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第一章:出会った二人の欠けし者たち⑥

 まだ秋だというのに、全身が芯まで凍えるような夜だった。底冷えする部屋の中、眠れずにいたシュリはバイアスチェック柄のブランケットの中で小さく身体を縮こまらせて、赤く悴んだ手に息を吐きかける。

「……眠れないのか?」

 暗い部屋の中でドゥーエの低い声が響いた。その声からはシュリのことを案じているような色が感じられた。

「うん……まあね。ドゥーエはあたしのことなんて気にしないで寝てて」

 シュリが苦笑混じりにそう答えると、ベッドの上のドゥーエが身を起こす気配がした。ばさり、とドゥーエはシーツをめくってみせると、

「今夜は殊更に冷える。床ではなく、ベッドで寝たらどうだ」

 ドゥーエの申し出は魅力的だった。しかし、シュリはううん、と首を横に張る。

「いいよ。怪我人をベッドから追い出すわけにもいかないし。いつも通り、あたしは床で寝る」

「変な意地を張っていると風邪を引くぞ」

 ドゥーエの言うことは一理ある。しかし、だからといって、ドゥーエをベッドから追い出す気にはなれなかった。どうしたものかとシュリが頭を悩ませていると、

「なら、こうしよう。俺もシュリもベッドで寝る。シュリは小柄だし、俺が少し奥に詰めれば充分寝られるだろう?」

「それは、そうだけど……」

 シュリは躊躇した。”人喰い”と一つのベッドで共寝するなど、喰ってくれと言っているようなものだ。ドゥーエは普段はシュリを喰おうとする素振りなど微塵も見せないが、目と鼻の先に獲物が無防備に眠っているともなれば、さすがに生きてシュリが朝を迎えられるとは思えない。

「どうした? もしかして、俺が何かするとでも思っているのか?」

「……っ!」

「心配するな。お前が嫌がるなら、同じベッドに寝ているからといって、無理やり迫って犯すような真似はしない」

「ちょっ……犯す、って……!」

 思っていたよりも斜め上のドゥーエの発言にシュリは顔を口をぱくぱくさせた。ドゥーエの美しい顔が自分に迫ってくる様を、ドゥーエの引き締まった身体が自分に覆い被さってくる様を思わず想像して、シュリは顔を真っ赤にした。

「さ、最っ低……! 変態!」

「そういうことを心配していたのではないのか?」

「っ……違っ……!」

 ドゥーエはよくわからないとでも言いたげな顔をしながら、

「……それで、どうする?」

「……っ、あたしもベッドで寝る! それでいいんでしょ!」

 シュリは厚手のブランケットの中から這い出ると、躊躇いがちにベッドの中へと入り込む。寝返りを打てばベッドから落ちてしまいそうな位置で横になるシュリに、ドゥーエは苦笑すると、

「もう少しこちらに来たらどうだ? 別に何もしない」

「うん……」

 そういうことじゃないんだけどな、と思いながらシュリはほんの少しドゥーエに身体を近づける。近くに感じるドゥーエの体温は温かく、ムスクと古本の混ざったような匂いがした。

 ドゥーエの赤い瞳と視線が絡み合った。ほのかな熱と艶を帯びて潤ったその目からシュリはなぜか視線を逸らせなかった。

 小さく聞こえるドゥーエの息の音が悩ましげににシュリの耳朶(じだ)を打つ。何かを憂うような表情を浮かべた白皙の美貌はひどく蠱惑的だ。容赦なく浴びせられる無意識の官能の暴力に、腹の奥を蠢き始めたものを封じ込めるようにシュリはぎゅっと強く脚を閉じた。

 とくん、とくん、と互いの心臓の音がやけに大きく聞こえる気がした。ぴんと張り詰めた空気は今にも崩れてしまいそうになりながら、かろうじて均衡を保っていた。どちらかがほんの少し動けば、この状況を堰き止めているものが砂礫の城のように崩れ去ってしまう、そんな危うさがあった。

 羞恥と怯えが入り混じったシュリの目がドゥーエを見ていた。ずきり、と心臓の拍動に合わせて、身体の内側にかすかな疼痛が走る。自分の本能がシュリの肉体を欲しているのだとドゥーエは思った。

(嗚呼……欲しい。――”喰いたい”)

 ふいにドゥーエは自分を見る少女の顔をめちゃくちゃに歪めてやりたいような欲求に駆られた。ドゥーエは荒々しくシュリへと手を伸ばす。

「ドゥーエ……?」

 戸惑うようにシュリが彼の名前を呼んだ。何でもない、とかぶりを振ると、ドゥーエはシュリの髪をごまかすようにかき混ぜた。シュリは不満げに頬を膨らませながら、

「……嘘つき。何もしないって言ったのに」

「……このくらい、何かしたうちには入らない」

 まったく、とシュリは呆れたようにため息をつく。シュリは寝返りを打って、ドゥーエに背を向けると、

「あたし、もう寝るから。絶対、変なことしないでよ? ……おやすみ」

「おやすみ」

 自分を突き動かしたのは食欲だったのか、はたまた情欲だったのか。そんなことを考えながら、ドゥーエはシュリのぱさついた短い髪を撫で続けた。彼女の寝息が聞こえ始めるまで、ドゥーエはずっとそうしていた。

 ドゥーエは名残惜しく思いながらシュリの髪から手を離し、彼女へ背を向けると瞼を閉じる。

 おやすみ、ともう一度小さく呟くと、ドゥーエは闇の彼方から打ち寄せてきた眠りの波に己の意識を預けた。


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