由佳の入院と由佳の両親
1月は行く、2月は逃げる、3月はサルでウキーと昔から言われているが、この前に年が明けたと思ったらもう3月だ。
今日は卒業式だった。
正式には卒業証書授与式。
卒業式は3月1日と決まっている。
たとえその日が日曜日でも。
そうなったら月曜日が代休になる。
そして、今年の卒業式は日曜日だった。
夜は卒業祝賀会。
さっき帰宅した。
明日は休みだ。
彼ら彼女らの門出を祝してダイブ。
今日は土曜日で仕事は休みだ。
面会時間の1時に由佳の病室に行く。
今日も由佳は元気そうだ。
入院患者に対して変な言い方だが。
「一日中何してる?暇じゃない?」
「診察とか検査とか以外はほんと暇。スマホを見るくらいしかすることないよ。」
「雑誌とか読まないの?週刊なんやらとか。読むなら買ってくるけど。」
「いいよ。普段から読まないし、あんまり好きじゃないの、ああいうの。」
「じゃあ、せっかくだから虫垂炎のこととか勉強したら。虫垂ってどこにあって何をしているのかとか。スマホで検索したらすぐにわかるよ。」
「それはもういいわ。知ったって、もう縁はないと思うから。それに今は虫垂炎っていう言葉を聞くだけでお腹いっぱい。」
などと話していたら、ノックの音が。
由佳の返事とほぼ同時に年配の男女が入ってきた。
見た瞬間にわかった。
由佳そっくりのお母さん。
ということは、この人はお父さんだ。
反射的に立ち上がった。
「こ、こんにちは。はじめまして。桐島真と申します。由佳さんとお付き合いをさせていただいています。」
いずれは挨拶に行く予定だったが、まだ早いかなと思っていた。
でもよく考えれば、付き合いだしてから半年になる。
「まあ、桐島さんですか。由佳から聞いていますよ。由佳がお世話になっています。」
お母さんの微笑みに安心する。
お父さんもにこやかにうなずいてくれるのがありがたい。
一度壊れて人格が変わったと由佳から聞いたが、いい変わり方をしたようだ。
イスを出して座ってもらった。
「近々、ご挨拶に伺おうと思っていましたが、なかなか予定が付きませんで、申し訳ございません。」
由佳が怪訝そうな顔をする。
そんなこと由佳に言ったこともないからな。
「いえいえ、そんなこといいんですよ。こうして今日お目に掛かれましたしね。また、いつでもご都合のよろしいときにいらしてくださいね。」
お母さんはとても優しくものを言われる方だ。
「真ちゃんは高校の先生なんだってね。」
お父さんがいきなり「真ちゃん」だ。
これには面食らって慌てた。
「は、はい。生物の教員をしています。」
「そうか。いいねえ。」
いいって、何がいいんだろう。
この人、本当に昔は厳しくて難しい頑固者だったのだろうか?
由佳をチラッと見るとクスっと笑った。
「そうそう、遥が見舞いに行ってもいいかって言ってたよ。」
「お姉ちゃんが?」
「私が悪かったって反省してるよ、今は。」
「そう。私もかなりきついこと言っちゃったからな。いつでも来てって言っといてくれる?」
「うん、そう言っておくよ。でね、この前、遥のところに行ったらね、沙耶ちゃんが歩いててびっくりしたよ。子どもが大きくなるのは早いね。よくわからないけど何か言ってたよ。で、沙耶ちゃんに、ばあばとじいじを教えたんだけど、結局覚えてもらえなかったよ。今日もね、この後に沙耶ちゃんに会いに行くのよ。」
嬉しそうに話すお母さん。
なるほど、孫好きは聞いていた通りだ。
うんうんと頷きながらお父さんが
「真ちゃんと由佳にも早く孫の顔を見せてもらいたいな、あはははは。」
あははははじゃない。
「もう、お父さん!早いよ、そんな話。真ちゃんの前でやめてよ。」
由佳が真っ赤な顔でお父さんを止めようとする。
「なんでだよ、どうせ結婚するんだろ。どっちが先でもいいぞ、俺は。あはははは。」
だから、あははははじゃないって。
全然懲りない父に困ってしまった由佳は、母に助けを求める。
「お母さん、お父さんを止めてよ。もう、恥ずかしいよ。」
「そう?これくらいいいじゃない。お父さんも場を和ませようとしてるのよ。」
お母さんも本当に昔は厳しかったのか?
