第38話 Unleash Hell
「誰?あれ」
「知らねえ。部外者か?」
「おいおい誰だよ部外者連れてきたやつ」
「実は男装してる女の子とか?」
「ないない。明らかに骨格が男じゃん」
「そう来るか…」
「てかサクラの隣に立たないでほしいんだけど」
「わかる。マジ邪魔だよね。普通にやめてほしいんだけど」
「スタッフ何やってんだよ」
不穏な空気が会場に漂う。
当然だ。煌びやかなガールズバンドを見に来たと思ったら急に男が挟まってきたんだ。俺でも戸惑う。
「はいはーい、そこまでにしときなさーい」
橘さんがパンパン、とマイクごと手を叩く。ボフッボフッとポップノイズに似た空気音が広がった。
「んんっ。彼はマサキ、私達sug@r spΩtの正式なメンバーです!」
橘さんがそう断言すると、オーディエンスが一斉にザワついた。
「は?嘘だろ!?」
「sug@r spΩtに男!?」
「なんかの間違いだろ!?」
「なるほどねえ…」
「そんな、レン様とサクラちゃんの間に男が挟まったと言うの!?」
「嘘だ……嘘だと言ってくれええええ!!!?」
一触即発、不満爆発。
さっきまで熱烈な歓声を轟かせていた会場に、一気にブーイングの嵐が巻き起こった。
……まあ、こうなるよな。
「はいはーい、注目ちゅうもーーーーく」
恋がドガドガと雑にペダルを踏み散らかして観客の注意を引き付けた。
「みんなが戸惑う気持ちもわかるよ。あたしら、今までずっと女の子だけでやってきたからね。急に男の子入ってきても受け入れらんないって人の気持ちもめっちゃわかる」
それでも、と恋は続ける。
「ずっとなんか足りないと思ってたんだ。だから探し求めた。あたしらのやりたい音楽に必要な『もの』はなんだろうって考えたらさ、彼しかいなかったんだよね。埋まったんだ。最後のピース」
恋の真剣な語り部を聞いて、皆が固唾を飲んでそれを聞いている。
「あたしらは変わるよ、今日この瞬間。性別とか年齢とか人種とか肩書とかつまんねえもん全部脱ぎ過ぎて、剥き出しの裸を見せてやる」
コツン、と恋は親指の爪先で額を弾いた。
「てめえらごちゃごちゃ言わずに黙ってあたしらについてこい」
シン、と時が止まったかのように静まり返る。
まるで宇宙に放り出された気分だ。息が詰まる。
「レン様……」
そんな中、誰かが呟いた。
「素敵……」
その言葉を皮切りに、一部のオーディエンスが熱を帯びた。
「いいぞおおお!ぶちあげろおおおおおお!!」
「おもしれえ!見せてみろ!」
「これだよ!この何が起こるかわかんねえライブ感!」
「めちゃくちゃにしてッッッッッ!!」
数にして十数人程度。
アウェーの中、周りの雰囲気に憚らず、やりたい放題やる奴ら。
あの人達の目には純真なエゴが宿っていた。
『なんでもいい、ブチあがれりゃあそれでいい!それ以外眼中にねえ!』
そんなエゴが。
それを聞いて橘さんも犬歯を剥き出しにして笑う。
「マサキ」
獣のように獰猛な攻撃性を見せる。
「ぶちかませ」
彼女の眼はバキバキにキマっていた。
……やるんだ……今ここで……!
