上がる煙と割れる仮面6
強がりは損しか生まない。齋藤涙はそのことを肝に銘じて生きてきたが、だからといって正直に弱みを見せられるほど強い人間ではなかった。結んだ髪を解いて、もう一度結び直す。こんなどうでもいい動作にも、きっと意味があると思いながらやっていたらいつしか癖になってしまった。
放送部に入ってから、何か好転している気がしていた。純粋に楽しいだけじゃなく、心にできていた氷塊が、徐々に解けていくような感覚。きっと人の悪意というものと縁遠い生活を送っていたからだろう。それがたかが一ヶ月程度であっても涙にとっては十分であった。
涙にとって姿見の存在は、脳の半分を占めている。言ってしまえば彼女は常に半分の脳のリソースですべての物事を捌いている。優等生。模範生。天才。秀才。栴檀は双葉より芳しとはよくいったもので、彼女はその類いの褒め言葉を好きなままに己がものとしていった。そこに付随する羨望と嫉妬も、また同様である。その目線を感じさせない人物が姿見であった。だから涙はいつも彼といた。
だから、どうしようもなく、この現実が憎い。
廊下から何者かが自分を呼んでいる。きっとまた嫌がらせの類いだろう。そう無視を決め込む。机に置かれた花瓶を片付け、接着剤のばらまかれた椅子に腰掛ける。
猫みたいと言われた自分の眼を思いっきり見開いて、そしてその光のないがらんどうに、はやし立てるアホどもを捕らえる。自分の持つ短所を十分に自覚しているからできるその技は悲しくも、今この場では一番の武器となっていた。
国安めぐ 安達桜子 伊達はるか
名前と顔が一致する。涙は自分を馬鹿にするその3人と、その取り巻きを詳細に覚えていた。例の事件が起きてからまだ2日しか経っていないのにこの所業は日頃から何かしらの恨みがあったのだろう。今の私は、彼女たちの設定上病原菌らしい。なんせ男を誑かして平和を乱す未知のウィルスだとか。くだらない。
絶対に許さない
そうやって胡乱な目で見届けた先に、もうすでに人影はなかった。
姿見といつもいたことは誰もが知っていた。いや、何者かによって流布されていた。なるべくバレないように心がけていたのに、同時に放送部に加入したのがまずかったみたいだ。
いままで涙に向けられていた憧れの眼差しは、言ってしまえば自己投影の対象として、アイドルみたいなものだった。無垢で世俗のあれやこれやとは一線を引いた孤高の人物としての姿にみな目を引いていた。でもそれがなくなれば、反動で沸き立つのは怒りである。それに加え相手が姿見ということもあって、攻撃は激化している。しっぺ返しを食らっているのが現状と言うべきだろうか。涙はただ歯を食いしばっていた。
私が何かされたなら、その責任がすべてかずまに帰結するのだけはごめんだ。
傍観者は口を揃えて言う。
変な男と一緒にいたからに。かわいそう。と
みんな知らない、彼の積み上げたその努力の搭を。砂上の楼閣を支えるためにいつも震えている足を。
彼の作り上げたその可憐な姿を私は守らないといけないのだ。
机の中身がなくなっている。そんなことに狼狽するほど柔じゃない。
私は柔じゃない。
やられっぱなしでいられない。
だから、仕返しをしてやらないと。
休み時間はあと5分。
私が立ち上がると椅子もついてくる。片手で抱えながら歩く。バカみたいに無様な格好で、それでも凜々しい足取りで伊達はるかに近づく。私の目を気にして扉の裏に隠れたのは分かっていた。そのノミのような心臓が気に食わなかった。
彼女はなにか話しているようだが、涙には届かなかった。きっと安い悪口だろう。
ただ歩み寄る。自前の接着剤を唇に塗りつけて、相手の胸ぐらを掴む。
そしてキスをする。
私が嫌いなら、私の菌を移してあげる。そうすれば底知れない屈辱が彼女を支配するだろう。私のすべてで、汚してあげる。
接着剤はなかなかの力を発揮した。離れようにもなかなか離れず、そのままの姿勢で30秒はいただろう。教室中が私たちに釘付けであった。
「イタっ」
唇を外すと皮も持って行ってしまったみたいだ。伊達は口元を押さえて私を見上げる。
ただその顔だけが、今の私の空白を満たす。
かずまを絶対に私から取り上げさせない。




