ビターチョコレート
「あんたは予備っていうのか……まぁ彼氏が出来るまでの繋ぎよ」
そう言い残した少女は、僕の元から離れていく。何か言いたかった。だけども声は出なかった。好きだったのは僕だけだった。そう、僕だけ。
彼女からしたら遊びだった、繋ぎだった。告白をしてくれて、返事をした時に喜んでくれた顔も。一緒に出かけた時の嬉しそうな表情。初めてのキス。そして……彼女とはたくさんの初めてを経験した。それなのに全部、僕の一方通行。
気が付けば彼女はいなくなっていた。僕は、その場から動けなかった。
潮風が突き刺さる冬。海辺で今日、僕こと上神夕貴はトラウマが出来た。
そして新たなる決意が胸に宿る。
『二度と恋愛なんかしない』
目を開けると、いつもの見慣れた天井が視界へ飛び込む。最近視ていなかった夢を久しぶりに視た感想は、なんとも言えない。何年前だろうか、三年前かな。ずっと視ていなかったのに、今日はなんという日だろう。もちろん理由は分かっている。
「はぁ」
無意識にため息が零れる。その理由を認めたくないからだ。いや、僕は認めていない。しかし周りはそうはいかない。
「行きたくないなぁ」
右手を動かし、枕元にあるだろう携帯電話を探し出す。無事掴め、時間を確認する。午前七時。アルバイトの時間までは余裕だ。今日は土曜日で学校は休み。バイトも十二時からである為、今起きるには早い。だが再び寝ると言う行為をしようとは思いもしない。夢のせいで意識がしっかりと覚醒をしてしまっている。早いが準備でもしよう。それまでは学校の宿題やパソコンでもしていたら良いだろう。
過去の夢を視た原因は一つだ。神崎未幸先輩が気になっているからだろう。あの時に誓った事は、確かだ。それ以降女性は同級生、先輩、後輩のどれかには分類できた。僕に好意を抱く人はいないから、そう過ごしてきた。神崎先輩だって最初は先輩の分類ではあった。まさか、自分自身がここまで気になってしまうなんて……非常に不覚。
それにしても接点が少なくなってから、良く会う機会が増え、一緒に出かけたりするのだろうか。朝から頭には大ダメージだ。
一人でダメージを受けるのは問題ない。家で良く分からない言葉を発しても聞いているのは家族だ。近隣には聞こえてはいないはずだから……。問題は、この後に行くバイトだ。何故僕は、自分の気持ちに葛藤していたからって相談をしてしまったのだろうか。恋愛話が大好きな二人の方々に……。いや、これが一番の不覚だ。間違いなく一番の。
それ以降は何があった、とか色々と質問攻めにされてしまう。僕は、彼女を、好きではない! と最初に一点張りしたのに、簡単に「好きって気持ちを認めたくないだけじゃないの?」と嬉しそうに返答をして来たぐらいだ。
神崎先輩とは、学校の先輩でもあるけれども話したのはバイト先からだった。あれは、僕が初めてバイトに行った日だったなぁ……。
◇
「よ、よろしくお願いします」
レジなどの動作は、社員ではなく同じバイトで慣れている人に教わる仕組みのようで、隣についてもらったのが初めてだ。
「初めまして。神崎未幸です、よろしく」
「あ、僕は上神夕貴です」
ガチガチに固まっている僕とは正反対で、慣れた感じで優しく柔らかいイメージが直ぐに出来た。人見知りをせず、誰とでも気軽に話せるような雰囲気を出している女性だった。人見知りをしてしまう僕は、性別問わずにそういう人を憧れてしまう。
イメージ通り優しくレジの仕方など教えてもらえた。何て頼りになる人なのだろう……こういう人がいてくれる職場って働きやすいのだろうなぁと考えてみた。
「ねぇ上神くん」
突然神崎さんに呼ばれた。僕は脳内の考えがただ漏れだったのではないかと不安になる。悪い事は考えてない、大丈夫だ。
「何でしょうか……?」
大丈夫と分かっていながらも、内心ビクビクしてしまう。
「上神くんって、市原高校だったりする?」
違う会話でホッとするのも束の間。何故高校名がばれてしまうのだろうか。しかも初日に。だが、僕は制服で行っていない。家と学校、このバイト先が近いため着替えてから行っている。
「ど、どうして……」
焦らず、動じず。と思いつつ、いや思っているからだろうか、声が震えている気がする。違いますよ~とでもサラッと言えれば良いのだろうが否定するのも不思議だ。と言って肯定して会話が終了だと何故分かったのか永久の謎になってしまう。
取り敢えず訊いてみるのみ!
