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よだかの自戒

 中村かずまは思い出す。昔の自分を。




 小学生の頃、彼のそばに友だちと呼べる人間はいなかった。理由は明白だ。彼の性格が人を遠ざけていたからだ。癇癪持ちであり、協調性もない。授業では鼻につく物言いで教師の間違いを指摘していた。そしてまた自分の置かれた立場も分からず、その原因も理解できていなかった。ただ自分は普通な人間ではないのだと都合よく受け取っていた。


「かずまくん、こっち来て」


 担任の先生はよく彼を別室に連れて行った。そこで待っていたのは眼鏡をかけた白髪の女性で、彼はその人物と多くの時間を過ごした。今思い返せば、面倒な生徒を隔離したかっただけなのだろうが、彼にとってそこは最も過ごしやすい空間となった。なにも悲しい事なんてなかった。だってどこにいても彼は1人だったのだから。


「ヨダカはどうして虫を食べるのをやめたのだろうか」


 その女性の声は少しハスキーだったのを覚えている。人の記憶に関して一番最初に抜け落ちるものは声についての記憶だと言うからもしかしたら埋め合わせられた情報かもしれない。しかし、特徴的な声に変わりはなかった。


「命の重みを知ったからじゃない」


 中村は、至って真面目に授業を受けているつもりだった。席を立ち、校舎の3階からの景色を堪能しながら、その解を探していた。


「自分が生きたいと思うなかで、みんなからは変だと言われる。それでも生きている自分は誰かの命をいただいている。嫌いだと思っていた自分が誰かの命で保たれている。その現実を知ったときに、なんて罪なことをしたのかと反省してやめたんだよ」


「ヨダカは自分の事が嫌いだったのだろうか」


「嫌いに決まってるじゃん。だって不細工で、目立った特技もない」


「そうだね。ヨダカは醜い。みんながそう言っている。でも、だからといって自分が嫌いだと決まったわけではない」


 それは屁理屈だ。自分に自信がなければ、自分が嫌いになるに決まっている。中村は本気でそう思っていた。そして中村かずまという人間を見ると、自分の欠点に気づき、自分の事を嫌いになってしまうから、みんな自分から離れていくのだと考えていた。才能人は苦労をする。これが中村の最終的な結論であった。


「君は頭がいいから、いろいろな可能性が考えられるでしょう。これから、毎日、ゆっくりこのことについて考えていきましょう」


 その女性は中村のことを苗字でも名前でも呼ばなかった。それはいろいろな配慮の末にたどり着いた1つの形なのだろう。それもまた、その教室の居心地がいい理由でもあった。



 それから毎日、よだかの星について一緒に考え続けた。1つの物語に対してこれほど長い時間をかけることはなかったので新鮮で飽きない時間だった。残りの時間はただただひたすら絵を描いていた。

 彼の自信の源はその絵の才能にあった。絵を描けば皆が褒めてくれた。それが嬉しくて、そして自分の価値を高めていった。教室に飾られた作品は他のそれとは違い格段にクオリティが高く、人としての性能の差を誇示していた。


 その教室にもう1人の女子が加わった。おかげで議論は白熱することとなった。


 その頃にはもう、元いた教室には顔を出さなくなった。


 時々、元のクラスメイトたちが配布物を配りに来るときもあった。決まって同じ子が持ってこさせられていて初めて委員長が誰なのかを知った。その子も来たくなかったのだろうが、その度に何か一言言っていた。大抵は絵の感想だった気がする。そんな些細なものに構っていられる余裕がないほどに、中村はよだかの星に夢中だった。


「ヨダカは星になったのよね」


 冬も明け、春が訪れ新芽の息吹が感じられるようになった頃だった。最後のシーンでヨダカが燃え尽きるのだがそこでの意見は真っ二つに分かれた。

 新しく加わった女子はなんとも不思議といった感じで最終行をなぞっていた。


「そう。ヨダカは死んだ。願いも希望も捨ててただ燃え尽きたとき、初めて星になれたんだ」


「かわいそうね。それじゃあ意味がないじゃない」


「そう思うかい。わたしはそうは思わないね」

 女性はしっかりと反対意見を述べる。


「ヨダカはいつでも星になれた。ただその方法が死ぬことしかなかっただけで。なら、ヨダカにとって星になる事事態が死を意味していたんじゃないのかな。死ぬ事への希望。それがこの物語の肝なのかもしれない」


 女子は首をかしげた。彼女の理解力は中村に劣るとも悪いものではなかったが、煮詰まった頭の中で新しい考え方を受け入れるのは容易なことではなかった。

 ここで初めて中村は他人と自分の違いを知った。彼は女性の言ったことがどういう意味であるかをすぐに理解できた。いつも同じように議論を交わす子であっても分からないことがある。そんな些細なことから、人を多角的に見ることを理解した。


「もう、1年も終わりますね。この話し合いも最終回が近づいています」


 チャイムと同時に女性は席を立った。その言葉の意味することを中村は理解していた。別れが近づいているのだと。女性は先生ではないと言っていた。事実、授業を受け持っていることもなく、いつも中村と一緒にいた。だからやめるときも静かにどこかへ行ってしまうのだろうと予想はできていた。

 初めてだった。名残惜しさというものを感じるのは。いや、もっと昔に似たようなことを感じていたが、それとは別の気持ちを根底とした感情の移ろいに戸惑っていた。だからこれをどう対処すればいいのか手をこまねいていた。


