90.0話 七夕狂乱
「憂ちゃん、来たぞ!!」
「よっしゃああ! 俺が一番乗りだぁ!!」
「憂ちゃーん!」
「男子ずるいぃぃ!!」
吶喊する大集団に5人は怯む。拓真もビビった。康平さえたじろいだ。その時だった。
「お任せ下さい!」
インカムを装着した集団が憂たちの前面に肉壁を築いた。何やらアイテムを抱えている者たちも居る。
『学園内の騒動を未然に防止する部』の面々である。彼らはこの日ばかりは憂とそのグループメンバーとの接触を図る他無かった。幾度と無く会議を重ね、到達するに至った結論である。因みに、彼らの装備品は予想を超えた代物だ。生徒会から許可の下りた予算は微々たる物だった。悲嘆に暮れた彼らだったが、そこに謎のパトロンが出現した。そのパトロンは秘書を通し、多額の寄付をこの怪しげな部に寄せたのである。
更に彼らの前面を警備隊が固めた。いつもより格段に人数が多い。シフト制の彼らだが、この日の為に勤務調整を行い、全員が出勤している。そして、蓼学警備隊の出勤率は200%となっている。わざわざ臨時職員を雇い、法令に従い4日間の現任教育を行い、備えていたのである。ぶっちゃけ大赤字だ。ついでに言えば、臨時で雇われた者はヤケに肉体派が揃っている。まぁ、わざわざ貧弱な者を雇う必要も無いだろう。
蓼学警備隊隊長は一ヶ月ほど前、学園長に言い切った。
『立花 憂さんの誕生日。大混乱は承知の上です。しかし、教職員の手はお借りしません。我々のプライドを賭け、暴動を防ぎます』
……正直な話、憂は彼らにとって迷惑な存在となっても何ら不思議は無い。しかし、そこは庇護欲を一身に掻き集めるハンデを持った絶世の美少女。彼らもまた、憂によって引き起こされる数々の迷惑を喜んで引き受けているのだ。
警備隊は叫び、突撃してくる大集団を前に鶴翼の陣を敷いた。
―――鶴翼の陣とは数ある陣形のひとつ。自軍の部隊を、敵に対峙して左右に長く広げた隊形に配置する陣形である。単に横一線に並ぶのではなく、左右が敵方向にせりだした形をとるため、ちょうど鶴が翼を広げた様な三日月形に見えることから、この名がついた。古来より会戦に用いられ、防御に非常に適した陣形である。wikiより―――
突撃を受け止めた後、包囲殲滅を主目的とする陣形だが、この時の目的は本来の戦術的意図とは一線を画している。憂の元へと辿り着く者を1人ずつとする事を主眼に置いている様子だ。
当たり前だ。憂の誕生日を祝福したい生徒たちを殲滅する訳にはいかない。かと言って簡単に憂を包囲される訳にはいかないのだ。
かくして、1人ずつ。ぽつりぽつりと砂時計の砂のように警備隊の底から零れ落ちてくる生徒たちは、『学園内の騒動を未然に防止する部』の検問に掛かった。素早く設置された長机で氏名と贈り物の内容と憂へのひと言を記載し、憂の元に晴れて到着する。そこで憂は時に笑顔で、時に美味しいものとまずいものを同時に食したような複雑な顔で、短い遣り取りなり、握手なりハイタッチなり相手が求める通りの対応を可能な範疇で行なったのだった。
そして、1時間目の開始が近付くと学園長が降臨し、解散を命じた。
この流れは午前中の小休憩の全てで、憂がお手洗いへと抜けた時間を除き、延々と続いた。毎回、学園長が解散を命じた。
2時間目の終わり、トイレに行った際も当然の如く、女子トイレの外まで警備隊やら色々と護衛が付いた。
……これが後の蓼園学園に伝わる伝説。七夕狂乱である……が、当の本人は余りのプレゼントの数に困惑するばかりであった。
午後……。
昼休憩から私立蓼園学園警備隊と『学園内の騒動を未然に防止する部』は、憂とグループメンバーの承認を得た上で流れを1つ省略し、対応を続けた。
1-5の教室前では例の長い名称の部が、C棟正面玄関前では警備隊がプレゼントの受け取りを続けている。それぞれC棟内に籍を置くものとC棟に籍を置かない者への対応を行なっているのだ。
憂本人が居ない事に不満を隠さない者も当然ながら出現した。不満げな表情を見せた者も、一枚の拙いながらも丁寧に書かれた一文に目を通すとその矛を収めた。
【ごめんなさい。疲れてしまったので眠らせてください。お気持ちは本当にうれしいです】
