87.0話 部活がしたいらしい
―――7月4日(火)
この日から勇太は早速とばかりに、バスケ部の朝練に参加したらしい。
拓真は久々に憂&千穂の通学に同行した。口にも顔にも出してはいないが、相棒がバスケ部に復帰して少し寂しいのかも知れない。
この日も授業中、特に変わった事は無かった。前日の朝、大騒ぎとなった猫の件は小さなニュースとして扱われた程度だった。しかし、至る所にPTAや警察、学園常駐の警備員の姿が散見され、どこか物々しい雰囲気であった。
そんな日の放課後。
憂は、慌ただしく教室を出ていった勇太たち3人の姿を見送ると口を開いた。
「勇太――見に――いきたい――」
憂の希望は、かなりの確率で叶えられる。どうしたものかと思案していた拓真だったが、憂に「拓真も――いこ?」と機先を制された。
よって、勇太を除く7名の大所帯でゾロゾロと連れ立ち、バスケ部の部活の場となっているB棟体育館へと赴いたのである。
B棟付近、放課後となり、まだ浅い時間の憂の来訪にB棟の生徒たちは沸き立った。沸き立ったものの、グループメンバーのほとんどを連れ立っての来訪。挨拶すら出来ず、遠巻きに眺めているのみだった。
B棟の生徒たちの中にも、挨拶をすれば気さくに返してくれるグループであると云う情報を持ち合わせていた者も居るだろうが、右足を軽く引きずるように歩き、メンバーに守られるように進んでいく憂に声を掛けられるものは、この時は存在しなかった。余りの美少女ぶりに感嘆の声と羨望の眼差しを向けるのみであった。特にジャージ着用をやめ、制服のカッターシャツから太く逞しい腕を覗かせている康平の存在が大きいと思われる。
「憂ちゃん、着いたよー。ここが「「きゃーー!!!」」
うひゃー!! なになに? 取り囲まれたー!!
みんな、どこ消えたー!? 女バスだけあって平均身長すごいー! あたしよりでかい人だらけだー!
「見に来てくれたの!?」
「憂ちゃんが立ってるー!」
「すっごい嬉しー!」
「球技大会以来だねー!」
「それ! 立ってる姿、初めて見た! 泣けるー!」
「あなたも球技大会居たよね?」
「憂ちゃん、元気そーだね!?」
「あっ! はい。だいひょ「憂ちゃん、可愛いよー!」
「あんたらあたしらが試合してる時、憂ちゃんと話してたよね!?」
「はーい!! おしまい!! みんなUP再開ー!!」
「あっ! 先輩!」
「部長怒ってるー! 離れてー!」
……ふぅ……。
初めて巻き込まれたよ。返事も出来ないんだね。あーなるとさ。
人の壁が崩れて姿を現したのは腰に手を当てて、部員たちを追い立ててる、あの試合をファールで終わらせた3-7の人。やっぱり部長さんだったんだー。
「ごめんね。見学に来てくれたのかな?」
……えっと。憂ちゃんに……って、千穂。いつの間に……。
「佳穂? そんな事じゃダメだよ?」
千晶、うるさい! わかってんだっ!
「千穂が素早すぎるんだっ!」
耳元に囁くあの役目は、いつかあたしが担うんだっ!
「それは言えてる」
「ちゃこ! ずっこい!」
「キャプテンも柔軟しろよー!」
……女バスさん、仲良いんだね。
「ゆっくり……してってね」
女バスの部長、ちゃこさんは優しい人だったよー。あの時はなんて酷い人だー! ……とか思ったけどねー。女バスさんにとっては絶対に負けられない一戦。3年生として、1-5に負けちゃったら部の崩壊まで招いてたかも知れなかった……って。ま、そうだよね。1,2年の後輩たちに示しが付かない。だから絶対に勝てる方法を選んだんだって。それから謝られちゃった。
時間が経った今だからこそ思えるのかも知れないけど……。
全国トップクラスの女バスをそこまで本気にさせた『憂ちゃんと仲間たちすげー!!』って感じ? その一員だった事がちょっと誇らしかったり? 役に立つどころか足を引っ張ってた記憶はあるんだけどねー。
ちゃこさんとの話が終わるとあたしたちは散った。
憂ちゃんと千穂は女バスさんの見学。憂ちゃんの護衛2人はもちろんそっちに。梢枝さんのビデオカメラも見慣れたよ。
あたしと千晶、拓真くんは男バスさんに……。
「拓……久しぶりだな……」
……そりゃ、いらっしゃいますよねー。前に拓真くんたちに絡んできたでっかい先輩。これがあるから千晶と目配せして、拓真くんに付いてきたんだけどねー。
さすがにあたしら居たら、暴力沙汰みたいな事にはならないでしょ……?
「お久しぶりです」
「女バスに負けたな。お前ら。俺らも試合してたから観てねぇけどよ」
「……強かったっす」
「……俺らも負けた。知ってるわ!」
「ははは!!」って笑い飛ばす先輩。あれれ? 何か和やかムード?
