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第一章:出会った二人の欠けし者たち⑧

 ノルスの自警団員たちにつけられたドゥーエの身体の傷は、一向に癒える様子はなかった。それでも、シュリに拾われた当初よりはまともに動けるようになってきていたドゥーエは、気まぐれにシュリの仕事を手伝うことも増えてきていた。

 その日、昼食が済んだ後、ベッドで微睡んでいたドゥーエは、シュリが家の前の畑で忙しそうに立ち働いていることに気づいた。ふああ、と伸びをして身にまとわりつく眠気を追い払うと、ドゥーエはベッドから起き上がって履き古した黒いブーツに足を通す。

 小屋の外に出ると、秋麗の陽気にうっすらと汗を浮かせながら、シュリが小鎌を手にほうれん草を収穫していた。ギィ、バタン、というドアの開閉音に気づいたらしいシュリは顔を上げる。シュリはドゥーエの姿を認めると、顔を綻ばせた。

「ドゥーエ。どうしたの?」

「いや……お前が何かやっていたから様子を見に来ただけだ」

 そっか、とシュリは頷くと、いいことを思いついたと言わんばかりににっと笑みを浮かべながら、

「そうだ。ドゥーエもやってみない? あたし一人じゃちょっと手が回りそうにないし」

「わかった。手伝おう」

 シュリの提案を快諾すると、ドゥーエは畑とシュリの顔を見比べながら、彼女へと指示を仰いだ。

「それで、俺は何をすればいい?」

「じゃあドゥーエはこれであそこのほうれん草を収穫してきてよ。それが終わったら向こうのブロッコリーね」

 そう言うと、シュリは手に持っていた小鎌をドゥーエに手渡した。あたしはあっちでにんじんと芋をやってくるから、と言い置くと、シュリはすたすたと畝の間を歩き去っていった。その背を見送ると、ドゥーエは地面に座り込んで、ほうれん草の葉を手で弄り始める。

 ほうれん草の株にはところどころ葉が刈り取られた形跡があった。ドゥーエは比較的大きな葉を選びながら小鎌で茎を一本一本刈り取っていく。

 遅々として作業が進まないドゥーエに気づいたシュリは、収穫の済んだ野菜の山の向こうから声を張り上げた。

「ドゥーエ、一本一本やるんじゃなく、もっと葉っぱをまとめて持って、一気に刈り取っちゃって! 今日のうちに追肥までやっちゃわなきゃなんだから、そんなんじゃ全然終わらない!」

「お、おう……」

 ドゥーエはシュリに言われた通り、ほうれん草の茎を何本もまとめて掴むと、鎌で刈り取っていく。ぶちぶちと茎の繊維が断たれる感触と共に、葉の束が土の中の根から切り離された。

 ほうれん草を収穫し終えるころには、ドゥーエの額にも額に浮かんできていた。ドゥーエは鎌を地面に置き、土で汚れた手の甲で汗の粒を拭う。ドゥーエの何倍もの速度で野菜の収穫を済ませていくシュリを横目で見ながら、

「しかし、お前は本当によく働くな……」

 シュリは大根のように太いにんじんを腰の入った動きで難なく地面から引き抜きながら、

「まあ、こんなところで一人で暮らしてたら、基本は自給自足だからね。全部自分でやらないと、野垂れ死ぬだけだから」

「そうか……」

「それに、こうやって畑仕事をするのは嫌いじゃないし。小さいころもお母さんと一緒に、ノルスの家の庭でハーブ育てたりしてたしね」

 つくづくシュリは過酷な環境下で生きているのだとドゥーエは実感する。それでもこうして生き生きと生きているシュリは強くて眩しいとドゥーエは思った。

「さて、休憩したらもうひと頑張りしようか。ちょっと待ってて、おいしいもの食べさせてあげるから」

 シュリは収穫したばかりの泥のついたにんじんを二本掴むと、裏口から家の中へ戻っていった。

 一分もしないうちに、シュリはにんじんを手に再び姿を現した。台所で泥を洗い落としてきたのか、にんじんからはぽたぽたと透明な雫が滴り落ちている。

「ほら」

 シュリは二本あるにんじんのうちの一本をドゥーエへと手渡した。シュリが生のままにんじんを齧っているのを見て、ドゥーエは眉間に皺を寄せる。

「それ、生だろう? 食えるのか?」

 シュリはうん、と頷くと、

「食べられるよ。とれたてだし、甘くて美味しいよ」

 ドゥーエも食べてみなよ、とシュリに促され、彼はにんじんを口に入れ、歯を立てた。ぼりぼりという気持ちのいい音と共に口内が控えめで穏やかな自然の甘さで満たされていく。

 ちらりとドゥーエが隣を見ると、シュリは自分で収穫したにんじんを夢中で齧っていた。彼女自身の小動物じみた容貌も相まって、何だかうさぎみたいだなとドゥーエは思った。

 シュリはいつだって一生懸命に生きている。それをもう少し近くで見ていたいような、守ってやりたいような気がした。シュリの元にいれば、長年自分が知らずに生きてきたいろいろなことを知ることができそうな気がした。

 自分の中に芽生え始めた感情の名前をドゥーエはまだ知らない。それでも口の中のにんじんの甘さと、あたりに充満する土の香りを悪くないとドゥーエは思った。



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