第一章:出会った二人の欠けし者たち⑤
「……何をしているんだ?」
ある日の午前中、シュリが家の奥で作業をしていると、ベッドの上に腰掛けていたドゥーエがそう聞いてきた。シュリは手を休めることなく、彼の疑問へと答える。
「これ? 今朝、薬草がたくさん採れたから乾かすための準備をしてるの」
そう言いながら、シュリは手早く薬草を紐で束ねていく。ほう、とドゥーエは立ち上がり、シュリのそばに近寄ってくると、興味深そうに彼女の手元を覗き込む。
「手慣れているんだな」
まあね、とシュリは得意げに口の端を釣り上げる。その間も彼女の手は動き続ける。
「もう何年もやってるからね。小さいころだって、お父さんやお母さんがこうやって作業してるの手伝ったりしてたし」
ドゥーエもやってみる、とシュリが聞くと、ドゥーエは首を横に振った。腰まである彼の長い黒髪が、首の動きに合わせてさらさらと揺れ動く。
「俺には違いが全然わからないから遠慮しておく。俺からしたらどれも草、草、草だ」
「草って」
ドゥーエの言い方がおかしくて、シュリは小さく吹き出した。
彼の傷が癒えるまでのほんの短い間とはいえ、こうして言葉を交わし、何でもないことで笑い合える相手がいることが嬉しかった。どこにでもあるようなそんなささやかなことが、シュリには新鮮で楽しかった。ドゥーエが”人喰い”であることも理解していたし、何が目的で彼が自分の元に居続けているのかもわからなかったが、それでも構わなかった。
(人間よりも”人喰い”のドゥーエのほうがよっぽど人間らしいなんて皮肉だよね)
両親が死んでから、ノルスの親戚の家で暮らしていたときのことを思い返しながら、シュリはそんなことを考えた。ドゥーエだって、いつ自分に牙を剥くかわかったものではないが、それでも陰口を叩いたり石を投げつけたりしてくるような陰湿な嫌がらせをしてこないだけ、シュリにとってはかなりましだった。
「さて、と」
シュリは薬草をすべて仕分けて束ね終えると立ち上がった。壁際の戸棚から長いロープを取り出し、シュリが手近にあった木箱の上に登ろうとしていると、脇から長く筋ばった手が伸びてきてロープをひったくった。
「これをそこの柱に結べばいいのか?」
程よく低い、心地の良いドゥーエの声がシュリの背後から響いた。シュリは木箱に片足を乗せたままの状態で、ドゥーエを振り返ると、
「うん。それで、逆側を向こうの柱に結んで欲しいんだけど、お願いできる?」
任せろ、とドゥーエはロープを片手に背伸びをする。ロープを結えようと腕を上に伸ばしたとき、「っつ!」肩の傷が痛んだのか、たたらを踏み、ドゥーエの体が傾ぐ。
「わっ、わああああっ!!」
自分の方へとドゥーエの体が倒れてきて、シュリは咄嗟に彼の体を支えようと手を伸ばす。彼を連れ帰ってきたときとは異なり、完全に油断していたこともあって、痩せ型とはいえ男一人分の体重を支えることは能わず、シュリを巻き込んでドゥーエの体は床へと倒れ込む。シュリは衝撃を覚悟して、黒い目を閉じる。
ごん、と重い打撃音が室内に響いた。しかし、覚悟していた痛みがシュリを襲う様子はない。シュリは恐る恐る瞼を開く。
「え……?」
シュリの体はドゥーエの右腕によって抱き込まれ、彼が下敷きになる形で守られていた。
「シュリ、無事か?」
間近でドゥーエの暗赤色の視線がシュリへと向けられた。その目はシュリのことを案じているのか、物憂げだ。
「あ、あたしは、大丈夫……」
シュリは自分の声が上ずるのを感じた。そうか、と言ったドゥーエの吐息混じりの安堵の声が、愛撫するように聴覚の奥深くまで入り込んでくる。
「ごめん、すぐにどくね。怪我してるのにこんなことさせちゃってごめん」
「気にするな。やるといったのは俺だ。それよりもシュリに怪我がなくてよかった」
少し空気を含んだ低い声に耳元で囁かれ、シュリは自分の中で心がとくんと音を立てるのを聞いた。シュリはドゥーエの怪我に障らないように気をつけながら、彼の腕を振り解く。彼の温もりが遠ざかっていくことをなぜかシュリは残念に思った。
(ドゥーエは”人喰い”だけど、いい人なんだ。今だってあたしのことなんて庇わなくてよかったのに、こうやって守ってくれたし、あたしに怪我がないかを真っ先に気にしてくれた。やっぱり、ドゥーエは、あたしの知ってる”人喰い”とは違う)
そう思いながら、シュリは立ち上がる。そして、ドゥーエに手を貸して床から起き上がらせる。
「ドゥーエは大丈夫? どこ打った?」
「背中は打ったが、一応受け身は取ったから問題ない」
「問題なくないでしょ。一応診るから、背中見せて」
シュリはすぐそばの戸棚から湿布薬を取り出す。互いに互いを気遣いあっている今の状況は何だか不思議だが、嫌な感じはしなかった。
(ドゥーエは……あの女と同じ”人喰い”なんだよね。なのに……あたし、ドゥーエのことは……)
嫌いじゃない。その事実がすとんとシュリの胸の裡にすとんと着地した。
ただ憎むばかりだった”人喰い”という種にそんな感情を抱いている自分を少し意外に思いながらも、シュリはドゥーエのシャツの背を捲る。彼女は薄くなりかけた数多の痣に混ざった真新しい紫色の内出血を見つけた。やはり、自分を守るためにこんな傷を拵えてしまうお人好しの”人喰い”を嫌いにはなれない気がした。
シュリは紫色に腫れ上がった傷に湿布薬をあてがう。彼がここにいるのは傷が良くなるまでという話だったが、いつまで彼とここで過ごしていられるのだろうとシュリは思った。
開け放った窓から入り込んできたばたばたと金風がカーテンを揺らしている。湿布のハーブの匂いが風に舞い上がり、すうっとした爽やかな香りで室内を満たしていった。