「ちゃこのヤツに言われて頭来たんだよ。あいつでっけー声で挑発しやがってよー。控えの俺にまで聞こえた。知りたいか? ちゃこがなんて言ったか」
「先輩たちが引っ掛かる挑発ですか? ……知りたいです」
「あいつ、お前らの世代は俺らより上だってよ。俺ら、むかついてよー。ボロ負けよ。あの特殊なルールは駄目だ。まぁ、俺らの負けはいいよ。順当だ。それよりよー。ちゃこが言ったのって図星なんだよ。図星突かれたからキレちまった。お前ら1年坊……。優が居なくなっても俺はまだ藤校と勝負出来るって思ってる。拓……お前はもう、やらねーのか?」
……先輩、寂しそうでさ。あの時、別の先輩が言ってた事って本当だったんだ。あの時の態度は期待の裏返し。
……拓真くんは……返事出来ないか……。
「……駄目か。無理もねぇな。優が居て拓が居たって感じだったもんなー。あ! 思い出した! あの頃、お前らホモって噂がOBから挙がってたぞ!?」
「なっ! 先輩!?」
「俺に怒られても困る! ……もし、やる気になったらいつでも戻ってこい。……あん時は悪かったな」
「いえ。大丈夫です。それと……俺、やっぱり無理です」
「お前ー!!」
……びっくりした。急に後ろから……。あ。あの時のフォロー先輩。
「やっぱ俺のパスじゃダメなのかー!? 優のパスとそんなに違うのかー!? 天才と比べないでくれよー」
……憂ちゃん天才。優くん天才。そう言えば……中2になりたての頃だったかな? 千穂に連れられて覗いたバスケ部の練習。女の子みたいな優くんを初めて見た。大柄の人たちに紛れて頑張ってた。長い手を掻き分けてボールをパス……って言うか、投げてた。思いっ切り投げてた。そっか。あのパスって凄かったんだ。よくパスが繋がらなくて、あの子何やってんだー? ……とか思った記憶がある。千穂は受け手が悪い! 手加減してるのに! ……って興奮してた。愛情補正だと思ってたけど違うのか。贈られてきたDVDの優くんは……改めて観ると凄かった。4人を叱咤激励しながら守備では最前線、攻撃ではボールを真っ先に渡されてパスの供給係。対戦相手の藤校に比べて蓼学はパスの本数が少なかったね。あれは優くんのパスが凄かったからなんだねー。
……もっと、優くんの事、見てれば良かったなー。
今は……寂しいんだろうね。もうあの頃のプレーなんて出来なくて……。昨日はごめんって泣いちゃって……。やっぱり……支えてあげたいよ。
千穂。千穂はどんな気持ちで昨日の憂ちゃんを見てたんだろう? バスケ出来なくなった憂ちゃんに何を感じるんだろう?
「危ない!!」
え……?
あいたっ!!
「佳穂!? 大丈夫!?」
「いたぁ……」
うぅ……。なんでバスケボールはこんなに硬いんだよっ!?
佳穂の側頭部にボールを直撃させた2年生は平謝りだった。だが、バスケ練習中のコートの傍で思考の渦に入り込んだ方にも問題がある。謝る先輩に千晶が謝る謎展開と相成った。更に佳穂も謝り、一件落着。
拓真を除いた一行はB棟体育館を辞した。拓真は『遊び』としてゲームに参加するよう先輩に強く誘われ、断り切れなかったようだ。勇太がニヤリと悪い笑みを浮かべていた。彼の差し金かも知れない。
憂は体育館を出た直後、「やっぱり――むり――」と半ば諦めたような声を上げた。どうやら憂はバスケへの未練があったのか、女バスが目的だったらしい。その練習の見学を終えると悟ったらしい。もう半分は晴れ晴れとしたモノを含んでいた。
「憂も私もマネージャーに誘われちゃった。私たちルールに詳しいし……って。ぴったりな感じだったり?」
千穂はそう言って笑った。返事は保留したらしい。
「ぶんかぶ――見たい――」
……続いて、文化部の集まる中央管理棟に向かう一行なのだった。
中央管理棟の2階。そこに文化系の部は集中している。そこで彼女たちは各部の熱烈な見学勧誘を受けた。どこかの部が中央管理棟へと歩みを進める憂に興奮し、騒いだのが原因だが彼女たちが知る由は無い。
文化系の部は部員集めに苦労している部が多く存在している。この中央管理棟にある部はその中でも比較的、所属人数の多い部が入っているが、それでも憂の知名度は当てにするには十分だったのだろう。彼女の影響力は計り知れない。蓼園モールには、今やどのショップにも匂い袋と様々なデザインの巾着袋が売られ、朝礼後など憂のクラスメイトにより、変わる髪型は昼休憩時には多くの女生徒が真似をしているほどだ。因みに本日は、さくらの手により両サイドを少し編み込まれ、後ろで結わえられた清楚な髪型となっている。
……無数の勧誘の中で、憂は先ず、茶道部を選んだ。
「茶菓子かな?」
「うん。そうだと思う」
「憂ちゃん、好きそうだもんね」
