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89.0話 美優ちゃん

 


 ―――7月7日(金)



「お姉ちゃん――お母さん――おはよ――」


 起き抜けのトイレ後、憂はリビングに到着するといつもの通りに朝の挨拶。

 1階に自室を引っ越しした憂は朝、1人で起きるようになっている。夜中、突然起きた場合を想定しての姉ガードは未だに健在だ。未だ同じベッドで眠っている。だが、最近では朝の姉ガードは外れている。階段の昇降の必要は無くなった。1階で転倒した場合、家族の恐れるポイントは知らない内に転倒し、放置してしまう可能性だ。姉が起きていれば1階で転倒した場合、すぐに気付くことが出来る。愛はごく僅かながら、憂の自身での行動の範囲を拡大させたのである。



「憂? 誕生日……おめでとう!」


 しかし返ってきた言葉はいつもと違った。そう。16度目の誕生日なのである。


「おめでと。これで憂も16歳かぁ……。結婚できる年齢?」


「――ありが――と?」


「ちょっと……。お母さん、やめてよ。それより……なんで……疑問形?」


「あら? 法的に……って話をしただけよ? あなたたちはいつも可能性の話に反応するんだから」


 母は話しながらも、その手の動きは淀みない。慣れた手付きで弁当の作成と朝食の支度を並行させていく。それに対して姉の手は時折、止まってしまう。長年、鍛えられた家事スキルの差だろう。


 母・幸の専業主婦歴は長い。父と同じ職場だった。幸は迅と社内恋愛を経て、退職した。早い話が寿退社したのだ。

 ここで疑問に思う者が出てくるだろう。私立の蓼学生3人もどうやって養ってきたか……。


 憂も丁度良い事に固まっている。久々に説明しておこう。



 ―――蓼園グループには優れたシステムがある。蓼園関連企業と私立蓼園学園は密接に繋がっている。関連企業の子どもが私立蓼園学園に入学する際には、少人数にだが優遇制度が得られる場合がある。

 先ずは奨励金制度。こちらは基本的に返済制だが蓼園グループに就職した場合には返済義務は消滅する。これは関連企業に籍を置く者ならば誰でも受けられる。

 次に蓼学入学支度金。こちらの額は大きく、入学金の実に半額を補助……。事実上の入学金減免となる。

 更には毎月に渡る蓼学生手当……。他にも様々な優遇措置が取られている。また、その蓼学生は蓼園関連企業への入社が安易である。その優遇措置で育った子どもはまた蓼園関連企業に入社し、その恩恵を受ける。このシステムこそが蓼学を肥大させ続ける要因の1つであると同時に、関連企業の人材確保を容易(たやす)くさせているのである。

 当然ながら、その優遇制度の競争倍率は高い。高等部、中等部、初等部とその倍率は高くなっていく。迅と幸は幸運にも第一子・愛の初等部入学前、高い倍率の抽選の結果、その権利を手にしたのだ。結果、愛は初中高大と優遇措置を受ける事が出来たのだった。


 因みに奨励金以外の権利は1度しか得られない。つまり剛と優は蓼園関連企業の子どもならば誰でも受けられる奨励金制度のみを受け、ほぼ優遇措置無く初等部から入学している。


 いや、愛の入学時にこの権利を手にしていなければ、立花家の家計は厳しく、優は産まれてさえ居ないのかも知れないのだ―――



「じゅうろく――だっけ?」


 合ってはいるがボケボケである。それよりも説明が終わった途端に動き出してくれて助かる。きっと空気を読んでくれたのだろう。



 憂は浮かれてしまった。16歳になった事を改めて理解すると同時に、グループ内で最年長者になったと喜んでいた。いつも知らない人から年下に見られるのが悔しかったのだろう。護衛2人の実年齢については、やっぱり知らないままらしい。


 知らない……と言えば、この日だけは……と、姉は『知らない人からのプレゼント』の受け取りを許可した。流石に憂の為に……と選んだであろう誕生日プレゼントを無下に出来ないとの判断だった。だが、姉は憂の人気ぶりを甘く見積もっていた事を後悔する羽目になるなど、この時はまだ知らないのであった。




「――いってきます――」


 憂が玄関を出るとパァン! ……と大きな音が響いた。わざわざ買ってきたと思しきクラッカーを、いつもより早く到着した千穂が鳴らしたのである。


 憂はその大きな音に怯えてしまった。小さな躰が大きく跳ねた。そして目を丸くし、フリーズした。千穂が良かれと思い行なったサプライズ演出は、いきなりマイナスに働いてしまったのであった。どうやら千穂も浮かれていたようだ。そして大きな音や声は厳禁。最近では憂への配慮は多くの生徒の知る所となり、大音量に怯える姿をほとんど見なくなった為、それを失念していたのだった。


