リンディ=フォン・リードザッハ④
「エルゲンテア家の再調査?」
私のお願いに対してアダマン様が疑問を露にして聞き返してきた。
アダマン様の疑問は当然のことだ。
既に、次期当主陣の息のかかった間諜が情報を収集し『問題なし』と結論づけている。
私もアリスティーゼ嬢の言動から可能性を見出さなければエルゲンテア家に違和感を持つことはなかった。
そして、私の情報網を持ってして調べ上げた結果。
エルゲンテア家は『白』だった。
これにより、アリスティーゼ嬢の言動はが本心だった可能性は非常に高くなった。
だが、私の放った間諜はあくまでも私の部下であってリードザッハ家の所有する精鋭部隊ではない。
あくまでも、私個人の私設部隊だ。
その能力は本職の足元にも及ばない。
主に、私が個人的に使うのに適しているので普段ならば問題はない。
だが、今回のようにマヴィウス家の秘密諜報員が隠蔽工作をした後だと、どうしても能力が足りない。
かといって、既に乗り気なお父様を説得するには情報源がアリスティーゼ嬢だと言えば、『マヴィウス家の妨害行為だ!』と頑なに認めてくれない可能性がある。
なので、ここは次期当主陣の力を借りなければならない。
弟のアレックスに頼んでも動くのはリードザッハ家の所有する部隊だ。
それではお父様にバレることは目に見えている。
だから、私はアダマン様にお願いすることにした。
セオドリックの奴は私と結婚したくない一心でエルゲンテア家の調査を甘くする可能性がある。
パティルド家は立場上、国外にいることが多く頼むのは難しい。
そんなわけで、私はアダマン様にどうしてもここで顔を縦に振っていただかねばならない。
「どうして、そのようなことを? なにか気になることがあるのですか?」
一度、調査を行っているからか。
アダマン様は私の言葉に二つ返事では頷いて下さらなかった。
最も、それは私とて予想していたことだ。
なので私は先日あったアリスティーゼ嬢に会った話をした。
無論、私とアリスティーゼ嬢の秘密の関係や私の私的な見解は排除して、ただマヴィウス家の存在を匂わせてエルゲンテア家の怪しさを強調する。
「ですから、少し心配になってしまって・・・」
私はここで少し目に涙を浮かべて子ウサギのように震えて見せる。
こうすれば、マヴィウス家の裏工作に怯える可愛らしい令嬢に見えることだろう。
そして、そんな私の現状を見ればいくらアダマン様でも無理に『エルゲンテア家と結婚しろ』とは言えないだろう。
寧ろ、私の不安を和らげるために進んで協力してくれるに違いない。
「なるほど、マヴィウスが・・・ 仕方がありません。既にパティルド家が調査を行った後ですが、私の部下に再調査をさせましょう。まぁ、あのパティルドの部下が騙されるとは考えられませんがね・・・」
そう言ってアダマン様は気兼ねなく了承してくれた。
それにしても驚いた。
あのパティルドがエルゲンテア家を調べていたのか。
パティルド家は外交を取り仕切る一族。
その役割上、諜報活動での能力は四大貴族中でも最高と噂されている。
そこを欺くとは、マヴィウスの間諜はそれ以上なのだろうか?
そんなことを想いながら私はアダマン様の再調査を待つことにした。
アダマン様のことだ。きっと私が安心できるように隅から隅まで調べてくださることだろう。
これで、エルゲンテア家との婚約は解消かな。
そう思っていた私の下に思わぬ情報が転がり込んできた。
『エルゲンテア家の再調査の結果。問題なし。』
そう書かれた端的な手紙がアダマン様から届いた。
この手紙の内容に、私は違和感を覚えた。
事細かな詳細がなく、あまりにも端的すぎる。
私に対して誠意が感じられない。
か弱い貴族の令嬢が政敵の陰に怯えて助けを求めたというのにこの端的すぎる文面。
アダマン様の身に何かあった?
アダマン様がマヴィウス家側についた?
