上がる煙と割れる仮面2
慧は欠伸を噛み殺し、授業を受けていた。早弁でもしようかな、と呑気に鞄の中を漁っているとある衝撃の事実を知ってしまった。水筒のパッキンがずれている。
鞄を弄る。濡れているものを即座に把握し、その出来事の不幸度合いを計測する。
第1に体操服。以上!
体操服がすべてを吸ってくれているおかげで大切な小説やスマホは無であり、損失も最小限ですんだ。
ただ体育はこの後にあるのだ!
これはまずい。ズボンの方ははいているから問題ないが、上はどうすればいいのだ。
あ、そうか。借りればいいじゃん。
「て、ことで体操服の上だけ貸してください!」
「断る」
昭穂の返事はシャコのパンチよりも速い。そして痛い。こいつ私だからってすべての頼みごと断る気でいないか。
昼休みの放送室はアールグレーの香りに満ちていた。慧が飲み物をなくしたので、仕方なく備品としておいてあるそれに手を伸ばしたのである。
「なんでですか」
「あのな、まずはじめに性別ってやつを知らないか?女なの慧は。それで俺の名前付きの体操服を着てみろ。あらぬ噂があれよあれよと広がって、勝手に俺はいろんな男子から殺意を向けられるようになるんだ。お前の日頃の行いで、何度勘違いされて、何度命の危険にさらされているのか分かっているのか」
わあ、ちり積もってる。
「でも、今日は体育あるのこっちの棟だけで、るいちゃん持ってきてなかったし、他の女子もやっぱり1着しか持ってきてないから借りる相手いなんですよ。昭穂くんのクラスは2限でしたよね?だったらもう終わってるんだし、貸してくれたっていいじゃないですか」
「論点ずらすな。俺はお前に貸して、それを誰かが目撃するのがいやなんだ」
「じゃあ見られないように、機敏に動きながら授業受けるんで」
「そっちの方が目立つだろ」
「昭穂くんってそういうところ意識しておいて、相合い傘とかは全く無頓着なんですから詰めが甘いんですよね。なんて言うか、その時の感情任せで、言っていることに整合性とれてないところとか」
。
昭穂は気まずそうに頭を掻く。自分の欠点を指摘されて恥ずかしいのか、それともあの日のことをまだ引っ張っているのだろうか。
「そもそも男女2人が半年も放送室に箱詰めにされていたんですから、この程度で騒がれるような期間って言うのはとうに過ぎているんですよ。それになんか理由を全部環境のせいにしていますけど、それじゃあ、バレない工夫さえすれば貸してくれるってことですよね?」
彼は自分の言った言葉を否定したくないタチだ。だからこういう詰め方をすればだいたいもごもごとしたあとに折れる。
「安心してください!そんな汚れるようなことしませんから」
「そうじゃなくて、分かんねえかな」
「なにがですか?ズボンのチャック開いていることですか」
「嘘だろ!」
「嘘です」
これは前回のお返し。
「ふざけるな。貸したくない理由はなんとなく察してくれよ。高校生だぞ」
「分かりません。女の子が着用済みの服なんか変な想像して洗濯すらできなくて一枚無駄になっちゃう、とかですか」
「ああもう全部言うね。洗濯はするけどな」
「そんな今更の仲じゃないですか。好きな相手ならいざ知らず、別にそうでもない相手だったらちょっと意識するぐらいですぐに元の男臭い体操服に戻りますよ」
「それだけじゃない」
まだあるのか。昭穂は繊細というか、細かいというか、
「汗臭い服着てたら、お前なにか言われるかもしれないだろ」
優しすぎるというか。
そんなことかと言うには確かに気になる点である。もし私から男性の匂いがするというのなら、それはまあ、なにかは言われるだろう。6月も中旬。十分に気温も高く、外で運動をすればそこそこの汗もかく。
「私気にしないよ。昭穂くんの匂い好きだし」
やべ、言葉間違えた。昭穂の顔も何とも言えないものになっている。キュピズムってる。
流石にあなたの汗の臭い好きです発言はキモいだろう。
「そういう意味じゃなくて、あの、柔軟剤がね、いいって話。だから汗かいてもいい匂いしてるから気にしなくていいよ」
「そもそも他の女子に借りろよ」
「貸してくれそうな他の女子は私の汗の臭いとかスーハーする感じの奴らなんですよ。分かりますよね」
絶望でしかないラインナップ。その一言は昭穂の同情すらも買うことができる。そしてその現実に泣けてくる。結局、昭穂が折れて貸してくれることになった。ミッションコンプリート。これで無事私は体育に参加できる。紅茶グビー
「じゃあ早速取りに行きましょう」
「そうだな」
その時は知らなかった。階下で大変な騒ぎが起きていることを。
姿見が3年生に殴られていることを。