 隣で『あぁ……』と片手で顔を覆う拓真は記憶していた。しかし楽しそうな千穂の様子を見て止められなかったのである。


 この日は美優も一緒だった。地区大会の直前だが、憂の為にとわざわざ朝練を休んだのである。


 そして通学中。いつかのように憂は右手を千穂に。左手を美優に引かれ、歩き始めた。あの時よりは歩行のペースは遅く、話しながら歩けた。家を立ち、すぐに憂は自慢げに言った。


「千穂より――としうえ――」


「同級生……だよ」


「千穂より――としうえ――」


「……同級生」


「――としうえ――」


「……はい。私が……年下です……」


「拓真――より――」


「あぁ。憂が……上だ」


 憂は満足そうにニコニコと満面の笑顔で両手を引かれる。子ども返りしているかのようだ。


「憂先輩って優兄ちゃんと同じ誕生日なんですね! 凄い! 運命って感じがします!」


「そうだね」


 千穂はふんわりと微笑む。おそらく内心では罪悪感に苛まれている事だろう。


「憂先輩? 誕生日。あたしの……」


 拓真と千穂の目線が交わる。危険な会話だ。しかし横槍を入れる事も躊躇われた。美優の話の流れはごく自然なのだ。話を変える方が不思議がられるだろう。


「お兄ちゃんの……幼馴染と……一緒……」


 憂は小首を傾げた。両手を引かれている為、それでも歩みは進めている。


「――あたりまえ――あっ!」


 思ったままを口にしてしまったようだ。千穂と拓真の足が同時に止まった。思考をフル回転させる……が、先に口を開いたのは美優だった。


「……当たり前……ですか?」


「憂んち……戻るぞ」


 淡々と言った拓真に千穂は無言で頷く。優に憧れ、恋心まで抱いていたが故に、今年の始め、涙を流した妹に拓真は今日、この時まで話したかった想いを抑えていた。千穂もまた良心の呵責があった。拓真にとっても千穂にとっても良い切っ掛けなのかも知れない。


「お兄ちゃん……?」


 美優はオロオロと落ち着きのない憂を気にしながらも、歩いてきた道のりを取って返した拓真を追う。千穂は憂を「めっ!」と、ごく短い単語で叱った。叱った直後、繋いだままの手を引き、憂の家へと進み始めたのであった。




「憂先輩が……優兄ちゃん……」


 愛の説明を受けた美優は信じられないと云った調子で、呆然と呟く。

 またも失態を犯した憂はしばらく放心状態だった。千穂の『めっ!』がショックだったのだろう。だが、現在はニコニコと上機嫌である。

 家族ぐるみ。仲の良かった立花家と本居家。かつて優は、美優を実の妹のように可愛がっていたのだ。


 愛への説明の途中、『憂は思い出してましたよ。美優ちゃんの事……。だからこれでいいんだと思います』と言ったのは千穂だった。


 千穂は大運動会の日に気付いたらしい。千穂は相変わらず鋭い。愛は憂と泊まったその日に聞かされていた。拓真は聞かされていなかった。彼にとっても繊細な問題であり、拓真に話すタイミングを測っていたそうだ。


 かくして、憂の秘密を『知る』者はまた1人、増加したのだった。そして、近い内に両家で以前のように遊びに出掛ける予定を立て、本居の夫妻。つまり、拓真の両親にも伝える事を立花家は決意したのである。



 そして、愛の車で()人は送られる事となった。本居の兄妹に憂と千穂の純正制服コンビ。この4人に梢枝と康平が合流したのだ。憂たちが2度目の出立をする際に梢枝は声を掛けた。梢枝は4人が引き返した時点で察していたようだ。彼女が居ると話が早くて助かる。

 送られる理由はごく単純。単に時間的に厳しくなってしまったのだ。


 その車内でようやく美優は実感が沸いてきたらしい。

 憂をまじまじと観察している。


「美優ちゃん――ごめんね――かくしてて――」


 憂は謝罪しながらも笑顔だった。相変わらず、表情が感情を表してしまう。憂は優である事を『知る』人物の増加を喜んでいる節がある。


「優兄ちゃん……生きてて……くれたんだ……」


 已むを得ないとは思うが、行き過ぎは危険だ。調子に乗ってペラペラと吹聴されても困る。何より、本人が一番困る事になるだろう。


「――うん。こんな――なった――けど――」


「ううん! あたし……嬉しい……」


「私がまた言い聞かせておくよ」

「私ももう1度、きちんと憂と話しておきたいと思います。今日のパーティーが終わったら最上階ですよね? その時に……」

「あぁ……俺からも……」

「うん。みんなで言い聞かせる方がいいよね。お願い」


 話が混信状態だ。愛の新しい大きな車の助手席には拓真。運転席と助手席の間から小柄な身を乗り出し、千穂も会話に加わっている。千穂のそのお尻を突き出すような姿勢に康平は1人で天井を見上げている。今は憂も美優との会話に一生懸命なのだ。彼女たちは気付いていない。