3人娘はヒソヒソと言葉を交わしながら、季節外れの勧誘に奔走した茶道部の部長に付いていったのだった。
……予想を裏切り、憂は正座を全く苦にしなかった。むしろ一番辛そうなのは女生徒だらけの空間に入る事になってしまった康平だった。筋肉質の彼は正座もきつかった。
部員たちの注目を集める中で、教わった作法を小首を傾げ、必死に思い出す憂の姿は部員たちに微笑みを与えた。
茶菓子に表情を蕩けさせ、肝心の抹茶に顔を顰めた。
「抹茶って美味しいよね?」
千穂の言葉に頷く千晶と『え!? そう!?』と表情に表した佳穂なのであった。康平には返答する余力は無かった。梢枝は涼やかな表情を浮かべ、作法に則っていた。流石は京都在住経験者である。……いや、関係ないのかもしれない。
肝心の入部に関して、憂は首を横に振った。抹茶も作法もネックでは無かった。
文化祭などで着用すると云う和装……、着物や浴衣が問題となったようである。彼女が自分で着付けられるワケが無い。着付けられるのが恥ずかしいのだろう。それ以前に女性物の和装が恥ずかしいのか? ……どちらもかも知れない。
茶道部の和の空間から脱出すると、またも勧誘責めだった。その中で憂の興味を惹いた部があった。ロボット研究部……である。
わざわざT棟からロボット持参で出張してきたらしい。既に憂の部活見学はSNSを通じて拡散されていたのだ。
そのロボットは前年のロボット競技大会で優秀賞を得た出来の良い物だった。憂は興味を惹かれた……が、次の機会にとなった。憂の移動には時間が掛かる。時間は有限だ。時間が勿体無いと中央管理棟に部室を置く部の猛反発を受けたのである。
憂も他の面々も困った。そして、1つの結論に至った。
―――虱潰し。
彼女たちはまた翌日の来訪を伝え、1つ上の階に足を向けたのであった。1つ上の階の隅には、外国人講師控室が存在する。ここへの来訪は梢枝の勧めだ。彼らが控室内日本語以外禁止を掲げ、憂の来訪を心待ちにしていると云う情報を梢枝が持ち合わせていたのである。
その部屋を訪ねるとそこにはたった2人しか居なかった。彼らは非常勤講師だ。授業の無くなる放課後には家庭教師や英語教室などの仕事を掛け持ちしている者がほとんどらしい。それも梢枝は把握していた。しかし、訪れた事実が大切と強く薦めた。これは島井たちの動向……憂のアイドル化の延長とも謂える行為だが、康平を含め誰も気付かなかったようだった。
2人の外国人講師は、それはもう大喜びした。デイビッドから憂の事をよく聞いていたらしい。1人は2年生から選択出来るフランス語の講師。もう1人はA棟で英語講師をしているらしい。彼らは部活の顧問を受け持っているそうだ。
日本語は上手だった。外国語禁止を掲げた彼らは飛躍的に日本語を上達させた。それすらもアメリカ人は『憂さんのお陰デス』と言い切った。何の補正かはよく分からない。
「また来てください」と流暢な日本語を話すフランス人と、少々、拙い日本語のアメリカ人に見送られ、ドタバタを引き起こした憂の部活見学初日は幕を閉じたのであった。
愛【憂が部活探し? 反対はしないけど……】
【バスケ部は諦めちゃったみたいです……】千穂
愛【いや。バスケは無理でしょ……】
【マネージャーに誘われました】千穂
愛【あの子には向かないかな? うずうずしちゃってダメだと思う】
【それもそうですね……】千穂
愛【千穂ちゃんは興味持っちゃったのかな?】
【ちょっとだけ……】千穂
愛【ホントにやりたかったら憂の事は気にしたらダメだよ?】
【はい。それはわかってます……】千穂
愛【それで……明日も探してみるのかな?】
【そのつもりみたいですよ】千穂
愛【明日はいいけど明後日、明々後日はダメだよー?】
【木曜が定期検診。金曜が誕生日ですね。大丈夫です】千穂
愛【把握してるねー。ありがと】
【いえ。大事な事なので……】千穂
愛【あ。そうだ。生理来た?】
【えっと……まだです……】千穂
愛【そう……。やっぱり乱れてるね】
【はい。でも、どうして?】千穂
愛【男親だけじゃ難しい問題だよね。前の時は有耶無耶になっちゃったから、今度の木曜、憂の検診の時に受診してみない? 不安だろうから一緒に行ってあげるよ?】
【……一日、考えさせて下さい】千穂
愛【無理はしなくていいからね。明後日ダメでもまたいつでも声掛けて?】
【ありがと。お姉ちゃん】千穂
愛【あ。キュンときた(笑)】
【もう! やめてください(笑)】千穂
愛と千穂が名前の無いアプリで交信中。憂はチクチクと新しく巾着袋を縫い始めていたのだった。
愛はミシンの使い方を教えない。右手のリハビリに最適だと島井から太鼓判を押されているのである。
―――それよりも。
……ダダダダー……っと、手ごと縫いそうなので教える踏ん切りが付かないのだった。