四大貴族の内部分裂?
どれもしっくりこない。
こうなれば私自らが乗り込んだ方が早いか。
しかし、私が乗り込んだところで尻尾を見せるとは思えない。
四大貴族のしかもあのパティルドの諜報員を欺いたのだ。
生半可な手段では隙を見せない。
おそらく、アダマン様も同じ考えなのだろう。
だからこそ、こんな素っ気ない手紙を私に渡して私自身が動くように誘導しているように思える。
私はエルゲンテア家の内情調査の結果に目を通すと、セオドリック宛に手紙をしたためて出かける準備をした。
「出かけるわ。あと、セオドリック様にこの手紙を送ってちょうだい。大急ぎで頼むわね。」
「かしこまりましたお嬢様。」
私の意図を察してか、お付きのメイドが即座に動いてくれた。
彼女に任せておけば安心だわ。長年連れ添った仲だけあって彼女は優秀で私の意図を察する能力が高い。
お嫁に行くときは彼女だけは絶対に連れて行くと心に決めているほどだ。
私は彼女の代わりのメイドと共に身支度をして家を出た。
向かう先はエルゲンテア家。
リードザッハ家には『戦場に行かずして名声を得ず』という言葉がある。
武門を取り仕切る貴族の家系であるリードザッハ家にとってこの言葉は子供の頃から何度も聞かされる家訓にして真理だ。
危険を冒さなければ栄誉は得られない。
真実を知るには真実のある場所に向かわなければならない。
私の残りの人生がかかっている以上、失敗は許されない。
最善を尽くす必要がある。
「これはこれは、ようこそいらっしゃいました。しかしながら、旦那様は現在留守中でして・・・」
「わかっているわ。今日は別件で来たの。中に入らせていただくわ。」
出迎えにやってきたエルゲンテア家の老執事を置き去りにしてエルゲンテア家の中に押し入る。
屋敷中をくまなく捜索したいが王都にあるこの屋敷に悪事の証拠が置いてあるとは思えない。
おそらくは、領地にある自宅だろう。
だから、今日ここですべきことは捜索ではない。
「リンディ様。いくら婚約者候補とはいえ主人のいない屋敷に押し入るのはどうかと思われます。」
私を諫めるためについてきた老執事は私の外聞を悪くすることを嫌ったのか人払いをして部屋の扉を閉めた。
こうして、私と私のお付きの侍女。そして、老執事のみがこの部屋に入った。
私はサロンの部屋に着くと窓際に立つ。
老執事が私のことを警戒しながら近づいてくる間に侍女の1人がサロンの扉の前に立ち、人が入ってこないようにする。
「実はね。今日はあなたにお話を伺いたくてやってきたの。」
「私に・・・ で、ございますか?」
私の言葉に老執事は訝し気な表情を浮かべる。
これがエルゲンテア家の悪事を知っているからのものなのか。私の突然の奇行に対してなのかはわからない。
だから、揺さぶりをかけてみることにした。
「あそこに人物が何をしているかわかりますか?」
私は窓の外に視線を向けて、隠れるようにこの屋敷を見ている薄汚い格好の男について老執事に尋ねた。
「はぁ、物乞いか、空き巣でしょうか・・・。」
老執事が質問の意図がわからないまま私が視線を向けている男の方を見てそう答えた。
諜報員とは考えないところから見て悪事を隠しているような印象は受けない。
悪事について何も知らないのか。
それとも、悪事がバレることはないと高を括っているのか。
豪胆なのか馬鹿なのか。
「実はね・・・」
私はそんな老執事にエルゲンテア家の当主について流れている黒い噂について語った。
当主が変わった直後に急激に右肩上がりで上がり始めた領地の経営状況に対しての疑惑を妬み、僻み、嫉妬で装飾してあることないことを告げる。
できるだけ怯えた雰囲気を出しつつ、それを必死に隠しているように見せる。
そうすることで、正式に婚約が決まる時に悪い噂を聞きつけて慌てふためいている令嬢に見えるようにする。