お母さんも人格が再構築されたのがわかった。
二人に何を言っても無駄だと理解した由佳はもう何も言わない。
ただ、これ以上暴走したら考えないといけないと目が言っている。
「真ちゃんのこと、由佳からいろいろ聞いているわよ。」
お母さんも「真ちゃん」になった。
「キャンプが好きで、辛いものが好きなんでしょ。この子、辛いものが苦手だから物足りないんじゃない?」
「いえ、自分が食べたいときは自由に食べますから、全然です。」
「辛いものが好きな人って、ほんと好きよね。私の父もそうだったから。おうどんやおそばを食べるときに、お汁が赤くなるほど七味を入れてたのよ。真ちゃんもそう?」
「いえ。僕は汁よりも麺に掛けます。外ではしませんけど、家で食べるときは箸ですくった麺に直に七味をかけて食べます。ラーメンならコショウですけど。汁に掛けたらもったいないので。」
「えっ!」
ベッドの方から声がした。
その声につい調子に乗ってしまう。
「この前、牛丼屋で牛丼を食べたら、ついつい七味を一瓶使っちゃって。別料金を取られないかって思っちゃいましたよ。」
これは事実だ。
「もう、そんなに掛けたら体に悪いよ。」
由佳が心配そうに俺を見る。
「だいじょうぶ、カプサイシンは体にいいから。僕の体はカプサイシンで動いているようなものだし。」
「もう、訳がわからないよ。体にいいって言っても程度の問題があるでしょ。」
「まあ、たしかにな。だから、これでもセーブしてる。そうそう、お母さんにLEEのこと話したことある?」
「そんな怖いものの話、わたしからは絶対にしないよ。」
「そうか。お母さん、LEEっていうレトルトカレーを知っていますか?」
「知らないわ。でも、お母さんって、もう?」
お母さんが嬉しそうに言う。
「あっ。」
つい普通に呼んでしまった。
まだ早いのに。
「いいわよ。そのつもりなんでしょうから。で、そのLEEって?」
そのつもりって?
そこにつっこんでも話が進まないから流す。
確かにそのつもりだし。
「お母さんは、辛い物好きですか?」
「そうね、好きといえば好きかな。辛子とかワサビとかショウガとか、ある程度きいてないと美味しくないわ。」
「そうですよね。LEEっていうレトルトのカレーがあるんです。一年中売っているのも結構辛いと言われているんですけど、夏限定ですごく辛いのが出るんです。僕は暑いから夏は嫌いなんですけど、それが出るのが夏の唯一の楽しみなんです。」
「そうなの。今度私も食べてみようかしら。」
「お母さん、やめた方がいいって。口の周りに付いたら痛いほどに辛いんだよ。」
本当に食べかねないので由佳が止める。
「そうなの?」
「いきなり40倍を食べて何かあったら大変ですから、まずは10倍から試してみてください。」
「真ちゃん、お母さんに勧めないで。食べて大変なことになったら困るから。」
「わかった。でね、お母さん、もっと滅茶苦茶に辛いカレーが通販で売られているんです。18禁カレーとか地獄のカレーとか大馬鹿野郎カレーとか。18禁カレーは、パッケージに18歳未満は食べないでくださいって書いてあるんです。」
その瞬間にベッドから悲壮な声が。
「それなんなの、いったい。名前を聞いただけで頭がくらくらするよ。」
由佳がベッドの上で後ろに倒れた。
「ほんとね。さすがにそれは危いね。」
お母さんも顔をしかめた。
そう言えば、お父さんは、辛いものの話になって以来、静かだ。
「お父さんは辛いものはお好きですか?」
お父さんとお母さんのどちらもが答えられるように二人に向かって尋ねる。
「由佳の辛い物がダメなのはこの人の遺伝。」
お母さんが笑う。
「お父さん、私より弱いよ。カレーは中辛でも辛いって言うんだから。」
その通りなのだろう。
お父さんは辛いものの話になってからはずっと黙っている。
なんだか顔色が悪いような。
「それじゃあ私たちは」と由佳の両親が帰り支度を始める。
「真ちゃん、近々、うちでご飯でも一緒に食べましょ。」
お母さんさんが誘ってくれる。
「はい、ありがとうございます。ぜひともお願いします。」
「じゃ。」
とお母さんが由佳に言うのとほぼ同時に、お父さんが
「真ちゃんは飲めるのかな?」
由佳に聞いているのか、俺に聞いているのか。
由佳が俺を見る。
「はい、飲めます。飲むの好きです。」
「そうか、よかった。」
お父さんが満面の笑みで答える。
今日会えたのはよかったな。
挨拶に家に伺うとなると緊張するし。
とても気さくで親しみやすそうなご両親で安心した。
近いうちに、お言葉に甘えておよばれしよう。
それにしても、今日の話のほとんどが辛いものの話だったような気がする。
これでよかったのかな。




