デイビー=ダビットソン⑧
昼休みの騒動は少し話題になったようで、「デイビー隊長がミーファ副官を振って、激怒した彼女が引っぱたいた」だの「デイビー隊長がセクハラしてミーファ副官に叩かれた」などと噂になっている。
おかげで、僕は団長に呼び出されて事情を説明された。
僕がありのままを説明すると、団長は何とも言えない顔で「そういうことなら仕方がないな」と何とか納得してくれた。
横で聞いていた副団長のレージさんも溜息をついている。
その後、団長室を後にして隊に戻って仕事をするのだがミーファちゃんは終始お怒りで僕は気まずい雰囲気のまま仕事をすることになった。
そんなギスギスした空気を慮ってミゲルさんとガレット君は僕とミーファちゃんにできるだけ隊から離れる別の仕事をくれる。
僕は喜び勇んでその仕事を引き受けるが、ミーファちゃんは「仕事を押し付けないでください」ときっぱりと断っていた。
どのような状況や立場でもいつも通りを貫き通すその胆力は僕も見習わなければならないだろうか。
だが、僕はミーファちゃんと顔を合わせずらいので仕事で隊長室を後にする。
資料の配布や予算経理を事務に持って行ったりという仕事はもっと下の者がやる仕事だが、この時ばかりは部屋を後にできるので喜んで出ていく。
今回の資料はよほど大事な物なのか、王城に持って行かなければならない物だった。
「あいかわらず、立派だなぁ~。」
式典や激励会などがなければほとんど近づかない王城は無骨な僕がいると恐縮してしまうぐらいに立派で美しく清楚だ。
場違いな雰囲気があるので早く帰りたくなるが、帰ると激怒中のミーファちゃんが待っている。
僕はどうすればいいのか悩みながら王城をうろうろして資料の届け先へと向かう。
本当にたまにしか来ないので王城のどこに資料を持って行けばいいのかを探さなければならない。
「よぉ、こんなところでどうしたんだ?」
そんな時に背後から声をかけられて振り返るとセオドリックさんが秘書官の方を連れて立っていた。
秘書官の方は何度かお会いしたことがあるので顔見知りなので軽く会釈をして無言で挨拶すると向こうも会釈を返してくれた。
それを確認してからセオドリックさんに向き直り資料を持ってきたことを説明する。
「ああ、これなら俺も今から行く場所に届ければいいはずだから一緒に行くか。」
と、助け舟の登場に僕は喜んで同行させてもらう。
「そういえば、お前がダンスに誘ったことでリンディ様は喜んでおられたぞ。次の夜会か宴までにもう少し踊れるようになっておけよ。」
セオドリックさんは「頑張れよ」とこの前の夜会の話を持ち出した。
「そうですね。ダンスは踊れないとだめですよね。いいお嫁さんを見つけるために精進します。」
僕はそう言って話を濁した。
だが、僕のその言葉にセオドリックさんは足を止めて聞き返す。
「リンディ様を狙ってるんじゃないのか?」
なぜだろう。
なぜか皆、僕みたいな準男爵になったばかりの男にリードザッハ公爵家の令嬢を進めてくるのだろうか。
地位が違い過ぎてお話にならないと思うのだが・・・
「いえ、そんな。僕なんてリンディ様は相手にもなさらないですよ。爵位が違いすぎますし・・・」
僕はミーファちゃんに言ったようにリンディ様を狙っていないと公言する。
そんな僕の意見を聞いたセオドリックさんは何を思ったのか秘書官の人に人が来ないかを見張るように言うと僕を人気のない場所に誘導した。
そこでセオドリックさんは周りに人影がないことを確認してから話を始めた。
「大事な話だから聞きたいんだが、リンディ様についてどう思っている?」
突然の切り出しになぜそんな質問をするのか分からないが、その眼はいつにも増して真面目なので嘘や誤魔化しをするのを躊躇わせる眼力が宿っていた。
