第34話 君とじゃなきゃダメなんだ
恋から教えてもらった位置情報を頼りに、俺は橘さんのお家に辿り着いた。
早速ピンポン鳴らして彼女に謝ろうとインターフォンのボタンを触れる……だけで押すことができないでいる。
とにかく無我夢中でここまで来たけど、どの面下げて何を言えばいいのかわからない。
勝手に拒絶して勝手にバンド抜けるなんて言い出したんだ。どんな言葉を紡げばいいのかわからなかった。
また君とバンドがしたい?昨日のやっぱなしでって?ダメだダメだ勝手な奴過ぎる。
そもそも橘さんが俺の話をちゃんと聞いてくれるって前提がもうおこがまし過ぎる。
どうする?やっぱり誠意を見せる為初手土下座が正解か?でも偉い人が頭を下げるから意味があるのであって、俺なんかの空っぽで軽い頭を下げても意味なんて――
「須賀……君……?」
今一番求めていた声を聴いて振り返る。
「橘さん……?」
そこにはパジャマにパーカーとラフな格好をした橘さんが佇んでいた。
どさっと彼女が持っていたコンビニのビニール袋が落ちる。
「……っ!」
それを皮切りに、橘さんは俺と逆方向に走り出した。
「ま、待って!」
遅れて俺も走り出した。
「待ってくれ! 橘さん!」
「つ、ついてこないで!」
逃げる橘さんを俺は追う。
ていうか速い!橘さん足速いよ!
さすがはボーカル。ランニングは怠っていないようだ。
ギリギリ千切られることはないが、追いつくことはかなり厳しそうだ。
でも、俺だってちゃんと走り込んでいるんだ。体力勝負ならこちらに分がある。
千切られさえしなければ、先に限界を迎えるのは橘さんの方だ。
十分弱走っただろうか、公園に逃げ込んだ橘さんを追いかけて俺もそこに踏み入った。
「はあ……はあ……はあ……」
ベンチに腰掛けて息を切らしている橘さんの姿が見えた。
「あの時とは……逆だな……」
前にもこうして追いかけっこをしたことがある。あの時は俺が逃げて、橘さんが追う側だった。今度は俺が追いかける番だ。
ベンチで休んでいる橘さんにもう逃げる余力は残ってないと踏んだ俺は、近場の自販機へと足を運ぶ。
前と同じようにスポーツドリンクを二本買い、一本を橘さんに差し出す。
「でもこの構図は……変わらないみたいだ」
橘さんはうつむいたまま動かない。
俺は彼女の隣にスポドリを置いて、ベンチにドカッと腰かけて自分のドリンクをがぶ飲みした。
「だあああぁ……疲れたぁ……」
正直こっちも限界だった。ここまで自転車こいで来たんだ。その上で数分疾走したんだからもうヘトヘトだよ。限度がある。
「橘さんも、飲まないと脱水症状になっちゃうよ」
「どうして……ここに来たの?」
橘さんは俯いたままそう呟く。
「俺、橘さんに謝りたくて」
「謝る?須賀君が何を謝るって言うのよ……」
橘さんは少しだけ顔を動かしてこちらを見た。
「須賀君が謝ることなんて……何もない」
「あるよ。だって、俺が悪いんだから」
「違う。悪いのは私」
橘さんは目じりに涙をためて言った。
「私が……私が須賀君に迷惑かけたから……」
「迷惑?」
「だって、そうじゃない。私が目立つせいで須賀君にも悪い噂が流れてる……」
君といると目立つから、俺が橘さんを突き放す為に言ってしまった言葉だ。それを気にしているのだろう。涙を浮かべてしまうほどに思いつめて……酷いことを言ってしまった。
「橘さん、それは違う」
「違わないよ」
「俺の評判がよくないのなんて元々だ。橘さんのせいじゃない」
「そうかな。思えば私、須賀君を振り回してばっかりだった。断ってるのに無理矢理追いかけまわしたり、人目もはばからずに教室まで押しかけちゃったり、良かれと思ってお弁当なんて作り出しちゃってさ……ほんとおせっかい」
違う、違うんだ橘さん! 迷惑だなんて思ってないよ。おせっかいだってありがたくて仕方なかった!
「嬉しかったよ! 俺を求めてくれたのも、迎えに来てくれたのも、弁当だって嬉しいに決まってるじゃないか!」
「だったら……だったら、どうして……」
橘さんの目じりから涙がこぼれ落ちる。
「どうして……抜けるなんて……」
せき止めていたものが壊れたかのように、橘さんは次々と涙を溢れさせた。
ああ、最悪だ。真琴の言う通りだ。俺はもっと橘さんの気持ちを考えてあげるべきだった。橘さんの涙なんて見たくなかった。俺が流させたんだ。
「……そうだ。俺は昨日そう送った。学校で関わらないでくれとも言った。それこそが、それこそが本当に余計なおせっかいだったんだ」
「……え?」
意味がわからないと言いた気な顔で橘さんは俺を見る。
「俺、自分のことしか考えてなかったんだ。俺と一緒にいるせいで橘さんに悪い噂が立つのが我慢できなかった。俺が橘さんの足を引っ張るのが嫌だったんだ」
橘さんは何も言わない。何も言わず俺を見つめている。
「バンドを抜けたのだって、俺が勝手に思いつめたからなんだ。ガールズバンド、シュガースポットのファンは男の俺を受け入れてくれるわけがないって。バンドの人気を落としてしまうんじゃないかって」
「ぁぁ……」と橘さんは吐息を漏らす。
「でも、そんな不安はみんなの前で口に出すべきだったんだ。相談して、話し合って、みんなの考えとか想いとかを聞いて判断するべきだったんだ。それを怠って簡単に抜けるなんて言って、間違ってたんだよ。俺は」
ごめん。と俺は立ち上がって頭を下げた。
「恋に叱られて、真琴にたしなめられて、塚見さんに励まされて気づいた。やっぱり俺、バンドやりたい。橘さんの隣に立ちたい。君と歌いたい――」
「――あの時の快感をもっと味わいたい!」
すぅ、と橘さんの息を飲む音が聞こえた。
初めて橘さんとカラオケで叫んだあの時、俺は言葉に表せないほどの快楽を味わった。
全身がびりびりと振動するあの感覚。耐え難く、抗い難い。あの熱をもう一度浴びたい。
「だから橘さん、どうか、どうかこんな俺を許してくれ!! 俺と一緒にまた歌って――」
俺がそう言いかけると、頭をグイッと引き寄せられた。おでこに柔らかい感触が当たる。
橘さんは俺の頭を抱きかかえるように抱きしめていた。
「いいの? こんな私と、また歌ってくれるの?」
涙交じりの声で彼女は俺にしか聞こえない声で呟く。
「ああ、君とじゃなきゃダメなんだ」
頭を抱きかかえる彼女の手を俺は取る。
「叫ぼう。一緒に」
橙に光る太陽は沈み、俺たちの涙を闇で隠した。




