8 小さい頃の思い出はなつかしいです?
ショウが知る世界とは小部屋がひとつと何処と知れない別の世界の木々が生い茂る広い森、ただそれだけだった。
別の世界はいつも同じ世界の同じ場所だったので、その場所しか知らない。だからその世界自体はどんなところなのか、どんな生き物がいるのかはわからなかった。
尤もショウは自分の生きている世界自体も、自分のいる小部屋しか知らないのだから別の世界よりも知っているとは言えなかったのだが。
ショウの父親も母親も、この部屋を訪れたことは彼が知る限りは無い。尤も、父親も母親もショウは顔を知らないので見に来ていたとしても彼が気づくことは無かっただろう。
ショウ自体、親とはそういうものだという認識しかなかったからそのまま受け入れていた。比較するもの自体が無いので違うと言われても、そのこと自体が理解の外であった。
小部屋の中で、彼が自由に出来ることは置かれた本を読むことぐらいで、他には何もなかったのだ。
ショウの生活自体は実に単調なものだった。
1日のうち数度、異世界の森に連れていかれる。そうして異世界の植物の生命力を取り込まされる。
それは、幼い子供には苦痛以外にはなりえない行為だった。
異世界のモノの生命力は取り込んでも自身の持つ魔力とはすんなりとは馴染まない。当然、魔力を制御するバランスを崩すことになる。翼の黒化はその状態でなければ起きない。
その状態が長くなれば黒化は固定される。そこまでいけばあとは普通に成長しても翼の色は戻らなくなるのだ。
しかし、魔力のバランスを崩した状態というのは幼い幼生体にとっては死と隣り合わせの状態だ。うまくいかず死んでしまっても、仕方がないと周りは冷めきってしまっているのだろう。
ショウはそんな生活を何とか生き延びて過ごしていた。
そして、8年の時が過ぎた。
それでも、ショウの翼の色に変化はなかったのだった。
「初めまして、ショウリル。私の名前はメルマリアよ。よろしくね」
今までいた不愛想な世話役が来なくなり、その後に来た女性は入ってくるなりそう言った。
「ショウでいい。あっちに行ってろよ」
部屋に入ってきた知らない相手をショウは突っぱねた。そして背を向ける。
彼にとっての大人とは、自分にとって嫌な事しかしない相手という認識だったからだ。
「そんなこと言わないの。ね?」
そんなショウの態度を気にもせずに彼女はショウを後ろから抱きしめた。
「な、なにすんだ」
「何って、親愛の情で抱きしめてるのよ」
「シンアイノジョウって…、なんだよそれ」
ショウは手足を振り回し、彼女の手から逃れようとした。
「暴れないの。こういう風にするのは、嫌かしら?」
「……。よくわかんねぇ」
「そう、わからないの。でも、嫌じゃないのね」
「ん、嫌じゃ…ない」
いままで誰もが彼に愛情を持って接した事が無かったのだろう。
彼の周りの大人達は、しなければならない事を、只真面目に黙々とこなしていただけだったのだから。
その所為か、彼の語彙は少ない。聞いて覚えただけできちんと教えられたものではない事も大きな要因だろう。
同じ年の子供よりも理解できている言葉は少ないのだろう。また感情自体も幼い。様々な経験や多種多様な他人との接触が感情の発達を促すものだから、それも仕方がないことだろう。
彼の翼の事を知る人物は、少ない方が良いのだから。
「少しずつ、知っていけばいいわ。その為の手助けをする為に私は来たのよ」
「あんたは、嫌じゃないのか? こんなできそこないの世話なんて」
「できそこないって…。前の世話役がそんなこと言ったの?」
「ん、そう。俺はできそこないだって。翼の色も、変わんねぇし」
「ショウは、出来そこないじゃないわよ。大丈夫。本当よ」
ショウはメルマリアの手を振りほどき、自分のベッドへと飛び込んでしまった。
自分の感情の動きがどういうことなのか理解できず戸惑ってしまったから、まずはそれから逃げる行動に出たのだった。
「私は慌てないからね、大丈夫よ」
メルマリアはにこやかに笑いそう言うと部屋の隅に置いてある椅子にそっと座った。
その様子をショウは布団の隙間からじっと伺い見ていた。
「本には書いてないよ、こんなこと」
「そうね。本に書いてある事が世界のすべてじゃないわよ?」
聞かれないように小声で呟いたのにも関わらず、ショウの疑問にメルマリアは笑って答えた。
「ここじゃ、本だけがすべてだし。異世界じゃ、木しかない」
「そうね。その為に私が来たのよ。本じゃわからない事を教えるためにね」
メルマリアは王家の裏の歴史を知る一族の出であった。翼の黒化で生き残った子供達の記録を代々秘匿している。
だからなのか、ショウの翼にも偏見はなく、普通の子供に対するように接していた。
翼の黒化にかかる時間は、奇しくもその個体の持つ魔力の大きさに比例している。
だから、ショウの翼がいまだ雪白のままというのは、彼が持つ力の大きさをそのまま表しているということだ。それは今までの歴代の中でも一番だろう。
だからこそ、このまま彼を死なせることはできない。何としても成体に成るまで生きてもらう。
その為に彼女はこの役に就いたのだ。
彼をこの世界から安全な別の世界に一時逃す為に、そしてそこで生きる為に必要な知識を与える為に。
戦禍は彼をも表舞台へと引き出そうというところまで来ていたのだった。