ルーズリーフの一枚に書かれた憂直筆のメモが長机に貼り付けられている。文面は憂とグループの女子4人で考えた。丁寧に単純に、がコンセプトだった。この素朴な文章の効果は覿面だった。
『午後は憂のお眠の時間』
これは既に学園中に広がっている。実に有効的な手段であった。
学園長と警備隊隊長、怪しい部の部長。そして、梢枝の4人で立てた作戦は大成功だった。だが憂の対応が遅かった。このままでは本日中のプレゼントの受け取りが間に合わない……。
そう判断した学園長は作戦の第二段を決行した。この状況もまた想定内だったのだ。
幸い、金曜の5,6時間目はHRの時間である。授業中もプレゼントの受け取りは継続された。そして6時間目の半ばとなった頃、プレゼントの受け取りは遂に完了したのである。
……その間、憂は……。
中央管理棟にある教職員の仮眠が可能な休憩室で、スヤスヤと本当に眠っていたのであった。傍らには、千穂と梢枝の姿があったらしい。
「……なに……これ……」
憂への誕生日プレゼントの確認に来た愛は応接室に通された。そこで見た余りの光景を眼前に茫然自失。狐につままれた顔でピシッと固まった。数十件。これくらいはあるかも……くらいの予測をしていたのだろう。応接室を埋め尽くすようなソレがうず高く積まれており、遥かに予測を超えていたようだ。
「全て妹さんへの誕生日プレゼントです」
プレゼントに視線を吸い寄せられ、言い切った警備隊長の姿を見ることも出来なかった。
「嘘……でしょ……」
「締めて772件。ウチの予想は下回りましたわぁ……。残念です……」
梢枝は山のように……いや。正に山と積まれた贈り物を見上げ、事もなく見解を述べた。
学園長も警備隊長も利子も苦笑いしている。この5人が現在、応接室に居る面子である。どこぞの部長は『我々の任務は完了しました。これ以上の接触は我が部の方針に反します』と、6時間目の終了前に立ち去ってしまったのだった。姉とも接触していない。
「思うたよりも誕生日は拡散していませんでしたわぁ……。学園の全員が知っていたらこの倍は下らなかったと……。つまり、今日、誕生日を知った方々は明日以降、遅れてプレゼントする可能性がありますねぇ……」
「ど……」
「「「ど?」」」
「どーすんのよー!?」
ピリリリリ……
ピリリリリ……
そんな中、愛のスマホが鳴った。愛は液晶画面を覗くと、慌てて人差し指をスライドさせた。
「もしもし! 遥さん! 助けて下さい!」
愛は藁にも縋る思いで総帥秘書に助力を求めたのであった。
プレゼントの名簿の束を片手に、遥は惑いなく、簡潔に采配を揮っていった。
「こちらが賞味期限付きのプレゼントですね。これらは先にご自宅にお送りさせて頂きます。残りの物は日を置いて、ご自宅に少しずつお届け致します」
遥は数分後に数名の男性を伴い、姿を見せた。17時から行われるパーティーの裏方として、迎えの状況を確認しに来ていたのである。彼女は到着するなり、警備隊長からプレゼントの仕分け具合を確認し、伴ってきた男性たちに指示を出した。優秀な総帥の秘書は、この多量の贈り物を予見していた。連れてきた男性たちは輸送を生業とする業者の者だったのだ。その業者も警備隊長も既に応接室を辞している。
「はい……。お願いします……」
「そして、明日以降のプレゼントの受け取りは一切しない。憂さまにしっかりとお伝え下さい。学生たちには私共で可能な限りの周知を行います」
「はい……。間違いなく伝えます……」
愛は深く沈んでいる。お返しを考えるだけで億劫なのだろう。さもありなん。
「梢枝さん? 貴女も動いて下さい。サイトを通じて、拡散の依頼を行えばかなり拡がります」
「もうやっております……」
「流石ですね」と珍しく小さな笑みを見せ、梢枝を労うと落ち込む愛を励まし始めた。
「愛さん? もし本日のプレゼントの受け取りを許可されなかった場合をお考え下さい。この772件の贈り物の行き先はどうなります? それだけで恨みを抱く者も現れます。仕方のない事だったのです」
「でも……」
「遥さんの仰る通りですわぁ……。敵を作る可能性は下げて然るべきです。その為に大勢が動き回ってはります」
2人に言われても愛は冴えない顔をしていた。そこで学園長が話を切り替えた。