「そ、そうですが、どうして分かったんですか?」
良く言った、上神夕貴!
「私も市原高校なの」
ほう……そうな……え? 声に出してはいない。頭の回転だ。
さて神崎さ……いや先輩か。神崎先輩は、今何と申した……? 同じ高校だと。高校は人数が多いし入ったばかりの僕には知らない人だらけだ。同学年でもそうなのに、一つ上の先輩何て覚えもできるわけない。
「今日上神くんを見てね、学校で見た事ある子だなぁって思ったの」
何時何処で……とは訊けなかった。たぶん廊下ですれ違ったりしただけかもしれない。一瞬の事かもしれない。だけど、神崎先輩はそんな一瞬を覚える事が出来る特技を持ち合わせているのだろうか。
「ほら、上神くん。背が高いからバスケットボール部の人たちに入らないかって囲まれていたでしょ」
あの時か!
学校に入学して数日後。部活動の説明会がある日。僕は部活動には入らないでバイトをするつもりだったから興味はなかった。しかし、同じクラスで仲良くなった人が付いてきて、と言うので行ったのだ。その結果……というわけだ。
僕は高校生の割には……と言っても基準は分からないが、背は高い方らしい。運動神経はイマイチだけど、その背の高さを……とバスケットボール部の方々に囲まれていたのだ。断るのも苦労して、でも頷くわけもいかなくてオロオロしていた。
「あの時、助けてくれたのが神崎さ、先輩のご友人?」
それどころではなくて、周りをハッキリと覚えてはいない。だが記憶を探れば、確かに神崎先輩らしき人ともう一人いた記憶がある。
「そうなの。困っているようだからってね」
正義感がある人だ……。本当に助けられていた、あの時。神崎先輩とご友人がいなければどうなっていたか分からないぐらいだ。
「学校でも、ここでも。分からない事があったら相談してね」
にこ、と微笑んで、セミロングの髪が靡く。憧れと言うか、尊敬出来る先輩に出会えて僕は良かった。
◇
と言うのが一年前の春。僕が入学したての頃だ。最初の頃は恋心(いや、今もだけど)何て持ち合わせていない。頼れる先輩として、相談しやすい先輩だった。本当に神崎先輩がいてくれて助かる事は多々ある。学校でも、バイト先でも。
僕の中で(微々たる)変化が起きたのは僕が一年の終わりから二年に上がる時だ。神崎先輩が受験を理由にアルバイトを辞めた。
三年になるからには、大学受験が近付いてきている。推薦枠を狙って入るようだが、そちらを優先したいと言う理由だった。
僕は寂しいとは思ったが、それはこの一年だけでも社員の入れ替わりなどで経験している寂しさと一緒だった。それに神崎先輩が大学でやりたい事、将来なりたい夢を語ってくれていた為、僕は心から応援したいと思った。
初夏の頃。僕が神崎先輩に久しぶりに再会したのは、学校の図書館だった。
◇
借りていた本を返しに、図書館へと向かう。こう見えても、僕は読書が好きだ。もちろんだけれども、漫画やライトノベルも読む。色々な本がある図書館は、幸せだ。
先に返却を済ませ、次に何を借りようかと本棚へと向かう。そこで、見覚えのある人を見かけた。
「神崎先輩、お久しぶりです」
人気コーナーの前にいた。声をかけた事で振り向き、見慣れた満面の笑顔を向けられた。
「上神くん。久しぶりだね、どう、頑張っている?」
それから五分程だろうがバイト先の会話をする。新しい人が入った事や、社員が入れ替わった事など。
「そういえば、先輩は何かの本を探しに?」
人気コーナーにいたからにはそうなのだろうが、話しをしていて時間を取らせては申し訳ない。仮にも先輩は受験生だ。
「勉強の息抜きにね、読みたい本があるから図書館にあるかなって思ったのだけど……」
その言い方からして、探している本がないのだろう。人気コーナーにある本は、その人気が落ちるまで借りる事が難しい。毎日図書館にへばり付いて返却する人を見るほどでなくては、ならないほどに。
先輩から何の本かを聞いて、一緒に探そうと思ったが。
「その本、僕持っていますよ」
借りているのではなく、本屋で購入したものだ。人気が出る前に買ったものだけど、僕の中ではそこまで面白いとは思わなかった。古本屋に寄付するか売るか悩んでいる物だった。
