絶好の旅立ち日和だな
雪の積もった森の中。
黒尽くめの少年は当てもなく彷徨っていた。
処女雪を踏むたび、さくり、さくりと音を立てて靴がくるぶし程まで雪の中に沈む。
勇者メリッサ・モーズレイ
彼女がこの山で行方不明になったという話を少年が聞いたのはもう二週間ほど前の事だ。
三日前にこの山に辿り着いた少年はそれからずっと彼女のことを探し回っていた。
そして、そろそろ体力の限界に差し掛かるかという頃、少年の鼻がある匂いを嗅ぎつける。
死臭。
しかも恐らくは人間のもの。
嫌な予感でざわめく心を押さえつけその匂いを辿ると、いきなり視界が開けた。
そこに広がっていたのは惨憺たる光景。
木々は薙ぎ倒され、地面はえぐれ。
体の半分が消し炭と化している者。
胴が真っ二つに切り裂かれている者。
そしてその奥、大岩にもたれかかる様に座り込む女性の骸。
身ぐるみは剥がされ、傷だらけの四肢をだらしなく放り出したその身体はもう既に腐り始めていた。
少年の口から溢れ出した鋭い絶叫が静寂を引き裂き、山に響く。
少年にはその死体が誰だか分かった。分かってしまった。
しかし、その死体に頭は無かった。
◆◇◆◇◆
ウィンが目を覚ますと、まだ陽が登っていない早朝だった。
久々にみた悪夢にウンザリしつつモソモソと起き上がり嫌な汗を吸って若干冷たい服を着替える。
そしてタオルと剣を掴むと宿の二階にある部屋から降り、裏庭に出て、そこにある井戸で顔を洗ってから素振りを始める。
と、頭上からふにゃっとした声が降ってきた。
「やっほ〜、今日はいつにも増して早いねぇ」
アリスがウィンの隣の部屋の窓から寝ぼけ眼を擦りながら手を振る。
ウィンも素振りを一旦やめてヒラヒラと手を振り返す。
「寝ぼけて窓から落ちるなよ!!」
「落ちないよ〜だ」
そう言うとアリスは部屋の中に引っ込んでしまう。
暫くして、アリスも着替えて外に出てきた。
「おはよ、ふぁ〜」
「ははっ、大きいあくびだな」
「むぅ…」
寝起きのアリスは酷く子供っぽいのだ。
とはウィンが思っているだけであり、実際はアリスがウィンに甘えているだけなのである。
今も唇を少し尖らせて不機嫌そうな顔をして上目遣いでウィンの事を睨んでいる。
ウィンはアリスが見せた不意打ちの可愛らしい仕草に一瞬ドキッとしたのを誤魔化すかの様にアリスの綺麗な赤毛にぽすっと手を載せ、顔を洗って来る様に言うと自身は再び剣を振り始める。
色恋事に興味がない上ひどく鈍いウィンをしてそうなのだから普通の男であったら一発で落ちるほどの破壊力ある可愛らしい不意打ちをアリスは時々ぶちかますため、アリスの男冒険者達からの人気は途轍もないものだった。
「それにしても今日は酷く早いね?」
長年の付き合いでアリスの口調もウィンにたいしては砕けたものになっている。
そして、先程窓の上から言ってきた事と同じ様な事を聞いてきた。
『言ってきた』のではなく『聞いてきた』のだ。
前者はただ『早いね』と言っただけであるが後者は『早いね』の後ろに『何故?』が省略されている。
「いや。ただ単にっ、夢見が悪くてっ、目が冴えたからっ、素振りでもっ、しておこうかな、と思って、さっ!」
ウィンが素振りをしながら受け答える。
「そっか」
そう言うとウィンもアリスも黙り込み、朝食が出来たと宿の女将に呼ばれるまで、ウィンの剣が風を切る音だけが辺りに響いていた。
◆◇◆◇◆
ウィンとアリスは朝食を食べ終わると、さっそく旅支度と宿から引き上げる準備をし始めた。
それが終わると宿の主人に鍵を返して宿を出る。
空には雲一つ無く、登り始めた太陽が夜の内に冷えた空気に温もりを注いでいる。
ウィンがなんとなくアリスをみると、アリスもまたウィンを見ていた。
「絶好の旅立ち日和だな」
「そうね、とってもいい日だわ」
二人はそう言って笑い合うと、勇者の泊まっている宿へと向かうべく、これから始まる長い旅の第一歩を踏み出したのであった。