88.0話 文化部見学
―――7月5日(水)
この日は朝から文化部各部の勧誘攻勢にあった。今回の噂の広がりは裏サイトを通じた、その後の口コミでは無かった。SNSを通じて、静かに迅速に拡散されていったのである。噂の広がり方にも変化が現れていた。
梢枝は今回の広がり方に美麗な眉を顰めた。どうやら好ましくないらしい。好ましくない理由としては……、LIENなどのアプリは少数人数のグループ単位での遣り取りだ。間違った情報が流れた時、修正情報が流れにくい。逆に裏サイトならば、ある程度のコントロールは可能だから……と云った処か。
勧誘に話を戻そう。いずれの部も同好会も勧誘は不発に終わった。勧誘合戦となれば憂は聞き取れない。かと言っても、悠長にゆっくりと途切れ途切れに話し掛ければ、他所の部の割り込みに遭う。
各部、各同好会、歯痒い思いなのだろう。顔一面に『ごめんね』を貼り付けつつも、その勧誘の言葉の速度を緩めることは無かった。
当然ながら憂はキョトンとし、何が何やら解っていない様子を見せた。それを受けて、千穂は早々に憂を教室内に引き込んでしまったのだった。教室内への突入は無い。そこは例の『学園内の騒動をなんとか部』の面々がきっちりと線引きしているのである。
教室に到着するまでの間に、物で釣ろうとした同好会なども存在した。
『――ごめん――なさい』
『いただいたら――おこられる――から――』
『おきもち――だけ――』
……と、いつかの台詞で上手にお断りしていたのだった。記憶していた事に惜しみない賛辞を送りたい。今までの憂を振り返るに、どうやら叱られた事は強く記憶されるようである。
放課後となり、憂とその一行は約束通り、中央管理棟を訪れた。一行は前日よりもまた1人減少していた。女子5人である。勇太はバスケ部に正式に入部を果たした。部活動に忙しくなり、グループとの行動は朝礼~6時間目修了時までに変化した。
残りの2名の男子。拓真と康平は辞退した。『すまん! ワイには厳しい空間なんや! 梢枝! 頼むで!』と頭を下げたのは厳つい男の方だった。拓真は『俺も止めとくわ……』と康平の後を追い掛けた。無難な判断だろう。
そして、中央管理棟。そこは初めての訪問時と違った。
中央管理棟に籍を置く文化部は僅か一日で憂を入部させる為、可能な限りの準備をしていた。ごく僅かな準備期間。部のあらん限りの力を思う存分見せようと支度をして臨んだのだった。その為、前日の部活の終了時間がいつもより格段に遅くなり、各部に帰宅命令が発令された事は梢枝しか知らない。
(これって……準備されてるよ。ここで決めないとまずいんじゃないかな?)
千穂の心の声が聞こえてきた。『やっぱりやめたー!』と言い辛い状況に陥ってしまったのは間違いない。
見れば佳穂も千晶も不安を隠せていない。
(やっばー! これって実はピンチなんじゃない!?)
(わたし部活なんて無理。勉強時間減らしたら置いていかれるよー)
手薬煉引いて待っていた2階をスルーし、一行は最初に3階、外国人講師控室を訪ねた。英語の授業時、山下教諭からデイビッドが昨日逢えなかったと淋しそうにしていた……と、聞かされた為である。
憂たちは2階への用事がある。挨拶程度で立ち去ってしまったが、この日、大勢居た外国人講師たちは歓喜したのだった。
あらためて問題の2階へ降りると、各部は出来うる限りの歓待を以って一行を迎えた。
華道部は和装で出迎えた。憂の好きな花の情報は掴めなかったらしい。ありとあらゆる夏の花を生けていた。その中で4人の目を惹いた作品があった。
背を低く活けられた一輪の百合の花に白い桔梗が寄り添い、三輪の向日葵が背後に堂々と聳え立つ。更に百合の花を取り囲むように三輪の色とりどりの花々……。調和の取れていないどこか不細工な……そんな作品だった。
4人は観た瞬間に察した。そして感動した。
それは間違いなく憂とそのグループメンバーの初期を意識したものだった。
「憂ちゃんの……イメージ……」
華道部の部長は5人にそう伝えた。なるほど、たしかに百合は憂のイメージにぴったりだ。純白で儚く美しい。少し小首を傾げた様子まで忠実だ。
「憂ちゃんの……好きな……お花は……?」
