リンディ=フォン・リードザッハ⑦
「しかし、華剣の使い手如きが本当に≪大騎士≫になれるのかどうかは疑問が残るな。」
≪大騎士≫の名が出たことで父の目の色は確かに変わった。
しかし、デイビー=ダビットソンが華剣の使い手であることがどうも気に食わないらしく眉根を寄せる。
それは、華剣は有名な剣術ではあるけれど、決して強力な剣術ではないからだ。
華剣とは、永く続く世界の歴史上に存在する剣術の一つ。
その歴史は世界で最も有名な剣術とされる三つの剣術。天剣、流剣、剛剣の三大剣術と同等とされる。
しかし、なぜこの剣術が三大剣術より下に見られるのかというと、理由は明白。
それは、華剣が女子供が己の身を守ることを想定した。護身用の剣術だからである。
子供のうちに基礎として習うことや王族や武門の貴族の女性が、護身術として習うことがあるために、その基礎や障りの部分だけならば誰もが知っている。
かく言う私も華剣の使い手だ。
そんな女子供が振るう剣術であるために剣術の中では歴史が古く有名であっても嫌煙や侮辱の対象になることが多い剣術だ。
そのため、国によっては軍人には華剣を教えないところもある。
天剣や流剣、剛剣の方が強く、敵を倒すことに特化しているからだ。
そのため、華剣の使い手というところが引っ掛かっているようだ。
「おや? リードザッハ家の当主ともあろう人が前情報だけで判断なさるのですか?」
そんな父を挑発するようにアンドレ様が口を開いた。
その顔には、必要最低限の情報は渡した。あとは自分の目で確かめろ。
そう言っていることは明白だった。
「・・・」
それに対して、父は何の反論もできなかった。
それも当然、実力というのは資料だけでわかるものではない。
実際にその眼で見ないことには計り知れないものなのだ。
そんなわかりきったことを指摘されては、さすがの父も押し黙ることしかできなかった。
「それでは、我々はこれにて。」
こうして、その日は解散となった。
後日、私は父と共に婚約者候補に選ばれたデイビー様を見にやってきた。
あくまでも、バレない様に遠くから眺めるだけだ。
騎士団も兵団も、訓練の内容は遠くから眺めることができる。
無論、近くからも見える場所はあるが、それではこちらの存在もバレてしまう。
今回は訓練の様子を隠れて除くために用意された場所から眺めることにした。
元帥である父が視察に来たとなれば、どうしても騎士団内に緊張が走ってしまう。
それに、自分をアピールしようとしてよく見せようとするかもしれない。
普段の、自然体の様子を見るために今回は遠くからじっと眺める。
向こうに気づかれないための場所のため、視界が少し狭く遠く離れてはいるが、デイビー様はとてもお体が大きいのですぐに見つけることができた。
彼は面倒見がいいのか。部下達に訓練をつけているようだ。
一対一で対面した状態だけを見れば、木剣で熊に勝負を挑む新兵のようにしか見えない。
一種のいじめのような光景だが、デイビー様は部下達に厳しくも毅然と接し、懇切丁寧に指導しているようだ。
最初はへっぴり腰だった新兵たちは次々と交代しながら何度もデイビー様に挑むうちに段々と戦士の風貌を要してきた。
「ふむ。どうやら、教官としては優秀なようだな。」
デイビー様が行う訓練の様子を見て、父は教官としての力量を認めた。
新兵を育てる教官には一定の技量と正しい倫理観が要求される。
実力がなければ新兵に舐められるし、人を育てる人間は人格が歪んでいてはいけない。
人格が歪んでいる人間は、人に教える時、相手を格下として接する。
そして、人間は格下の存在を馬鹿にしたり、自分との違いを見せつけて自分を大きく見せたり、最悪な場合は人間扱いしないことが多々ある。
それは間違った行いだ。
