決戦 小姑と熊
小さな嫌がらせを積み重ねて来るソフィア嬢。
なぜ、このような嫌がらせをしてくるのだろうか。
いや、聞かなくてもわかっている。
これは彼女なりの必死の抵抗なのだろう。
リンディさんとの婚約話は概ね順調。
本人が嫌がっている様子は見受けられないし、父親であるダグラス卿も乗り気。
母親であるミシェルさんの反応は不明だけど、特に何も言ってこないので問題ないだろう。
アレックス君もアドバイスをくれるぐらいだから反対はしていない。
使用人さんたちの反応は・・・。そういえば、あまりよくないかもしれない。
先程、花を渡した時に後ろにいたメイドさんはあまりいい顔をしなかったな。
いや待てよ。でも、思い返してみればそれ以外の人達は割かしにこやかな雰囲気だった。
おそらく、このリードザッハ家の中で、彼女と一部の使用人達が結婚反対派なのだろう。
だが、大半の人間が賛成な手前、大きなことをすれば波風が立つ。
彼女にできるのはせいぜいが周りにわからない程度の小さな嫌がらせなのだろう。
それにしても、紅茶は使用人の人に頼んで僕だけ違うものにすればいいのだろうけど。
クッキーはどうやって味の微妙な物を僕に取らせているのだろうか。
3枚目になるクッキーを食べながら考える。
リンディさんとソフィア嬢も僕と同じ場所にあるクッキーを食べている。
同じようにテーブルに置かれたお皿の上に置いてあるクッキーを取っているのに2人は満足げに笑顔を浮かべている。
それに引き換え、僕だけが微妙な味のするクッキーを食べながらそれを隠している。
この甘くないクッキーがリードザッハ家では普通なのか?
貴族の家のクッキーは砂糖を多く使っているから市販品や庶民が作る物より甘いと聞いたことがある。
なのに、これには全くそういった感じがしない。
寧ろ、昔食べたクッキーよりも甘さがない。
「それにしても、久しぶりにお姉様に会いに来たのに手土産の一つもないの?」
僕が考え事をしていると、ソフィア嬢が『いい案が浮かんだ』とでも言いたげに黒い笑みを浮かべて問いかけてきた。
久しぶりに会いに来た婚約者候補に手土産がないことを理由に小言を言って気分を紛らわせたいのだろう。
「いいえ、ソフィア。デイビー卿は素敵なお花を持ってきてくれたわ。アンナに言って私の部屋に飾ってもらっているわ。」
僕が言葉を紡ぐ前にリンディさんが横から渡した花について説明してくれた。
アンナさんとはリンディさんのお付きのメイドの人のことなのだろう。
確かに、渡した花は彼女がどこかに持って行っていたな。
それにしても、リンディさんの私室に持って行ったのか。もしかして、僕がお土産に渡した花瓶に生けるのだろうか?
「へぇ~。そうですの。どんなお花ですの?」
ソフィア嬢はリンディさんの言葉に微笑みを浮かべて答えると、僕の方に視線を戻して尋ねてきた。
その言葉に僕は何といえばいいのか考えてしまう。
僕がリンディさんに渡した花は、この国では誰もが知る『愛』を伝えるのに使われるものだ。
僕がその花をリンディさんに渡すとはつまりそういうことだ。
ここには今日、告白のつもりで来ている。
だからこそ持ってきた花。
でも、待てよ?
順序を間違えたかもしれない。
これで花を渡しながらのプロポーズはできない。
ここで花の話題を出したらそれはプロポーズになるのだろうか?
いや、できればプロポーズは2人っきりでやりたいんだけどな・・・。
「どうしましたの? 言葉にするのがそんなに嫌ですの?」
ソフィア嬢は言い淀む僕の様子を見て『勝機』と思ったのか。
疑わしげな視線を向けて来る。
どうやら、確証を得なければ責めては来ないらしい。
なかなか慎重な性格のようだ。
リンディさんはそれについてどう答えればいいのか迷ったように視線を彷徨わせている。
その頬は赤く上気していてとても可愛らしい。
ああ、でもその反応って花の意味が理解できてるってことだよね・・・。
そう思うと僕の想い口がさらに重くなってしまう。
「ねぇ? あなたは何か知っていて?」
僕とリンディさんが黙り込んでしまったのでしまい、その沈黙にソフィア嬢は耐えられなかったのか。
メイドの1人に問いかける。
彼女はサロンに最初から居て紅茶を入れてくれていたメイドではなく、僕たちと共にサロンに入ってきた者だ。
「そういえば、先程遠くからチラリと見かけましたわ。赤いお花でしたわね。でも・・・ 一輪しかありませんでしたわ。」
メイドさんは花の種類を言わずにただ赤い花だったとだけ告げた。
一瞬、僕への援護かと思い助かったと思ったのだが、その後に一輪しか持ってこなかったことを告げてしまう。
内心で僕は大量の冷や汗をかき、どこからともなくやってきた謎の腹痛に耐えながら何とか言葉を紡ごうと開きかけたのだけど・・・。
「まぁ! まだ恋人候補とはいえ、何週間も会いに来なかったにもかかわらず手土産が花一輪?! その程度の甲斐性でお姉さまを幸せにできますの? それとも、お姉さまには花一輪で十分だとでも?!」
だが、僕が言葉を発するよりも早くソフィア嬢は『我が意を得たり』と勝利を確信してオーバーリアクションでまくし立てて来る。
どうやらここで決着をつけて来ているようだ。
久しぶりの来訪に、花一輪しか持ってこなかった僕を責め立てることで僕の婚約者候補としての立場を無くさせるつもりなのだ。