「良かったら要ります? 欲しい人がいればあげようと思っていたので……」
「本当!? いいの、やったぁ」
会話を無理矢理切られた感じがあったが、そんなに喜んでくれるとは思っていなかった。欲しい人に渡せば、本も捨てられずに大切にしてくれるだろう。
「また先輩の都合良い日を教えてください、持ってきますから」
「うん。じゃあ、上神くんのアドレス教えて。連絡するから」
この時に、遅くなったがアドレスを交換した。
数日後に連絡が着て、指定の日の放課後に本を渡した。神崎先輩は嬉しそうに笑っていて、その笑顔は初めて観た。
まるで向日葵のように明るい笑顔だった。確かに神崎先輩には向日葵が合うと思う。元気で優しく明るい。と僕は一人で考えていた。
◇
お互いに本が好き、という事が分かってからはメールを時々するようになった。図書館に置いていない本を持っているか、貸してくれるか、と言う内容が大半だけれども。もちろん本に限った事ではない。アニメ化した作品の場合はDVDやCDなども。実写化した作品もDVDとか貸し借り、譲り合いをする。
神崎先輩は指定校推薦が決まってからは、やり取りの頻度が増えた。よっぽどな事がない限り落ちないとは言え……良いのだろうか、と不安な気持ちに陥っていた。
◇
「ね、今度お茶でもしない?」
この時は、僕が聴いてみたかったCDを神崎先輩から貰える話をしていた時だ。いつもは放課後に受け渡しをしている。
「お茶、ですか」
放課後のやり取りではなく、休みの日に、会うと言う事だ。
「上神くん、土日でバイト休みな日あるかな? 折角なんだからお茶をして、いろんな話をゆっくりしようよ」
確かに放課後だったら時間が限られる。僕がバイトの日もあれば、先輩が放課後の勉強会、面接の練習など合ったりする。まぁ大半は僕のバイトだけども。
基本僕は土日バイトだ。休みの日なんて……こういう時に、タイミング良くあるという。他のバイトの方が珍しく土曜日に出勤出来て、その代わりに僕が休みになると言う事だ。
「来週の土曜日なら、休みです」
「本当! 詳しくはメールするね。その日、空けておいてね」
早い返答にドキッとした。ドキッと……? いや、きっと神崎先輩がそんなに嬉しそうな表情をしたからだろう。ほら良く言う。違う表情が見られると、反射的に反応をすると。……何か違う気がするけど、まぁ良いか。
来週の土曜日、と頭の中で繰り返す。忘れない為だ。だけども、先輩と休みの日に会うのは初めてだ。学校でも、バイトでもない日に会うわけだ。少なからず僕の心は喜んでいる。そう、CDが貰える喜びだ。うん、間違いない。
この時から、少しずつ神崎先輩の事を考えるようになる。今までとは違う感情で、まぁ認めないけども。
月日が経つのは早い。土曜日になってしまった。
昨日の夜に考えたのだが、今日はつまり神崎先輩と二人きりなわけだ。そうだろう、他に誰かを誘う話とかもないし誰が来るとかも聞いていない。即ち『デート』と言う事なのだろうか。男女二人をデートと言っても良いのかは分からないが……。あ、同性愛者の場合は別か。
仮にもデートだとすれば、シンプルすぎる格好は駄目だろう。派手も駄目だが、どういう格好をすれば良いのだろうか。いや神崎先輩がデートと思っているわけない。というかデートではない。うん、そうだ。
僕はお気に入りの組み合わせの服を着て、待ち合わせ場所に向かう。最寄り駅の改札口前。お茶の場所は、先輩のお気に入りカフェと言う事だ。
待ち合わせ時間は十四時。現在は十三時半。明らかに早いだろう、僕! とまぁ一人で内心突っ込んでしまったのは決して言えない。
「ごめん、お待たせ~!」
十分前ぐらいに、神崎先輩の声が聞こえた。振り向くと、見慣れていない神崎先輩の姿が……。半袖のTシャツの上にレースのカーディガンを着て、ロングスカートにサンダル。髪は片側にまとめてある。
バイトではTシャツにズボンと言うのが決まりと言うか動きやすい服装と言うのが決まりだ。だから、神崎先輩のその姿は初めて見る。ドキッと……は、しなかった!
