リンディ=フォン・リードザッハ⑥
「さて、どうしようかしら・・・」
夜会から帰ってきて以降、私は自分の置かれている立場を調査した。
結果はあまり聞きたくはなかったが、調査結果を持ってきた侍女が重々しく口を開いて教えてくれた。
なんでも、前王太子を堕落させた悪女から、婚約者を悪の道に誘い込む魔女に昇格したらしい。
悪女の頃はまだ信憑性の低い噂程度だったが、今回の一件で信憑性が増してしまった。
「エルゲンテア家の若領主様はずいぶん人気だったみたいね。」
思わず口から零れた言葉は虚空へと空しく消えていった。
空は青く太陽はあんなにも明るく輝いているのに、私の未来は薄暗い霧の中だ。
あの若領主が変に女性に人気があったために私の悪い噂がますます立ってしまった。
このままでは婚期がさらに遠のいてしまう。
いや、遠のくのならばまだいい。
私にとっての最悪はセオドリック卿と結婚することといっていい。
今回の一件は明らかに四大貴族の次期当主陣たちの落ち度だ。
おまけに、最後は私の悪評を広めるという結果を巻き起こしている。
父上が強引に婚約を迫ればセオドリック卿に断るすべはない。
パティルドもタルトリアも反対意見など出せないだろうし、下手な相手では父上は納得しいないだろう。
そうなると、残っている候補の筆頭であるセオドリック卿が婚約者で決定と言っていい。
だが、彼は一年ほどマリア嬢に熱を上げている。
恋に燃え上がっている彼と付き合ったとしてもうまくいくとは思えない。
彼は情けないところが多いから正直付き合いたくない。
今回の一件も最後の最後で私への配慮が足りなかった。
そんな男性と付き合うのは正直言って気が滅入りそうになる。
それに、モルダン家に嫁げば親交があるというあの方とも顔を合わせる機会があるかもしれない。
そうなった時、私は果たして耐えられるだろうか。
どうするべきだろうか・・・。
私は1人。
天高く上る太陽を祈るように見つめることしかできなかった。
~とある屋敷の一室~
「今回の一件。本当にリンディ嬢の名前を出してしまってよかったんですか?」
青年は2人の人物に語り掛けた。
彼は2人の指示を受けて今回の一件の功労者にリンディ嬢の名前を入れたのだ。
その結果、彼女は魔女と恐れられてしまっている。
貴族の令嬢にとっての大事な結婚適齢期に前王太子との婚約があり、それが終わって一旦時間を置き婚約者を探し出すとマヴィウス家の妨害や悪い噂の風潮により、結婚は遠のいた。
何とか四大貴族の当主陣の活躍でマヴィウスの動きを抑えている間に見つけてきた婚約者候補も、先の事件でその地位を追われた。
様々な思惑に巻き込んでしまった手前。
彼女には不自由のない生活を送ってもらうためにできるだけいい嫁ぎ先を用意しなければならない。
できれば、四大貴族のどこかが彼女を引き取れればいいのだが・・・
アダマン様は愛人がいっぱいだし、アンドレ様には婚約者がいるそうだし・・・
そうなってくると・・・
やはり、私が結婚するしかないのだろうか?
い、いやでも、私にはマリア嬢という心に決めた人が・・・!