ここで彼女に負けてしまったら僕の立場がない。
いくら、ダグラスさんが結婚の話に乗り気でもここで僕が年端もいかぬ少女に負かされるようなことがあれば、僕の資質に疑問を持つことになる。
さらにリードザッハ家としても、娘を蔑ろにされたとあっては黙ってはいられない。
下手をすれば、武門の貴族社会からあぶれてしまいかねない。
これはダビットソン準男爵家の存亡の危機でもある。
「十分だとは思っていません。」
僕はソフィア嬢に向かって毅然とした態度で言い放った。
熊のような大男が先ほどのへっぴり腰から姿勢を伸ばしてしっかりと返答を行ったことでソフィア嬢は黙り込んだ。
僕の見た目は非常に怖い。
周囲から熊と恐れられる僕が姿勢を正して射貫くようにまっすぐと視線を向ければ普通の人間ならば恐怖する。ソフィア嬢も同様に恐怖で口を噤んでしまった。
だが、貴族として育てられた彼女は視線を逸らすことなく僕を見つめ返す。
そんな彼女から視線を外して、僕はリンディさんへと向き直った。
僕の視線を受けてリンディさんは姿勢を正してこちらを向き直る。
これから大事な話を切り出すことを察したのだろう。
先程までの頬を高揚させた可愛らしさは消え失せて、凛々しく高潔な雰囲気を醸し出している。彼女の透き通った瞳で見つめられるとこちらの心を見透かされているような感じを受ける。
嘘は通じない。
彼女の瞳は悠然とそう語りかけてくるようだ。
なので僕は嘘偽りなく言葉を紡ぐ。
最近会えなかったことへの謝罪から始まり、花一輪しか持ってこれなかったことを謝罪した。
だが、言い訳はしない。
そんな女々しい言い訳をしても無駄だからだ。
その代わりに僕は生まれて初めての愛の言葉を囁いた。
自分の口からこんな言葉が出てくる日が来るとは夢にも思わなかったけれど。
やはり伝えなければならない。
伝えなければ伝わらない。
もしかしたら嫌われているかもしれないけれど、僕の逸話ざる本心だけは『好きだ』という気持ちだけは言葉にしておかなければならない。
僕の言葉を聞いてリンディさんは何も答えることなくただただ頷いた。
頷いているから顔が下を向いてしまったのでその顔色は窺えないが、手にはぽつぽつと涙が落ちている。
やはり・・・
嫌われていたのだろうか。
どうすればいいのかわからない。
ただただ涙を流す彼女を前に何も言葉が出てこなかった。
どうすればいいのかわからず、彼女に近づくことも声をかけることもできなくなってしまった。
彼女はただ涙を流すだけで何も言わなかった。
数秒だったのか。数分だったのか。ただそんな彼女を無言で見つめる僕。
そんな永く短い沈黙を破ったのはソフィア嬢だった。
「ふん。 花一輪しか買えない甲斐性なしにお姉さまが嫁ぐわけないわ。」
それは小さな声だった。
独り言だったのか。
嫌味だったのか。
ハッキリとしない小声での言葉。
「確かにそうかもしれない。」
その言葉に反論する必要性はなかったかもしれない。
でも、言わずにはいられない。
これは僕と彼女がこれからどういう結末を迎えるかを決める大事な分岐点だ。
目の前で涙を流すリンディさんの一生を左右することだ。
しっかりと話をしなければならないだろう。
だから僕は正直に現在の家の事情を話した。
借金があるためにそれほど裕福ではないこと。
使用人の質は一部の人はいいけれど。大半は見習いだということ。
屋敷もそれほど大きくはないし、給料も貴族にしては安いこと。
現状ではリンディさんにはいろいろと無理を強いてしまう可能性が高いこと。
僕は見た目も悪いし、元平民。
リンディさんと結婚すれば、リードザッハ家の後ろ盾を得て昇進するかもしれないけれど。
それがなければこれ以上の昇進は難しいかもしれないこと。
だから周りからは僕は昇進のためにリンディさんを利用しようとしていると思われるかもしれないこと。
なんだか、デメリットばかり並べたてているけれど。
本当にそんなことしか出てこない。
もしかしたら、彼女は僕と結婚しても幸せにはなれないかもしれないと自分でも思ってしまうほどだ。
裕福な生活をするならば、僕と結婚しないほうがいいのかもしれない。
「だから、無理にとは言いません。」
彼女が結婚を望まないのならばそれでもいいのだ。
どうせ女性にもてないのは昔からなのだ。
ここで断られても問題ない。
そんな後ろ向きな覚悟を抱いたまま僕は言葉を続ける。
「ですが、僕はあなたを幸せにして見せます。」
どうやって?
自分でも、そんな言葉が脳裏を過る。
だが、覚悟が決まった僕にもはや進む以外の選択肢はない。
「あと1月と少しすれば御前試合が行われます。そこで僕は、必ず≪大騎士≫になって見せます。ですからどうか・・・」
僕と結婚してください。
「はい。喜んで」
緊張のあまりその言葉を最後まで口にできたのかはわからない。
もしかしたら、最後まで口にできなかったのかもしれにない。
でも、僕は確かにリンディさんの口から返事をもらうことができた。
返事をする彼女の顔は涙のせいでくしゃくしゃだったけれど、雨上がりの紫陽花のように綺麗だった。
これにて 『熊編』 完となります。
次回からは 『狩猟乙女編』 となります。
これを隣で見ていたソフィア嬢と使用人一度の表情は( ゜Д゜)こんな感じだと思います。