「・・・優しくて笑顔の素敵な方だと思います・・・」
僕はその眼力に押されて正直に彼女についての感想を述べる。
「爵位が近ければ嫁にしたいと思うか?」
僕の意見を聞いて「ふむ」と一度考え込んでから次はとんでもない質問を投げてくる。
だが、相変わらずその瞳には有無を言わさぬ眼力が宿っているので「そんなもしもの話はよして下さい」と断れる雰囲気ではないので真面目に答えなければならないのだろうが、それに答えるためにも少し彼女について考えたいので僕は考えていますというポーズをとって返事を待って貰う。
リンディ=フォン・リードザッハ。
前王太子の花嫁候補。つまりは王太子妃候補だった女性
数年前に王太子が廃嫡した時に婚約は解消しており、現在は婚約話はなくフリー。
1人でいる時の佇まいは凛として格好よく貴族の令嬢としてどこに出しても文句のつけようのない所作を行える。
近づき難い雰囲気でいることが多いが、話しかけると常ににこやかに笑顔を保ち気を使ってくれるので話しやすいのは、彼女が話し上手で聞き上手だからだろう。
会話は二回しかしたことがなく、内容は料理や特産品の話がほとんどだが、それだけでもまだまだ話すことはありそうだし、おそらくはこちらが興味があることに関してならば他の話題でも延々とお話が可能で、知識が豊富な才女なのだろう。
そうでなければ次期王妃である王太子妃候補になれるはずがない。
中身だけでなく外見も素晴らしくメリハリのある体つきをしている。
最初に会った時の胸元の開いたドレス姿は目のやり場に困った。
容姿、知識と教養は素晴らしく。
それを抜きにしても笑顔の絶えない彼女がお嫁さんだったら・・・
(明るい家庭が築けるだろうなぁ・・・)
と思わず頬が緩んでしまう。
「どうやら、花嫁候補として文句はないようだな。」
僕の顔を見てそう判断したであろうセオドリックさんの言葉に僕は正気を取り戻すとアタフタと弁明する。
「い、いや。僕なんかがリンディさんとだなんて不釣合いですよ!」
「相手はそう思ってないぞ。」
僕の弁明に対してセオドリックさんはあっさりと返事を返した。
その内容に僕は目を丸くする。
だって、貴族のなかでも武闘派の派閥を総べる名門貴族のリードザッハ公爵家の令嬢が平民上がりの準男爵の僕なんかを恋人候補としてみている可能性があるといっているのだ。
これが驚かずにいられるだろうか。
もしこの言葉が冗談だったらガッカリはするけど、それはそれで納得する。
「実はな。リンディ様は何かと不遇な上に不運な方でな。今では、あの歳で縁談が来ていないんだ。このままだと一生独身じゃないかとダグラス卿は危惧しておられてな。貴族であれば爵位は気にしない勢いで相手を探しておられるのだ。」
「それは、前王太子との婚姻解消やその後の噂についてですか?」
セオドリックさんの意見に恐る恐る尋ねるとセオドリックさんは「そのことは知っているのだな。」とこちらを見上げて答えるが、「それとは別だ」と言葉を続ける。
どうやら、僕の知る内容よりもさらに面倒な事態が彼女を取り巻いているらしい。
「まぁ、関係ないわけじゃないがな。」
そう言ってセオドリックさん話を続けた。
セオドリックさんの話によると前王太子との婚約解消自体は彼女にとっては良い事なのだそうだ。
なんでも、前王太子が無能であることは廃嫡のずっと前から周知の事実だったらしい。
「本来なら、適当な婚約者候補を立てておいて15歳の『成人の儀』のおりに王太子にせずに廃嫡してもらう予定だったんだ。」
このことについて国王は承知しつつも時期を伸ばしてもらったらしい。
理由は国王が「自分が今までの育て方が甘かったのだ」と反省し、前王太子が初の子であったこともあり周囲の貴族に「廃嫡は少し待ってくれ」と挽回のチャンスを欲したからだそうだ。
