ウィルフレッド・ウィルコックスという男
__少年がいた。
黒い髪、黒い瞳、黒い服。
全身黒尽くめの彼の腹部からは絶えず血が溢れ、流れ出していた。
その少年の今にも折れてしまいそうな細い体は眩い光に包まれ、上も下も無い真っ白な空間に漂っていた。
__其処にあるのはたった一つの光源。
ソレは既に死相が浮かんでいる少年の顔を青白く照らし、少年の周りを飛び回っては明滅している。
輝くソレは少年に告げる。
__君の望みは何ですか?
何処か懐かしく、また何故か悲しみを覚えるその声に少年は閉じていた瞼を薄く開ける。
「……たい……。
……僕、は……、強く……なりたい」
__何故?
何故か、と聞かれ少年は答えることが出来なかった。
口の中の血泡と共に零れ落ちたその望みは泡のようで、たった一つの言の葉で弾けて消えるほどに、脆く空虚な望みでしかなかった。
「何故か?」
少年は口の中でその問いを転がす。
望み、望み、望み。
何故僕は強くなりたかったんだろう。
分からないや、忘れてしまった。
大切なものを無くしてしまった気がするのに。
「……どうして思い出せないんだろう」
光るナニカはそう呟いて再び目を閉じた少年の周囲を巡り、少年の顔に影を落とす。
その明滅は心なしか悲しんでいる様なものになっていた。
__忘れてしまったの?
__君は、君を築く礎を、君を君たらしめるその根源を忘れてしまったの?
__私を、忘れてしまったの?
責める様な、嘆く様な、叫ぶ様な。
一人の様な、大勢の様な、自分の様な声が。
……あの娘の様な声が。
その声に朦朧としていた少年はハッと目を見開き、強く息を吸い込んだ。
まるで、目が覚めた様だった。
鮮明に呼び起こされたその記憶は。
暖かく、明るく、楽しかった。
冷たく、暗く、恐ろしかった。
そして何より。
清く、眩しく、美しかった。
ソレはいつも、いつも眩い程の暖かい光に包まれて輝いていた。
僕はソレを、君を、君の事を守りたかった、側に居たかったのに。
僕を救ってくれた君は、救うだけ救ってそのまま勝手に僕を置いて逝ってしまった。
逝ってしまったのだ。
あの娘の後を追って旅立ったその旅先で、あの娘が殺された事を知った。
辛くて悲しくて悔しくて。
耐えきれなかった。
少年の頬を涙が伝い、抑えきれない嗚咽が漏れる。
僕は、僕は、僕は。
何故忘れていたんだろう。
こんなにも大切な事を。
忘れちゃいけないことだったのに。
僕は君が遺した言葉を忘れてしまっていた。
死にかけているのに強くなったって何の意味も無いのに。
守るべきものが無いなら強くなったって何の意味もないのに。
僕……いや、__俺は君に救ってもらった命を打ち捨ててしまっていた。
もし、もし望みが叶うなら。
もう一度、もう一度だけでいいから。
少年はゆっくりと息を吸い込むと、まるで自らの心に刻みつけるかの様に、静かに、ゆっくりと光り輝くソレに告げた。
「俺は生きたい」
あの娘が柔らかく微笑んだ様な気がした。
◆◇◆◇◆
とある冒険者ギルドにて。
黒目黒髪の引き締まった身体をした、そろそろ三十路に差し掛かろうかという男が酒を片手に依頼板を睨みながら管を巻いていた。
「あー、何だよまともな依頼がねえじゃねえか。
……何だよコレとかふざけてんのか?何が『アンデットが隠し持つお宝をGETせよ!!』だ!
アンデットの巣窟に飛び込んで洞窟の罠に引っかからずさらには最奥にいるリッチ倒してリッチの装備奪えってそんなのできるの高位の神官様か勇者様位だろうがっ!!
ってかまた貴族か!!ボリやがってこんにゃろっ、こんにゃろっ!!!
ギルドもギルドだ、こんな依頼受け付けるんじゃねえよ!…全くこれだからルーキーがポンポン死ぬんだろうが!
命が幾つあっても足りねえよ!!」
一気にツバを飛ばしながら自分の酒飲み仲間に向かって捲し立て、依頼書を引っぺがすと、ビリビリに破いて踏みにじってから思い出した様に一気に酒を煽り、叩きつけるようにジョッキを置く。
ギルドにいる冒険者達は皆、また始まったのかといううんざりした様な表情でハイハイと聞き流し、依頼書を破られたギルド職員はオロオロとうろたえている。
黒目黒髪、黒尽くめの剣士。
身体は一見細身だが隅から隅まで鍛え上げられ無駄が無く、ギルドでも一二を争う実力者。
ただし安全意識が非常に強く、あからさまに危険な依頼は幾ら報酬が良くとも断固として受けようとしない。
さらに危なっかしいルーキーを見ると直ぐにお節介を焼きはじめる。
そして酒が入ると命の大切さやその他諸々をとうとうと語りだし一度語り出すと酔い潰れるか何か大事が起こるまでその説教は止まることが無い。
(※おまけに酒の強さにおいてもギルドで一二を争っているので語り終える頃にはほぼ全員潰れている)
とあるルーキー達のパーティーがドラゴン討伐に向かったと聞いた瞬間ギルドを飛び出し、ドラゴンによって窮地に陥っていたそのパーティーを救うだけでなく、依頼が失敗にならないよう(その依頼は報酬が良いだけあり莫大な違約金が掛けられていた)ドラゴン討伐までやってのけたという話はその道で今でも有名な語り草となっている。
この男__ウィルフレッド・ウィルコックス(Wilfred Willcocks)、通称ウィンはこのギルドの一種の名物になっていた。
そして今日もウィンがジョッキを振り上げたり机に叩きつけたりしながら大声で演説していた所、ギルドの扉が開かれ…というよりは勢いよく蹴り飛ばされる様に開かれ、慌てた様子の若い冒険者が飛び込んできた。
「お…が、はあはあっ…ゆ……がっ!!」
「オイオイ、とりあえず落ち着いてから話せって」
荒く息をつきながら何かを言おうとする若い冒険者を見ればお節介が発動しないはずが無く、ウィンは思わず声を掛ける。
その声を聞いて落ち着きを取り戻し(信用されている証拠だろう)、息を整えた若い冒険者は思い出した様に再び慌て出し、叫んだ。
「勇者がっ!!女の子の勇者がこの街に来たんだっ!!!しかも無茶苦茶可愛いのが!!ここに寄るって!!!!」
支離滅裂だが内容は十分に伝わったようで飲んだくれていた冒険者達がざわめき始める。
「勇者…しかも女の子?」
「こんなむさ苦しい所に何の用だろうな…」
「ま、まさか…仲間探し?」
「「「何だと!?(ガタタッ)」」」
(あ…アホしか居ねぇ…)
一連の騒ぎで酔いの醒めたウィンは一人、突然の勇者来訪に騒然とするギルドの中で天井を仰ぎため息をつくのであった。
ちなみにウィンが破いた依頼書は危険度故に誰も依頼を受けなかった為、その日のうちに廃棄される予定でした。