第14話 Silver Noise
「よし! ウォーミングアップはこんなところね」
聞いただろうか諸君。俺が涙ぐむほど感動したこの永遠とも言えるワンコーラスは彼女達にとってはウォーミングアップに過ぎなかったのだと。
これの上をいくの? 大丈夫?
俺幸せとエモさで溺死するけど。
ま、待ちきれないわ! 早く次の曲を聴かせてちょうだい!
「さあ、須賀君! あなたの実力見せつけちゃってちょうだい!」
違ったや。
そうだわ。俺もソッチ側だったわ。何他人事のように聴き入ってんだバカタレ。
いやでも待ってアレに加わるの?俺、場違いすぎない?
「えっと…あれ? 俺何歌えばいいんだ?」
シュガースポットの曲はあらかた聴いた。
でも元々スクリームのないバンドだから俺の入る余地はないんじゃないか?
「そうね、須賀くん確かERROR好きって言ってたわよね? Silver Noiseなんてどう?」
「俺は歌えるけど、みんな知ってるの?」
みんなの方を見やる。恋がグッとサムズ・アップで返してくれた。
「基本私たちはオリジナルの曲をやるんだけどあくまでそれはライブの話。スタジオ練習の時は他のバンドの曲もカバーしたりするわ」
そういえばチャンネルに他のバンドのカバーもあったな。papamoreとかpicturescueとか。
「Silver Noiseなら最近やったから須賀君さえよければ問題ないわ。どう? できそう?」
「やってみるよ」
マイク片手に橘さんの隣りに立つ。
不思議な感じだ。前にカラオケで一緒に歌った時はお互い正面を向いていた。眼の前に橘さんがいた。
あの時は橘さんに向けて歌ったんだ。孔雀が羽根を広げてアピールするように。
でも今は違う。クリーンボーカルとスクリームボーカル。お互い対等な関係、ポストハードコアの雛形。
自分がこのバンドの一員だってことを嫌でも理解させられる。手に汗がにじむ。
「お手並み拝見と行きましょうか」
真琴が腕を組んで言う。
「ま、気楽にやろーよ。今は失敗してもいーからさー」
恋が緊張を解してくれる。
「…………」
塚見さんは特に何も言わない。そもそも一言も話してないからそりゃまぁそうか。
「さあ、みんな準備はいい?」
橘さんは口角を上げて――
「こっから始まるのよ!」
高らかに宣言した。
「新生sug@r spΩtの幕開けよ!」
橘さんの声がスタジオに反響する。
それと同時にビィィィィンと鳴り響くのはギターのフェードイン、やがてアルペジオがゆったりと流れる。静寂を破るようにスネアが震撼し、一気に激しさを増す。
機械仕掛けのアルペジオは繰り返される。力強いドラムと安定したベースに支えられながら。
何度も聴いて覚えたこの曲。日常のように安心するくらい。
でも違う。いつもとは決定的に違うこの感覚。機械越しだけでは決して伝わらない音の体温を肌で感じた。
俺のターンが来る。
(あ、ここだ)
「AAAAAAI AM A HEAAART LEEEEEEEEEEEEESS!!」
牙を剥いて立ち構える狼のように吠える。
矢継ぎ早に紡ぎ出される凍てつく魂のリリックはこの狭い空間を飲み込んでいった。
スネアの衝撃が体中に響く。弦が弾ける音圧が頭を揺さぶる。
スピーカーから勢いよく飛び出てくる俺のスクリームが全身を殴りつけてノックアウトしかける。
やべぇ、たまんねぇ…
ただ見ているだけとは全然違う。俺が、俺達が誰よりも近くで俺達の音楽を堪能できる。
こんなのもう、気持ちよすぎんだろ…
ふと目の前に置かれている鏡を見る。真琴は目を見開いていた。恋は犬歯をむき出しにして笑っていた。
『あがるじゃん』
彼女の目はそんなふうに言っていた。
そして橘さんは…
彼女の表情は見えない。一心不乱に体全体を使って頭を振っていた。頭を上げるたびに両の足が地を離れる。赤色のメッシュが描く軌跡はうねる炎を見せた。
今この場を支配しているのは俺だ。俺のスクリームがまるで無限の重力を発生させ、この空間の全てを圧し潰そうとしている。
なんてヘヴィなサウンドだ。
そしてこの曲はスクリームとクリーンが入れ替わるように歌われる。
ギターのリフレインを丁寧に掻き鳴らす音。その後に…来る!