そもそも、教えを乞う者は馬鹿でも何でもない。
知らないことは恥ではない。できないことは可笑しくない。
学ばないこと成長しないことは問題だが、何も学んでいない人間に物事を教える場合において、それは当てはまらない。
それを理解できない自分が正しいと思い込んでいる人間の下ではいい人材は育たない。
故に、人格が歪んでいる人間は後進を育てることに向かない。
そのことをよく知る父が一定の評価を下したことは、彼のこれからと私のこれからにおいてプラスに働くことは間違いない。
これは婚約も前向きに考えてくれるのかもしれない。
私は、少しだけうれしくなって口角を上げた。
「しかし、肝心の≪大騎士≫になれる実力があるかが問題だな。」
父は真剣な瞳でそう言った。
確かに、私も報告でしか知らないが、彼が優秀な戦士であることは理解していても、王国最強の≪大騎士≫になれるのかと聞かれると正直わからない。
この国には優秀な人材がたくさんいる。
緑の騎士団団長と近衛騎士団の団長は両人とも現役で、≪大騎士≫と若い頃に共に切磋琢磨しあった仲で、実力も拮抗していたという。
他にも、ベリーキッス家の次期当主は青の騎士団で≪大騎士≫に直々の指導を受けてメキメキと腕を上げているというし、エルトゥーン家の次男坊は剣技に優れた秀才と聞く。
確か2人ともデイビー様と騎士学校の同期のはずだ。
彼らはデイビー様より優秀な成績で卒業しているから実力的には上の可能性は十分にある。
あとは、赤の騎士団の団長に、それぞれの騎士団の副団長に二つ名を持つ騎士たちと・・・
捜せば≪大騎士≫の候補は国内だけで少なくとも両手の指の数はいるとみていい。
他国からも立身出世の機会ということで大勢の戦士たちがやってくることを考えれば、≪大騎士≫になることはとてもではないが、生半可な実力ではダメなのだ。
それからというもの。
何度か視察に赴きはしたが、デイビー様の実力が≪大騎士≫になれるほどのものだとという確証は得られなかった。
父は本当に大丈夫なのかと心配してか。私に別の縁談を何度か持ち掛けてきたが、私は全て断った。
一度目はともかくとして、二度目も事前調査に失敗して酷い縁談を持ってこられた私は軽い人間不信に陥っていた。
今私が信じられるのは、家族と親しい友人。
そして・・・
以前から調査を行っているデイビー様だけだった。
彼は親戚があのモルダン家でありながら、平民として普通に生活をしている。
いや、彼だけでなく、彼のご両親とご兄弟もそうだ。
モルダン公爵家の親戚ということを隠し、そのコネを利用せずに地位を築く手腕を誰もが持っている。
その上で、全く驕ることなく上を目指している。
王族というだけで驕り高ぶり、傲慢と慢心と怠惰を極めたどこぞのエロ王太子殿に見習わせたい人物たちだ。おっと、彼は元王太子だったか。
そんなデイビー卿とそのご家族のことを観察する毎日が数か月ほど続いた後のことだった。
私にとって大きな転機がやってきたのだ。
隣国が我が国の領土に攻め込んできたのだ。
無論、我が国は即座に軍を編成し迎撃に上がった。
ただ、今回の戦でも我が国の武の象徴たる≪大騎士≫が率いる『青の騎士団』の参加はなかった。
≪大騎士≫であるヨルダン卿が病状に伏しているとはいえ、最高の軍事力を誇るはずの『青の騎士団』の参戦がないのは全体の士気にかかわる。
だが、すでに形骸化しつつある『青の騎士団』という存在は貴族の子弟が箔をつける場所にしか過ぎない。
そのことを踏まえた上での上層部の結論だったと父から聞いた。
こうして、我が国は隣国との戦争にあまり士気の上がらぬまま戦うことになった。
『青の騎士団が参加しない』=『敵は大したことがない』と兵士たちの気が緩んでしまったことが、この戦いで多大な犠牲を払う結果になったことは上層部の失敗だったとしか言いようがない。