「僕も今、来たところですよ」
早く着た事を言う必要はない。それにまだ約束の時間前だ。先輩が謝る必要なんてどこにもない。
「そう? あ、先にCD渡しておくね」
CDを受け取り、鞄の中へと入れる。
「ありがとうございます。ところで、どこに行くのですか?」
何もかも先輩任せであった為、これからは何も考えていない。早く解散した場合は市民図書館に行くか本屋でも行こうと思っていたぐらいだ。先輩に任せ過ぎだろうか……。
「ちょっと歩くのだけど、私のお気に入りなの」
案内を始める先輩へと続いて行く。この時に無言だったらどうしようかと不安を抱いてはいたが、会話が途切れる事はなかった。共通点が思いの外多く、話し出すと止まらない。
学校で先生の事や、行事の事。バイト先の社員や仲間の事など。更には興味を持つ本の種類が一致する事が多くその話題も多かった。まぁ……よく本の貸し借りなどすればそれもそうだろう。メールでは遅い返答など直ぐに返ってくる。ここまで本の会話が出来る人って今までいなくて、先輩がそんな会話が出来る人なんて思いもしなかった。もう少し年を取れば……とも思っていたぐらいだ。神崎先輩に出会えて良かったと思っている。尊敬も出来る、今でも憧れの人だ。
「ここなの」
着いた場所は、想像通りお洒落なカフェ。どうやら本を読みながら、ゆっくり過ごすようにしているのか本がたくさんある。
「読書をしながらお茶もでき、お話するには良い場所だから上神くんも気に入るかなって」
先輩のお気に入りで、更には僕の本好きに合わせてくれているようだ。さり気ない優しさに感動をする。
神崎先輩はそういう人だった。陰で支えてくれていたり、困っている時には直ぐに手を貸してくれたりする。気配りが上手い人なのは誰もが認めている。だから小うるさい社員には「神崎さんのようになりなさい」と言うぐらいだ。僕はそういう小言を気にしないけれども、耐える事が出来ずに辞めて行く人もいた。もしかしたら僕に対する小言は少ないのかもしれない。よく泣いている人もいたから……。
「ありがとうございます、確かに良い雰囲気ですね」
案内された席に座りメニューを見る。珈琲の専門店なのか、色んな種類の珈琲がある。紅茶や他の飲み物も、それなりに揃っていた。
僕はカフェオレを、神崎先輩はお店特別ブレンドを頼んだ。
「この本、私のお勧めなの」
飲み物が届いてくる間、先輩の勧める本を教えてもらった。もちろん僕のお勧めの本も紹介する。
ここに置いてある本は売り物でもあるようだ。買う事も出来るし、買わないで読む事も出来る。基本、図書館と本屋にしか行かない僕にとっては新鮮な気持ちだ。このような場所があるなんて、楽しそうだ。
本も少し変っている。人気の本よりも、あまり名の通っていない作家や風景の写真集などあるぐらいだ。同じ店内だけど、少し離れた場所には雑貨も売っている。
僕は世界が狭かったのだろうなぁと感じさせられる。
「どうかな、上神くん。このお店」
飲み物も運ばれ、本について話しながら訊いてきた。先輩でも、そういうのを気にするのか……。
「とても気に入りましたよ。毎日来ても良いほどに」