この質問には千穂が慌てて答えた。憂は女の子である。好きな花の1つくらいあってもいい。しかし、本人に期待できない。少女としての違和感を与えかねない質問だった。
「憂はカスミ草が好きなんだそうです」
―――千穂は優の頃に好きな物をどんどんと挙げて貰った事がある。その時にしたメモは今も大切に保管されているのだ。
その時の質問の1つ。
『それじゃあ好きな花は?』
優の答えは『えっと……あの、花束によくある引き立て役してる小さい花……』だった。名前も知らない様子だったが千穂はすぐにピンと来た。ググル先生に問い掛け、表示された画像を見せると『そう! これ! カスミ草って言うんだ……。千穂、よく知ってるね』と驚きの様子だった。
『カスミ草って脇役の代表格だよ? 優みたいだね』
言い得て妙とはよく言ったものだ。当時の千穂はバスケの試合の様子を思い浮かべ、そう表現したのだろう。パスを供給し続ける優の姿はたしかに主役を引き立てるカスミ草のようだったとも謂えるだろう―――
「あ! 霞草もたしかに憂ちゃんのイメージかも!? ちっちゃい可憐なお花を儚く咲かせる……。うん! いい! いいよ!!」
……部長さんは自分の世界に旅立ってしまった。
「かすみそう――?」
憂は思い出せないようだった。千穂はそんな憂を淋しそうに見詰め、項垂れた。
千晶も佳穂もそんな千穂を哀しげに見詰める。梢枝はそんな3人の様子に眉を顰めた。ここが公然周知の環境で無ければ佳穂か千晶が千穂を抱き締め、慰めていたはずだろう。
「――ひまわり」
千穂は弾かれたように顔を上げた。驚きに瞳が大きく見開かれていた。
「千穂――すき――だよね?」
そう言って後ろに立つ向日葵を指差した。
……一行は、すぐに華道部の部室を辞した。
千穂が耐え切れず、再び俯き、両手で顔を覆ってしまったからだった。
しばらくの間、千穂は佳穂千晶にトイレに連れ込まれた。
その間、梢枝がほぼ1人で対応する事になってしまったが、彼女は晴れ渡った笑顔で対応していたのであった。
美術部もまたグループ8人を表現していた。華道部とは違い、直接的な表現……、つまり8人それぞれが見事に描かれていた。そしてそれをプレゼントされてしまった。憂の『知らない人から』がややこしい上に、断れない贈り物の為、佳穂が纏めて受け取った。憂を筆頭にモデルを依頼されたが丁重にお断りした。まだまだ訪問しなければならない部がある……と。
マンモス高である蓼学高等部は、文化系の部や同好会も多岐にわたる。その中でも比較的大きな部がこの中央管理棟に籍を置くのは既に語った通りだ。
一行は駆け足状態でこの日の内に全ての部を訪問した。
特記した華道部、美術部を除いてもこの日の放課後だけで、俳句部、かるた部、写真部、天文部、漫画研究部、将棋部、囲碁部、麻雀部、オカルト研究部、書道部、文芸部、奇術研究部、数学研究部。
実に15もの部を駆け回った。
この他にもPCの使用が必要な部……ゲーム研究開発部などはO棟に。工具の使用を必要とする部……工芸美術部などはT棟に。音楽系の吹奏楽部、軽音楽部、合唱部、演劇部などは南管理棟に……と住み分けが成されている。更には少人数の同好会も存在し、混沌としている。この日、回った部でも未だ一部なのである。
憂が興味を惹かれた部は写真部、天文部、奇術研究部だった。
写真部の面々は憂と千穂を被写体にしたがった為、その勧誘チャンスを逸した。いや、むしろ熱心に勧誘されていたのは梢枝だった。和風カメラ美女と鳴り響く梢枝の知名度もまた高いのだ。彼女は当然のように『ウチは憂さんの付き添いに来ただけですえ?』と、至極あっさり拒否してしまった。
天文部は『自分にも出来る』事がポイント上位であったと思われる。奇術研究部は……憂が楽しんでいた。他の4人も楽しんでいた。
目の前で行われる手品を前に、憂は頭の上に疑問符を大量に浮かべた。
驚き、訝しみ、不思議がった。手品を見せられた動物の反応と同じだ。時に思考停止に陥り、その道具を手にし、納得のいかない様子でおかしな場所を必死に探した。奇術研究部の部員は当然ながらタネがバレるような道具は見せなかったのである。
そんな憂の様子を4人は和やかに微笑みながら観賞していたのであった。
その夜、憂は1時間の自分の時間を家族との会話に充てた。
