epilo2「加減を超えて」
「———きゃああああッ!!!」
悲鳴が聞こえる。女性特有の高い金切り声で男は意識を覚醒させた。
「ここは⋯⋯」
喧騒が耳を貫く。あたりを見回すと人々はぼう然と男を見つめ、あるいは逃げ惑っている。
男は何事かと自分の両の手を見るとそれは赤く濡れていた。
サラサラと赤く滴った液体が足下に垂れている。一歩後ずさると何かにぶつかった。男はバランスを崩してその場に無様に転ぶ。
「あっ———」
男の呼吸が自然と速くなる。心臓の鼓動が勢いを増して周りの喧騒すら掻き消した。
足下には人が倒れていた。仰向けに倒れ、瞳孔を広げて男を見ている。本来人間にあるべき下半身はそこになく、まるで切り取られたかのようなその断面からは夥しい血が流れていた。
「⋯⋯ようやく目覚めたか」
「な、なぜ⋯⋯」
なぜ自分はまだ生きているのか、この惨状は何なのか、辺りに飛び散った血と臓物も笑っている怪物も血塗られた英雄の像も男に答えを教えてはくれない。
「心配するな殺したのは悪人だ。婦女を脅し金銭を奪おうとしていたのでな、報いを受けさせたのだ」
そう言ってイースラは転んでいる男に手を差し伸べた。
「⋯⋯こ、殺す必要はありましたか?」
「人の平穏を乱す輩だ。殺してしまっても良いだろう」
「しかしこれでは⋯⋯」
男の前に広がる景色には平穏という言葉は微塵も介在してはいない。人々は惑い恐怖に慄いている。
イースラは怪物である。星の孺子でありその意思により産まれて7年、戦いに終始し力による解決しか知らない。
「貴様の願いは破っていないぞ。悪は滅び平穏とやらは守られた」
怪物にとっての平穏や守るという行為はこれまで戦ってきた戦士たちの行為をなぞることであった。
「ん?」
バタバタと大きな音が近づいてくる。2人は空を見あげると迷彩色のヘリが一機だけ近づいてくるのが分かった。
「どうやら話をしている暇はないようだぞ」
「へ?」
近づいてきたヘリは二人の真上で滞空した。すると一つの人影がそこから飛び降りる。高度数十メートルはある上空からそれは5秒と掛からず大地に衝突し土煙を上げた。
「⋯⋯ああ、久しぶりじゃないかマレナ。裏切り者が何用だ」
「お久しぶりでございます。イースラ様は生きておられたのですね」
土煙の中から出てきたは紫の鎧を纏った少女。その名はマレナ・マグダレーナ。
イースラ麾下の改造生物の中で唯一の人間であった者だ。非業の死を遂げた少女の素体よりカノンら魔法闘士を模して造られた怪人であったがカノン達と幾度となく戦い友情を育んだ末に、最後には人類のために立ち上がった本物の魔法闘士である。
マレナは拳を構え、中手骨の間より鉤爪を突出させた。体からはオーラが迸っている。
「問答無用か」
イースラもまた瞬時に漆黒の鎧を身に纏い臨戦態勢を整える。だが鎧は所々ヒビ割れ発せられるオーラ力も万全とは程遠く矮小であった。
数拍の間をおいて二人はお互いに動き出した。イースラの拳からは斬撃が放たれ。マレナはいとも容易くそれを掻い潜る。外れた斬撃は地面や壁にぶつかり僅かにコンクリートに傷跡を残すばかりであった。マレナは目にも止まらぬ速さで怪物に肉薄した。
「クッ⋯⋯」
高速で鉤爪が振るわれる。かつてイースラが授けた破壊の一部。その能力は疾風迅雷の加速である。
「貴方がくれた破壊の力。使い方次第では人を助けることもできます。それを教えてくれた人はもういません」
鉤爪は怪物の鎧を砕き、肉を裂いた。速度を増す連撃に怪物は徐々に防戦一方に追い詰められていく。怪物はなけなしに斬撃を飛ばすが既に星とのリンクは切れ、威力も速度も全盛期には遠く及ばない。
「⋯⋯ですが、想いはここにあります。貴方に彼女が守ったこの世界を再び壊させるわけにはいかないのです」
ついに怪物はその場に膝をつく。力を使い果たし最早戦う気力は殆ど残されていない。呼吸を荒げる怪物をマレナは冷徹に見下ろし、鉤爪を大きく振り上げた。
「どうか、どうか安らかに大地にお還りくださいませ」
そう言ってマレナは鉤爪を振り下ろす。だが聞こえてきたのは肉を裂き血潮が吹き出る音ではなく甲高い硬い金属であった。
「ッ⋯⋯!? 怪人!」
男は自然と体が動いてしまった。呆然と目の前で起こる戦いを眺めていたがイースラが殺されそうになったその時、居ても立ってもいられなくなった。
助けると覚悟した体は即座に虫を思わせる外骨格に覆われ、禍々しいオーラが体の節々から溢れる。異形の体から脊椎を通して脳にはその力の使い方が瞬時にインストールされた。シナプスには多くの情報が駆け巡り恐怖や迷いという感情が塗りつぶされていく。男の脳内には力の使い方と助けたいという意思だけが残された。
「い、いえ⋯⋯ぼ、僕は⋯⋯」
「イースラ様、貴方はまたそんなものを⋯⋯! 今更そんなもので何になると!!」
破滅の大王を滅する鉤爪は防がれた。切先には一本の刀が添えられてびくともしていない。マレナはこの力を知っている。人の発する希望のオーラ力とは違う。かつてその身に宿していた地球の力。禍々しく迸る大地の怒りのオーラ力だ。
「貴方はどこまでも破滅の大王なのですね。力の多く失った今でも愚直に人をことしかできない裸の王様」
鉤爪が男の頬を掠める。昆虫を模した頭部についた大きな複眼が高速の切り払いを僅かにとらえた。
「ひ、ひぃ!」
二の太刀三の太刀と続け様に鉤爪により斬りつけられる。男にはマレナを傷つける意思は無かった。それ抜きにしても反射的に避けられはするが余りにも速すぎて反撃の余地など皆無に等しい。
「良いことを教えてやる。マレナよ、轟カノンは生きているぞ。私がこうして生きているように」
「ッ⋯⋯カノンが!?」
轟カノンは生きている。その一言にマレナの動きが止まった。
「今だ! 逃げるぞ、ミストを使え!」
イースラの言葉に、男は慌てて能力を使う。すると外骨格はアルビノのように色を落とし、脇腹からは白いガスが放出された。たちどころに辺りは霧がかり漂白される。
「見えない⋯⋯!」
男は急いでボロボロのイースラを抱きかかえる。その速度はおよそ人間が出せるものを超えていた。コンマ1秒でイースラを抱えたままその場を離れる。男は戸惑いつつも不思議には思わなかった。外骨格から常に頭には体の使い方が流れ込む。まるで補助輪付きの自転車だなと能天気なことを考えながら男はイースラと共にその場から逃げ出した。
「カノンが⋯⋯」
マレナは立ち尽くす。その脳内には先ほどのイースラの言葉が木霊し続けていた。
———衝撃の真実!