そう答えれば、先輩は安心した表情を見せる。僕の勘だけど、一度他の誰かと一緒に来て何か言われたのだろうか。いや、自分自身のお気に入りの場所に人を案内する時は気になるものだろう。
神崎先輩はそういうのを気にしないイメージが強かった。元気で明るくて、でも気にしている一面があった。そういうものだろう、人の中身までは分からない。普段は気配りが上手な分、気にしてしまうのかもしれない。
「ありがとうございます、先輩。このカフェを教えてくれて」
僕にとって未知なる場所の発見。しかも本があるとなると更なる喜びもある。それを経験出来ただけでも今日は十分だ。
「ううん。こちらこそ。ありがとう」
それから僕と先輩は、色んな話をした。話題が尽きる事もなく、ずっと楽しい時間を過ごせた。先輩もそう思ってくれていれば嬉しいが……。
先輩は洋書も好きなようで、それを読みたいが為に英語を必死で勉強している事を知った。読む事は出来るけど、書く事は少ししか出来ないらしい。話す事は大の苦手で、外国の方に道を訊かれても紙に書いてもらって答えるみたいだ。日本語訳だと、意味が異なる時があるらしく洋書原文と日本語訳を両方読むと楽しいとも言っていた。
僕は基本和書だ。英語が苦手である為、洋書を読もうとも思わない。先輩から日本語訳をされているのでお勧めなのを訊き図書館で借りる事にした。
◇
そう、それで終われば良かったんだ。そこで終了。以後今までと変わらない生活が僕を……待っていてくれなかった。
友達の意外な一面を見ると、少しの期間気になってしまうものだろう。例えばお菓子が好きという人がいれば、お菓子が目に入ると友人を思い浮かべるように……。それは、きっと誰にでもある事だろう。そう、気の迷いだと信じていた。
だけども神崎先輩の事は、洋書を見なくとも考えるようになってしまっている。間違いなく、なってしまっていた。携帯を見てメールがないか、と気にしてしまう。いやいやいや、仮にメールが着ても先輩を待たせるような事をしてはいけない。そう、だから僕は携帯の画面とにらめっこをしているわけであって、先輩が気になるとかではなくて、いやそうではなくて。
など自問自答を繰り返して自分自身を追い込むような事をしていた。そうしていたから、あの二人に目を付けられたのかもしれない。
◇
「上神くんどうした?」
考え事から我に返り、声がした方を振り向く。しまった、現在はバイト中であった。僕は仕事中に何をしているんだ……。しかも神崎先輩の事だなんて。
「山西さん、何でもないですよ」
僕の様子を一部始終観察していたのであれば、その言葉が嘘であると分かる。山西美海さん、神崎先輩の一つ上だ。僕から見ても美人と思える人で、性格もテキパキとし発言もはっきりとする。高嶺の花と言うのはこういう人の事だろう。それと、勘が鋭い。
高校生の時から、ここのバイトを続けているらしく大学一回生なのにベテランである。つまり僕ともそれなりに付き合いが長いと言う事になる。そんな彼女が悩んでいるような素振りを見せている僕を見たら、どう反応するかは目に見えている。
「もしかして、恋愛の事?」
すごいな……山西さん。一発で……え?