「――ありがと――たいかい――がんばって――」


「今日はとにかく気を付けておきますね。今日のパーティー、大勢くるんですよね?」

「うん。結構、来るんじゃないかな? 憂の情報は蓼園さんに集まってるんだよ。人選も招待状も秘書の遥さん任せだから、私も把握出来てないんだ……。でも、下手な人選はしないと思うよ? 大丈夫! 私も行くから!」

「あ……。それは助かります!」


 千穂は安心した様子を見せ、席に引っ込んだ。愛はいつの間にやら話しながら運転する余裕が出来たらしい。


「康平さん。ええですよ」

「……無防備で困るわ」

「高校1年生なんてそんなものやわぁ……」


 後ろの座席で身辺警護が話す中、憂の言葉を咀嚼し、吟味し終えた美優がようやく口を開いた。


「優兄ちゃん……あたし……バスケ……」

「美優? 辞めんなよ? 俺だけでいい」


 美優は憂が優と判り、憂の発言を受けてようやく気付いたらしい。憂はもうバスケに打ち込む事は出来ないと云う事実に。

 兄と優に憧れ、自身も始めたバスケットボール。その2人はバスケから離れてしまった。いや、憂が下手こくまでは、いつの間にか想いを寄せる存在となっていた優は亡くなり、兄はその影響で辞めてしまったと思っていた。

 だが、憂としての生存を知った今はどうであろうか?

 先述した通り、憂はバスケの出来ない躰であり、兄はその憂の気持ちを想い、バスケから顔を背けている。自分1人がのうのうと……と、考えてしまうのも無理もない事だろう。


 返事の出来ない妹に兄は続ける。


「俺は憂に付き合ってる訳じゃねぇ……。俺の夢は途切れちまった」


「……意味わかんない」


「俺の夢は(こいつ)と一緒に全国デビューする事だったんだよ。憂にまたバスケやれって言われて……。違うか。たぶんその前からだ。気付いたのは」


 今度は拓真が助手席から身を乗り出し、美優に言葉を投げ付ける。彼にしてはよく喋っている。大会直前の大切な時。彼も必死なのだろう。


「そんなの……言い訳じゃない……。優兄ちゃんに付き合ってバスケ辞めたままの言い訳……「違うっつってんだろ!」

「拓真くん!」

「拓真はん! ……じっくりと話し合いましょや……」


 千穂が制止し、康平が気の利いた提案をした。


「……そんな時間ねぇよ。モチベ下がった選手なんて要らねぇんだ……。足、引っ張るだけなんだよ」


 おそらく過去の自身に重ねている。拓真は助手席に大きな体を戻し、深く腰を沈めてしまった。


「今日の最上階での二次会は『知っている』者の集まりですよねぇ?」


 静観を決め込んでいた梢枝がついに動いた。「そうだよ! それいいね!」と愛。梢枝の考えを先読み出来たらしい。


「お姉さんの許可も頂きました。美優さん? 今日の部活は何時に終わりますか?」


「……6時くらいです」


「お疲れのところになると思います。今日は憂さんの16回目のバースデイです。申し訳ありませんが、お付き合い願います」


「それは……はい。喜んで……」


「康平さん? ホテルでの一次会が終わったら、すいませんが美優さんの迎えに車を出して下さい……」


「おーけい。構わへんで」


「康平くんって車持ってたんだ……」


 千穂……。そこは今、関係ない。他の面々は同じ事を思いながらも口にはしていない。

 そして、憂はどことなく不満げに流れる景色をぼんやりと眺めていたのだった。誕生日なのに置いておかれた状況を鑑みると少し可哀想な気もする……が、仕方ないだろう。美優の問題は火急を要する。


 ……それは置いておくとして……。


 話をしている内に学園の駐車場に到着したのだった。


 憂のうっかりに端を発した新たな問題を解決するべく、本日のパーティ二次会へと姉は改めて、美優を招待した。美優は胸中をひた隠し、笑顔を務め、招待を受けたのであった。



 ……その頃、私立蓼園学園東門では多くの者たちがラッピングされた贈り物を鞄にバッグに、或いは小脇に抱えて、憂の到着を待っていたのであった。



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