「父や他の派閥の長達も王の意見を無視できるはずもなく、これを承認してな。最低でも騎士学校の卒業までは様子を見ようということになったのだ。」
だが、結局。
前王太子が改心することはなく、最後には父である国王の逆鱗に触れて廃嫡後に辺境の地に左遷させられている。
ここまでの話を聞けばリンディさんが王太子の花嫁候補だった理由が謎なのだが、その裏には厄介な貴族がかかわっていることが明らかになる。
「マヴィウス公爵家。この国の財政、内政、外務、武門とは別で、王族の血を引く上級貴族のみがかかわれる法務の派閥をまとめる公爵家の一つなのだがその家の現当主が野心家でな。」
なんでも、そのマヴィウス公爵家の当主が『馬鹿な前王太子を王にして国を裏から操る』事を企てたらしい。
無論、そんな目論見を周囲の貴族が許すはずはなかったが相手の地位は公爵でおまけに王家の血を引く高貴な血統と言うことでただ反発したところで引くような男ではない。
ただ、マヴィウス公爵家が後ろ盾となり前王太子が王位についたところで傀儡政治は難しい。
そこでマヴィウス公爵がとった策が自分の娘を前王太子の妻にすることだった。
王太子妃経由で王太子を操る。というマヴィウス公爵のこの企てに対して貴族達が出した策は対抗馬の選出。
マヴィウス公爵の力で例え無能な王太子が王になったとしても傀儡政治をさせないためにも王妃に貴族達の立てた女性がなればそれを防ぐことができるのだ。
当然、この女性は王妃として優秀であることはもちろんのこと、前王太子の気を引くことのできる美貌を持ち、マヴィウス家の令嬢と互角の地位にある家柄が必要になる。
そんな候補者の中で勝ち上がってしまったのがリンディさんだった。
前王太子もマヴィウス家の令嬢よりもリンディ様を選んだらしく、マヴィウス公爵家の計画は阻止できたのだが、そのせいでリンディさんは人身御供となり前王太子が廃嫡になるまで婚約者がいる立場だったのでお見合いなどはできなかったそうだ。
「でも、王太子が廃嫡になったのが18歳の時ですよね? 同い年であるリンディ様はそこからまた相手を探せば問題ないのでは?」
「それが、そうもいかなくてな・・・ それにリンディ様はああ見えて王太子の一つ上なのだ。見た目は若く見えるがな。」
19歳という貴族の令嬢の中ではもうすでに婚期ギリギリの時期に婚約者が廃嫡し婚約は破棄された。
だが、計画を阻止されたマヴィウス家の嫌がらせのせいでリンディ様は婚約者を探せなかったそうだ。
「王太子廃嫡後のリンディ様への嫌がらせの噂もマヴィウス家の仕業だ。おまけに、前王太子を使って「廃嫡しても結婚しろ」と脅されたらしくてな。それはまぁ、巻き込んでしまった貴族が総出で止めたのだが、騒ぎを大きくしないために1年ほどは大人しくしてもらったんだ。」
だが、一年経って前王太子を完全に地方に封じ込めても、婚約者を探すとマヴィウス家の妨害があり、それを黙らせた時に、ようやく見つけてきた婚約者の不正が発覚。
「その不正を発見したのがリンディ様ご自身でな。まぁそれに関しては事前に調査を怠ったこちらの不手際で、彼女には一切責任はない。寧ろ不正の摘発には感謝している。」
なんでも、婚約者を探す時は各家の当主陣がマヴィウス家封殺に動いていたのでリンディさんの婚約者は次期当主達が探したらしい。
つまり、その不正していた貴族を紹介した人の中にセオドリックさんもいたのだ。
夜会でセオドリックさんとリンディさんが一瞬気まずい顔をしたのはこの時の一件のせいだろうか。
