第32話 彼女たちが選んだのは険しくも楽しい道だった
下駄箱で靴を履き替えて校舎を出る。
空はすっかりとオレンジ色になっていた。
自転車のカギを回してゆっくりと進む。
校門前で他の学校の制服を纏った、見慣れた金髪の少女が目に入った。
「む、やっと出てきた」
ムスッとした少女はこちらに気付くと、ズンズンと歩いてくる。
「恋……」
「まさっきー、ちょっとツラ貸して」
恋はビッと親指を後ろに向ける。ついてこい、ということなのだろう。
俺は恋の後を無言で追って行った。その間、お互いに口を交わすことはなかった。
「なるほど、そういうことがあったわけだ」
俺は恋に事の経緯を話した。噂の事、俺が校内での橘さんとの関わりを断ったこと。
恋は頭に手を置いて目をつぶっている。ズズッと手元のフラペチーノをズズッと啜った。
今日は珍しくカフェテラスは閑散としている。
「で? なんでそれがバンド脱退になったわけ? 校内とバンドはまたベツモンでしょ?」
「ネットで評判とかファンからのコメントを見て気づいたんだ。彼らはガールズバンドのシュガースポットを応援している。そこに俺が加わればもうガールズバンドじゃなくなる。そうなれば積み上げてきたものが崩れてしまう。違うか?」
俺がそういうと恋は「はぁ~」とため息を吐いた。
「で、何も相談せずに抜けたわけだ」
「そう……なるな……」
「まさっきー、ちょっと立って」
「へ? なんで――」
「いいから!」
恋の指示通り立ち上がる。恋も立ち上がり、俺の隣に来る。両肩に手を置かれて向き合わされる。
「ちょっ、なんだよ」
恋は真っ直ぐと俺の目を見据えている。お互い見つめ合っている。
な、なんだこの状況。
「目、つぶって」
「へえっ?」
「いいから!」
さっきから言いなりになってばかりだ。恋の言う通り俺は目をぎゅっと瞑る。
なんだなんだ?? こんな誰もいない空間に向き合わされて目をつぶらされて一体何を考えてるんだ?
まるでこれからキス「こんの」するようじゃないか――
「あほおおおおおおおお!!」
「ぐふぉあっ!?」
バッチィィィィィィィンと下半身に衝撃が走る。
「おぅぁ……」
ケツを思いっきり引っ叩かれた。思ったよりも痛い。さっき殴られて尻もち付いたときに負傷したから余計に。
お尻を抑えてうずくまる。なんて情けない。今日一情けない姿かもしれない。
「まさっきーってさあ、相当コミュ障だよね」
「えぇ……」
「確かに男子が入ったことで推せなくなるファンはいると思うよ?現実的に考えて。それは否定する気はない」
恋は手首をスナップさせて俺を見下ろしている。
「でもなんで相談もしないで勝手に抜ける訳? 意味わかんないんだけど!」
「だ、だってそしたらお前ら止めるだろ!」
「止めるよ!当たり前じゃん!そんなことで大事なメンバーがいなくなるなんて、あたしやだもん」
「でもそうでもしないと、皆が積み重ねたものが台無しになるだろ……」
プロの道だって、と俺は小さく呟く。
それを聞いて恋は深く息を吐いた。
「まさっきーさ。あたしら言ったっけ?プロになりたいって」
「え?」
「多分だけどあたしらプロ目指してます、なんて一言も言ったことないと思うんだけど」
「は?……え?」
いや、だって、プロ目指しているんじゃないのか? メジャーデビューは全ミュージシャンの夢だろ。
「男ってみんなこうだよね。自分で勝手に納得してかっこよく解決した気になるの。話し合えばもっと簡単に解決できることなのにさ」
「だ、だって――」
「確かにプロになるって選択肢もないわけではないよ? 好きなことでお金稼げるのって素敵なことだしね。でもさ、プロになるってことは嫌なことでも理不尽なことでも受け入れなきゃいけなくなるの。レーベルの意向に従わなきゃいけなくなるし、必要ならこだわりも捨てなきゃいけない」
それじゃあ恋達は、シュガースポットはプロになることをこだわっていない……?
