8章 ユウカの正体
マリンが魔物を封じたことにより、マンド城は平常に戻っていた。
俺たちは、城の医務室で傷ついた体を休めていた。
「あれは一時しのぎにしかならないね。」
アカネが、静寂を破る。
「あれって?」
「あの亀裂のことや。魔物を封じただけじゃ、根本的な解決にはならない。誰かが中に入って、悪の元凶を倒さん限りはね。」
それは、誰もが分かっていることだ。答えが返らぬまま、再び重い沈黙が流れた。
「ねえ、あなたは誰なの?」
声の主を見やると、キララがユウカの顔をのぞき込んでいた。聞かれた方は目をそらしたまま口を開こうともしなかった。そこで俺は違和感を感じた。キララやマリンは、俺よりもユウカの事を知っているはずだ。それまでも、彼女がユウカであると認めていた。なのに、まるでその人物はユウカでないと言っているように感じたのだ。とそこへ、レインが割って入った。
「ところで、ユウカのシチュエイト・シンクロの“半身”って、結局誰だったんだ?」
「ユウカの“半身”はマリンだ。」
答えたのはウェールだった。マリンやキララの手当もしていたためであろう。しかし・・・
「じゃ、こいつらの絆って何だったんだ?」
この問いにはウェールも黙ってしまった。シチュエイト・シンクロは、何らかの特殊な絆があるからこそ、時を共有しあえる。疑問が次々と出てきてしまう。
「泣かないでって言ってくれたよね、お姉ちゃん。」
ユウカの隣に寝かされているマリンが、唐突に口を開いた。
「おれはお前の姉なんかじゃねえ。ユウカ・ナナウェイだ。」
対するユウカは、意地を張っているように見えた。ふと、あることを思い出した。
「“ユウカ・ナナウェイ”って確か育て親のイーグレット・ナナウェイに付けてもらった名前だろ?こんな事聞かれたくないかもしれないが、お前にも生まれた時に付けられた名前があって、それを覚えていて言い出せなかったから隠しているんじゃないのか?」
長い沈黙の時が流れた。全員の視線が、ユウカに注がれている。ユウカは、両腕を目の上にのせ、ふうーっと息を吐いた。
「おれには、名乗る資格なんて無い。シルドスの谷で、たくさんの罪無き命を奪ってしまったから・・・・・・。」
目を覆っていて分からないが、ユウカは泣いているのかもしれない。死の谷の悲劇は、幼いユウカの心に深い傷を残したのだろう。と、アカネが立ち上がった。
「シルドスの谷はあんたが慰霊したやんか!それに、うちのせいで不幸になった人がどれだけいると思ってるんや!」
最後には涙を流していた。罪の意識を持っているのは、ユウカだけじゃないと言いたいのだろう。俺だって、似たようなものだから・・・。
「それに、お姉ちゃんがいたから、いると分かったから、私がんばれたの。そうじゃなかったら、今頃私は・・・。」
マリンの言葉はそこで途切れた。一度心の傷をさらけ出してしまうと、続く言葉が出なかった。ユウカは、なおも腕で目を覆ったままだった。
「アクア・セトリック。それが、おれの本名。マリンと双子で生まれたから、母の好きな石、“アクアマリン”から取って、二人で一つになるようにって・・・。」
静かな声音でユウカが語る。誰も横やりを入れなかった。
「貴族に生まれて、キララ姉ちゃんもマリンもいて、何も不自由はなかった。
でも、シルドスの谷の事件で、初めて自分の力が怖くなった。イーグレット姐貴に見せてもらった世界は、不自由でつらい平民の世界だった。その人達を救うために、おれ自身盗賊となって生活した。だからおれは・・・ユウカであり続けた。」
ずっと隠していた、誰にも打ち明けていない思いを、ユウカははき出した。ずっと、俺たちに抱かせていた疑問を。背負い込んでしまって、大変だったはずなのに。
「つらかったんだな。でも、そういうときは泣いてもいいんだぜ?その方がすっきりして吹っ切れるからな。」
「じん・・・」
返ってきたのは、いつものやや低い声音ではなく、猫なで声のような声音だった。そして、そのまま泣きじゃくった。ためていたものをはき出すように。
「そんなに泣かないでよ。私まで泣いちゃうんだから。」
ユウカとシンクロするマリンの瞳からも、大粒の涙がこぼれている。でも本当は彼女も泣いているのだろう。いなくなったと思っていた双子の姉が戻ってきたのだから。
泣き疲れたのか、ユウカとマリンは眠ってしまった。再び、部屋に静寂が戻ってくる。その雰囲気から逃れるように、アカネが切り出す。
「そういえば、ウェールって一応マンドの騎士なんでしょ?なんでバイザーにいたの?」
「城の連中に“反逆者”って呼ばれてただろ?戦争が始まりかけていたマンドとそりが合わなくて、国を出てったんだ。」
答えを返したのは、レインだった。そして、こう続けた。
「ちょうど、将軍になれると陛下がおっしゃったときに、軍を下りると言い出したんだ。そりゃあ、騒がれただけでは済まされなかったさ。バイザーに来たいきさつまでは知らないが・・・こいつ、だいぶ無口になったな。」
最後の言葉には、皮肉がこめられていた。自分のことを質問されても答えないウェールに対して、イヤミを言っているようだった。それでも、最初にあったときよりはだいぶ話すようになった。以前、城が石化した後から、ショックで口が聞けなくなっているとユウカが言っていた。でも、何かその説明では違う気がする。