「婚約者の不正を暴くというのは・・・ まぁ、良い事なのだろうが、そのせいで後ろめたい部分のある貴族が彼女との縁談を断ってな。今では貴族ならば爵位は関係なしに探しているんだが、爵位は関係なくともできるだけ裕福で将来が保証された家を選ばなければ彼女に対して申し訳ないだろう?」
確かに、マヴィウス公爵の計画の妨害に貢献し、貴族の不正摘発にも貢献したのだ。
そんな彼女にはできるだけ良い縁談を持ってこなければならないだろう。
「でだ。今現在、そのリンディ様との縁談の最有力候補がお前なんだ。」
最後にセオドリックさんは僕の背中を軽く叩いて爆弾発言を落とした。
「は・・・?」
一瞬、言葉を理解できなかった僕は言葉を失う。
だが、その言葉を頭の中で反芻して理解すると大声を上げて驚いてしまう。
「うるさいぞ。」
僕の放った大声にセオドリックさんは驚いたのか耳を押さえている。
いや、相当うるさかったのだろう。怒ったセオドリックさんが僕の腹部を憎々しげに殴ってくるが僕の鍛えこまれた腹筋は文官であるセオドリックさんの拳をやすやすと跳ね返す。
セオドリックさんの秘書官の人も何事かとこちらを見に来てセオドリックさんに「なんでもない」と言われて追い返されていた。
「な、なんで、僕が最有力候補なんですか?!」
「なんでってそりゃ、将来が有望だからだろ。」
セオドリックさんの話によると僕は将来有望な軍人で、貴族になったばかりで不正の心配もなく、モルダン公爵家が親戚にいるために性格や人格に問題ないと判断されている。
しかも、ミーファちゃん経由で部下からの信頼が篤いことまで調査済みらしい。
「先の戦いで軍人としての実力も申し分ないしな。バルトラ経由で資金面に少し不安があることが唯一の懸念ぐらいじゃないか?」
どうやら、バルトラさん経由で経済状況まで知られているようだ。
何と言う包囲網の周到さ。
「で、でも、リンディさんが僕みたいな大男はいやかもしれないですよ? 異名でも熊なんて言われてますし・・・!」
そうだ。
僕の方が良くて周りが進めてもリンディさんが嫌がっていたら本末転倒だ。
「それなら問題ない。容姿に関してリンディ嬢は文句を言っていない。だから、先の戦いでの報酬が準男爵なんだ。本来なら騎士爵がいい所だな。」
騎士爵とは、準男爵の下で貴族と平民の間に位置する爵位なのだが、その存在は微妙である。
貴族からは『準男爵からが貴族』と言う人もいるし平民からは『爵位を持つから貴族』として見られる。
そして、騎士とついていることからわかる様に騎士爵を持つのは軍人のみ。
それも、一定の功績を遺した者に与えられる勲章の様な物なので、他の貴族と違って子供への爵位の継承が行われないという本当に微妙な立ち位置なのだ。
準男爵である僕は一応、子供への爵位の継承が認められている。
だからこそ、夜会に出てお嫁さん探しをしているのだ。
「でも、ほら。僕は準男爵になったけど領地もないし・・・」
「そんなのほとんどの貴族が持ってないだろう。」
確かに、セオドリックさんの言う通り貴族だからと言って領地を持っているわけじゃない。
領地を持つのは一部の貴族だけで、ほとんどの貴族は領地の代わりに国からもらう役職がその代りである。
つまり、一つの仕事を代替わりしながらこなしているのだ。
そう言った貴族は僕のように当主が貴族としての爵位と役職を持って仕事をこなしている。
「まぁ、そういうわけだ。ゆっくり考えろ。俺が言うのもなんだがリンディ様は結婚相手として最適だと思うぞ。」
確かに、僕の容姿を否定せず受け止めてくれる女性は多くはないだろう。
それがあの美人で頭のいい気遣いのできるリンディさんであるのならば正直言ってこの上ない幸せだ。
「考えておきます。」
僕はその場はそう言って答えを濁してセオドリックさんと共に仕事に戻った。