特に私のように前回の相手選びで大失敗をしている女性はこういった噂に弱い傾向にあるらしい。
私の話を聞き、老執事は私の気分を落ち着かせるためか椅子に座らせて窓のカーテンを閉めた。
飲み物を用意しようとしていたが、それは手で服をつまんで阻止した。
人を呼ばれると困る。
ここから先の話は他人には聞かせられないし、私にとってはここからが本番だ。
「ねぇ。エルゲンテア家の前領主の方はどんな方だったの?」
「先代ですか? それはまぁ優秀な方でしたよ。少し融通は利かないところはありましたが、真面目なお方でした。」
私の質問に疑問を抱きつつ老執事は答える。
そう、エルゲンテア家の先代は堅物で融通が利かない真面目な男だった。
しかし、優秀な人材だったらしい。
そんな優秀な人材の領地を引き継いで、僅か三年の若領主が景気を右肩上がりにするのは明らかにおかしい。
そのことについて不安げに尋ねると老執事は困ったように表情を曇らせた。
「申し訳ありません。実は私は先代が亡くなって以降はずっと王都の邸宅に勤めておりまして、領地のことには明るくないのです。ただ、先代が亡くなって以降に人材の入れ替えがあったと聞きますからそれで何かが大きく変わったのかもしれません。景気が右肩上がりになっていることからそれが良い結果を招いたのでしょう。」
その後も、私の不安を解消しようと老執事は懸命に現当主の行ったであろう改革について大まかに説明してくれた。
ただそれは詳しい内容ではなく、調べればすぐにわかるような案件ばかりだった。
だからだろうか。
詳しい内容を知ろうと踏み込むと老執事は言葉を詰まらせた。
どうやら、彼は本当に何も知らない話らしい。
「ありがとう。私のことをこんなに心配してくれてうれしいわ。あなたのような優しい方が執事としていてくれるなら嫁いだ後も安心できそうね。」
「そう言っていただけると私としても大変うれしゅうございます。実は、妻と娘が侍女として屋敷に仕えておりますし、息子は料理人として仕事をしています。家族一同あなた様のお越しを心より待ち望んでおります。」
そう言って柔和に笑う老執事。
だが、その言葉を聞いた私はバレないようにひっそりと笑った。
それはいいことを聞いた家族ぐるみでエルゲンテア家に勤めているだなんて・・・
これは使える。
「ねぇ。少しお願いがあるのだけれど・・・」
私は先ほどの質問で言葉を詰まらせていた老執事に、エルゲンテア領で行われた改革について詳しい内容を知れないかとお願いした。
先程の質問にうまく答えられなかった手前、老執事も私の不安を解消しきれなかった負い目もあって彼は快諾してくれた。
「それから・・・ 実は先程の密偵についてなのですが・・・」
先程、窓から見えた密偵について私は謝罪を行った。
あの密偵は私の父であるリードザッハ家の者であると明かした。
なぜ、リードザッハ家が婚約対象者であるエルゲンテア家に密偵を送ることになったのか。
それは、先程のような黒い噂を聞いて不安になった私が母に相談を持ち掛けたところを父に目撃されてしまったことにより『娘の不安を解消するためだ』と父が私兵を動かしてくれた。ということにした。
そうすることで、私はエルゲンテア家に負い目を感じることになる。
そして、私が嫁いでくることを家族ぐるみで待っていると言ってくれたこの老執事にそんな負い目を見せれば・・・
「そうでしたか。では、余計な波風を立てないためにもこの件は内密に調査をいたしましょう。」
両家の関係を考えて老執事は私が待っていた言葉を口にしてくれた。
その言葉を聞けた安堵から私は口元をほころばせて笑顔を向けた。
「ありがとうございます。では、お願いいたしますわ。」
こうして、私はエルゲンテア家を後にした。
帰り際、老執事に向けて私は最後にこう口にした。
「困ったことがあったら何でもおっしゃってね。今回の件のお礼に力になりますわ。バルトラさん。」




