ひかりになれ
昭穂は手に持っていた奇妙なバットを投げ捨てる。
「なにこれ」
「言葉のバット。万が一のために作ってた。広辞苑で挟んでいるからクッション性も高いし、言葉で殴ってんだから許容範囲だろ。それに正当防衛だ。慧、大丈夫か」
昭穂は肩で息をしながら心配の言葉を口にする。それはこちらの台詞だ。慧はそう思いながらも、言葉にはしなかった。ただ立ち上がり、放送室に入る。きっともう邪魔もいないだろう。
慧はマイクの前に立つ。スイッチを上げれば始まる。なのに、その指が震えて、喉が塞がったみたいに違和感が張り付いている。そこに熱が生まれてそのまま焼き切れるのではないかと思うほどに苦しくなる。不安が不安を増幅させうる。
「慧、いけるか」
昭穂は背中に手を添える。慧は悪意に弱い。彼女に向けられてた明確な敵意、そして黒くすさんだ悪意。汚れた制服と彼女の横顔は、それを雄弁に伝える。
「…いける」
そうだ、この人はこうだ。昭穂は頷く。その姿が眩しい。
慧は震える指でスイッチを上げた。
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「お昼の放送をはじめます」
落ち着き払った慧の声はよく響く。いつもは校舎内だけの放送、外に向けられる事はない。
「梅雨の間のつかの間の晴れ日、皆様どうお過ごしでしょうか。今日は紫陽花についてお話ししたいと思います。紫陽花は葉にも毒のある植物として有名ですが、実は土地の性質で色が変化します。確か、青がアルカリ性、赤が酸性の土壌で育ったものだったと思います。よくミステリーではしたいが埋まったがために土壌が変化し紫陽花の色が異なるといった描写がされることもあります。
我々の学校も全く似たようなものです。左の校舎に入れば甲、右の校舎に入れば乙。それでもあなたがあなたでいたいのなら、私はそれを支えていきたいと思います。私の友だちにはそれでいじめられている子もいます。この学校ではありふれたことかもしれませんが、私は未だに慣れません。もしその子が、反撃の一手を講じたのであれば私はそれを支えることこそが友だちとしての役目にも感じます。環境に染まらずにあなたでいることを私はのぞみます。だから…戦って」
放送はそこで終わった。
慧のメッセージ。これはどういう意味なのか。それを考える必要はない。
撃鉄を起こせ
そういっているのだろう?有坂慧よ
取っ組み合い上等。歯の1・2本失う覚悟で突撃すれば、100%勝てる相手だ。無理をしていた涙の肩を引く。いつの間にそこまでの信頼関係を慧と構築していたのだろう。もしかしたら知らないところで2人は友だちだったのかもしれない。慧の言葉には、いなくなった涙を助けてという意味もあったのかもしれない。でも僕の方が付き合いは長いから分かる。彼女の方がぼくよりも強い。だから今日は少しだけ彼女に追いつけるように頑張らなければならない。
「殴って欲しかったんだよな、向田?」
「ああそうだよ!司令塔!」
彼の表情が初めて彼らしく昂揚していた。サッカーの時もこんな顔をしていたのだろうか。ぼくはもっと本気で取り組む必要があったのかもしれない。こなしていた自分に彼は苛立っていたのかもしれない。だからこうやって形は違えど本気でぶつかることに昂揚しているのだろう。
「そこまで」
だから彼はその声に心底不満そうな顔を見せた。
姿見は高崎架純が直々に命令を下す姿を初めて見た。
「向田くん、作戦は失敗だ。有坂慧がやってくれた。徹底抗戦の姿勢を見せられてしまった」
向田は歯がゆそうに食い下がる。
「だからいったじゃないですか、放送室に人員を割くべきだと!」
「そうだね、彼はまだ不適任だったな。私の目算が外れた。すまないね。でも、決意表明を先に出されてしまってはどうしようもない。きっと写真を出しても、彼の素性を明かしても、『姿見かずま』としての彼が尊重される。そうなればいくらシンパでも焚きつけられないよ、流石に学生だもの」
慧のアドリブは効果的だった。数日前からであれば予定調和だと言われてしまったかもしれない。遅すぎては焚きつけられた人々は聞く耳を持たないだろう。緊急事態にあの放送をした。そこからは各々が想像する。
「ねえ、そっちがやめる気でも、こっちの気が収まんないんだけど」
「ごめんなさいね、気まぐれなもんで。でも、そちらのやらかしも不問にするからお互い様って事でお願いね」
やらかし?慧たちはなにかしたのだろうか。
「あなたは、やる気はあったんですか!」
向田が吠えた。その言葉を受けて高崎は硬い表情のままにらみつける。ただにらみつける。彼女らしいが、そこがこちらの長とは違うところだ。人は言葉で伝えなければあまり多くのことは伝えられない。
「さっさとどっかいきなさいよ、あなたたち」
涙が先ほどと同じ姿勢のまま、でも明らかに震えた声で威嚇する。
「ええ、私は会議があるので」
優雅を装っているのか、それともあれが彼女のそのままの姿なのか。そんなことより、まずは涙の心配だ。先ほどまで複数あった人の気配というのがあからさまになくなっていた。一体何人いたんだろうか。緊張の糸が切れると、2人そろってその場に腰を下ろした。
「涙、ありがとう」
「あなた忘れてると思うけど、私優しいだけのあなたじゃないときから好きなんだから。自分勝手に生きて、自分勝手に傷ついて、部屋の隅で泣いていたあなただった頃から好きだったんだから」
「そうでした、ね」
ぼくは星になれる。
いつだって星になれる。
ならばもっと遅くてもいいだろう。
どんな輝きでもいいだろう。