「メジャーデビューしてから音楽性変わったバンドとか見たことない?」
……ある。全然ある。インディーズの時の方が尖っていて魅力的だったと残念がることなんていくらでもあった。
「音楽ってさ。文字通り『音』を『楽』しむから音楽なんだよね。あたしから言わせてみれば楽しくない音楽なんて音楽じゃないのね。わかる?」
楽しくない音楽。
それはまさにあの時、俺が橘さんを学校で拒絶したあの日の練習。
誰も彼も、音を楽しめてはいなかった。
何度何度練習してもズレる歌に恋はイラついただろう。
それも全部俺の所為だ。
俺がバンドをつまらなくさせた。
俺が抜けたところで穴は埋まる?
否。橘さんは学校にすら来ない。それどころか他のメンバーの連絡をも拒んでいる。
そんな彼女がこれから先、楽しく音楽ができるのか?
目の前がぐにゃりと歪んだように感じる。
そんな中、恋はしゃがんで俺の顔を覗き見た。
「せっかくこれから楽しくなるぞって時に、まさっきー切り捨ててやる音楽なんて楽しくないよ。つまんないよ」
恋は悲しく、それでいて優しい顔をしていた。
子供を見るような目。自分勝手でダメな子供を見るような、たしなめるような表情。
「それを一番に感じているのはさっくだよ。わかるでしょ?」
『もっと、先輩の気持ち考えてあげてください』
「…………」
なにも。
なにもわかっていなかった。
理解しているつもりになっていた。
『私はスクリーモの全部が好き!だから私のバンドにはスクリームが絶対欲しい』
橘さんは、ただ、ただ、自分の好きな音楽をやりたかったんだ。
『やっぱさ、須賀君バンドやろうよ。私達、絶対いいコンビになれるって』
その上で俺を選んでくれた。
選んでくれたんだ。
「まさっきー、あたしらも馬鹿じゃないよ? 自分たちの需要とかある程度は把握してるし、それが崩れたらいなくなる人達のことだって考えたことある」
でもね、と恋は続ける。
「さっくはそれでもまさっきーとやることを選んだんだよ。あたしらもそれを受け入れた。シュガースポットのみんなでまさっきーを選んだんだよ」
「…………」
呆れる。嫌になる。馬鹿みたいだ。
ずっと俺は一人で勝手に悩んで、ヘラって、迷走していた。
結局俺は、【誰かの為】なんて考えていなかった。
橘さんやみんなに不利益が被ることを恐れていた。
それが怖くて嫌で許せなくて、全部投げ出したんだ。
橘さんを自分から遠ざけたのも、バンドを抜けたのも、
俺が簡単に楽になれる手段だから、そんな選択を取っただけにすぎなかったんだ。
全部俺の都合だ。
俺はずっと自分のことばっかりだ。
楽な道を選んで橘さんを傷つけた。
楽な道を選んで真琴や塚見さんに心配をかけた。
楽な道を選んで恋を怒らせた。
楽な選択肢に逃げた。
迷惑かけた。みんなに迷惑をかけた。俺の所為で、みんな俺の為に……
なんで俺は……
「ほら、まさっきー」
恋はティッシュを俺に寄越してくれる。
「戻ろう? あたし達のところに」
ぐしゃぐしゃになった顔にティッシュを押し当て、俺は立ち上がる。
スマホを取り出し、スマホを操作する。
橘さんに電話をかける。
コール音が幾度か鳴るも、反応は帰ってこない。
「恋! 橘さんち、知ってるか!?」
赤く腫れた目でそう問い掛けると、恋は「もち!」と親指を立てた。