「妹の誕生日にそのような事でどうします? 笑顔で憂さんをお祝いしてあげましょう」
その厳しくも優しい声音で、ようやく愛は和らいだ顔を見せたのであった。
一方、私立蓼園学園送迎車用ロータリーでは……。
「……すっげー」
健太が遠ざかるリムジンを呆然と見送り、気の抜けた声を上げた。隣の有希も「……うん」と同意する。リムジンに乗っていったのは千穂、佳穂、千晶、拓真、勇太の5人だ。憂はそのリムジンの発車の少し前、跳ね馬のエンブレムの白いスポーツカーに乗っていった。康平の同乗は護衛としての任務である。そして、スポーツカーは蓼園 肇の趣味とは合致しない。リムジンは憂が前に乗車拒否した。その為、わざわざ購入された車だ。今回は、総帥は同乗していない。先に会場に入っているらしい。彼はさも残念に思っている事だろう。
憂は少しテンションが上がっていたようだった。当然ながら跳ね馬の紋章が付いた車に乗るのは初めての事だ。少年心を刺激されてしまったのかも知れない。
「健太ー! あと5分くらいで出発だってよー!」
憂のクラスメイト。健太がよくつるんでいるサッカー部の少年Bが、プレーリードッグのように立ったまま、カピバラのようにぼんやりと動かない健太を促す。
「あ……あぁ……」
彼とその彼女は2階建てバスに近づいていく。
「ご招待状を拝見させて頂きます」
黒服の男が慇懃とした態度で要件を伝える。
「あ! はい! これです!!」
健太は獅子に追われ、逃げるトムソンガゼルのように慌てふためき、一通の封筒を取り出す。明らかに高級感を醸し出す封筒だった。
「バカ! それは封筒! 招待状は中だよ!」
有希は小声で彼氏を叱責する。健太は少しの間、初めて鏡を見た猿のように固まると、数秒後に封筒から招待状を取り出した。
「拝見致しました。どうぞ、ご乗車下さい」
「あ! はい! ぃつれいします!」
「健太! 噛んだよ!」
「う、うるせぇ!」
続々と乗り込むクラスメイトたちも緊張を隠せない。いや、クラスメイト以外の者も居た。生徒会長・文乃とその友人である、いつかの眼鏡の少女。憂と千穂が生徒会長が籍を置くC棟3-1を訪ねた際に彼女らを応対した眼鏡の先輩。
女子バスケットボール部主将である、ちゃことその仲間たち。
ディビッドや山下教諭、家庭科のおばちゃまの姿も見える。もちろん、利子も。
招待状が届いた者は多岐に渡るようである。どうやら、憂が関わった者たちの多くに届いたようだ。
今回のパーティーの招待客の人選、会場の選定に確保等、一切を取り仕切ったのは秘書の一ノ瀬 遥である。遥自身、総帥の懐刀と異名を持つほどの大物である。その大物がわざわざ、憂のバースデーパーティーを取り仕切る。異例の事と謂えるだろう。
このパーティーには、総帥の思惑が当然ながら絡んでいる。
総帥の庇護を受けていると云う事実を、紛うことなき真実へと昇華させる事が目的の1つなのである。
いち早く蓼園駅前に鎮座するホテル内の会場に到着した憂は、控室へと誘導された。入室するや否や、パーティードレスの着付け、メイク、ヘアメイクと瞬く間に行われた。メイクについてはプロの手により薄く化粧されたがすぐにリセットされた。
結論。
「すっぴんが一番輝いている」
名うてのメイクアーティストをして、そう言わしめたのだった。
ヘアメイクを終えるとその時には合流していた千穂が、人払いを依頼した。康平を通じ、総帥直々、人払いの指令が下りた。それだけで完璧に秘密の話を出来る環境は整った。
曲がり間違って彼らの会話を耳にし、それがバレたとなれば文字通り首が飛ぶ。この日、狩り出されたスタッフも必死なのだ。
そこで改めて千穂は憂に『知られる』事の危険性を説いた。美優へのうっかりの直後だ。美優に知られた事を喜んでいた憂は、そこを千穂に叱られた。大勢の前でうっかりを発動する訳にはいかない。千穂の口調は、いつになく厳しいものだった。おそらく憂の心に深く刻み込まれた事だろう。
余談だが、憂の純白のドレス姿を見た総帥は憂を女神と崇め讃えた。天使から出世したらしい。
彼を止める事の出来る唯一の存在である遥の居ないタイミングであり、千穂に動揺が走ったが、天使にはハグをしに行けても女神には無理だったらしい。だらしなく目尻を下げ、威厳の無い姿を憂たちに晒したのであった。