後ろを見渡す。恋も、真琴も、塚見さんも、静かに首を縦に振った。
俺は正面に向き直り、スタンドからマイクを外した。
握りしめたマイクを口元に近づける。息を吸う音を拾い、風を切る音が響いた。
カンカンカンと恋がスティックをカチ鳴らす。
それと同時にマイクに息を叩き付け――
「――ッ……」
……ることができなかった。
オーディエンスの視線が俺の瞳に突き刺さる。
誰もが俺にナイフの切っ先を突きつけているように感じた。
『なにあれ~w』
『あいつ空気読めてなくね?』
あの目だ……
あの時の視線がフラッシュバックする。
みんなの奇異な物を見る目。
異物を排除しようと一丸になった嘲笑。
『うわっ、こっち見た』
『てかあいつ誰?』
あいつらが俺に向ける侮蔑の目。それが今になって俺を蝕んだ。
『あんな奴うちのクラスにいた?』
『きんもーw』
乗り越えたと思った、ねじ伏せたと思った、そのトラウマは遅効性の毒の様に効いてくる。
忘れていた。人の目がこんなにも惨酷に恐ろしいことを。
いや、そもそも俺は立ち向かっていなかった。
俺がスクリームを披露したのは、精々シュガースポットの面々の4人だけ。
200人を超える大規模な瞳孔の津波に対して何も対策をしてこなかった。
メロディを見失ったギターとドラムが、から回る様に走り出している。
まるでチェーンのはずれた自転車を必死に漕いでいるようだ。
早く追いつかなきゃ。今からでも合わせなきゃ。
そう焦るほど呼吸は空回りする。
声帯の震わし方がわからなくなり、途切れ途切れの吐息だけがマイクにポップノイズを生み出させる。
怖い。気持ち悪い。ここにいたくない。
呼吸の間隔が狂っていく。心臓が死に向かう、加速する。脈動する血液が沸騰しそうになる。頭が熱い。目が充血する。呼吸が苦しい。吐きそうだ。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
誰か――
「ちょっとちょっと、なにやってんのよー」
ぐるりと首に衝撃が走る。頭に何か柔らかいものがあたる。
「もしかして緊張してる? もう、しっかりしてよねー」
いつの間にか演奏は中止され、橘さんが俺にヘッドロックを仕掛けていた。
「ちょっとマサッキー! せっかくあたしがかっこよく始めようと思ったのにさあ。なんか一気に恥ずかしい感じになっちゃったじゃん!」
スティックをカチカチと鳴らしながら恋は俺に抗議している。
でも責め立てるような圧は感じない。なんだかいつもの恋みたいだった。
「もう、しょうがない人ですねwマサキ先輩は」
「マサキはいつでもどこでもマサキ」
真琴も塚見さんもいつもとなんら変わらない。当たり前のように俺をおちょくる。
あれ? 俺、失敗したよな? 演奏止めちゃったよな? なのにみんな責めようとしない。むしろ雰囲気は和やかだ。
「ごめんねーみんな。マサキったら初めてのライブで緊張してるみたいでさー。ったく、このこのー」
橘さんは、マイクを俺の頭にグリグリと押し付けた。
いたっ、イタイ! ハゲるハゲる! 加減してぇ!!
そして――
「 」
橘さんはマイクも拾わないような声で俺に耳打ちした。
「しょうがない。ほんとはレンのドラムから入る予定だったけど、マサキのタイミングで入っていいわよ」
両手を上げて橘さんはやれやれのポーズを取りながらそう言った。
「いつでもいいから。マサキの入れるとこで入ってよ。私達が絶対に合わせるから」
頼もしくサムズアップを橘さんは見せてくれた。
「…………」
マイクを固く握りしめた手の力を緩める。
そうだ。マイクってのはこう持つんだ。
大きく深呼吸をする。
そうだ。息は深く、お腹から空気を入れるんだ。
ああ。もう大丈夫だ。
視線も、緊張感も、失敗も、間違いも、何も怖くない。
スゥと息を深く吸う。
同時に背後の楽器陣の空気の流れが変わる。
ああ、ほんとにわかってくれているんだ。
なんか、
安心した。
「AAAAAAAAAAAAAAAI!AAAAAAAAAAAAAAAAAAAM!!SLAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAUGHT!!!」
【――瞬間、その場にいる者は二つに分けられた。
圧倒的な音圧の塊。そのプレッシャーに気圧され、身動きもできず、ただ立ち尽くす者。
もう一つは、耳を音の質量で殴られた瞬間、全てを感じ取り一心不乱にこうべを垂れ、体を振り回す者。
いずれにしろ、須賀雅貴によって作り出された絶対圧殺領域に抗うことはできなかった。】