「――ボールが――きえた――」
未だに納得が行かないのか身振り手振りを混じえ、しきりに首を傾げている。困惑しているのは剛1人だけだ。父たちは微笑ましく憂の様子を眺めている。
「手品……憶えて……ないのか……?」
「てじな――?」
「ちょっと……待ってな」
兄は2階へと消えていった。その間を母が空かさず埋める。
「他に……何があった……の?」
『の?』に合わせ母が首を傾けた。年齢の割に似合う仕草が憎らしい。憂もまた小首を傾げ、思案を始める。
姉は家庭外の妹との遣り取りを兼任中だ。
愛【それじゃヤメておくんだね。了解】
【はい。心配して貰ってるのにごめんなさい】千穂
愛【そりゃ恥ずかしいよね。高校生だもん。気にしないでね】
【……はい】千穂
愛【いつでも声掛けてよー? まだ当分来なかったら私から声掛けるね】
【……お願いしますって、どうやって知るつもりですかっ!】千穂
「――ほし――きれい――だった」
「星? 天文部……?」
「――うん。それ――」
「天文部はなかなか良い望遠鏡を持ってるらしいよ?」
姉は手を止め、会話に割り込む。丁度、戻ってきた兄も会話に復帰した。自宅での家族団欒時には母が憂に要点を伝えている。学園内での千穂と同じ役割だ。
「高等部の子たち、大学の天文学サークルにも時々来てるみたいだぞ。泊まり込みの共同合宿」
「泊まりぃ!? ダメだわ。天文部は無しね。危険だわ」
姉の方針を母がゆっくりと伝えると憂は不満そうに唇を突き出す。
「せっかく――できそう――なのに――」
「だーめ!」
「姉貴! ちょいストップ!」
剛は銀色に輝く金属製の輪っかを3つ掲げていた。チャイニーズリングやらロッキングリングと呼ばれる、よくあるマジックの玩具版だった。
「憂……? 見てな……」
キン! キン! ……と、甲高く金属がぶつかり合う音を立てると3つの輪っかは鎖のように繋がった。拙い手品だったが、憂は驚いた様子を見せる。
「――なんで――?」
剛は繋がった3つのリングを外して見せる。憂は目を丸くしている。
「ほい……。研究……してみ?」
憂は3つのリングを受け取り、それを色々と触り始めた。
「――あれ――?」
「あ――ここ――」
「あー!!」
……どうやら思い出してしまったようである。
そのリングには当然ながら仕掛けがあった。一箇所だけ、接合できるように細工が施してあったのだ。
……まぁ、当たり前なのだが……。
こうして憂は1つ、常識を取り戻すと共に純真さを失ったのであった。
しかし、蓼学生の間では憂の純粋さは崇め讃えられた。
放課後に訪れた奇術研究部。そこに裏サイトへの接続者が存在した。
手品に驚く様子は奇術部部員から拡散され、裏サイトからSNSに流れ出してしまったのである。当然ながら文字のみだ。動画も画像も無い。上げれば停学は免れられない。よって、ソースは証言だけだった。
そこまで驚くはずが無い!
いや、憂ちゃんなら有り得る!
そのせめぎ合いは後者の圧勝に終わった。実際にその時は驚いていた。それは間違いない。ただマジックの存在を忘れていただけである。
以降は余談である。
憂はその情報を知り得た生徒たちから天使を見るように見られた。
後日、憂にロープマジックを見せたクラスメイトが出現したが、彼女はじっと見詰めた後、拙いマジックを見破ってしまった。疑って掛かると案外、見破りやすい。見破るコツさえある。見破り方は姉にレクチャーされていたのだ。流石に可愛い妹がバカにされるのは勘弁ならなかったのだと思われる。
そして、奇術研究部は名前を売るために憂の知名度を利用した……と、炎上する羽目になってしまった。
「手品を見て純粋な瞳で驚かれていたのはホンマですえ?」
……この某グループメンバーの証言により、事態は収拾した。
純真無垢な憂ちゃんは本当に驚いた→憂ちゃんはやっぱり天使→憂ちゃん普通に見破った→奇術部の売名行為→本当に驚いていた→誰かに手品のタネを教わった→それまでは知らなかった。純粋に驚いていた。やっぱり天使。
……これで収束したのだ。大方……いや、全てが本当の事であるだけに始末が悪い。
この一件により憂は更なるファンを獲得したのであった。
梢枝がほくそ笑んでいたかどうか知る者は居ない。