「何か心配事でもあるの? セオドリック君?」
私がリンディ嬢の嫁ぎ先について考えているとアンドレ様から指摘を受けた。
さて、ここはどう返すべきだろうか。
自分からリンディ嬢の婚約者として名乗り出ることなんてできないし、かといって他にいい候補がいるわけではない。
「もしかして、リンディ嬢の婚約者候補について悩んでいる? それなら安心してちょうだい。最適な人物を既に選定済みよ。」
私が言葉を噤んでいるとアンドレ様は楽しそうに笑顔で微笑んだ。
まるで最初から私の悩みを知っていたかのような口ぶりからして私はからかわれたのだろう。
「それで、その人物というのは?」
「君もよく知る人物だよ。我々の調査の結果。性格や能力。人望も問題ないと判断した。」
私の質問を待っていたとばかりにアダマン様が資料を出してきた。
そこには、その者の能力や調査結果。家柄や親戚関係など細かく書かれていた。
だが、そんな資料で私を一番驚かせたのはその人物そのものだった。
男の名はデイビー=ダビットソン。
私の親戚にあたる可愛い弟分だった。
~後日 リードザッハ邸~
私が魔女と噂されているようになって数日後。
四大貴族の次期当主陣がやってきた。
おそらくは、今回の一件について私の名を表に出したことについての謝罪が目的だろう。
「フン。ずいぶんと遅かったな。」
父は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
今回の一件による次期当主陣たちの対応に父は大層ご立腹だ。
ただでさえ、婚約者候補として挙げたエルゲンテア家が不正を行い、当主が牢獄に繋がれることになったのだ。
その上で、今回の一件で私の名を出したことで私の悪評は一気に拡大した。
噂が蔓延る今は婚約話などどこからも来ないだろう。
来たとしても、歳の差がずいぶんある相手の愛人や側室といった形でしかない。
幸せな夫婦生活は送れない可能性が高い。
「フフフ。そう怒らないでくださいな。今回の縁談はとてもいいものになりますわ♪」
そう言ってアンドレ様がすごくいい笑顔をこちらに向けて来る。
その笑顔に父は苦虫を噛み潰したような顔をする。
アンドレ様はパティルド家の長子。
次期当主陣の中ではアダマン様に次ぐ存在である。
だが、私の婚約者候補にその名が刻まれることはなかった。
理由は単純に父が彼のことをよく思っていないからだ。
口調からわかる通り、この方は女装癖がある。
今もどう見ても女性ものの意匠を凝らした衣服を身に着けているし、ナチュラルに女性がするような化粧をしている。
中性的な顔立ちのせいか、よく似合っているので知らない人には完全に女性に見えることだろう。
この女装癖のせいで彼は私の婚約者候補から一番に抜けた。
いや、その名前さえ挙げさせることを父が許さなかった人物。
そんな人物の言葉を父は信用していないようで、視線をアダマン様に向ける。
視線を向けられたアダマン様はゆっくりと頷いた。
「婚約者と言われてもな。あんなことがあった後だ。今度のは大丈夫なんだろうな?」
「問題ありません。事前の調査は万全ですわ。」
先の一件から警戒心を露にして問いかける父に対してアンドレ様が答えを返す。
前回の調査不足を反省して今回はかなり入念に調査を行い、その調査に何らかの確信を得て今回は来たということだろう。
本来は外交の職務で国を開けることの多いパティルド家がわざわざ出向いたことがその証明だろう。
「ほう。どうやら今回は大丈夫そうだな。で、どこの家のものだ?」
父もそのことがわかっているのか。
「さっさと資料を出せ」とでも言いたげにどこの家の者かを尋ねた。
「こちらですわ。」
アンドレ様が資料を提示してきた。
それを受け取った父は眉間に皺を寄せながら目を通していく。
普通なら資料に目を通しているうちに段々と皺が薄くなっていくのだが、今回はその逆、読み進めるほどに眉間の皺は深くなっていく。
どうやら、父にとってあまりよくない情報のようだ。
いったいどこの馬の骨を婚約者候補に挙げたのやら・・・
そんな私の心配を知ってか知らずか、アダマン様とアンドレ様はニヤニヤと笑顔を浮かべ、セオドリック卿は反対にすごく不安げな顔をしている。
本当にいったい誰が婚約者候補として名を挙げたのだろうか。
今の私は魔女と言われ、恐れられている存在だ。
悪い噂の対象になっている女性とお付き合いをすれば、当然。相手の男性も悪い噂が流される。
悪い噂は貴族にとってあまりよろしくない。
王国にいる貴族の数は1000を超える。
当主の数ならば、その十分の一程度だが、家族や血族全員となると余裕で1000を超える。
その1000を超える貴族達が少ない役職を奪い合っているのだ。
