epilo1「僕の屍を超えて」
雪が降っている。破滅の大王と人類の存亡を掛けた戦いが終わってから2年が経った。人々は破壊された都市の復興に向けて日々、汗を流している。
少女が守った平和と希望を胸に皆が今日を懸命に生きていた。
そんな世界の片隅で一人の男が立っている。昼行灯のようにぼんやりとしてその目には輝きはなかった。
「寒い⋯⋯」
人気の少ない路地を男は目的もなく歩く。空虚な気持ちを晴らそうと意味のない散歩をしている時にそれは居た。積み上げられたゴミ袋の山に身を預けて男を見ていた。破れて最早布切れとしか言えない服を身に纏い、その布の下からは傷だらけの肢体を覗かせて少女が佇んでいる。
「———なんだ貴様は」
少女は男を睨みつけて唸るように話し始める。少女はその惨憺たる姿とは打って変わりどこか気品と覇気を感じさせた。
「⋯⋯」
男は彼女を知っている。彼女は2年前、救世の英雄たる轟カノンと死闘を演じそして滅ぼされた破滅の大王イースラその人であった。
「消えろニンゲン、消えねば貴様を滅ぼす」
男は脱兎の如く逃げ出した。人類の1割を殺し尽くした破壊の化身に恐怖しないわけもなく男は恥も外聞もなく走り出した。
「ふん腰抜けめ、やはりニンゲンは滅ぼすべきだな。あの少女が命をかけて守るほどのものではない。⋯⋯もはや滅ぼす時間も力もないが」
イースラは手を空に掲げる。掲げた手からパラパラと砂粒が顔に降り立った。地球の意思により生じたイースラの肉体は少女の一撃により源たる生命力を失い徐々に大地に還っていた。あと数刻もすれば彼女という存在は消滅する。
「使命も果たせず死を待つだけ。⋯⋯何のために生まれてきたのだ」
瞳からは涙が溢れる。彼女はなぜ涙が出るのかさえわからない。大地が人を模して作った破滅にとって涙は不必要な機能で本来は出る筈のないものだというのに、止めようもなくイースラは泣きじゃくった。
「あ、あの!」
声がした。男の声だ。絶望の渦中にあったイースラは瞬時に警戒態勢に入る。地球が生み出した殺戮兵器としての本能が彼女を再び気高き戦士に戻した。
イースラが声の聞こえる方へ視線を向ける。すると先ほど威嚇し追い払った男が立っていのがわかった。男は息を切らしながらじっと破滅の大王と視線を交差させた。
「困ってるよね⋯⋯何か助けてほしい事はない?」
「貴様⋯⋯私が誰だか知らないのか?」
先程のように少女の顔をした怪物は男を睨んだ。男は威風のある視線にたじろぎながらも言葉を続ける。
「知ってるよ。人類を滅ぼそうとして逆に倒された破滅の大王様だ」
「ならばなぜ⋯⋯」
怪物は眉をひそめる。人類の天敵をその人自身が助ける理由とは何なのか怪物には理解できなかった。
「泣いてたから」
「泣いてた⋯⋯それはこの目から出る塩水のことか?」
助ける。その一言を聞いたイースラの頬には一筋の涙が垂れた。内心戸惑いながらも怪物は男を睨むふりをした。
「ならば貴様の命を差し出せ」
イースラは禍々しい顔つきで真実を告げた。怪物は嘘をついて命を騙し取ることもできた。普段なら何とも思わない行為のはずだが何故か忌避感を持って避けてしまった。
この男の命を吸えば一時的には力は取り戻せる。それが効率的だった筈だ。だがイースラは自分でもわからないが男が逃げ出す事を期待していた。
「ッ⋯⋯」
男は更に怯えた。美しい少女ではなく人を殺すためだけに生まれた怪物の貌を見て何も言えず身を震わせることしかできない。
「ふん、迂闊に我に助けると言った罰だ。さっさと去ね」
男の死に怯えた顔にイースラは安堵した。人を殺すためだけに生まれた筈で人を生かすことに喜びを感じるべきではないと思いながら、何億人も殺したその手が目の前のたった一人を殺すことを拒んでいる。
この矛盾はきっと尊敬すべき少女との死闘で思考回路が壊れてしまったのだろうと彼女は勝手に納得することにした。
「い、いいさ⋯⋯僕の命をあげる」
吃りながら男は意外な一言を放った。この男もまた矛盾していた。死に怯え命を惜しみながらも命を粗末に捨てようとしている。怪物は思わず表情を崩して呆れてしまった。
「命を粗末にするな⋯⋯お前の命はあの少女が命を賭して守ったものだ」
イースラは路地の隙間を指差した。隙間の先には救世の英雄、轟カノンの銅像が建っている。復興の傍らで有志が少女を讃えて建てた物だ。
「助かりたいのか助かりたくないのかどっちなんだよ! いいから早く助かれよ!」
「下等な人間風情が何たる口の利きかたか!」
イースラは腹立たしく感じた。口ぶりもそうだが死にたがりの無鉄砲な態度で轟カノンに似た言葉を話すことがとにかく癪にさわる。
「いいんだよ⋯⋯頼むよ僕の命なんて価値がないんだ⋯⋯だから意味が欲しい」
「意味⋯⋯」
男は自らの死と引き換えに人のために死のうとしている。かの英雄のように我が身を賭して。
だがイースラは彼と少女の生き様は似ても似つかないものであると気づいていた。命を尊び何よりも生きたかった少女は勇気を持っていたが一方この男は自暴自棄でしかないと。
「だから約束してください。どうか人の平穏を乱さないで」
情けないとイースラは思った。生きる意味がなければ生きてはいけないものなのだろうかと。きっとそれは自己嫌悪の同族嫌悪だった。
「貴様も死に場所を探していたのだな」
イースラが大きく口を開ける。両の頬が裂ける程に口が広がり、その中にはギラリと肉食獣のように鋭利な牙が並んでいた。
「⋯⋯いいだろう。約束する平穏とやらは壊さぬし人も滅ぼさぬ。その命、頂くぞ」
男はイースラに身を預ける。首筋には鈍い痛みが広がり意識は暗い水底へと立ち消えた。
———大王、復活す。