私は父に頼み込み。この戦いへの同行を許された。
この目でデイビー様の戦いを目にするためだ。
そして、そこで目にしたのはあまりにもひどい光景だった。
油断しきった我が軍の主力部隊は敵主力部隊と遊撃部隊に挟み込まれ、劣勢に追い込まれたのだ。
その劣勢を打破するべく、送り込まれたのは『緑の騎士団』の精鋭部隊。
≪華剣のオスカー≫率いる第三部隊と他部隊との混成軍1000だった。
しかし、敵遊撃部隊の指揮官の有能さと主力部隊の力の前に≪華剣のオスカー≫率いる部隊は敗北を喫しようとしていた。
遊撃部隊には逃げられ、主力部隊の精鋭に足を止められ、さらに横腹を逃げて行った遊撃部隊に噛みつかれた。
ここからどう戦うのか。
後方の本陣から総大将を務める父と士官たちが見守る中。
≪華剣のオスカー≫が敵の将に深手を負わされるのが見えた。
「もう駄目だ。」
誰かがそう言った。
残っている『緑の騎士団』は敵本陣を強襲するために残していたのだが、もはやそれを使わなければならない状況だった。
『緑の騎士団』を統べて動かせば自軍の主力部隊を救える。
それは皆がわかっていた。
しかし、『青の騎士団』のいない現状では『緑の騎士団』は我が軍の手駒の中で『切り札』に当たる。
それを初戦から投入しなければならないとなると今後の作戦に支障が出るのは明白だった。
だからと言って、ここで戦力を投入しなければ初戦で主力部隊と≪華剣のオスカー≫率いる精鋭兵を失うことになる。
だからだろう。
一瞬の逡巡の末に父は声を張り上げた。
「『緑の騎士団』に命じる。全軍出撃せよ!!」
父の判断は早く的確だった。
今後の作戦に影響を及ぼそうとも、何もしなければ負ける現状を放っておいていいはずがないのだ。
そばに控えていた『緑の騎士団』の団長はそれを聞いてすぐに出撃する。
誰もがそう思っていたその時だった。
「いえ、もう少し様子を見ましょう。」
総大将である父の言葉を、『緑の騎士団』団長エッフェルはそういって受け流した。
父は明らかに不満をあらわにして大声で怒鳴り散らし、エッフェル団長に出撃を命じる。
だが、彼は一向に動こうとはしなかった。
そんな父とエッフェル団長のやり取りに戦々恐々している間に、戦局は動いた。
なんと、≪華剣のオスカー≫が離脱したはずの精鋭混成部隊が反撃に動き出したのだ。
おまけに、敵部隊は次々となぎ倒され横から食らいついたはずの遊撃部隊はそのあまりに苛烈な反撃に敗走。敵の主力部隊に至っては混成部隊を止めようとこちらの主力部隊を放置して混成部隊に猛攻を仕掛けだす始末。
だが、それでも混成部隊を倒すことはできず、さらにはこちら側の主力部隊が隊列を整えて再度突撃したことにより、戦局は一気にこちら側へと傾いた。
なぜ、このようなことになっているのか。
誰もが理解できなかった。
だが、誰の目にもその理由だけははっきりと分かった。
遠目から見ても目立つ巨躯の持ち主が、獣のような叫び声を上げて軍を率いているのだ。
その圧倒的な力は近づくもの全てを蹂躙する。
防御も回避も反撃も許さない。
ただ一刀で敵を沈め、一睨みで威圧し、一声で部隊を動かす。
後ろで従う兵士たちも、まるで獣か何かのように敵軍に噛みつき屠る。
その圧倒的存在感に敵味方が声を出すこともなく驚愕に打つ震えた。
後に、彼がデイビー=ダビットソンであったことに私と父は驚いた。
普段の彼とは全くの別人のような姿だったからだ。
狂乱する鮮血熊という異名は彼の戦う様を直訳したものだった。
だが、普段の彼はどう見ても親切な巨人だ。
あまりにかけ離れたその姿に、別人かと思ってしまったのだ。
だが、この戦いの後。
父はようやくデイビー様の実力を認めて私との婚約話に乗り気になった。