「そんな事ないです! 僕は恋愛をしないと決めているのです!」
発言をしてから気付いたけれども、これでは恋愛をしていますという事だろう。頭がそこまで回らないと言うのが恥ずかしい。
「え、え? 誰、私の知っている人?」
山西さんと僕の共通点はここしかないですよね? バレそうだから知らない人と嘘を吐けないし神崎先輩の事を出すのは無理だ。そもそも恋愛ではない。
「えー。美海ちゃん恋愛しているの?」
そこに第三者の声が聞こえ、僕は心の底から驚いた。
「あ、玉川さん。私じゃなくて上神くんですよ」
玉川翔子さん、ここの社員さんである。ブラウンの髪色をしており、仕事中だけ一つに結っている人。確か先日彼氏さんと結婚をしたと言う三十代前半の人だ。付け加えるならば、恋愛の話が大好きだ。
「僕はしてないですよ」
否定するだけの力もなくなる。何故ならば、勝手に二人で考え出してしまっているからだ。人の事は言えないが仮にも仕事中ですよ、山西さんと玉川さん。
因みに、ここまでの会話は基本小声で行っている。それもそうだろう。接客業というかレジにいる人が大声であんな話を出来るわけがない。
この二人の話し合いが、ここで終わってほしいと願うばかりだった。
「それで、それで?」
完璧に楽しんでいる声色の玉川さん。バイト後にお茶でも行こうと連れ去られました。今日は早上がりで早くに家に帰れるだろうと思っていたのに……。運悪く山西さんや玉川さんも同じ時間に上がりだった。
「何度も言いますが、僕は恋愛しません」
何回目の言い合いか分からない。先ほどからこればかりだ。
「上神くん」
それまで黙っていた山西さんが口を開いた。
「しないなら何も言わないけど……悩んでいるのだったら相談には乗れるからね。少なくとも私は楽しんでいないから」
「ちょっと美海ちゃん。私が楽しんでいるとでも? ……少しだけよ」
それを人は楽しんでいると言うと思うのですが。
だけれども、山西さんの言い分は尤もだ。乙女心なんてものは僕には無縁すぎて分からない。それに二人とも僕より神崎先輩と付き合いが長いはずだ。力になってもらえるのは分かる。……楽しんでさえいなければ。
「……あの」
僕は最初から話し出した。最初に付き合った彼女の事を。それから神崎先輩の事を。ゆっくりと話した。その間は山西さんも玉川さんも黙って聴いてくれていた。僕は決して話すのが得意ではない。話している内容が絡まる時もある。それでも真剣に聴いてくれていた。
話す事により、自分の脳内が整理され絡まっている事が自然と解れると言うのは耳にした事がある。話していて気付いたのだけれども、僕は神崎先輩の事ばかり考えている。
「以上です」
喋り終えた僕は黙った。二人も黙っているから、沈黙が続く。非常に気まずい雰囲気だ。もし神崎先輩に彼氏でもいると言われたらどう思うのだろうか僕は。嫌な予感だけが頭に回っている。
「びっくりしたぁ」
玉川さんが先に口を開いた。
「特に仲良いイメージがなかったから……」
そっちかい。確かに神崎先輩とは特に仲が良いと言うわけではなかった。玉川さんや山西さんと同じぐらいだと思う。学校でも学年が違う為かあまり会う機会はなかった。
図書館で再会をしていなければ、こんな気持ちにはならなかった。……こんな気持ち?
「未幸には今彼氏とかいないから、狙えばいいよ」
いや、だから僕は好きではないのですが……って山西さんは何故そんな情報を知っているのやら。
「なら狙わないとね、良いアイディアを練っておくよ」
玉川さんの目が完全に光っている。獲物を見つけたような、楽しそうな表情をしている。危険な香りしかしませんけれども。
「何度も言いますが、僕は恋愛なんてしません」
ため息のような感じに呟いてしまった。何度目の言葉か分からない為、声を張り上げて言うのも可笑しい。どうすれば、この二人は納得をしてくれるのだろうか。考えても、もちろん分かる事はない。
「それってさ」
玉川さんが口を開いたけれども、今までとは違う言葉だった。
「好きって気持ちを認めたくないだけじゃないの?」
玉川さんの言葉を代わりに紡いだのは山西さんだ。……え?
