ばか!」
……地べたに座る時には、くれぐれも注意して頂きたいものである。
「馬鹿とはなんだー? 教えてあげたのにー!!」
「や! やめて!」
騒がしさの原因の大半は佳穂のせい……なのである。
試合時間が近づき、一行が大体育館に到着すると、中等部女バス集団と遭遇した。現高等部2年生、憂たちの1つ上の先輩たちがもたらした男女和解の空気は、中等部にしっかりと根付いているようだ。彼女たちは男子バスケ部を応援するべく、ベストポジションを確保していたのである。
女バスの少女たちは憂を見付けると一様に哀しそうな表情を浮かべた後、各自、頭を下げた。先週土曜日、憂をパニックへと陥らせた一件への直接の謝罪だ。
「ボク――ごめん――」
憂は後輩たちのそんな姿に戸惑いを見せつつも、自身が悪いと云ういつもの形で赦した。
赦された女バスの子たちだったが、尚もその顔に暗雲を漂わせていた。今週の月曜日には姉から様子を聞いていたのにも関わらず……だ。
梢枝がそんな後輩たちにコロコロとした笑いを向けた。あの時の経緯は任務の一環として見守り、助け出した1人として良く知っている。
「憂さんが今日の貴女方の試合を観戦出来へんかったのは、貴女方を避けての事ではありませんわぁ……。今週の月曜日にお休みしてしもうたさかい、今日、憂さんは期末テストの再テストみたいなものを受けはってました。さも残念そうにしておられたんですえ? 結果を知りはった時もそれはもう大喜びされてましたわぁ……」
「ほら! あたしの言った通りでしょ!!」
いち早く声を上げたのは本日のゲームでも得点王となった美優であった。彼女は午前中の動きもキレッキレだった。憂の姿を見付けられず、凹むチームメイトたちをプレイで鼓舞したのも美優だった。彼女は目下、急成長中。チームの柱となる日も遠くないのかも知れない。
「……本当だったぁ……。良かったぁ……。私、嫌われちゃったのかと思って……」
「先輩のお姉さんから聞いてたけど、この体育館のどこを探しても姿が見えなくて……やっぱりって……」
「皆さんの姿は見えてたのに、憂先輩が居なかったから……」
大喜びするかと思われたが、少々、予想を外すリアクションを示した。
安堵の余り涙を見せ、仲間に慰められる者たちが続出したのだった。
その後、女バスのテンションは跳ね上がった。以前の元気さを取り戻した。準決勝を翌日に控え、僥倖だ。来週には、あっさりと県大会突破を決めてくれる事だろう。
そんな中等部女子バスケ部のハイテンションな声援に、男子バスケ部は見事に応えた。中等部男子生徒たちの憧れのグループが、女バスの応援に混ざっていた事も多いに影響していたと思われる。今や、憂と千穂はもちろん、梢枝も佳穂も千晶も憧れの先輩なのである。拓真もそうだ。憂の世代の中核を担った拓真は偉大な先輩と云える存在だ。
その憂は眠気と戦いつつ、時々立ち上がって応援していた。座ったままでは眠ってしまう。その為に立ち上がっていたのだろう。
多くの声援を受け、中等部男子バスケットボール部は準決勝へと駒を進めたのであった。そこを突破すると間違いなく決勝で壁にぶつかる。憂の1つ下の世代の藤校中等部との対戦成績は大会で2連敗。練習試合も2度行い、そちらも破れている。彼らはいつでも高い壁として立ちはだかっているのである。
……その翌日の結果もここに記しておこう。
先ず高等部。高等部は2回戦。男女とも緒戦を順当勝ちした。
勇太、京之介、圭佑の3名は僅かな時間ながら試合出場を果たした。圭佑に至ってはゴールも上げた。勇太も守備に於いて存在感を発揮していた……が、グループメンバーは誰1人観戦していない。会場が違ったのである。
彼らは中等部への応援に回るようグループメンバーを促したのだ。
【余裕の相手。絶対、負けないから】京之介
彼の言葉は信用出来る……と、言うよりも普通にチームを組む事が出来れば、県内に藤校以外の敵は居ないのである。
そして、大体育館。
午前中に行われた女子準決勝。ダブルスコアこそ僅かに届かなかったものの、楽勝だった。美優は兄の世代の果たせなかった全国への切符まで、あと1勝に迫ったのである。
続いて行われた男子準決勝。
ホームゲームの大歓声と女バスの勢いを借り、彼ら憂の後輩たちは躍動した。あっさりと決勝進出を果たした。
ついでにその次の試合も観戦した。
例の藤中の試合である。
『よっしゃ!! よーやった!! 次は絶対に負けられんぞ!! 蓼学だけには絶対負けん!!』
その日、憂がチャットに残したコメントはメンバーを驚愕させた。
【いたね。あのうるさい監督さん】憂
憂が拓真の両親に続いて思い出した人物は、余りに意外な人物なのであった。