ヨダカはとんだ
4限がおわったその瞬間を待っていたみたいに顔も知らない男が自分の名前を呼んだ。姿見は皆の注目を浴びながら、教室を後にした。きっと昭穂か慧が自分を見張るように誰かにいっているだろう。そう思った。だから後をつけられないようすぐに場所を移した。
退部届は放送室の放送ブースに置いてきた。結局面と向かって言う機会を逃してしまった。引き留められるのがいやだったからだろう。そこら辺の感情は、自分でもよく分かっていない。
綺麗に着飾った自分が褒められる現実がうんざりであった。それが壊れる日をいつも待っていた。それがこうもすぐに訪れるというのなら、僥倖といって差し支えないだろう。
本当にそうか?
何か肝心なことがかけている気がした。いつもそうだった。ヨダカは星になれた。ぼくだって星になれる。醜かろうが、情けなかろうが、その輝きは美しかったに違いない。ぼくもそうなりたい。
このまま学校をやめた後は絵描きになろう。画廊に呼ばれるような、高架下で野垂れ死ぬような。
場違いに未来の事まで考えはじめた頃、目的地に着いた。いつものクレーターではなかった。資料館と呼ばれる中央館裏、駐輪場を挟んで鬱蒼とした雑木林に一体化した忘れ去られた建造物。全面を緑の苔や蔦が覆い、窓には雨戸がされたままだ。こんな古くさい建物に近づく人はいない。とは言っても生徒会などは出入りをする事もあるらしく、いつもは完全な安全地帯とは言い切れない。今は会議中である事もここを選んだ理由だろう。
「久しぶりだね。覚えているかい」
「まったく。だれ?」
目の前にいたのは背の高い男だった。
「お前の代わりに、サッカー部でボランチをやっている向田末継だ。練習では2部だった俺を気にかけることはなかったみたいだな」
正直に姿見は頷いた。名前は覚えていたが顔は抜け落ちていた。
「どうしてサッカー部を抜けた」
「今関係ないだろ」
「いや、今聞かないともう聞けないからな。どうしてだ」
「…飽きたんだよ、全部。やめたくなった、それだけだ」
サッカー部の日々を思い出す。楽しかったかと言われれば楽しかったに違いないがどこか薄ら寒い感情が常に頭の隅にあった。
どうしてやめたのだろう?
確かに考えたこともなかったが、きっとさっきの答えで合っているはずだ。
「そうか。本題はここからだ。今朝、斉藤涙のクラスの友だちから通報があってな。その人物のロッカーに危険物が置いてあったと。持ってこられたのはただのペットボトルだったんだがな、中身がおかしかったんだ。だからこちらで調べさせてもらった。するとどうだ、中身はジュースじゃなくて除草剤だったんだ。言いたいことは分かるか?そこで俺たちは考えた。これは齋藤涙の犯行じゃないかと」
「論理の飛躍とかの問題じゃないな。妄想癖もここまで来れば金儲けできる程だ。証拠も動機もなにもかもがない」
「何もない。確かにそうだ。でもどうだ、周りの人間が不審な動きをする斉藤を見たと言えば。周りの人間が、彼女のいじめられていた現場を目撃していたら。俺たちはその言葉を引き出すことができる。なんて言ったって、友だちだから。君は分かるだろ」
卑劣だ。人間として最低に位置するものたちの言葉だ。人を陥れることにそこまで心血注ぐ気力はどこから湧いてくるのだろう。自分たちが正しいという無根拠な自信からだろうか。憤る一方で、姿見はその悪意にある種の親和性を感じていた。
身勝手さである。己が利益を優先する独善的な立ち回り。昔の自分にそっくりだ。だからこれほどに憤りも感じるのだろう。
「そんな片方の主張だけで、真実を曲げられると思うなよ」
「そう。曲げられない。でもな、誰が真実だけを信じるんだい?世に溢れる噂、都市伝説、ゴシップ。全て眉唾でありながらこよなく愛されているじゃないか。斉藤は学校をやめる必要もない。だって俺たちの主張は完全な証拠がないから。ただ、間接証拠はそろうんだ。厳重注意の処分はやむを得ないだろう。となればどうなるか」
分かっている。彼らは直接手を下さない。
その後の涙の立場は危ういものになるだろう。いじめの大義名分を得たクラスメイトはピラニアのごとく彼女の肉を削ぎ、骨をしゃぶるだろう。そしてまた、放送部にも飛び火する。殺人未遂の被疑者がいるとなれば今回の比ではない。
向田は薄い表情をそのままに胸ポケットからメモ帳を取り出す。
「実のところ、全ての内容はここに記されている。証言してくれた子たちも、俺以外は知らない。言いたいことはこれだけだ中村」
こいつの口を封じれば、全てが収まるのか?そんなわけがない。
きっと一生揺さぶられる。涙も放送部も。存在しない事実に。
でも最適解はなんなのか。まだ決めあぐねている自分がいる。優先すべきはなんなのか。こいつらは自分が被害者の立場で全て話を進めようとしている。その根底には常に人にある自己弁護の考えがあるのだろうが、元来姿見にそんなものは備わっていなかった。彼のなかの自分は涙と絵だけだった。
笑いが込み上げてきた。
安心安全な地盤から全てコントロールできたつもりでいたのだろう。その完璧な舞台設定をたかだか一挙手で木っ端微塵にできてしまうのだ。これほどに愉快なものはない。確かに彼らの地盤は盤石だ。
だがそれは逆転できる。
向田は苛立ちを隠せていなかった。思い描いた予想図では、もうすでに言うことを聞いていたのだろう。きっと殴らせて終わりだ。なんてつまらないのだ。
脈が速い、アドレナリンが出ている。正常な判断なんてつまらない。
姿見は忍ばせておいたカッターナイフを取り出すと、いっきに腕を捲り、刃を自分に向くように持ち変える。
「思い出したよ向田。へったクソなまねっこ司令塔だったよな。これがお前との差だ。びびって縦に一本も刺せない、情けないボランチのお前にはできない芸当だよ」
最高潮のボルテージ。それにしては似合わない晴れの空と生ぬるい風。オーディエンスもかっこいいBGMもないが確かになにかが変わる予感がした。
そうだ。いつでも星になれるじゃないか。