丁度タイミング良く飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった代わりに、噎せた。身体が無反応だった為か、涙目になってしまった。
「そ、え?」
何が言いたいのか僕にも分からないからなのか、謎の言葉を発してしまった。それを言われてしまえば、何も言えない。
昔の出来事が頭を過る。仮に付き合えたとしても神崎先輩が、そんな事をするような人には見えない。前の彼女もそうだったと言えばそうなんだけれども……。
山西さんの言葉が、僕の頭の中をずっと巡っていた。
玉川さんが明日に支障出たら困るから、と今日はお開きになった。
◇
つまりだ、これ以降会う度に尋問を受けている。そんなに先輩と会う事がないのだけれども、そこは聞き入れてくれない。やはり玉川さんは楽しんでいるようだった。表では山西さん同様に相談に乗ってくれている優しい社員という立場のようだが……実際は違う。絶対に楽しんでいる。
山西さんとはあまり会う機会がないけれども、会って話せそうな時間があるときは相談に乗ってくれている。
ここまで来ると、認めるしか道がないのかもしれない。僕は神崎先輩の事が好きと言う事を。無理矢理認めさせられたと言うのもあるけれども、あの時に二人に相談をしたのは間違いない……だろう。
「おはよう、上神くん」
過去に振り返っていたら、バイトの時間であった為出勤をした。どうやら今日は山西さんだけが出勤のようで、玉川さんの姿は見えなかった。
「おはようございます、山西さん」
同じ時間に出勤なのか、事務室に山西さんはいた。
「はい、これあげる」
突然だが、そう何かを手渡された。何も考えずに受け取ったが、それを見ると映画の無料チケットのようだ。しかも何の映画か書いてないけれども近くにある映画館の名前だけ記入されている。
「そこの映画館のなら、そのチケット一枚に限り一回無料で観られるの。私が友達と行くつもりだったのだけど日程が合わなくてね……」
確かに有効期限は今月末まで。そのチケットが二枚手元にある。二回も映画に行くのだろうかと思考を巡らせていた。基本原作派な僕はあまり映画を観に行かない。
「未幸と行ってきたら?」
思わず手にあるチケットを握りしめそうになった。そういう意味の二枚ですか、山西さん。
「ありがとうございます……」
有難く貰う事にはしておく。だけども神崎先輩は現在一番忙しい時期だろう。そんな先輩を誘っても良いのだろうか。とりあえず帰ったら先輩にメールをしてみよう。もし観たい映画があるようならば、友達と一緒に行っても良いし……僕が一緒でなくても問題はないだろう。
バイトが終了し、帰り道にメールを打つ。山西さんと玉川さんに認めさせられてからはメール一つも苦労ものだ。何回も読み直しをして、日本語が変ではないか考える。今まで何気なく使っていた熟語や単語も意味が正しいか気になるようになり、携帯に付いている辞書で調べるようになった。女々しいかもしれないけれども、たった一つの事でも気になるようになった。良い事だとは、思う。
メールは簡潔に『山西さんから今月末までの映画券を貰ったのですが、よろしければ一緒に行きませんか?』と。山西さんの名前を出すか真剣に悩んだけれども、隠すものでもない。それに先輩と山西さんは仲が良いから連絡をして僕が誰から貰ったとか言わないと何か言われるかもしれない。
送信を押してから気付いたけれども、チケットを渡して友人とでも、と記入するのを忘れていた。もし駄目なら駄目でチケットだけ渡せば良いかと考えておこう。
帰宅路は、いつもよりも長く感じた。鼓動は、いつもよりも速かった。
帰宅し、晩御飯を食べお風呂に入り出て携帯を見たらメールが着ていた。誰からとかは分からないけれども、その瞬間に鼓動が速くなる。新着メールに先輩の名前が書いてあるのが目に入ると更に鼓動が速くなる。心臓が壊れないのだろうか心配にもなった。
『うん、良いよ。私が日程とか決めてもよいのかな?』
落ち着いたと言うのか更に鼓動が速まったと言うのか、良く分からない感情が体中に駆け巡る。嬉しいのだろうな、僕。
時間にして五分も経たないだろうが、僕の中では十分以上経っているような感覚だった。先輩に返信を、と思うけれども優しさで一緒に来てくれるだけなのだろうかという不安が心に広がった。先輩は今大事な時期のはずだ。
その後も間隔は空きながらだけれども、数通のやり取りをした。忙しい場合は断っても良いと言う僕に対して、神崎先輩は決して引かなかった。暇と言う単語を使われてはいないから忙しいはずだろう。息抜きに、とか観たい映画があるだけかもしれない。