「Beyond our world there is a haven for the soul」
第一声を聞いたその刹那、
まるで羽根が生えたかと思った。
超重力からの解放。抑圧された反動でどこまでも上っていきそうだ。
魂が震える。シナプスが喜ぶ。この曲は身体という器から解放された魂を唄っている。
儚く天叫する橘さんの歌声に、俺は浮遊感を感じた。
身体からすり抜けた宙ぶらりんの魂が、あてもなくふよふよと彷徨うかのような錯覚。
横目で橘さんを見る。
二人でカラオケに行った時以上にキラキラしていた。
ああ、なんて眩しいんだ。クラクラする。
彼女から発せられる光は気が狂うくらいに俺を明るく照らしてくれる。
俺が抱えていた闇なんて塵一つ残さずに消し去るくらい。
まるで透明になったみたいだ。
「いいじゃんいいじゃん! まさっきーまじで激アツなんだけど!」
恋が俺の肩をドラムスティックでバシバシと叩く。
「ふふーん。そうでしょうそうでしょう? 私の目に狂いはないってね!」
橘さんは得意げに胸を張る。
「いやー、まさかこれほどとは思わなかったわー。同年代でもまさっきーよりうまい人いないんじゃね?」
「いやいや。褒め過ぎだって」
謙遜する俺を「またまたー」と恋は肘で小突く。
「マジハイレベルだったよ! まこっちゃんもそう思うよねー?」
「……」
恋がそう真琴に振るが、真琴はやや斜め上を眺めながらボケーっとしている。
「どったの?まこっち」
恋が真琴の眼の前で「おーい」と手を振ると、真琴はハッと我に返る。
「ま、まぁ及第点といったとこ……ですかね!」
腕を組んでそっぽ向きながら真琴は言った。
「ふぅん……」
何か含みを持ったかのような笑みを恋が浮かべている。
「須賀くんはどうだった? 初めてのバンド練習」
橘さんは俺に言う。そんなの決まってるじゃないか。
「最ッッッ高だった!」
俺がそう言うと橘さんはニカッと笑って「でしょー!」と言った。
練習が終わり、それぞれ楽器を片付けている。
俺は橘さんからミキサーの切り方やシールドの巻き方を教わっていた。
「うぇーい。まっさきーうぇーい」
後ろから恋がベチベチとドラムスティックで肩あたりを連打してくる。まあ、つまるところめちゃくちゃちょっかいかけてくるのだ。ドラムはスティックを片付けるだけで終わりだから手持無沙汰になってしまったのだろう。
「せんぱ~い、お疲れ様です~♪これ、よかったら!」
真琴もこちらに寄ってきて橘さんに小さいお菓子の袋を渡した。
「ありがとね、真琴」
「いえいえ~♪……あ、須賀先輩も、これ」
真琴はさらっと一瞥して俺に同じものを渡してくる。コエコエケアケアのど飴と書かれていた。
この飴はネットのニュースでも取り上げられた商品だ。なんでも有名なお菓子会社と有名音楽大学が共同で作った歌手用ののど飴だとか。
俺もお小遣いに余裕がある時に買うけど、高いんだよなあこれ。
「いいの?」
「まあ、声は大切にした方がいいんで」
特にスクリームボーカルは、と真琴は付け加えて自分のギターがあるところに戻って行った。
「ふうん……」
恋がニヨニヨと真琴を見ている。
「なんだよ」
「まこっちゃん、まさっきーと打ち解けてよかったなーって」
「そ、そうかなあ?」
結構距離あるっていうか、お互い変な気を遣ってる感じあるけどなあ。
「まこっちゃん、男子には厳しいから」
「うーん、そういうもんか」
「そうそう。割と理想高めなんよ。好みのタイプはマッチョな外国人って感じだし」
「へー」
そういや、さっきやけにボディチェックされたな。つっても俺はマッチョでもなければ外国人でもないから趣味じゃないんだろうけど。
そうこうしている内に全員片付け終わったみたいだ。ブースを出て会計を済ませる。店長さんにニコニコと手を振って見送られながら、俺達はスタジオを後にした。