少しでも自分をよく見せるために努力し、他者を追い落とすために悪評を広める。
人として決して褒められたものではないが、人の作る組織図などは得てしてこういうものだ。
高貴で華やかな貴族社会でさえこうなのだ。
きっと平民の行う行為はもっと酷く醜悪なのだろう。
より多くの仲間を作るために身内を送り込む政略結婚もその一環の一つだ。
貴族の子女である以上。政略結婚をしないわけにはいかない。
ただ、私は四大貴族という王国内でも大変力ある貴族に生まれたためにできうる限り、私が結婚後苦労しないように取り計らってもらえるのだ。
もし私が四大貴族の令嬢でなければ、悪評に塗れた私には嫁の貰い手などなかっただろう。
いや、もし四大貴族の令嬢でなければ・・・
平民の男性と一緒になることもできたのかもしれない。
眼を閉じれば、熊のように大きくて立派な背中が見えた。
その人はこちらをゆっくりと振り返り、私の名を呼んだ。
そんな妄想を思い浮かべてしまうほど、私の心は疲弊していた。
「なんだこやつは! ただの平民ではないか!!」
私が現実逃避をしていると資料を読み終えた父が怒声を上げた。
怒りに震える父は手に持っていた資料を机に叩きつけた。
束になっていた資料は散乱し、宙を舞う。
そんな怒り狂った父を見て、セオドリック様は今にも泣き出しそうになっている。
反対に、アダマン様とアンドレ様は涼しい顔をしていた。
父の怒鳴り声を聞くあたり、私の婚約者候補として名が挙がった人物は平民らしい。
まさか、本当にどこかの馬の骨を連れてきたらしい。
いったいどんな人物を候補として挙げたのか。
アダマン様とアンドレ様の様子を見るに、よほどの自信のある人物のようだが、いったい誰なのか。
少し気になって散乱した資料を一部手に取って目を通す。
『デイビー=ダビットソン』
資料にはどこかで見た人物の名前がはっきりと刻まれていた。
どうして? デイビー様の関係者?
私は他の資料も手に取り内容を確認した。
そして、私の婚約者候補として名の挙がった人物がデイビー=ダビットソン本人であることを知った。
ど、どどどどうして・・・?
私は動揺を隠せず思わず手に持っていた資料を落としてしまった。
「リンディ。どうかしたのか?」
私の動揺ぶりに父が目を丸くして問うてきた。
その顔からは先ほどまでの怒りは感じられない。
「あ・・・ えっと・・・」
なんて答えればいいのかわからなくなった私は視線を泳がせてアダマン様やアンドレ様の方を見た。
2人は私の様子を見ながら2人で頷きあっている。
私が動揺している理由をアンドレ様はアダマン様から聞いていたのだろう。
だから、この2人は私に今回の縁談を持ってきたのだ。
なんて質の悪い・・・。
「えっと・・・。 ど、どうしてこの方を婚約者候補にしようと思ったのですか?」
動揺を隠しきれない私は視線を彷徨わせながらも何とか言葉を口にした。
「おや? 君はこの男のことについて詳しく知っていると思っていたのだけれども、違ったのかな?」
私の質問にアンドレ様は質問で返してきた。
アンドレ様の言葉を聞いてセオドリック卿と父がこちらを見る。
先程、資料を食い入るように見てしまったがために2人は私のことを食い入るように見ている。
流石に、下手な誤魔化しはこの場では通用しなさそうだ。
「まぁ、端的に言ってしまえば。彼を我々の側に引き込むために君に彼を落として欲しい。それが我々四大貴族の当主、次期当主陣のほぼ全員の願いなんだよ。リンディ嬢。」
私が言葉を詰まらせているとアダマン様が要約した回答をくれた。
「それは、どういうことだ?」
アダマン様の言葉に真っ先に反応したのは父だった。
そんな父にアンドレ様が先ほど散らばった資料から一部を抜き出して提示する。
「彼は私の妻。おっと失礼。婚約者であるオスカー様の部下で、あの『華剣』の使い手として、とても優秀な人物ですの。彼ならば次の≪大騎士≫に相応しいだろうというのが、私とアダマン卿の共通認識です。」
アンドレ様の提示した資料にも、あの『華剣のオスカー』から彼女の華剣の全てを学び。免許皆伝した。と記されている。
「ほう。≪大騎士≫にかね。」
≪大騎士≫の称号が出たことで父の表情が目に見えて変わった。
それもそのはず、我が国最強の騎士の称号たる≪大騎士≫を手にすることができるのならば、たとえその者が平民であろうと王国内での権威は大貴族に匹敵するものとなる。
≪大騎士≫という称号はこの国の全ての国民の憧れであり、この国の武の象徴だ。
もし、デイビー=ダビットソンが本当に≪大騎士≫になれるほどの逸材ならば、武門の長として父もこの婚姻に賛同することは間違いない。