先輩に日にちを決めてもらい、その日はメールを終了した。
翌日。バイトでは早速と言わんばかり山西さんから尋問を受けていた。ついでと言うのも何だが、玉川さんまでいる。
「それで、どうだった?」
誘うように提案したのが山西さんだけである分、もしも駄目だった時の事を考えて責任を感じているのだろう。玉川さんはニコニコと……いやニヤニヤと笑っている。
とりあえず昨日のやり取りを掻い摘んで説明した。忙しい場合は断っても良いと言うと引かなかった事も。それを聴き山西さんは黙り込んだ。
「もうさ、告っちゃえば?」
そう言いだしたのは玉川さんだ。この人は何を言い出しているのだろうか……楽しむにしても突然過ぎるだろう。確かに数回一緒に出かけているが先輩は後輩と、と言う感覚だろう。そんな人から告白をされて困るのではないだろうか。
「うん、私も玉川さんと同じかな。もしかしたら、もう会えないかもしれないし……伝えるか伝えないで気持ちも変わるからね」
伝えれば気持ちは楽になる。黙っていれば心に霧が広がる。それは分かっているのだけれども、いきなり告白とはハードルが高すぎるような気がしますけれども。
「でも上神くんの場合」
山西さんが続けて口を開いた。
「振られたら落ち込みそうだよね」
その言葉だけで十分落ち込んでおります。告白をするという事は、そういう事もある事だ。
先輩を困らせたくない、だけども伝えたら何か変わるかもしれない。そういう気持ちが僕の中で迷子になっていると思う。
「時間はあるんだし、ゆっくり考えた方が良いけど……後悔だけはしないようにね」
それに関しては何も言えなくなった。玉川さんも同意見のようだ。
伝えないで黙っているのが先輩の為だと思ってはいたけれども、それは自己満足でしかないのだろう。逃げ道を作っていたのかもしれない。結果はどうあれ、僕は神崎先輩に対して憧れている。そして憧れだけではない事も知っている。
こういうのも何だけれども、僕は今まで生きてきた中で一番葛藤をしているだろう。気持ちを伝えるという物を考えるだけで体中の血液が沸騰をして顔に集中するような感覚になってしまう。だけども、伝える事により僕の中で何かが変わる気がする。受け身で自分からの行動は苦手な僕だけれども、きっと変わると思う。
先輩と会うまで、残り日数はわずか。会いたい気持ちと会いたくない気持ちが入り混じる。それでも、僕は決意をした。後悔だけはしたくないし、今までお世話になった先輩に感謝の気持ちを述べたいのもある。
考えながらでは月日が経つのが普段よりも速く感じてしまった。お昼御飯を食べてから十四時過ぎにある映画を観た。先輩の希望で動物と人とが触れ合う感動ストーリーだった。こういう話は僕も好きだが、不覚にも涙腺が緩んでしまったのは内緒だ。
「面白かったねー」
映画館から出て、近くの公園で座る。今日はこの後すぐに解散だ。先輩が用事あるらしく十八時までと言う事なのだ。受験生は仕方がないと思いつつも実は彼氏が……と考えてしまう僕は現在ネガティブだった。
「もしかして上神くん、面白くなかった?」
先輩に心配させてしまったのか、声のトーンが下がった。確かに今日は楽しかったのだが、それとこれは話が別だ。
「面白かったですよ。不覚にも感動してしまいました……」
感動をした為暗かった、とは無理強い過ぎる言い訳な気もするけれど仕方がなかった。同時に僕には別の事を考えていたから仕方がな……いや、これも言い訳だから駄目だ。
公園で少しだけ会話をする。周りには人がいない。
「神崎先輩」
丁度僕は、会話が切れた時に決意をした。先輩は名を呼ばれ首を傾げる。この空気は苦手だ。心臓が破裂してしまうのではないかと思うほど、鼓動が速くて胸が痛い。
「僕……」
それでも決めていたから。変わるきっかけを。先輩に憧れていて、僕もあんなふうになりたいと思っていたから。
「――……」
僕が発した声は、風に流された。少しでも距離があれば聴き取る事が出来ないほどの音量だっただろう。それでも今、隣にいる先輩には届いたはずだ。風に流される前に僕の言葉が。
鼓動は変わらず速くて、だけども勇気を持てた事が凄いと自分自身褒めてあげたかった。
この夏、僕は大きな一歩を踏み出した。
これを書いている当時、好意とまではいかないけれども気になる人がいまして……それを想像して書きあがったものです。すごく中途半端なところで終わっているのだけれども、続きは一切考えていません。
恋をしないと決めてからの、移りようを書いて行きたいと思った結果がこうなりました……。
勇気を持つということは、大変かもしれないけれども大事なことです。