「どうされたの、かずまくん」


 話しかけられてハッとした。女性はもうそこにはいなくて残っているのは2人だけだった。

 その時初めて気持ちを口にできた。


「あの人になにかお礼できないかな」


「あら、素敵です。感謝の気持ちは形に残るものの方が喜ばれますよ。それを見たときにかずまくんのお顔が思い浮かぶ。きっと忘れられることはないでしょう」


 そこからいろいろと話し合って、そして絵をプレゼントすることが決まった。それは自分の絵に価値を感じていた彼の高慢な思い込みからであったが、純粋な気持ちも存分に含まれていた。

 家に帰ると、すぐに準備を始めた。書き上げた作品は庭にあった木を描いたものであった。これが一番自分の気持ちが伝わると確信したのだ。


 当日。女性は何ごともなく授業を終えた。


「ヨダカは、なんだったんだろうね」

 そんな言葉を最後にこぼして、席を立つ。


 結局、この物語の本質はなんなのか、分からなかった。ヨダカは死んで、そして星になった。それまでに多くの生物から嫌われて、そしてその身の上を恨んだ。そんな一匹の鳥の話。でもそれでいい気がした。そういう答えのないものも悪くないと思えた。


「あの、これ」

 中村はおもむろに鞄から丸めた絵を取り出して、押しつけるように渡した。


「これはなに」


「絵です」


「そう」


 丸まった画用紙を開いて、女性はため息をついた。

「君は、よだかだ」

 いつも以上に冷たい声だった。


「君は鷹と夜から名前を借りている存在に他ならない。君自身に何があるのか、それがこの絵だとするのなら、甚だ高慢もいいところだ。君はこの物語で学ばなかったのかい?よだかとはなにかを。それは私たち自身だよ。醜くて、いいところは何もないヨダカも星になれる。でも、それがすべてではない。ヨダカが醜いことに変わりはない。そこは変えられない事実なんだ。ヨダカは星になるまで飛べた。そして星になれた。でもその一面だけでヨダカの評価は変わらない。きっと鷹も太陽も月も、だれもヨダカを認めやしない。

知っているか?私たちには可能性がいくつもあるんだ。一見、丸のように見えて、近くで見れば多くの面でできた歪な物体に過ぎない。それを多角的に見て、私たちは評価を下す。いくら美しい星になれる可能性を持っていたとして、それがヨダカのすべてに価値を見いだすとは限らないんだ。それは君にも同じだ。どれだけ絵が上手くとも、どれだけ頭がよくとも、どれだけいい家の出だとしても、それは君の一部ですべてを評価するには至らない。そう、この絵に価値がつくには、君のすべてが変わる必要があり、そして君のすべてに価値をつけるためにはこの絵は、君の絵の才は取るに足らないものなんだよ。


 分かるかい?よだかの星はそういう物語だ」


 女性それだけを言い残して去って行った。ぼくの失態を見ていた女子はなにも言わずにどこかへ行ってしまった。去り際に笑い声がしたのだけは鮮明に覚えている。それに傷ついたのはきっと彼女がッ初めて友だちと呼べる存在であったからだろう。


 その言葉を理解するのに、中村は幼すぎた。だからこそ今までのしゃちほこばった尊大な態度は見られず、意気消沈としていた。たたき込まれた新解釈を彼は今でも覚えている。そしてそれを今なお考え続けている。そしていつの間にかそれが彼の生きる道標となっていった。


 教室に戻ると、彼に居場所などなかった。当然である。もう久しく顔を出していなかったのだから。3学期の終わりということもあって大掃除をしていた。掲示物を外し、ロッカーからは荷物がすべて消えていた。彼の荷物はゴミ箱にあった。

 委員長だけが気まずそうにその荷物をどうにかしようと思案しているようだったが、結局他の男子に餌食となり、灰色に淀んだバケツの水をかけられ泣きながら退場した。その光景に中村は胸を痛めた。ただなにも行動には移さなかった。彼の癇癪はもうなりを潜めていた。


 窓枠に腰を下ろし、ただぼうっと流れる人を眺めていた。


「これも捨てていいですか」


 先生に確認する生徒の声に首をそちらに向ける。

 その手には自分の描いた絵が握られていた。心臓が跳ねた。まるで自分の心臓が捕まれたのではないかと錯覚するほどに。


「もう捨てていいですよ。残っているものはゴミなんですから」


 それだけは許せなかった。絵だけは捨てさせたくなかった。それは彼にとって自分自身だった。彼はそれさえあれば無敵だと思っていたから。勉強も運動神経もおまけ。彼の本質はすべてそこに集約されていた。


「やめて」


 とっさに身体が動いた。ロッカーの上に立ち、今まさに自分の絵を破ろうとしている少年の足に食らいつく。その反応が面白かったのか、少年は破る素振りを見せては中村をからかう。


 必死だった。

 でも、そこは彼の居場所ではなかった。

 誰もがそれを見て笑っていた。


 視界が白くなり、砂嵐のようになり、そして頭痛がした。固く瞑った目を開けると少年はいなかった。足下には画用紙の破片が散らばっていた。

そこで彼はついに学んだ。


 ヨダカは嫌われる。 星になっても嫌われる。 それはヨダカが醜いから。


 同じように、 ぼくの絵は嫌われる。 いくら美しくとも、 ぼくが醜くあればあるほどに。


 その戒めを1秒の間に何千回と頭にたたき込んだ。頭痛は酷くなり、視界はぼやけていった。


 とうとう彼は倒れた。その時に、手を差し伸べたクラスメイトは誰1人としていなかった。



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