「真実を伝えるだけの言葉に、意味はない。だが、真実は言葉にして初めて、それを知らぬものに伝わる。」
ウェールが小さくつぶやいた。謎かけのような言葉だった。視線は床に向いている。
「私があの時抱いていなければ、いや、ユウカと出会わなければ、こんな事には・・・。」
うつむいているせいで、金髪が顔にかかる。両拳を握りしめ、唇を強くかんでいる。
どこかで聞いたような台詞だった。
「話がつながっていないんですけど。」
レインがやや皮肉っぽく言った。ウェールは一息入れると、話を続けた。
「私はマンドを出た後、大陸を出ることに決めた。マンドの勢力が及びつつあったジェシカやナンカル、ましてや敵対しているレージに逃げるわけにもいかなかった。」
「つまり、そこで考えられたのがバイザーだったということか?」
俺が尋ねると、ウェールはうなずいた。
「ああ。バイザーでは身分を隠し、放浪していた。その時出会ったのが、“怪盗アシラ”だった。」
「“怪盗アシラ”?なんだよ、それ。」
聞き慣れない言葉に、レインが首を傾げる。有名とはいえ、あくまでもバイザーの中の話であるため、マンドでは関わりがなかったのだろう。
「数年前までバイザーを騒がせた盗賊だ。主に貴族の金品を狙い、どんなに優れた金庫でも破ってしまうらしい。顔を覆っていて素性が分からなかったため、怪盗アシラと呼ばれていたんだ。」
そういえばレージに来る前の船の中でも同じ話題が出たなと思いながら、俺は説明した。再び、ウェールが話す。
「そして怪盗アシラを追ううちに、それは捕まり、私は一人の少女と出会った。その少女の名は、ユウカといった。」
「それってつまり、ユウカが“怪盗アシラ”だったって事?」
「確かにユウカの育ての親は盗賊だったし、自分でも盗賊やったって言ってたけど、そんな奴だったのか?」
アカネとレインが口々に質問する。俺だって初めてそれを聞いたときは驚いたのだから。
「そ。仮面を取ってみたら正体は“ユウカ”だったって訳。」
今まで話を聞いていただけだったキララが割って入った。そういえば、こいつは正体を知っていたんだっけ。
「その時のユウカは、他の者、特に貴族や警察なんかを憎んでいるように見えた。彼女の社会復帰のために、私は彼女の更正官になった。」
話を続けたウェールの青い瞳に、暗い影が映ってゆく。
「私は、ユウカを抱いた。おびえた者の心を開くには、これしかないと思ったからだ。・・・結果、彼女は私に心を開くようになった。やがて、ユウカ本来の明るさも出てきたのだ。」
いつしかその瞳は悲しい、冷たいブルーになっていた。
「そんな中、私はバイザー王に呼び出された。ユウカを城に連れてこいと言うものだった。おかしな話だった。ただ連れてくるのなら誰でもいいだろうに。いや、それよりも、なぜ一国の王がただの一般市民を城に連れてこいと命ずるのか、私には分からなかった。だが、理由を問う前に、私は正気でなくなっていた。それから後は、よく覚えていない。ただ、ユウカが必死に私の名を呼んでいたような気がした。」
誰も、何も言わなかった。ウェールだけが、淡々と話し続ける。
「気がついたときには、ユウカは私とユウカ以外のものを石に変えていた。『よかった、いつものウェールだ。』そう言って、ユウカは意識を失った。」
ウェールは一度間を取ると、語り続けた。
「真実は言葉にしない限り伝わらない。だからこそ私は、誰にも話すまいとしていたのだ。私が話しさえしなければ、このことは誰にも伝わらないのだから。私が全て抱え込んでしまえば、これ以上悲しみは増えないと思っていたから。」
話は、そこで途切れた。ウェールの肩が震えている。
「国を抜けてからそんなことがあったなんてな。でも、俺やアカネだって操られていたことがあるわけで「違うんだ。」
レインの言葉を、ウェールが途中で遮った。はっきりとした声音だった。
「私は操られたことよりも、ユウカを裏切ってしまったことを悔いている。そのせいで、余計な悲しみを生んでしまったことを。」
言い返す言葉が見つからないのか、レインは口をぱくぱくさせている。
「バカ野郎っ!!!」
不意に聞こえた怒声に、その場にいた全員が声の主を見た。いつの間にか、ユウカが起き上がっていた。
「お前がそんなじゃ、おれのやったことが全部お前の悲しみになってるみたいじゃねーか!!おれはお前の助けになりたいと思ったから、やったことなのに!城を石化させたのも、レインの呪いを解いたのも、苦しんでるお前を見たくなかったからっ!それにおれは、お前のためなら、何でもできる!命を懸けることだってな!」
そのままの勢いで、ユウカは叫んだ。少しばかり、息が上がっている。しかし・・・
「ユウカって、ウェールのこと好きなん?なんか、愛の告白みたいや。」
「へっ?」
アカネがぼそっとつぶやくと、ユウカは素っ頓狂な声を出した。今の言葉は受け取り方によってはそう聞こえるだろう。
「お、おれ今なんて言った?」
本人は夢中で言ったらしい。顔を赤らめ、両手で頬を隠している。女の子らしい仕草だ。「なんだよ、ユウカも隅には置いとけねーな。」
ニヤニヤ笑いを浮かべて、レインが悪のりする。いつの間にか、ウェールの顔にも微笑がたたえられていた。優しい顔だった。金の糸が、ユウカの肩に掛かる。ウェールは、ユウカを抱きしめていた。そして。
「ありがとう、ユウカ。」
そっとささやいた。