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第一章:出会った二人の欠けし者たち⑫

「ほら、飲め」

 色褪せてはいるけれど清潔なリネンのラベンダー色のワンピースにシュリが着替え終えると、ドゥーエは茶の入ったカップをダイニングテーブルに置いた。シュリはウエストラインのリボンを結び、汚れた衣服をかごに放り込むと、テーブルへと着く。

「あったかい……」

 カップの中の琥珀色の液体に口をつけたシュリの口から、思わずそんな言葉がこぼれ落ちた。冷え切った心と体に、ドゥーエの優しい心遣いが染み渡っていく気がした。

「……夕飯。スープがあるが、食うか?」

 ぼそりとドゥーエがそんなことを聞いてきて、シュリは目を瞬かせた。

「ドゥーエが作ってくれたの?」

「美味いかどうかは知らんがな。それで、どうする?」

 もちろん食べる、とシュリは大きく頷いた。ドゥーエが自分のために食事を用意して待っていてくれたことが少し意外でもあり、その心遣いが嬉しくもあった。

「なら、少し待っていろ」

 照れくさいのか、ドゥーエはシュリと目を合わさずにそう言うと、壁際のスギの戸棚から木の椀と匙を二つずつ取り出した。ドゥーエは台所の(かまど)にかけられた鍋からスープをよそって持ってくると、シュリの手に椀と匙を渡した。ドゥーエも自分の分の椀と匙を手に、テーブルを挟んでシュリの向かい側に腰を下ろした。

「いただきます」

 シュリは両手を合わせ、食前の祈りを捧げると、匙を手に取る。匙で椀の中の液体を掬うと、シュリはそれを口に運んだ。

「美味しいね。優しい味がする」

 喉を滑り落ちていくカブとブロッコリーのスープの味を感じながらシュリがしみじみとそう口にすると、ふん、とドゥーエは鼻を鳴らす。

「……塩辛いだけだろう」

「そんなことないよ。食べたらわかるもん。ドゥーエがあたしのために作ってくれたんだって」

「俺の分のついでだ。そもそも食事など、一人分作るのも二人分作るのも大して手間は変わらんからな」

 その言葉は嘘だとシュリは思った。”人喰い”のドゥーエにとって、普通の人間と同じ食事など嗜好品程度の意味しかなく、必ずしも必要なものではない。けれど、その優しく不器用な嘘を糾弾する気にはなれなかった。

「いいよ、そういうことにしておいてあげる」

「お前なあ……」

 ドゥーエは何か言いたげに憮然とした顔をしていたが、諦めたようにスープを啜り始めた。

 いつの間にか自分の日常にいるのが当たり前になっていた彼の存在。誰かと囲む食卓。質素でも一人でないというだけで豊かな味わいに変わる食事。

 何気ないはずなのに自分にとっては何よりも得難いそんな一つひとつに心が緩んでいき、シュリの口からぽろりと言葉が転がり出た。

「あのね、あたしさ」

「……ん?」

 短く相槌を打つと、ドゥーエはシュリに言葉の続きを促した。

「この森にこうやって一人で住んでるせいでノルスの人たちには気持ち悪がられてるんだよね。死んだお母さんが流れ者の薬師だったのもあってさ。あたしは禍いを振り撒く魔女の子だって、ノルスでは言われてる。

 ノルスで生まれ育ったお父さんが”人喰い”に喰われて殺されたのは、悪い魔女であるお母さんなんかと結婚したからだって、お母さんの娘であるあたしも魔女だからだって言われてるんだ」

 ぽつぽつとシュリの口から紡がれる言葉に、ドゥーエは食事の手を止め、眉を顰める。

「そんなの言いがかりもいいところだろう。無茶苦茶だ」

「あたしもそう思うよ。だけど、人は何かあれば、それに原因や理由をわかりやすい形で求めずにはいられないものだから。だから……弱い存在――流れ者のお母さんや身寄りの亡くなったあたしがその標的になったっていうだけ」

「つまり、今日のあれは……」

 うん、と悲しげにシュリの目が翳った。

「薬を納品に行った後、ちょっと用事があって町の中を歩いてたら、あたしのことをよく思わない人たちに物を投げつけられちゃって。まあ、ノルスに行くとたまにあることだから、あのくらいのこと、あたしはどうでもいいって思ってる」

「よくない」

 ドゥーエはシュリの言葉を遮ると、じっと真摯な目で彼女を見据えた。

「俺がよくない。謂れのないことでそうやってお前が傷つくのは俺は嫌だ。それにお前がそんな顔をするのを俺は黙って見ていられない」

 ありがと、とシュリは淡くはにかんだような笑みを浮かべると、ドゥーエの方へ手を伸ばす。彼女はかさついた小さな手でドゥーエの手にそっと触れると、

「そんなふうに言ってくれて、何より今ここにドゥーエ――ありがとうって言える人がいてくれることが嬉しい。あたしがノルスで何て言われてようと、どう思われていようと、ただそれだけのことでどんなことだってちっぽけなことだって思えちゃう」

「……そうか」

 今し方自分が口走った小っ恥ずかしい台詞のらしくなさに、髪の中で尖った耳の先をほんのりと赤らめながら、ドゥーエは再びスープに口をつける。すっから冷めてしまったそれは、味付けを間違えたせいで塩辛いはずなのに、なぜか砂糖を入れすぎたレモンティーのような味がする気がした。

 あと少し踏み込めば均衡が崩れてしまいそうな危うさと、一匙のくすぐったさを孕んだ空気が暖炉の火がぱちぱちと爆ぜる室内で揺れていた。


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